Friday, December 30, 2005
Huge Lenses Appear Once Again
またよく眠れなかった。眼鏡店でコンタクトレンズ(ソフト)をはめようとしていた。「レンズが巨大になってはめるのに苦労する夢」をときどき見ると言っていた。気がつけば、手にしているレンズはすでに直径20センチほどになっていた。
60歳ぐらいのスーツを着た男性といっしょ。北九州のある場所で、歩道が整備されておらず、ひっきりなしに走る大型トラックとぶつかりそうで怖い。明治維新か何かのいわれのある海辺の観光地で、「ここには中学生のとき来たことがあります」。天気が悪く、間もなく雨になる。
同じ男性とオフィスビル前の喫茶店。鶏卵の自動処理システムを作る会社にいたあと、英語の先生だったと履歴を話していた。
Most demons -- most forms of anguish -- rely on the cover of night; to see them clearly is to defeat them. Depression stands in the full glare of the sun, unchallenged by recognition. You can know all the why and the wherefore and suffer as much as if you were shrouded by ignorance. There is almost no other mental state of which the same can be said. (p. 293)
60歳ぐらいのスーツを着た男性といっしょ。北九州のある場所で、歩道が整備されておらず、ひっきりなしに走る大型トラックとぶつかりそうで怖い。明治維新か何かのいわれのある海辺の観光地で、「ここには中学生のとき来たことがあります」。天気が悪く、間もなく雨になる。
同じ男性とオフィスビル前の喫茶店。鶏卵の自動処理システムを作る会社にいたあと、英語の先生だったと履歴を話していた。
Most demons -- most forms of anguish -- rely on the cover of night; to see them clearly is to defeat them. Depression stands in the full glare of the sun, unchallenged by recognition. You can know all the why and the wherefore and suffer as much as if you were shrouded by ignorance. There is almost no other mental state of which the same can be said. (p. 293)
Tuesday, December 27, 2005
Hey, I'm Going to Be Like Jack Nicholson!!
朝まで眠れないまま、カウンセリングに行った。眠れない日が多いので、以前処方されていたEpilim (Valparin) がまた加わった。2週間後にまた行く。それまでにあまり改善してないようだと、きわめて安全で短期間に効果が現れる治療法とされているECT を試してみてもいいと言われた。"One Flew Over the Cuckoo's Nest" を連想した。もちろん拒否することはできるのだが、自分がその候補になるとは……。
抗うつ剤を使用しているので、中枢抑制作用のある(depressant)アルコールに対する"threshold" が低くなっても不思議ではない。
Much depression incorporates anxiety symptoms. It's possible to read anxiety and depression separately, but according to James Ballenger of the Medical College of South Carolina, a leading expert of anxiety, "they are fraternal twins." George Brown [of the University of London] said succinctly, "Depression is a response to past loss, and anxiety is a response to future loss." (p.65)
Depressants such as alcohol and heroin relieve anxiety and aggravate depression; stimulants such as cocaine relieve depression and aggravate anxiety. (p. 221)
"The Noonday Demon" の第7章"Suicide" の最後に描かれている場面は壮絶であり、尊厳あるものだ。
抗うつ剤を使用しているので、中枢抑制作用のある(depressant)アルコールに対する"threshold" が低くなっても不思議ではない。
Much depression incorporates anxiety symptoms. It's possible to read anxiety and depression separately, but according to James Ballenger of the Medical College of South Carolina, a leading expert of anxiety, "they are fraternal twins." George Brown [of the University of London] said succinctly, "Depression is a response to past loss, and anxiety is a response to future loss." (p.65)
Depressants such as alcohol and heroin relieve anxiety and aggravate depression; stimulants such as cocaine relieve depression and aggravate anxiety. (p. 221)
"The Noonday Demon" の第7章"Suicide" の最後に描かれている場面は壮絶であり、尊厳あるものだ。
Monday, December 26, 2005
Not So Merry Xmas
25日に日付が変わってからCC に行く。カウンターに顔を乗せて眠る。いかんと思って、外に出るもCP の裏入り口に座り込んで眠ってしまった。3時ごろまでいてタクシーで帰る。
昨日は、too much that was joyful の結果だろうか、大沈没。今日は夕方まで寝ていたが、気分はまし。ただ、Where is the world?? に変わりはない。
昨日は、too much that was joyful の結果だろうか、大沈没。今日は夕方まで寝ていたが、気分はまし。ただ、Where is the world?? に変わりはない。
Saturday, December 24, 2005
Friday, December 23, 2005
Depressed Because I Was Happy. Depressed Because I Was Unhappy
"The Noonday Demon"
Depression can as easily be the consequence of too much that was joyful as of too much that was horrible. (p. 99)
Depression these days is treatable; you take antidepressants like you take radiation for cancer. They sometimes do miraculous things, but none of it is easy and results are inconsistent. (p. 119)
Low choresterol has been linked to depression (p. 138)
Many depressed man are not diagnosed because they tend to deal with feelings of depression not by withdrawing into the silince of despondency, but withdrawing into the noise of violence, substance abuse, or workaholism. Women report twice as much depression as men, but men are four times as likely as to commit suicide as women. Single, divorced, or widowed men have a much higher rate of depression than married men. (p. 178)
Depression can as easily be the consequence of too much that was joyful as of too much that was horrible. (p. 99)
Depression these days is treatable; you take antidepressants like you take radiation for cancer. They sometimes do miraculous things, but none of it is easy and results are inconsistent. (p. 119)
Low choresterol has been linked to depression (p. 138)
Many depressed man are not diagnosed because they tend to deal with feelings of depression not by withdrawing into the silince of despondency, but withdrawing into the noise of violence, substance abuse, or workaholism. Women report twice as much depression as men, but men are four times as likely as to commit suicide as women. Single, divorced, or widowed men have a much higher rate of depression than married men. (p. 178)
Nemurenai......
朝方になるまで眠れない。 けさは、蚊に襲われて余計に眠りを妨げられた。顔と腕をさんざん刺された。耳栓をしていたから、羽音にも気づかなかった。
Al-Jazeera (Hugh Miles) はおととい終えた。The Noonday Demon (Andrew Solomon) を先週、The Unfinished Presidency (Douglas Brinkley) を昨日から始めた。
よりによって、イスラムの小国カタールで生まれたチャンネルが事実報道の先端を行くとは。親米・反米、親・反イスラエル、親・反アラブと批判されていることは、偏向していない証拠だとも言える。
Al-Jazeera (Hugh Miles) はおととい終えた。The Noonday Demon (Andrew Solomon) を先週、The Unfinished Presidency (Douglas Brinkley) を昨日から始めた。
よりによって、イスラムの小国カタールで生まれたチャンネルが事実報道の先端を行くとは。親米・反米、親・反イスラエル、親・反アラブと批判されていることは、偏向していない証拠だとも言える。
Wednesday, December 21, 2005
Monday, December 19, 2005
Dreams...
17日から18日にかけての夢。
韓国の高校。高圧電線を敷設するエンジニアがふたり。日本でいっしょに仕事をしたことがあるらしく再会できたことを喜んで話していた。校舎の壁には新しく敷設された電線が張り巡らされていた。ひとりはGMS で会ったことのあるSK サブマリンのエンジニアにそっくりだった。
生徒がスーパーマーケットに連れて行ってくれて、お菓子を手にとってハングルを判読しようとしていた。女子生徒3人のうちひとりが自分をずいぶん気にいってくれた様子だった。
どこに行こうとしていたのかわからないが、校舎の中のエレベーターに乗っていた。着いた階で降りようとすると、いっしょに乗っていた女性に「あなたはあっち」と言われる。乗った側の反対側にもドアがあって、そっちから降りろということだった。
ジャカルタ。TY と歩く。もくもくと煙を上げるプラントが目の前に見える。工事現場を通ると建設中のビルから投げ捨てられる廃材が30センチほど横に落ちておどろく。
古い駅ビル内のデパートを見て歩く。彼女は服か何かを買いたいようだった。歩きたくなかったがつきあう。着ている服の胸ポケットに番号入りのタグをつけている。自分は71で、彼女は確か68だった。ビル周辺には「カフェ」が何カ所もあり、フランス語を話す人も多い。メニューを見ていると、注文もしていないのに、店主が「わかった」と言い張るから、「今はいらない」と答える。「タグの番号を覚えておくから戻って来い」と言われる。
泊まっているホテルに戻るつもりで、70Sセントの地下鉄切符を買う。プラットホームに下りていく階段は、老朽化していて危ない。地下鉄に乗った場面はなかった。
タグ番号によって切符を買うルールが違うらしく、翌日、駅員に捕まる。「6番の部屋」に連れて行かれる。違反者ノートがあって、名前を記録される。他の駅員から「キミがチャンピオンだ。おめでとう。明日もあさっても仕事はしなくていい」と祝福され、ノートには「Champ」とサインした。ジャカルタには仕事のために来たんじゃないんだけど。ただ、次の日に正しく切符を買って、駅員に報告し、記録を変更してもらう必要があった。
駅ビルの1階は映画館で、数秒ごとに場面の変わるペンキで描かれた広告があった。テント生活をしながら物乞いをする人や手足のない人も多い。「片手だけの人」もいた。''Make the coffee man happy!" との青年の叫びと同時に体操の時間になった。その場を去ろうとしたが、どの方向にも物乞いがいて苦労した。
カフェで食事をしようとしたが、注文せずに座っている人が多くて空いた席がない。譲ってもらって席を確保する。店主が68と71の料理をもってきた。ひとつは普通の、もうひとつは緑色のパスタだった。
道路からずっと遠くを見渡せた。空港や工場も見えた。町の中心は平地になっていて、地対空ミサイルが打ち上げられていた。破壊するために戦闘機が垂直離陸して、真上から迎撃ミサイルを発射。直後に爆発から遠ざかっていった。ミサイル同士の衝突と爆発の音が遠くにとどろいた。迎撃の実験場のようだった。
近くのビルの壁面スクリーンにも迎撃の様子が映し出されていた。どこだと思うかと誰かにきかれて、「バクダッドだと思う」と答えていると、ミサイル衝突の場所がどんどん近づいてきて、地下鉄の入り口にも瓦礫が降ってきた。
またカフェの場面。記事を配信しているジャーナリストが仕事をしているのか、時間をつぶしているのか。とにかく記者の集まる場所らしい。アラブ系の女性記者が日本語で書かれた施工要領書のようなものを見ている。短い会話を交わすが何を何語で話したのか覚えていない。
駅ビルの事務所のひとつを用があって訪れる。どんな用事で行ったのか記憶にない。日本人女性が2人いる事務所だった。突然、大阪で行方不明になったINGK さんがお母さんと(同じ顔の)弟さんといるではないか!長く話さずその場を離れようとするが、そうはさせてくれない。外に出て、INGK さんは、確かに自分の名前が書かれた預金通帳3通を出して「"あの日"から今日まで残したカネだから受け取ってくれ」と通帳を自分のポケットに入れようとする。受け取らずに何とか別れた。
(夢のどの部分にあったのかわからない場面。水たまりに機械油が浮いているような場所。TY ではなく、Q ちゃんといっしょにいた。工事現場の資材置き場か?「川のない橋」があって何かの違反でインドネシアの警官2人に捕まる。2Sドルの「事故多発危険の反射板」取り付け料金を罰金として支払えば見逃してくれるらしい。敷地内の鉄工所に反射板を買いに行くと、「50Sドル」だと言われ、「Fuck you」と言ってやる。いくら支払ったのか不明だが、納得して反射板を買う。どこに取り付けるのかを「詳細に、わかりにくく」説明した図面をもらって、橋に取り付けた。実は鉄工所は広く、反射板を買ってから外に出るまで苦労した。台湾で出会ったフィリピンのエンジニア「ジュンちゃん」がいて「配属が変わった」と言っていた。)
京都のホテルに小型バイクで到着する。駐車場にバイクを置いてエレベーターを待っていると、現れたのは若社長。自分の肩にドンと突き当たって階段を駆け上がっていった。思いつく限りの罵声を浴びせながら追いかけたが、逃げられた。
ロビーでは「ホリエモン」が衆院選落選の会見を行っており、20人ほどの支持者に混ざって最後列に立って……いや、しゃがんでいた。
「いつ永住権申請をするんだ」と誰かにきかれ、申請書類を眺める。右側のページにポケットがふたつあって写真が入っていた。左側には伏見選挙区の「関矢弘」の写真が、右側には彼の婚約者の写真が入っていた。子供の頃の写真や学生時代の写真。関矢のポケットには写真だけではなく、「当選を祝いたく、出席願う」という婚約者宛のパーティー招待状も入っていた。「関矢弘」って誰。
帰ろうと思って駐車場に行くと、バイクを駐車しようとしていたHOK さんがいた!またなつかしい人だ。ホテルの中の日本食レストランにいっしょに食事に行った。レストランで見た名刺には「設計長」となっていた。社長はKSNM さん。社名は昔と変わらず「パシフィック・エンジニアリング」。
HOK さんと別れた後だろうか、INGK さんとまた会う。近くにいい店があるから行こうと誘われる。断りきれずホテルの向かいにある料亭へと歩き始めると、スポーツカーが猛スピードで突っ込んできて、はねられそうになる。何とか逃げると、今度はINGK さんを標的にした。料亭の軒先に避難した彼をわざと避けて車はその入り口に突っ込んでいった。「返すお金がこれでなくなってしまった」とINGK さんは言った。運転していたのは、彼のお父さんのようだった。
駐車場はすでにシャッターが下りて閉まっていた。バイクを引きずって2階に行けば、外に出られるかもしれないとホテルの従業員にきいたが、停めていたバイクが駐車場にない。「もう片付けてしまった」と言う駐車場のおじさんにお願いして、バイクを返してもらった。その後、どこへ行ったのかまったくわからない。
以前見た夢。荒波に立つビルが2棟あって、間が空中回廊でつながれている。回廊は水平に回転できるため、どちらかのビルでボタンが押されると方向が変わる。いつまで経ってもどちらのビルにもたどり着けない。
韓国の高校。高圧電線を敷設するエンジニアがふたり。日本でいっしょに仕事をしたことがあるらしく再会できたことを喜んで話していた。校舎の壁には新しく敷設された電線が張り巡らされていた。ひとりはGMS で会ったことのあるSK サブマリンのエンジニアにそっくりだった。
生徒がスーパーマーケットに連れて行ってくれて、お菓子を手にとってハングルを判読しようとしていた。女子生徒3人のうちひとりが自分をずいぶん気にいってくれた様子だった。
どこに行こうとしていたのかわからないが、校舎の中のエレベーターに乗っていた。着いた階で降りようとすると、いっしょに乗っていた女性に「あなたはあっち」と言われる。乗った側の反対側にもドアがあって、そっちから降りろということだった。
ジャカルタ。TY と歩く。もくもくと煙を上げるプラントが目の前に見える。工事現場を通ると建設中のビルから投げ捨てられる廃材が30センチほど横に落ちておどろく。
古い駅ビル内のデパートを見て歩く。彼女は服か何かを買いたいようだった。歩きたくなかったがつきあう。着ている服の胸ポケットに番号入りのタグをつけている。自分は71で、彼女は確か68だった。ビル周辺には「カフェ」が何カ所もあり、フランス語を話す人も多い。メニューを見ていると、注文もしていないのに、店主が「わかった」と言い張るから、「今はいらない」と答える。「タグの番号を覚えておくから戻って来い」と言われる。
泊まっているホテルに戻るつもりで、70Sセントの地下鉄切符を買う。プラットホームに下りていく階段は、老朽化していて危ない。地下鉄に乗った場面はなかった。
タグ番号によって切符を買うルールが違うらしく、翌日、駅員に捕まる。「6番の部屋」に連れて行かれる。違反者ノートがあって、名前を記録される。他の駅員から「キミがチャンピオンだ。おめでとう。明日もあさっても仕事はしなくていい」と祝福され、ノートには「Champ」とサインした。ジャカルタには仕事のために来たんじゃないんだけど。ただ、次の日に正しく切符を買って、駅員に報告し、記録を変更してもらう必要があった。
駅ビルの1階は映画館で、数秒ごとに場面の変わるペンキで描かれた広告があった。テント生活をしながら物乞いをする人や手足のない人も多い。「片手だけの人」もいた。''Make the coffee man happy!" との青年の叫びと同時に体操の時間になった。その場を去ろうとしたが、どの方向にも物乞いがいて苦労した。
カフェで食事をしようとしたが、注文せずに座っている人が多くて空いた席がない。譲ってもらって席を確保する。店主が68と71の料理をもってきた。ひとつは普通の、もうひとつは緑色のパスタだった。
道路からずっと遠くを見渡せた。空港や工場も見えた。町の中心は平地になっていて、地対空ミサイルが打ち上げられていた。破壊するために戦闘機が垂直離陸して、真上から迎撃ミサイルを発射。直後に爆発から遠ざかっていった。ミサイル同士の衝突と爆発の音が遠くにとどろいた。迎撃の実験場のようだった。
近くのビルの壁面スクリーンにも迎撃の様子が映し出されていた。どこだと思うかと誰かにきかれて、「バクダッドだと思う」と答えていると、ミサイル衝突の場所がどんどん近づいてきて、地下鉄の入り口にも瓦礫が降ってきた。
またカフェの場面。記事を配信しているジャーナリストが仕事をしているのか、時間をつぶしているのか。とにかく記者の集まる場所らしい。アラブ系の女性記者が日本語で書かれた施工要領書のようなものを見ている。短い会話を交わすが何を何語で話したのか覚えていない。
駅ビルの事務所のひとつを用があって訪れる。どんな用事で行ったのか記憶にない。日本人女性が2人いる事務所だった。突然、大阪で行方不明になったINGK さんがお母さんと(同じ顔の)弟さんといるではないか!長く話さずその場を離れようとするが、そうはさせてくれない。外に出て、INGK さんは、確かに自分の名前が書かれた預金通帳3通を出して「"あの日"から今日まで残したカネだから受け取ってくれ」と通帳を自分のポケットに入れようとする。受け取らずに何とか別れた。
(夢のどの部分にあったのかわからない場面。水たまりに機械油が浮いているような場所。TY ではなく、Q ちゃんといっしょにいた。工事現場の資材置き場か?「川のない橋」があって何かの違反でインドネシアの警官2人に捕まる。2Sドルの「事故多発危険の反射板」取り付け料金を罰金として支払えば見逃してくれるらしい。敷地内の鉄工所に反射板を買いに行くと、「50Sドル」だと言われ、「Fuck you」と言ってやる。いくら支払ったのか不明だが、納得して反射板を買う。どこに取り付けるのかを「詳細に、わかりにくく」説明した図面をもらって、橋に取り付けた。実は鉄工所は広く、反射板を買ってから外に出るまで苦労した。台湾で出会ったフィリピンのエンジニア「ジュンちゃん」がいて「配属が変わった」と言っていた。)
京都のホテルに小型バイクで到着する。駐車場にバイクを置いてエレベーターを待っていると、現れたのは若社長。自分の肩にドンと突き当たって階段を駆け上がっていった。思いつく限りの罵声を浴びせながら追いかけたが、逃げられた。
ロビーでは「ホリエモン」が衆院選落選の会見を行っており、20人ほどの支持者に混ざって最後列に立って……いや、しゃがんでいた。
「いつ永住権申請をするんだ」と誰かにきかれ、申請書類を眺める。右側のページにポケットがふたつあって写真が入っていた。左側には伏見選挙区の「関矢弘」の写真が、右側には彼の婚約者の写真が入っていた。子供の頃の写真や学生時代の写真。関矢のポケットには写真だけではなく、「当選を祝いたく、出席願う」という婚約者宛のパーティー招待状も入っていた。「関矢弘」って誰。
帰ろうと思って駐車場に行くと、バイクを駐車しようとしていたHOK さんがいた!またなつかしい人だ。ホテルの中の日本食レストランにいっしょに食事に行った。レストランで見た名刺には「設計長」となっていた。社長はKSNM さん。社名は昔と変わらず「パシフィック・エンジニアリング」。
HOK さんと別れた後だろうか、INGK さんとまた会う。近くにいい店があるから行こうと誘われる。断りきれずホテルの向かいにある料亭へと歩き始めると、スポーツカーが猛スピードで突っ込んできて、はねられそうになる。何とか逃げると、今度はINGK さんを標的にした。料亭の軒先に避難した彼をわざと避けて車はその入り口に突っ込んでいった。「返すお金がこれでなくなってしまった」とINGK さんは言った。運転していたのは、彼のお父さんのようだった。
駐車場はすでにシャッターが下りて閉まっていた。バイクを引きずって2階に行けば、外に出られるかもしれないとホテルの従業員にきいたが、停めていたバイクが駐車場にない。「もう片付けてしまった」と言う駐車場のおじさんにお願いして、バイクを返してもらった。その後、どこへ行ったのかまったくわからない。
以前見た夢。荒波に立つビルが2棟あって、間が空中回廊でつながれている。回廊は水平に回転できるため、どちらかのビルでボタンが押されると方向が変わる。いつまで経ってもどちらのビルにもたどり着けない。
Saturday, December 17, 2005
Nice to See Ya Again, Netscape (Mozilla)
いろいろ書くことがあるが、また今度。
Opera をあきらめてMozillaにした。元Netscape の人が始めただけあって、なつかしい設計だ。
Sunday, December 11, 2005
Down to the Bottom with Butterflies
1週間、沈没。3日(日)、なぜか落ち着かず(butterfies)、翌日朝動けず。仕事の準備までしていたのに。
6日、同じ。Qちゃんが、クリニックに電話してくれたが、通じず。そう言えば、この週は休みだったはず。「急患用番号」にかけてくれて、別のクリニックでカウンセリングの予約をする。カウンセリング自体は、すでに知っていることの説明で終わる。会社に診断書の提出が必要となったが、すべてを語ることは(まだ)できない。金曜日にその旨を記したファクスをDr 宛に送った。
2日(土)に船に乗って楽しみ過ぎたからか……。楽しんで何が悪いのか……。
6日、同じ。Qちゃんが、クリニックに電話してくれたが、通じず。そう言えば、この週は休みだったはず。「急患用番号」にかけてくれて、別のクリニックでカウンセリングの予約をする。カウンセリング自体は、すでに知っていることの説明で終わる。会社に診断書の提出が必要となったが、すべてを語ることは(まだ)できない。金曜日にその旨を記したファクスをDr 宛に送った。
2日(土)に船に乗って楽しみ過ぎたからか……。楽しんで何が悪いのか……。
Friday, December 02, 2005
Yet Another Executed by the Government
けさ、ヘロイン約400グラムを持ち込んで死刑判決を受けていたベトナム系オーストラリア人(25)の刑が執行された。死刑制度には反対する。残虐だとかいう理由ではなく、冤罪の危険が存在する限り、無実の罪で処刑される可能性が消えないから。
誰が執行人だったのだろう。46年間、チャンギ刑務所で執行人を務めたおじさん(74)は、豪紙に顔写真入りで名前を明かしたことで解雇されてしまった。別の執行人が(おそらくマレーシアから)「空輸」されると別の豪紙が伝えていたが。
昨夜。年始特集にするつもりのアンケートを作り終えたので、印刷しようとしたら、インクがなかった……。
誰が執行人だったのだろう。46年間、チャンギ刑務所で執行人を務めたおじさん(74)は、豪紙に顔写真入りで名前を明かしたことで解雇されてしまった。別の執行人が(おそらくマレーシアから)「空輸」されると別の豪紙が伝えていたが。
昨夜。年始特集にするつもりのアンケートを作り終えたので、印刷しようとしたら、インクがなかった……。
He Remembers D. Buford
Monday, November 28, 2005
Spending Spree
木曜日。HMV でS$181 使う。
- Der Rosenkavalier (Richard Strauss) (DVD, 1979), Gwyneth Jones, Manfred Jungwirth, Brigitte Fassbaender, Bayerishches Staatsorhester, Carlos Kleiber
- Der Rosenkavalier (Richard Strauss) (DVD, 1994), Felicity Lott, Kurt Moll, Anne Sofie von Otter, Orchester der Wiener Staatsoper, Carlos Kleiber
-Carmina Burana (Orff), Symphony No. 9 (Beethoven) (DVD), Berliner Philharmoniker, Saito Kinen Orchestra, S. Ozawa
- Symphony No. 9 (Mahler) (CD), Berliner Philharmoniker, C. Abbado
- Three Pieces for Blues Band and Orchestra (Russo), An American in Paris (Gershwin) (CD), San Francisco Symphony Orchestra, S. Ozawa
Sunday, November 20, 2005
Brain Shivers
http://depression.about.com/cs/venlafaxine/a/brainshivers.htm には“brain shivers” とある。自分が経験した「電気ショック」のことのようだ。
"Opera" Blog Not Good Enough Yet
“Opera” のブログに「インポート」できることがわかって、やってみたが都合が悪い。文字サイズが違う。アップロード時間が変わる。100 日分しかアップロードできない。で、全部消去した。
金曜日。スターハブとドコモの会見に出席。ドコモの代表者は「饒舌だが、質問には答えていない」人。10時半ごろから午前2時半までCC 。昨日は終日睡眠。飲酒というより飲茶といったほうが正しい飲み方だが、翌日は決まってlost day となる。15時間以上も「起きられない」「起きる気にならない」症状は、7月あたりからか。A からメッセージをもらったが、返信もできず。
木曜日に自分に当てはまるEffexor XR の副作用報告事例を発見したので、次回(来月)のカウンセリングで忘れずに相談したい。
けさの夢にはDon Buford が赤いユニフォームで出てきた。よっぽど、好きなんだな。監督はイナオさん。
Thursday, November 17, 2005
Electrical Shock
昨日、おとといと“A dead boy is a good boy” (Q) だった。(こうやって文字にすると、相当ひどい内容だな……)土曜日も寝たきり。晴れだったのか雨だったのか、どんな1日だったのだろうかと思う。必ず前日に焼酎を飲んでいる。飲む量、飲み方、ともに以前とはずいぶん違うが、何か関連があるのか、どういう作用なのか、ただ緊張が解けてしまうだけなのか、わからない。
先月の13日と23日に感じた電気ショックのような症状は、どうやらEffexor の副作用のようだ。多少ヘンな日本語だが、載ってたままが以下。
医薬品安全情報Vol. 2 No. 13 (2004/07/08)
国立医薬品食品研究所 安全情報部
全般性不安障害における臨床試験のプロスペクティブ解析および大うつ病における懐古的調査を含めてvenlafaxine を服用している患者において離脱症状が系統的に評価された。さまざまな投与量において、venlafaxine の突然の中止または減量が新しい症状の発現を伴い、投与量が多いほど、また治療期間が長くなるほど、その頻度が増すことが判明している。報告された症状には、激越、食欲不振、不安、錯乱、協調運動障害、下痢、浮動性めまい、口内乾燥、不快気分、線維束性収縮、疲労、頭痛、軽躁、不眠症、悪心、神経過敏、悪夢、感覚障害(電気ショック感覚様等)、傾眠、発汗、振戦、回転性眩暈、嘔吐がある。
[‘Effexor’ XR]、他のSNRI(Serotonin およびNorepinephrine 再取り込み阻害剤)およびSSRI の中止、特に突然の中止で、不快気分、易刺激性、激越、浮動性めまい、感覚障害(例えば電気ショック感覚のような錯感覚)、不安、錯乱、頭痛、嗜眠、情動不安定、不眠症、軽躁、耳鳴、てんかん発作等の有害事象の自発的報告がある。これらの事象は通常コントロール可能であるが、重篤な離脱症状も報告されている。
先月の13日と23日に感じた電気ショックのような症状は、どうやらEffexor の副作用のようだ。多少ヘンな日本語だが、載ってたままが以下。
医薬品安全情報Vol. 2 No. 13 (2004/07/08)
国立医薬品食品研究所 安全情報部
全般性不安障害における臨床試験のプロスペクティブ解析および大うつ病における懐古的調査を含めてvenlafaxine を服用している患者において離脱症状が系統的に評価された。さまざまな投与量において、venlafaxine の突然の中止または減量が新しい症状の発現を伴い、投与量が多いほど、また治療期間が長くなるほど、その頻度が増すことが判明している。報告された症状には、激越、食欲不振、不安、錯乱、協調運動障害、下痢、浮動性めまい、口内乾燥、不快気分、線維束性収縮、疲労、頭痛、軽躁、不眠症、悪心、神経過敏、悪夢、感覚障害(電気ショック感覚様等)、傾眠、発汗、振戦、回転性眩暈、嘔吐がある。
[‘Effexor’ XR]、他のSNRI(Serotonin およびNorepinephrine 再取り込み阻害剤)およびSSRI の中止、特に突然の中止で、不快気分、易刺激性、激越、浮動性めまい、感覚障害(例えば電気ショック感覚のような錯感覚)、不安、錯乱、頭痛、嗜眠、情動不安定、不眠症、軽躁、耳鳴、てんかん発作等の有害事象の自発的報告がある。これらの事象は通常コントロール可能であるが、重篤な離脱症状も報告されている。
Tuesday, November 15, 2005
Turangalîla
今ごろの時間に“Turangalîla Symphony” を聴いている。Borders で67年録音のRCA 盤(小澤/トロント響)を見つけたので買ってしまった。Borders といいHMV といい、当然あっていいようなタイトルがなかったり、未だに知ってる人の少なそうな“Turangalîla” があったりする。仕入れの基準がわからん。
Monday, November 14, 2005
Nomura-san's Team Stinks
楽天野村監督、茶髪、長髪、ヒゲは禁止(日刊スポーツ)
楽天に、ついに茶髪禁止令が出た。シダックス野村GM兼監督が都内で「箱根駅伝シンポジウム」に参加後、新監督に就任するチーム方針に触れ「茶髪、長髪、ヒゲは禁止します。一番大事なのは人間形成。リーダーの方針には従ってもらう」と話した。ヒゲがトレードマークの吉田ら該当選手は多数おり、動向が注目されそうだ。
ノムさん 清原、新庄を痛烈批判(スポーツニッポン)
楽天・野村監督が都内で行われた箱根駅伝に関するシンポジウムにパネリストとして参加。司会者からチームづくりについて問われ「野球選手なのにピアスをする清原の精神構造はおかしい」「新庄はふざけている」などと痛烈に批判して会場を沸かせた。終了後も「楽天でも金髪、ヒゲ、ピアスは禁止させてもらう」と宣言。茶髪では岩隈、礒部、ヒゲでは有銘、吉田らが“矯正”させられそうだ。
ノムラさんチームは小学校。『野村ノート』は売れてるらしい。ご本人がお気づきだと思うが、『尾張メモ』のパクリやないか。
木曜日。田中均元外務審議官の質問セッションに出席。
金曜日夜。42歳の香港人男性が自殺するきっかけとなった“Now and Then Pub” を見学。フィリピン女性がたくさ~んいる。彼女たちの飲むハイネケン1本が20ドル。3人に囲まれたから合計60ドルだった。バカバカしいにもほどがある。
あちこち移動して、帰ったのは土曜日の朝5時。夜9時ごろまで眠る。いったん起きて食事。その後、また眠る。結局今日の朝まで眠っていた。異常かな……。
楽天に、ついに茶髪禁止令が出た。シダックス野村GM兼監督が都内で「箱根駅伝シンポジウム」に参加後、新監督に就任するチーム方針に触れ「茶髪、長髪、ヒゲは禁止します。一番大事なのは人間形成。リーダーの方針には従ってもらう」と話した。ヒゲがトレードマークの吉田ら該当選手は多数おり、動向が注目されそうだ。
ノムさん 清原、新庄を痛烈批判(スポーツニッポン)
楽天・野村監督が都内で行われた箱根駅伝に関するシンポジウムにパネリストとして参加。司会者からチームづくりについて問われ「野球選手なのにピアスをする清原の精神構造はおかしい」「新庄はふざけている」などと痛烈に批判して会場を沸かせた。終了後も「楽天でも金髪、ヒゲ、ピアスは禁止させてもらう」と宣言。茶髪では岩隈、礒部、ヒゲでは有銘、吉田らが“矯正”させられそうだ。
ノムラさんチームは小学校。『野村ノート』は売れてるらしい。ご本人がお気づきだと思うが、『尾張メモ』のパクリやないか。
木曜日。田中均元外務審議官の質問セッションに出席。
金曜日夜。42歳の香港人男性が自殺するきっかけとなった“Now and Then Pub” を見学。フィリピン女性がたくさ~んいる。彼女たちの飲むハイネケン1本が20ドル。3人に囲まれたから合計60ドルだった。バカバカしいにもほどがある。
あちこち移動して、帰ったのは土曜日の朝5時。夜9時ごろまで眠る。いったん起きて食事。その後、また眠る。結局今日の朝まで眠っていた。異常かな……。
Thursday, November 10, 2005
Kiccho-san Dies
前回の書き忘れ。4日、カウンセリングに行けた。最近は行ったあとで「気分スッキリ」ということはないが、近況報告や問題の整理だけであっても、まだ自分には必要なことだと思う。とにかく、reassurance になっている。その帰り、高島屋まで歩く。TB に戻ってから、Economist を読もうとしてCB に寄ったが、わずかを読んだだけで眠ってしまった。
7日、“Scum of the Earth” を終えた。翌日から“Al-Jazeera” を始めた。
昨日。吉朝さん死去のニュースあり。
今日。何週間ぶりかに7時前に退社。Economist を読もうとしてCB に寄ったが、わずかを読んだだけで眠ってしまった。
7日、“Scum of the Earth” を終えた。翌日から“Al-Jazeera” を始めた。
昨日。吉朝さん死去のニュースあり。
今日。何週間ぶりかに7時前に退社。Economist を読もうとしてCB に寄ったが、わずかを読んだだけで眠ってしまった。
Monday, November 07, 2005
Japanese Hogan
昨夜、“Scum of the Earth” を終えそうになったのに、眠ってしまった。著者がロンドンにようやく到着した以後も戦争は続いていたわけで、どのようにドイツ敗戦を迎え、その後の日々を送ったのか知りたいところ。
大阪市長選に立候補表明していた船場太郎氏、自民の推薦得られず断念。残念。
昨日まで約1週間かけて“PRIDE 1-5” を観た。高田延彦のことを「日本のハルク・ホーガン」と呼んでいるあたり、違和感あり。ヒクソン・グレーシーはすごい。体重は80キロ台。
大阪市長選に立候補表明していた船場太郎氏、自民の推薦得られず断念。残念。
昨日まで約1週間かけて“PRIDE 1-5” を観た。高田延彦のことを「日本のハルク・ホーガン」と呼んでいるあたり、違和感あり。ヒクソン・グレーシーはすごい。体重は80キロ台。
Thursday, October 27, 2005
Gambare, Bataro!!
昨日、郵送してくれた薬が届いていた。医療はサービス業とはいえ、ありがたい。
日本シリーズでロッテ優勝。
深夜0時ごろ、まだ眠るつもりはなかったけど眠かったので、5分だけと思って目を閉じたら、まったく知らないうちに眠りに落ちた。Ativan の助けもなしに。
今日まで何とか仕事ができた。来週は「ディパバリ」と「ハリラヤ・プアサ」の祝日も2日あるし、3人体制に戻れるので、少しはラクだろう……。
Q坊からはSMS でたずねても何の連絡もなく(花束代を返せ)、昨夜眠りに落ちる前に「最後通牒」をSMS で送った。すると、突然今日やって来た。その態度が気にいらん。
何が問題なのか、まったく理解できないらしい。どういう状態なのか、毎日知らせてくれるように頼んだのに、そんな律儀さもない。「来てくれ」と言ったこともないが、ただ惰性で不満タラタラでも居心地のいい実家にとどまり続けたようにしか思えない。
市長選に立候補したバタロー氏を「創価党」が推せんしないことを決めた。名誉なことだ。がんばれ、バタロー。
日本シリーズでロッテ優勝。
深夜0時ごろ、まだ眠るつもりはなかったけど眠かったので、5分だけと思って目を閉じたら、まったく知らないうちに眠りに落ちた。Ativan の助けもなしに。
今日まで何とか仕事ができた。来週は「ディパバリ」と「ハリラヤ・プアサ」の祝日も2日あるし、3人体制に戻れるので、少しはラクだろう……。
Q坊からはSMS でたずねても何の連絡もなく(花束代を返せ)、昨夜眠りに落ちる前に「最後通牒」をSMS で送った。すると、突然今日やって来た。その態度が気にいらん。
何が問題なのか、まったく理解できないらしい。どういう状態なのか、毎日知らせてくれるように頼んだのに、そんな律儀さもない。「来てくれ」と言ったこともないが、ただ惰性で不満タラタラでも居心地のいい実家にとどまり続けたようにしか思えない。
市長選に立候補したバタロー氏を「創価党」が推せんしないことを決めた。名誉なことだ。がんばれ、バタロー。
Tuesday, October 25, 2005
Sunday, October 23, 2005
TSUKARETA!!!!!
今日、仕事。午後からまたあの「めまい」と手先足先に「電気が走る」ような感じ。「目が回るペース」で働いている。能力不足だか、何だか知らないが、これ以上はムリ。ずいぶん疲れている。もう数日の辛抱……だといいが。
金曜日、会社の夕食会。思っていたよりずっと楽しめた。
土曜日、まったく動けない。カウンセリングの日だとわかっていたのに、電話もできず。今日の朝まで、ほとんどベッドに張り付く。
金曜日、会社の夕食会。思っていたよりずっと楽しめた。
土曜日、まったく動けない。カウンセリングの日だとわかっていたのに、電話もできず。今日の朝まで、ほとんどベッドに張り付く。
Thursday, October 20, 2005
Nomura-san Again, Confirmed
ノムラさん、楽天監督就任を受諾。背番号は19だ!「1からのスタートではなくゼロからのスタート」と言ったとか。「マイナスからのスタート」だった前監督に失礼だ。礼儀にうるさいノムラさんなのに。他人の礼儀を語る前に、サチヨの礼儀を何とかしろ。
帰宅時、CBの前を通ると手を振ってもらえた。それだけでうれしい気分。
帰宅時、CBの前を通ると手を振ってもらえた。それだけでうれしい気分。
Tuesday, October 18, 2005
Sunday, October 16, 2005
Saturday, October 15, 2005
Cat Deeply Scratched into Flesh and What's This Dizziness?
昨日の夕方、スターハブにまた電話。「Windows XPサービスパック」の問題だと言われる。どうしようもないので、System Restore で1週間前の状態に戻したら、接続できた。よろこんだのもその時だけで、今日の午後、またつながらなかった。先月の終わりまでSystem Restore するとまたつながった。以降のセキュリティー・アップデートのやり直しだが、このアップデートが「曲者」のように思われる……。
4時から7時まで、戻ってきたA とCB で話す。そのあと、いったん帰って、Qちゃんの家まで見舞いに行く(花束付き!)。想像とかなり違った……。「飼い猫に手を噛まれる」に「飼い猫に足を引っ掻かれる」を辞書に加えなければ。
昨夜、“One Flew over the Cuckoo’s Nest” を観た。
自分の体調はよくわからない。「ふっ」とめまいが「起きそうな」ときが「よく」ある。
4時から7時まで、戻ってきたA とCB で話す。そのあと、いったん帰って、Qちゃんの家まで見舞いに行く(花束付き!)。想像とかなり違った……。「飼い猫に手を噛まれる」に「飼い猫に足を引っ掻かれる」を辞書に加えなければ。
昨夜、“One Flew over the Cuckoo’s Nest” を観た。
自分の体調はよくわからない。「ふっ」とめまいが「起きそうな」ときが「よく」ある。
Friday, October 14, 2005
Connection Restored
2005 年10月10日(月)23:53
昨日からネットワークに接続できない。モデムの「PCランプ」は、昨日点滅、今日点灯。
2005 年10月12日(水)23:57
帰ってきて食事を終えたらこの時間。昨日も同じような時間だった。疲れた。
スターハブには昨日の深夜0時ごろ電話した。録音テープが「お客様、お待ちください」と言うだけで、誰もでてこない。しっかり、カスタマーサービスの営業時間を告知するべきだ。「お待ちください」ではなく、通話可能な営業時間を伝えろ!日曜日からサービスを受けていないのに料金だけ支払っている。
2005 年10月14日(金)0:17
今日(13日)、朝から軽い(しばらくぶりにニコチンを吸収したような)めまいが(今も)ずっと続く。夕方からは、ときどき(軽く)頭を殴られたような衝撃もある。
火曜日と水曜日、2日連続して汗をかくほどのいやな夢でよく眠れなかったからか……。休むヒマのない超過密な仕事のせいか……。大事でないことを願う。
Qちゃんの状況は今日になってやっと判明してきた。たずねても答えないので、半ば放っておいたら、この有様だ。とは言ってもまだどんなことなのか、しっかり把握できていない。大事でないことを願うとともに、知らせてもらえなかったことに複雑な思いがする。
昨日からネットワークに接続できない。モデムの「PCランプ」は、昨日点滅、今日点灯。
2005 年10月12日(水)23:57
帰ってきて食事を終えたらこの時間。昨日も同じような時間だった。疲れた。
スターハブには昨日の深夜0時ごろ電話した。録音テープが「お客様、お待ちください」と言うだけで、誰もでてこない。しっかり、カスタマーサービスの営業時間を告知するべきだ。「お待ちください」ではなく、通話可能な営業時間を伝えろ!日曜日からサービスを受けていないのに料金だけ支払っている。
2005 年10月14日(金)0:17
今日(13日)、朝から軽い(しばらくぶりにニコチンを吸収したような)めまいが(今も)ずっと続く。夕方からは、ときどき(軽く)頭を殴られたような衝撃もある。
火曜日と水曜日、2日連続して汗をかくほどのいやな夢でよく眠れなかったからか……。休むヒマのない超過密な仕事のせいか……。大事でないことを願う。
Qちゃんの状況は今日になってやっと判明してきた。たずねても答えないので、半ば放っておいたら、この有様だ。とは言ってもまだどんなことなのか、しっかり把握できていない。大事でないことを願うとともに、知らせてもらえなかったことに複雑な思いがする。
Thursday, October 06, 2005
Plunged into that Familiar Dark Space
いかん。気分がストンと落ちた。
週末に30時間もベッドから抜け出せなかったことからしておかしかったが、昨日の朝はいったん家を出たのに、戻ってきてしまった。
生涯最後の数週間を木にとまって過ごすセミのようにベッドに張り付く。セミはおそらく自分が死んだことにも気づかず、そのまま木にとまったまま。しばらくしてぽとりと地面に落ちる。
ベッドにいたままできること。本を開いて読むこと。眠くなれば眠ってもいい。『牙:江夏豊とその時代』『夫・力道山の慟哭』を読み終えた。
百田家と全日本プロレスの関係から、力道山本流はジャイアント馬場かと思っていたが、そうではなかったようだ。
週末に30時間もベッドから抜け出せなかったことからしておかしかったが、昨日の朝はいったん家を出たのに、戻ってきてしまった。
生涯最後の数週間を木にとまって過ごすセミのようにベッドに張り付く。セミはおそらく自分が死んだことにも気づかず、そのまま木にとまったまま。しばらくしてぽとりと地面に落ちる。
ベッドにいたままできること。本を開いて読むこと。眠くなれば眠ってもいい。『牙:江夏豊とその時代』『夫・力道山の慟哭』を読み終えた。
百田家と全日本プロレスの関係から、力道山本流はジャイアント馬場かと思っていたが、そうではなかったようだ。
Tuesday, October 04, 2005
Just Like My Life
今さら気づくのもおかしなことだが、Opera Browser を使っていれば、Opera でブログしたほうがよほど使い勝手がいい。何でまた Google 系のブログを使っているんだろう。もう一つのところで満点を逃す。ずっと、そのような人生ではあったが……。
Sunday, October 02, 2005
30 Hours in Bed (Alone)
金曜日。一部、古本屋になっているDD で『牙:江夏豊とその時代』『夫・力道山の慟哭』をS$10で購入。
土曜日の朝方帰宅。夜まで寝る。『牙:江夏豊とその時代』を60数ページ読んだあと、また眠る。今日の昼ごろ起きて、続きを読む。また眠る。合計30時間ほどベッドに張り付いていた。
土曜日の朝方帰宅。夜まで寝る。『牙:江夏豊とその時代』を60数ページ読んだあと、また眠る。今日の昼ごろ起きて、続きを読む。また眠る。合計30時間ほどベッドに張り付いていた。
Wednesday, September 28, 2005
He Loves Sachiyo So Much
楽天が、引退後の監督就任をも視野に入れ獲得を目指し、リストアップする巨人清原については「将来指導者となろうと考えているのなら、後輩の指導者として自分が鏡になって磨いていかなければ」と指摘。現在のトレードマークのピアスについては「なんで野球にピアスが必要なのか」と独特の野村節で話した。
「阪神には70年の歴史と伝統があり、悪い体制がはびこって一掃するには私ひとりの力では無理だった。その点、楽天は基礎さえしっかりつくれば間違った方向にはいかない。時間も協力も、ある程度のお金も必要」と、持論を展開した。(日刊スポーツ)
指導者なら、ヨメを何とかできたはず。「なんで野球にサチヨが必要なのか」。阪神では成績も悪かったが、辞めたのはヨメの脱税逮捕やろ。南海も阪神も、「野球を捨ててもいい」ほどのヨメのせいやろが。
「阪神には70年の歴史と伝統があり、悪い体制がはびこって一掃するには私ひとりの力では無理だった。その点、楽天は基礎さえしっかりつくれば間違った方向にはいかない。時間も協力も、ある程度のお金も必要」と、持論を展開した。(日刊スポーツ)
指導者なら、ヨメを何とかできたはず。「なんで野球にサチヨが必要なのか」。阪神では成績も悪かったが、辞めたのはヨメの脱税逮捕やろ。南海も阪神も、「野球を捨ててもいい」ほどのヨメのせいやろが。
Tuesday, September 27, 2005
Yet Another Nightmare
土曜日午前。カウンセリングに行けてよかった。終わったあとは気分がよい。木曜日夜のほぼ下見通り、ToysRus でおもちゃ、紀伊國屋ではChomsky の“Understanding Power: The Indispensable Chomsky” と同じく木曜日の夜にBorders でいったんは手に取りながら棚に戻した“Foreign Policy: 35th Anniversary Edition” を買った。
日曜日(昨日)。おもちゃの配達と誕生パーティー。楽しめた。帰ってから“Scum of the Earth” を読んでいると、眠くなる。「このまま眠ってはいかん」と言い聞かせていたが、中途半端な眠りに落ちる。途中、自分の背中の向こうにあるものが恐ろしく体が動かず寝返りが打てない、いわゆる「金縛り状態」になる。必死で起き上がると、京都の実家の2階。自分の部屋。階段を転げ落ちる。タイヘンなことになっていることをQちゃんに知らせようと電話して、息絶え絶えに話すが応答なし。もう1度かけると知らない男性が電話にでて、番号違いだったことに気づく。午前3時ごろ、コンタクトレンズをはずす。結局、朝まで眠りは中途半端なまま。
楽天ゴールデン・イーグルス。監督を解雇することを決定。選手を寄せ集めた急造球団、1年でいい結果がでるはずなし。あっさりクビにする球団の体質を問うべき。さらに後任監督として名前の挙がっているのは、ノムラさん。いい加減にしてほしい。就任要請を断るぐらいなら、少しは見直してやるが。
日曜日(昨日)。おもちゃの配達と誕生パーティー。楽しめた。帰ってから“Scum of the Earth” を読んでいると、眠くなる。「このまま眠ってはいかん」と言い聞かせていたが、中途半端な眠りに落ちる。途中、自分の背中の向こうにあるものが恐ろしく体が動かず寝返りが打てない、いわゆる「金縛り状態」になる。必死で起き上がると、京都の実家の2階。自分の部屋。階段を転げ落ちる。タイヘンなことになっていることをQちゃんに知らせようと電話して、息絶え絶えに話すが応答なし。もう1度かけると知らない男性が電話にでて、番号違いだったことに気づく。午前3時ごろ、コンタクトレンズをはずす。結局、朝まで眠りは中途半端なまま。
楽天ゴールデン・イーグルス。監督を解雇することを決定。選手を寄せ集めた急造球団、1年でいい結果がでるはずなし。あっさりクビにする球団の体質を問うべき。さらに後任監督として名前の挙がっているのは、ノムラさん。いい加減にしてほしい。就任要請を断るぐらいなら、少しは見直してやるが。
Wednesday, September 21, 2005
Gulliver Knew Japan Was Adopting Seclusion Policy
とっくに“Gulliver’s Travels” (Jonathan Swift) は終わっていて、“Scum of the Earth” (Arthur Koestler) に進んでいる。どちらもOrwell の Essays の前に読むべきだったが仕方がない。
Gulliver は日本にも行っていて、鎖国だっていうことも知っていた!
Gulliver は日本にも行っていて、鎖国だっていうことも知っていた!
Monday, September 19, 2005
Managed to Get More Drugs
午後、何とか、タクシー飛ばして薬をもらってきた。今週は必ずカウンセリングに行かなければならない。
先週、「人口動向」の発表があった。人種別の結婚率だけではなくて、異人種間結婚がどれほどあるのか知りたい。データを公表しないのは、いかに異人種間結婚が少ないかということの表れではなかろうか。
先週、「人口動向」の発表があった。人種別の結婚率だけではなくて、異人種間結婚がどれほどあるのか知りたい。データを公表しないのは、いかに異人種間結婚が少ないかということの表れではなかろうか。
Sunday, September 18, 2005
Going Downward...
どうもいけない。本当にいけない。金曜日の夜、酔って眠り込んでしまう。これまでそんな経験はないに等しい。タクシーに放り込んでもらって、なんとか帰ったが、土曜日の夜まで眠る。また、カウンセリングに行けず。電話さえできなかった。薬がもうなくなるというのに。
決まって長い夢を見る。今回は、四条大橋から東を見ていた。いくつもテントが張られ、宴会の最中だった。修学旅行生らしき数人に「花見の季節は終わりですか」ときかれ、「9月に花見もなかろう」と思いながらも、丁寧に説明していた。ところが、テントの周りや川端通りあたりは桜が満開だった。
四条通りを烏丸に向かって歩く。一人ではなかったようだが、誰といっしょだったのか不明。一軒の店に入ったが閉店するところだった。「祭りの季節は早く閉店できていいですね」と皮肉を言ってから、店を出る。次に寄ったのは老舗らしき書店。やはり閉店する時間だったが、なぜか、製本で有名な店だと知っていて、奥の住居まで入れてもらった。いろいろ見せてもらう。中には、見覚えのある黄色地に青字の独英小型辞書もあった。住居部分は通れないほど狭かったが、スライド式の書棚など、こだわりの造りになっていた。「有名な著作にも店のことがでてきますね」と主人に言うと、「ほんの1500文字ほどでしたがね」。その作品も書棚からもってきてくれた。
11日、衆議院選挙。小泉圧倒勝利。
過去20年ほどでも、
自民大勝で中曽根任期延長。
中曽根後継(“安竹宮”ニューリーダー)選び、ゴルフ会談。
芸者暴露で宇野辞任、海部就任。
党内支持なしで、海部会見:「重大な決意というのは、重大な決意です」。
宮沢内閣不信任案可決、直後に東京サミット。
自民分裂と日本新党ブームで細川連立内閣。
夜中の「福祉目的税」発表と撤回。
社会党首班で自社さ連立、など
印象深い政治シーンはあったが、今回もその一つ。海部俊樹が自民党にいるのも、羽田と小沢が同じ民主党にいるのも摩訶不思議。
決まって長い夢を見る。今回は、四条大橋から東を見ていた。いくつもテントが張られ、宴会の最中だった。修学旅行生らしき数人に「花見の季節は終わりですか」ときかれ、「9月に花見もなかろう」と思いながらも、丁寧に説明していた。ところが、テントの周りや川端通りあたりは桜が満開だった。
四条通りを烏丸に向かって歩く。一人ではなかったようだが、誰といっしょだったのか不明。一軒の店に入ったが閉店するところだった。「祭りの季節は早く閉店できていいですね」と皮肉を言ってから、店を出る。次に寄ったのは老舗らしき書店。やはり閉店する時間だったが、なぜか、製本で有名な店だと知っていて、奥の住居まで入れてもらった。いろいろ見せてもらう。中には、見覚えのある黄色地に青字の独英小型辞書もあった。住居部分は通れないほど狭かったが、スライド式の書棚など、こだわりの造りになっていた。「有名な著作にも店のことがでてきますね」と主人に言うと、「ほんの1500文字ほどでしたがね」。その作品も書棚からもってきてくれた。
11日、衆議院選挙。小泉圧倒勝利。
過去20年ほどでも、
自民大勝で中曽根任期延長。
中曽根後継(“安竹宮”ニューリーダー)選び、ゴルフ会談。
芸者暴露で宇野辞任、海部就任。
党内支持なしで、海部会見:「重大な決意というのは、重大な決意です」。
宮沢内閣不信任案可決、直後に東京サミット。
自民分裂と日本新党ブームで細川連立内閣。
夜中の「福祉目的税」発表と撤回。
社会党首班で自社さ連立、など
印象深い政治シーンはあったが、今回もその一つ。海部俊樹が自民党にいるのも、羽田と小沢が同じ民主党にいるのも摩訶不思議。
Friday, September 09, 2005
Collaped Again...
最近の生活。よろしくない。
Qちゃんがうちにいないから、夕食を外で食べることにすると、酒飲みに行ってしまう。5日の月曜日は、翌日2時まで飲んだけど、1人だったので抑制できた。翌日がひどかった……。水曜日の朝、まためまいで倒れる。なぜ、そう簡単に倒れるようになったのか、わからない。
Qちゃんがうちにいないから、夕食を外で食べることにすると、酒飲みに行ってしまう。5日の月曜日は、翌日2時まで飲んだけど、1人だったので抑制できた。翌日がひどかった……。水曜日の朝、まためまいで倒れる。なぜ、そう簡単に倒れるようになったのか、わからない。
Wednesday, August 31, 2005
Thursday, August 18, 2005
Sunday, August 14, 2005
You Are As Hysterical at Least, or Maybe More
時事通信によると、田中真紀子が「小泉さんはヒステリカル」と発言している。どっちがもっとヒステリカルなのか、ほとんどの人は理解している。
Panadol のせいか、歯痛は昨日ほどではない。
Panadol のせいか、歯痛は昨日ほどではない。
Something Is Very Wrong with My Tooth
歯が痛い。左下の奥。外からは何も見えないが「親知らず」が出てきるようだ。最初に奥歯が「かゆい」感じがしたのは、ずいぶん前だが、そんな感じも消えたので放っておいた。数日前から「かゆみ」が「痛み」に変わってきた。左側で食べ物を噛むと「痛い!」。夕方、Panadol を飲むと多少おさまったが、すっかり眠ってしまった。歯の治療とは縁がなかったが、今回はどうにもならないかもしれない。
木曜日の夜。仕事が早目に終わったので、CC でビールを飲んでいた。すると、通りかかったM ちゃんが「TMY でT さんと食事だが来ないか」と誘ってくれた。彼女とは最近会う機会がなかったし、T さんの仕事を終えたばかりだったので行くことにした。
食事のあと、隣の店で飲む。しっかりしているようだったが、T さんはもう止まらない。もう2軒行ったあと、Bridge にタクシーで向かう。あらまぁ、そこで会ってはいけない人と会ってしまったようで、「けんか売ってんのか?」「買うんか?」で朝まで言い争い。中学生のけんかやないか、キミら。
金曜日の朝。目が覚めると9時10分だった。すぐに会社に電話した。飛び起きたら、また倒れそうになった。寝過ごしてしまったことがよっぽどショックだったに違いない。ベッドに戻るとまた眠ってしまい、11時ごろだったか午後から出社すると会社に伝える。遅刻の理由に適当なウソも見つけられず、正直に話した。情けない。
木曜日の夜。仕事が早目に終わったので、CC でビールを飲んでいた。すると、通りかかったM ちゃんが「TMY でT さんと食事だが来ないか」と誘ってくれた。彼女とは最近会う機会がなかったし、T さんの仕事を終えたばかりだったので行くことにした。
食事のあと、隣の店で飲む。しっかりしているようだったが、T さんはもう止まらない。もう2軒行ったあと、Bridge にタクシーで向かう。あらまぁ、そこで会ってはいけない人と会ってしまったようで、「けんか売ってんのか?」「買うんか?」で朝まで言い争い。中学生のけんかやないか、キミら。
金曜日の朝。目が覚めると9時10分だった。すぐに会社に電話した。飛び起きたら、また倒れそうになった。寝過ごしてしまったことがよっぽどショックだったに違いない。ベッドに戻るとまた眠ってしまい、11時ごろだったか午後から出社すると会社に伝える。遅刻の理由に適当なウソも見つけられず、正直に話した。情けない。
Saturday, August 06, 2005
40-minute Walk to Home
27日(木)。閉店までCC。40分かけて歩いて帰る。肉骨茶屋に寄ろうとするも、ちょうど店が閉まる時間だった。
28日(金)。“Ousted!” (Patrick Keith) といっしょに前日買った『左腕の誇り』を終える。数カ月前に気になって立ち読みしていた本。売れたのかいつの間にかなくなっていたが、また見つけたので買った。3カ所に誤り。阪急京都線の「下新庄」は「上新庄」(29ページ)。「角田」は「門田」(192ページ)。「2年目」にビュフォードは「1年目」(同)。
その日の夜の夢。空港入口に向かう片道4~6車線の幅の広い一方通行道路。ちょうど地下へ入ろうとする場所で道路の両側にオレンジ色の照明。自動車道だと気づいたのは、乗るはずのフライトに間に合うように、その車線の一つを急ぎ足で歩いているとき。少なくとも2人の女性といっしょに歩いていたが、その車線は「動く歩道」にもなっていた。途中には食事できそうな場所があった。いすはなく、テーブルだけの小さな場所で、黒い大型のゴミ袋を持って後片付けている人が数人いた。
ゲートを見つけるのに苦労する。搭乗したのは自分たちが最後で、席は最前列から数列後ろだった。前方は2階建てバスのようになっていて、景色をさえぎるものはない。どういうわけか、同じ座席のブロックにはYT がいて、後ろめたい気分にさせられている。間もなく飛行機が滑走路へと移動し始めるが、ジェットコースターのようにレール上を上方へと動き出す。青空が見えるが、しばらく経って下りだした。「離陸のやり直し」だと YT が話していた。
宿泊するホテルに向かう車の中。真横に赤白デザインのSMRT バスが走っていた。「この辺りは街の中心を少しだけはずれた場所」だと誰か(おそらくいっしょに飛行機に乗り込んだ2人の女性)に説明する。ホテルは新しくもなく“Kum Hing Court” のような外観だった。他の宿泊客もちらほらいた。
ホテルの食事。ビュッフェのようだったが、豪華なものではなく、すでに皿に取り分けられていた料理を数種類選んでいた。
突然思い出したある日の夢。
福岡市。駅ビルから外に出ると、2人の男性が近づいてきて連絡を取り合いたいので、ホテルの部屋番号を教えてほしいと言う。持っていた電話をポケットから出して、「これはシンガポールの電話なので、ここでは使えない」と答える。
駅ビル近くのホテルへは、銀行を通り抜けなければならなかった。フロントでは、カウンターではなくその前に置かれた低いテーブルに座って応対される。予約していることを告げて、クレジットカードを示す。トイレの場所をきく。さっき通り抜けた銀行の向こう側だときいて歩き出す。途中、時間が遅いせいか、安ホテルのせいか、リネン室や裏側の事務所部分が見えて、乱雑な感じのホテルだった。トイレは駅構内にあって、清潔なわりには、バケツが数メートル間隔で置かれているだけのものだった。どのバケツにするか、ずいぶん迷っていた様子。
ホテルのすぐ近くにラーメン屋台が一軒あって、観察していた。注文する気になっていたようだが、食べてはいない。
29日(土)。Ativan がなくなりそうだったので、クリニックに行った。出かけようとすると突然大雨。しばらく様子を見ることにしたが、やみそうにないので土砂降りの中、出かけた。雨のせいでタクシーを待つ人が多く、クリニックが閉まる時間(午後1時)が気になった。乗った頃には、ほとんど雨はやんでいた。
昨日(5日)。特にカラオケ好きではないが、楽しめた。
今日。11時にカウンセリング。家族との連絡を避けようとすることは、dysfunctionalな状態 に戻りたくない感情の表れだと指摘される。まったくその通りだ。全体的に気分が改善されているので、最近のカウンセリングは近況報告のような感じ。あと、催眠を利用したリラクゼーション。Borders に寄って、2003年に再版されていた“Electric Don Quixote: the Definitive Story of Frank Zappa” (Neil Slaven) と“Penguin Special: The Life and Times of Allen Lane” (Jeremy Lewis) を買った。先月からひどい散財。
28日(金)。“Ousted!” (Patrick Keith) といっしょに前日買った『左腕の誇り』を終える。数カ月前に気になって立ち読みしていた本。売れたのかいつの間にかなくなっていたが、また見つけたので買った。3カ所に誤り。阪急京都線の「下新庄」は「上新庄」(29ページ)。「角田」は「門田」(192ページ)。「2年目」にビュフォードは「1年目」(同)。
その日の夜の夢。空港入口に向かう片道4~6車線の幅の広い一方通行道路。ちょうど地下へ入ろうとする場所で道路の両側にオレンジ色の照明。自動車道だと気づいたのは、乗るはずのフライトに間に合うように、その車線の一つを急ぎ足で歩いているとき。少なくとも2人の女性といっしょに歩いていたが、その車線は「動く歩道」にもなっていた。途中には食事できそうな場所があった。いすはなく、テーブルだけの小さな場所で、黒い大型のゴミ袋を持って後片付けている人が数人いた。
ゲートを見つけるのに苦労する。搭乗したのは自分たちが最後で、席は最前列から数列後ろだった。前方は2階建てバスのようになっていて、景色をさえぎるものはない。どういうわけか、同じ座席のブロックにはYT がいて、後ろめたい気分にさせられている。間もなく飛行機が滑走路へと移動し始めるが、ジェットコースターのようにレール上を上方へと動き出す。青空が見えるが、しばらく経って下りだした。「離陸のやり直し」だと YT が話していた。
宿泊するホテルに向かう車の中。真横に赤白デザインのSMRT バスが走っていた。「この辺りは街の中心を少しだけはずれた場所」だと誰か(おそらくいっしょに飛行機に乗り込んだ2人の女性)に説明する。ホテルは新しくもなく“Kum Hing Court” のような外観だった。他の宿泊客もちらほらいた。
ホテルの食事。ビュッフェのようだったが、豪華なものではなく、すでに皿に取り分けられていた料理を数種類選んでいた。
突然思い出したある日の夢。
福岡市。駅ビルから外に出ると、2人の男性が近づいてきて連絡を取り合いたいので、ホテルの部屋番号を教えてほしいと言う。持っていた電話をポケットから出して、「これはシンガポールの電話なので、ここでは使えない」と答える。
駅ビル近くのホテルへは、銀行を通り抜けなければならなかった。フロントでは、カウンターではなくその前に置かれた低いテーブルに座って応対される。予約していることを告げて、クレジットカードを示す。トイレの場所をきく。さっき通り抜けた銀行の向こう側だときいて歩き出す。途中、時間が遅いせいか、安ホテルのせいか、リネン室や裏側の事務所部分が見えて、乱雑な感じのホテルだった。トイレは駅構内にあって、清潔なわりには、バケツが数メートル間隔で置かれているだけのものだった。どのバケツにするか、ずいぶん迷っていた様子。
ホテルのすぐ近くにラーメン屋台が一軒あって、観察していた。注文する気になっていたようだが、食べてはいない。
29日(土)。Ativan がなくなりそうだったので、クリニックに行った。出かけようとすると突然大雨。しばらく様子を見ることにしたが、やみそうにないので土砂降りの中、出かけた。雨のせいでタクシーを待つ人が多く、クリニックが閉まる時間(午後1時)が気になった。乗った頃には、ほとんど雨はやんでいた。
昨日(5日)。特にカラオケ好きではないが、楽しめた。
今日。11時にカウンセリング。家族との連絡を避けようとすることは、dysfunctionalな状態 に戻りたくない感情の表れだと指摘される。まったくその通りだ。全体的に気分が改善されているので、最近のカウンセリングは近況報告のような感じ。あと、催眠を利用したリラクゼーション。Borders に寄って、2003年に再版されていた“Electric Don Quixote: the Definitive Story of Frank Zappa” (Neil Slaven) と“Penguin Special: The Life and Times of Allen Lane” (Jeremy Lewis) を買った。先月からひどい散財。
Tuesday, July 26, 2005
Terrible Grammar
台湾プロ野球で八百長疑惑(共同)
賭博の八百長にかかわったとして、台湾プロ野球の監督、選手らが警察に拘留されていることが26日、明らかにした。
取り調べを受けているのは6チームある台湾プロ野球のうち、誠泰の監督と、ラニューの捕手。地元夕刊紙によると、選手は30万台湾元(約105万円)を受け取り、自身も賭けていたとされている。
台湾では1996年にも野球で八百長があり、18選手らが有罪になった。
はぁ?誰が何を明らかにしたって??
賭博の八百長にかかわったとして、台湾プロ野球の監督、選手らが警察に拘留されていることが26日、明らかにした。
取り調べを受けているのは6チームある台湾プロ野球のうち、誠泰の監督と、ラニューの捕手。地元夕刊紙によると、選手は30万台湾元(約105万円)を受け取り、自身も賭けていたとされている。
台湾では1996年にも野球で八百長があり、18選手らが有罪になった。
はぁ?誰が何を明らかにしたって??
Monday, July 25, 2005
Full Stomach in Kobe and Its Night View
(夢の続き)Qちゃんと日本食レストランへ行こうとデパートの階段を降りると、まだ準備中なのか踊り場にフェンス。居合わせた子供連れの女性も「時間が早すぎるのかも」と残念そう。確認するため自分が一人で階段をさらに降りると、すでに客が入っていた。3人に降りてくるよう合図して、着席。親子はいつの間にかいない。何を注文したのかよく覚えていないが、どの注文にもセットになっている一品を食べきるのに苦労。何とか食べ終えた。
神戸のビル。「最上階は屋外」になっている。両側に樹木のある階段を昇っていると雨が降ってきた。屋上は360度の景色が楽しめる展望台になっているが、方角によっては通りの反対側のビルの並びが見えるだけ。
"One-million-dollar night view" のはずだが、「今日は週末なので」、それほど明るくないのだとQちゃんに話していた。ビルが見えるだけの方へ行くと、「自殺防止のためにフェンスを設置する予定です」と係員の女性が説明してくれた。雨は止んでいなかった。
どこかの公園で写真を撮りながら、シンガポール中心部の地図を眺める。この地図の左上には、"Jurong Island" とあって、なぜここが"Jurong Island" なのかとちょっと考え込んでいた。(20日にジュロン島まで取材に行ったからだろう。)
書店。Margaret Thatcher の本を買おうとしていた。著作なのかどうかはわからない。レジではクレジットカードを使って支払った。店員にRonald Reagan が表紙の別の本もすすめられたが、"I’ve already read that book" と答えて断った。となりに立っていた白人女性と話して、しばらくいっしょに歩いていたようだ。
たくさんの車が通る道のすぐ横の森。(日本人観光客と思われる)3~4人の女性がテーブルを組んで食事をしていた。「もっと森の奥で食べればいいのに」と不思議に思う。
神戸のビル。「最上階は屋外」になっている。両側に樹木のある階段を昇っていると雨が降ってきた。屋上は360度の景色が楽しめる展望台になっているが、方角によっては通りの反対側のビルの並びが見えるだけ。
"One-million-dollar night view" のはずだが、「今日は週末なので」、それほど明るくないのだとQちゃんに話していた。ビルが見えるだけの方へ行くと、「自殺防止のためにフェンスを設置する予定です」と係員の女性が説明してくれた。雨は止んでいなかった。
どこかの公園で写真を撮りながら、シンガポール中心部の地図を眺める。この地図の左上には、"Jurong Island" とあって、なぜここが"Jurong Island" なのかとちょっと考え込んでいた。(20日にジュロン島まで取材に行ったからだろう。)
書店。Margaret Thatcher の本を買おうとしていた。著作なのかどうかはわからない。レジではクレジットカードを使って支払った。店員にRonald Reagan が表紙の別の本もすすめられたが、"I’ve already read that book" と答えて断った。となりに立っていた白人女性と話して、しばらくいっしょに歩いていたようだ。
たくさんの車が通る道のすぐ横の森。(日本人観光客と思われる)3~4人の女性がテーブルを組んで食事をしていた。「もっと森の奥で食べればいいのに」と不思議に思う。
Sunday, July 24, 2005
Why Do I Have to Hide??
22日。"Gulliver's Travels" を読み始める。
土曜日朝の夢。阪急電車(おそらく神戸線)と駅のそばのショッピングセンター。女性といっしょ。誰かに見つからないように乗る駅と車両をひどく気にする。ショッピングセンター周辺もそう。
土曜日朝の夢。阪急電車(おそらく神戸線)と駅のそばのショッピングセンター。女性といっしょ。誰かに見つからないように乗る駅と車両をひどく気にする。ショッピングセンター周辺もそう。
Thursday, July 21, 2005
A Man Who Expected So Much of Japan
とぼとぼ読んでいたSitanshu Das の"Subhas: A Political Biography" を昨日の夜終えた。
欧州から喜望峰を回るコースを潜水艦で移動してまでも母国に近づこうとした人。シンガポールでの行動にはほとんどふれられず、大東亜会議のことは書かれていないが、戦中の日本にどれほど期待してくれていたのかを知るには十分だろう。また、外国日本への期待と同時に、その命令下には入らないという決意も固い。
ドイツ政府内に存在した反ヒトラー勢力の大きさにも驚いた。
英BBC が地下鉄での爆破事件について伝えている。7日の再放送かと思った。
欧州から喜望峰を回るコースを潜水艦で移動してまでも母国に近づこうとした人。シンガポールでの行動にはほとんどふれられず、大東亜会議のことは書かれていないが、戦中の日本にどれほど期待してくれていたのかを知るには十分だろう。また、外国日本への期待と同時に、その命令下には入らないという決意も固い。
ドイツ政府内に存在した反ヒトラー勢力の大きさにも驚いた。
英BBC が地下鉄での爆破事件について伝えている。7日の再放送かと思った。
Saturday, July 16, 2005
JB Killing Field
昨日、飲みすぎ。最近、酔い方が以前と違ってひどい。普段の飲酒量が少ないから、飲めなくなっているのかも。CC からBまで、どうやって行ったのか覚えていない。B に着いてすぐ、ひどく酔っていることに気づいて帰ることにした。しっかり歩けてなかったので、S がタクシーに乗せてくれた。タクシーの中で嘔吐しそうになったがガマンした。午後3時ごろ起きたが、外が薄暗くなるまでまた眠ってしまった。また、夢を見ながら15時間ほど眠ってしまった。
Causeway をJBに向かって歩いていた。歩道はなく、樹木の茂った山道のようだった。たどり着いた場所は、古いアパートで、敷地の奥には教会があった。アパートの周辺には多くの兵士がいて、華人だけを殺していた。アパートの狭い階段は短いが迷路のようで、兵士に見つからずに安全な場所へ逃げるまで時間がかかり、エレベーターも混雑していた。
Causeway をJBに向かって歩いていた。歩道はなく、樹木の茂った山道のようだった。たどり着いた場所は、古いアパートで、敷地の奥には教会があった。アパートの周辺には多くの兵士がいて、華人だけを殺していた。アパートの狭い階段は短いが迷路のようで、兵士に見つからずに安全な場所へ逃げるまで時間がかかり、エレベーターも混雑していた。
Wednesday, July 13, 2005
"Torture" Becomes "Thinking Question"??
1日のイタリア・レストランでの食事の後、CC まで歩いた。途中、YMCA の横にある「ケンペイタイ本部跡」記念碑を見た。ご親切に日本語の説明文もつけていただいていたが「拷問」が「考問」になっておった。
FZ Documentary Coming Soon. But Not Here
Frank Zappa Documentary が制作されている。しかし、ここで公開されるわけもなし。10月25日には、The Zappa Plays Zappa Tour がバルセロナで始まる。しかし、ここに来るわけもなし。
音響エンジニアのBally ("Shut up, I'm talking")と3日間いっしょに仕事をしたうちの1日、"Information is not knowledge... Music is the best" T-shirt を着ていた。"Nice T-shirt" と言ってくれた。
"He was a nice man."
"I learned English listening to his music."
"Really? Not a very good way."
"But almost banned here."
"Of course."
彼の仕事場は、壁に表彰された記念のレコードが額に入って並んでおり、"Apocalypse Now" の制作スタッフからの感謝状も置かれていた。
音響エンジニアのBally ("Shut up, I'm talking")と3日間いっしょに仕事をしたうちの1日、"Information is not knowledge... Music is the best" T-shirt を着ていた。"Nice T-shirt" と言ってくれた。
"He was a nice man."
"I learned English listening to his music."
"Really? Not a very good way."
"But almost banned here."
"Of course."
彼の仕事場は、壁に表彰された記念のレコードが額に入って並んでおり、"Apocalypse Now" の制作スタッフからの感謝状も置かれていた。
Ah... ah... ah... Another Nightmare...
6日(水)。仕事の後、CC に行かずにTB に戻る。E を読むためにCB に寄ったが、そこで眠ってしまった。A とSがCC に行くに違いないと思ったが、平日に2日続けて行くべきではないと思って、失礼した。
8日(金)。翌日の朝、カウンセリングの日だったので、この日もCC に行かずに家に帰った。夜、また長~~い夢をみていたようで、何度も「何か」言っていた。Q ちゃんによると、「ちがう、ちがう」と言っていたそうだが、わからない。いずれにしても、悪夢に近いものだったようだ。
9~10日(土・日)。朝10時のカウンセリングに間に合わなかった。15分前に何とか電話してキャンセルしてもらった。「どうしても」という気が多少薄れているのかもしれない。いいことなのか、悪いことなのか、わからない。
土曜日の夕方5時ごろから日曜日の夕方5時ごろまでThomson Road のYKTN 邸でパーティー。あまり飲まず、たくさん食べて、十分寝た。
8日(金)。翌日の朝、カウンセリングの日だったので、この日もCC に行かずに家に帰った。夜、また長~~い夢をみていたようで、何度も「何か」言っていた。Q ちゃんによると、「ちがう、ちがう」と言っていたそうだが、わからない。いずれにしても、悪夢に近いものだったようだ。
9~10日(土・日)。朝10時のカウンセリングに間に合わなかった。15分前に何とか電話してキャンセルしてもらった。「どうしても」という気が多少薄れているのかもしれない。いいことなのか、悪いことなのか、わからない。
土曜日の夕方5時ごろから日曜日の夕方5時ごろまでThomson Road のYKTN 邸でパーティー。あまり飲まず、たくさん食べて、十分寝た。
Monday, July 11, 2005
Friday, July 08, 2005
Tiger Jeet Singh
1日(金)。1日早いがQちゃんの誕生日祝いにイタリア・レストランで夕食。たいへんおいしかった。先月26日(日)にFさんたち合計8人で行ったのと同じ店。気にいったので1日の予約をしておいたのだった。OG Orchard あたりでQちゃんとは別れ、CC に行った。
午前0時ごろ、帰ろうと考えていたときにSが日本から来た友人を連れてやってきた。帰宅は、肉骨茶のあとの朝4時。
また、長~い夢を見た。しっかり覚えていたが、さすがに今はほとんど思い出せない。ただ、LKY が「捨てられて、命を落とした」場面では、あまりに悲痛で声を上げた。その他の登場人物:タイガー・ジェット・シン。なぜだかわからない。リングに上がると「(昔のように)サーベルを投げ上げました」と実況アナが叫んでいた。投げ上げたサーベルはそのまま落ちてきたが、いっしょによく切れそうなナイフも落ちてきて、彼は左耳の4分の1ほどを失ってしまった。(この人、初来日前から結構すごいレスラーだったようだ。http://www.garywill.com/wrestling/canada/singh.htm)その後も長~い話が続いたが忘れた。いつか突然思い出すだろう。
翌日、A がほぼ1年ぶりにインドから帰ってきて、午後連絡をくれていたようだが、夕方まで起きられず。夜、CC で会って、S と彼の友人夫婦と4人で夕食。友人夫婦は一度ホテルに戻ったので、その時間を利用して PL に行く。CC に戻った後、4人で"Bridge"。空港に行く時間が迫っていたので、あまり時間なし。CC にまた戻る。Fさんたちと会って、"Bridge"に逆戻り。Roti Prata 食べて帰る。朝6時。
日曜日。午後、CB で本を読んでから、夜またCC へ行く。F1(フランス)を見る。AとSとは火曜日にまた会うことにして、日付が変わるころ店を出た。
火曜日。仕事を終えて9時半ごろCC に行ったが、AもSもいない。11時前まで待ったが来ないので帰る。
午前0時ごろ、帰ろうと考えていたときにSが日本から来た友人を連れてやってきた。帰宅は、肉骨茶のあとの朝4時。
また、長~い夢を見た。しっかり覚えていたが、さすがに今はほとんど思い出せない。ただ、LKY が「捨てられて、命を落とした」場面では、あまりに悲痛で声を上げた。その他の登場人物:タイガー・ジェット・シン。なぜだかわからない。リングに上がると「(昔のように)サーベルを投げ上げました」と実況アナが叫んでいた。投げ上げたサーベルはそのまま落ちてきたが、いっしょによく切れそうなナイフも落ちてきて、彼は左耳の4分の1ほどを失ってしまった。(この人、初来日前から結構すごいレスラーだったようだ。http://www.garywill.com/wrestling/canada/singh.htm)その後も長~い話が続いたが忘れた。いつか突然思い出すだろう。
翌日、A がほぼ1年ぶりにインドから帰ってきて、午後連絡をくれていたようだが、夕方まで起きられず。夜、CC で会って、S と彼の友人夫婦と4人で夕食。友人夫婦は一度ホテルに戻ったので、その時間を利用して PL に行く。CC に戻った後、4人で"Bridge"。空港に行く時間が迫っていたので、あまり時間なし。CC にまた戻る。Fさんたちと会って、"Bridge"に逆戻り。Roti Prata 食べて帰る。朝6時。
日曜日。午後、CB で本を読んでから、夜またCC へ行く。F1(フランス)を見る。AとSとは火曜日にまた会うことにして、日付が変わるころ店を出た。
火曜日。仕事を終えて9時半ごろCC に行ったが、AもSもいない。11時前まで待ったが来ないので帰る。
Saturday, June 25, 2005
Loooooooong Dream
"Bridge" に朝4時ごろまでいて、帰ってきた。タクシーに乗ったところまで記憶があるが、その後のことは覚えていない。ずっと眠り続けて長い夢を見ていた。
いつも会っていたい女性がいたようだ。SMS で、"r u free 2 talk?" などと送っていた。会っている場面もあったが、相手が誰だったのかわからない。よっぽど好きな人のようだった。
兄も夢に出てきて、母親の体調が悪いことを告げられるが、「これ以上、自分にできることはない」と伝える。鳥の声がきこえたので2階の窓から外を見ると一羽がこちらを向いて鳴いていた。
食事をしようと立ち寄った店は「大長今」の時代の感じで、主人は長今の親代わりのおやじ。洗ってない皿が重ねられていて、その下に料理を見つける。サトイモとぶどう一房と青菜があった。
いくつか紙か葉っぱにとって、店を出た。現代の風景ではなく、大正時代ごろか。京都の四条通。観光客のような女性と会い、祇園や八坂神社、つまり東へ歩く。買ったはずの料理は消えていた。途中にある食堂のウェイトレスにきくと、その店ではなく数軒先の食堂をすすめてくれる。すすめられた店の2階へ上がる。何を注文したのか覚えていない。外へ出ると、「大長今」のおやじが白装束の大道芸人となっていた。観光客風の人はどこへ行ったのだろうか。
別の店をすすめてくれたウェイトレスの店。オーナー夫婦がビールを持ってくるように厳しく彼女に言うと、大道芸人がビールの置かれてあった倉庫に現れて、「『94』のビールだ」と瓶ラベルを確認しておどろいていた。
昨日の午後、ずっと以前に見た夢を突然思い出した。
Wheelock Place の裏側、Orchard Blvd からバスに乗って、どこかへ。東海岸方向だろうか。降りるとフード・コートがあり、いちばん外側の店、数軒では、アイスクリームやジュースが売られていた。場面が変わると、五軒長屋があり、そのうちの一軒の前に立つ。自分の家のようだった。すると、小学生ぐらいの欧米系の子供が二人近寄ってきた。何かを話したのかは覚えていない。その長屋の並びを右に進むと、左に曲がる道があって、団地が見えた。何軒かの住人が窓から顔を出していた。
いつも会っていたい女性がいたようだ。SMS で、"r u free 2 talk?" などと送っていた。会っている場面もあったが、相手が誰だったのかわからない。よっぽど好きな人のようだった。
兄も夢に出てきて、母親の体調が悪いことを告げられるが、「これ以上、自分にできることはない」と伝える。鳥の声がきこえたので2階の窓から外を見ると一羽がこちらを向いて鳴いていた。
食事をしようと立ち寄った店は「大長今」の時代の感じで、主人は長今の親代わりのおやじ。洗ってない皿が重ねられていて、その下に料理を見つける。サトイモとぶどう一房と青菜があった。
いくつか紙か葉っぱにとって、店を出た。現代の風景ではなく、大正時代ごろか。京都の四条通。観光客のような女性と会い、祇園や八坂神社、つまり東へ歩く。買ったはずの料理は消えていた。途中にある食堂のウェイトレスにきくと、その店ではなく数軒先の食堂をすすめてくれる。すすめられた店の2階へ上がる。何を注文したのか覚えていない。外へ出ると、「大長今」のおやじが白装束の大道芸人となっていた。観光客風の人はどこへ行ったのだろうか。
別の店をすすめてくれたウェイトレスの店。オーナー夫婦がビールを持ってくるように厳しく彼女に言うと、大道芸人がビールの置かれてあった倉庫に現れて、「『94』のビールだ」と瓶ラベルを確認しておどろいていた。
昨日の午後、ずっと以前に見た夢を突然思い出した。
Wheelock Place の裏側、Orchard Blvd からバスに乗って、どこかへ。東海岸方向だろうか。降りるとフード・コートがあり、いちばん外側の店、数軒では、アイスクリームやジュースが売られていた。場面が変わると、五軒長屋があり、そのうちの一軒の前に立つ。自分の家のようだった。すると、小学生ぐらいの欧米系の子供が二人近寄ってきた。何かを話したのかは覚えていない。その長屋の並びを右に進むと、左に曲がる道があって、団地が見えた。何軒かの住人が窓から顔を出していた。
Tuesday, June 21, 2005
Mehta Erased, EP Approved, Me Hypnotised, Bose Remembered
Midori の記事をもう一度確認しようと思って、数日後にST のサイトで探す。記事はあったが、Zubin Mehta について触れた個所がなくなっていた。
17日(金)。会社からEP 承認の手紙をもらう。その10日ほど前には承認されていたようだ。翌日、カウンセリングの後、数年前の血液検査のときにも行ったPeace Centre の検査所に行く。前回は、確かDr がいて即日結果をもらったように記憶しているが、診断書は22日に用意できると言われた。採血の後、診察を受けるためIOIビルにあるNTUC のクリニックに行った。な~んだ。前と同じDrだった。明日の午後、診断書をもらいに行ってくる。
土曜日のカウンセリングで浅い催眠を経験した。意識ははっきりしているが、照明を少し暗くして一点に視線を集中させ、「私の声だけ」をきくように指示される。無理やり逆らうこと必要もないし、「まぶたが重~くなってくる」と言われると目を開けてられないほど、重くなってきて目を閉じてしまった。
今日午前。NTT-NEC の会見に出席。
今月の日経新聞「私の履歴書」は野村克也。保存版にする。
エスプラネード・パークに記念碑がある。正確には記念碑の記念碑。インド国民軍にシンガポールで参加した無名戦士の碑があった場所を記したものだ。
部隊は占領していた日本の協力を得て結成された。インド国民軍を1943年から率いたのは、祖国で今も「ネタージ」(師)と呼ばれるチャンドラ・ボース。45年7月に建てられた碑には、「団結、信念、犠牲」とあり、礎石は彼自身が置いた。
シンガポールで「日本の支援を受けて」と書かれている占領期の記念碑はこれだけではないだろうか。相変わらず周辺諸国から批判の多い日本だが、この碑を見ると多少は気分も晴れる。
欧州の混乱に乗じて、一気にインドの完全独立を目指せと主張したボースは日本軍と協力して対英戦を実行して失敗。その後、飛行機事故で命を落とす。
17日(金)。会社からEP 承認の手紙をもらう。その10日ほど前には承認されていたようだ。翌日、カウンセリングの後、数年前の血液検査のときにも行ったPeace Centre の検査所に行く。前回は、確かDr がいて即日結果をもらったように記憶しているが、診断書は22日に用意できると言われた。採血の後、診察を受けるためIOIビルにあるNTUC のクリニックに行った。な~んだ。前と同じDrだった。明日の午後、診断書をもらいに行ってくる。
土曜日のカウンセリングで浅い催眠を経験した。意識ははっきりしているが、照明を少し暗くして一点に視線を集中させ、「私の声だけ」をきくように指示される。無理やり逆らうこと必要もないし、「まぶたが重~くなってくる」と言われると目を開けてられないほど、重くなってきて目を閉じてしまった。
今日午前。NTT-NEC の会見に出席。
今月の日経新聞「私の履歴書」は野村克也。保存版にする。
エスプラネード・パークに記念碑がある。正確には記念碑の記念碑。インド国民軍にシンガポールで参加した無名戦士の碑があった場所を記したものだ。
部隊は占領していた日本の協力を得て結成された。インド国民軍を1943年から率いたのは、祖国で今も「ネタージ」(師)と呼ばれるチャンドラ・ボース。45年7月に建てられた碑には、「団結、信念、犠牲」とあり、礎石は彼自身が置いた。
シンガポールで「日本の支援を受けて」と書かれている占領期の記念碑はこれだけではないだろうか。相変わらず周辺諸国から批判の多い日本だが、この碑を見ると多少は気分も晴れる。
欧州の混乱に乗じて、一気にインドの完全独立を目指せと主張したボースは日本軍と協力して対英戦を実行して失敗。その後、飛行機事故で命を落とす。
Sunday, June 12, 2005
Zappa, "Nobody Knows," Mehta
5月28日。紙風船に「おつかれさま」のあいさつに行ったら休みだった。Borders に行ってみたら、新しい"Zappa"本が出ていて買ってしまった。
4日。JB に行く。シンガポールに再入国するとき、入管でビザ申請受領の手紙を見せると、「何日必要なんだ」ときかれた。「30日」と言うとそのまま30日もらえた。しかし、ビザ申請はまだ承認されていない。ちょっと時間がかかりすぎだな。あんまりいいサインではない。
会社で割付けに使うPageMaker にやっと慣れてきた。予期しない問題が発生がなければひとりで何とか作業を終えることができる。退社時間が少しは早くなるだろう。
先週末、「誰も知らない」を見た。演技しているとは思えない演技。柳楽くんが受賞したことにおどろきなし。
"Subhas" をまとめて読む時間がとれない。まだ半分終えていない。
金曜日のStraits Times だったと思うが、「Midori 来星」の中で"the late Zubin Mehta"とあった。いつ死んだんだ?
Zubin Mehta has been Music Director of the Bavarian State Opera and the Bavarian State Orchestra since 1998. Quite apart from his commitments and responsibilities for the musical leadership of new productions, repertory performances and concerts associated with this position, he has also led the State Orchestra on two major European tours and the whole opera company on tours to Japan the next of which is planned for the autumn 2005.(Bayerische Staatsoper のウェブサイトから)
4日。JB に行く。シンガポールに再入国するとき、入管でビザ申請受領の手紙を見せると、「何日必要なんだ」ときかれた。「30日」と言うとそのまま30日もらえた。しかし、ビザ申請はまだ承認されていない。ちょっと時間がかかりすぎだな。あんまりいいサインではない。
会社で割付けに使うPageMaker にやっと慣れてきた。予期しない問題が発生がなければひとりで何とか作業を終えることができる。退社時間が少しは早くなるだろう。
先週末、「誰も知らない」を見た。演技しているとは思えない演技。柳楽くんが受賞したことにおどろきなし。
"Subhas" をまとめて読む時間がとれない。まだ半分終えていない。
金曜日のStraits Times だったと思うが、「Midori 来星」の中で"the late Zubin Mehta"とあった。いつ死んだんだ?
Zubin Mehta has been Music Director of the Bavarian State Opera and the Bavarian State Orchestra since 1998. Quite apart from his commitments and responsibilities for the musical leadership of new productions, repertory performances and concerts associated with this position, he has also led the State Orchestra on two major European tours and the whole opera company on tours to Japan the next of which is planned for the autumn 2005.(Bayerische Staatsoper のウェブサイトから)
Tuesday, May 31, 2005
Sunday, May 22, 2005
Now, Subhas Bapu
20日(金)。"GBNMMI" を終えて、"Subhas: A Political Biography" を始めた。"GBNMMI" は、突然人の名前が苗字だけで出てきたり、同じ人の名前が後からフルネームで出てきたりして、あんまり親切な書き方ではなかった。インド哲学についての説明も少ない。
仕事を始めて1週間。記事作成に大きな問題はないが、PageMaker の割付け作業はタイヘン。慣れるまで時間がかかるだろう。
明日、また出国しなければならない。
仕事を始めて1週間。記事作成に大きな問題はないが、PageMaker の割付け作業はタイヘン。慣れるまで時間がかかるだろう。
明日、また出国しなければならない。
Thursday, May 19, 2005
Wednesday, May 18, 2005
Hard. Cold Society with No Understanding
うつ病の診断書、「表現弱める」医師9割 復職に配慮(朝日新聞)
働いている人を診断する際、本当は「うつ病」なのに、診断書に「抑うつ状態」「心身疲弊」などと軽い症状に書き換えている医師が約9割に上ることが、労災病院の医師らによる医師の意識調査で明らかになった。うつ病と診断されると職場復帰が難しくなるのではないか、と考える患者の立場を考慮しているという。「心の病」の実態の把握がぶれ、本人の治療や企業・周囲の理解を妨げる危険もある。
関西労災病院心療内科・精神科の柏木雄次郎部長らが昨年2月、全国の心療内科と精神科の開業医ら約3000人を対象にアンケートを郵送し、匿名で846人から回答を得た。調査結果は近く日本職業・災害医学会会誌に掲載される。
調査結果によると、診断の際に、92%が「虚偽でない範囲で診断病名の表現を緩和する」とした。うつ病の表現には「抑うつ状態」が40%で最も多く、ほかにも「心身症」「心身疲弊状態」など「病気」という印象を弱めようとする傾向が見られた。
患者の意向に沿った診断書の作成について、厚生労働省は「患者をだまして事実と全く異なることを書くのでなければ、診断書の偽造ともいえない」(医事課)との見方だが、調査した柏木部長は「あいまいな表現が広がれば、病気に対する職場の理解が進まず、適した仕事量を話し合うことも難しくなる」と指摘する。
また復職条件については、96%の医師が日常生活に支障がない「寛解状態」で可能と考えているが、74%の医師は会社側から「完全治癒」を求められていた。ただ、うつ病は再発しないと断言することが難しく、「完治」の判断がしにくい。
労働相談に応じている日本労働弁護団は「復職を望んでも会社側が拒み、休職状態を長引かせて解雇に追い込むケースがここ2、3年目立っている」という。
厚労省の02年の調査では、仕事で強いストレスを感じている労働者は全体の6割を超えた。うつ病患者を含む精神障害者の労災申請数は03年度は438件、認定数は108件といずれも過去最高を更新している。
働いている人を診断する際、本当は「うつ病」なのに、診断書に「抑うつ状態」「心身疲弊」などと軽い症状に書き換えている医師が約9割に上ることが、労災病院の医師らによる医師の意識調査で明らかになった。うつ病と診断されると職場復帰が難しくなるのではないか、と考える患者の立場を考慮しているという。「心の病」の実態の把握がぶれ、本人の治療や企業・周囲の理解を妨げる危険もある。
関西労災病院心療内科・精神科の柏木雄次郎部長らが昨年2月、全国の心療内科と精神科の開業医ら約3000人を対象にアンケートを郵送し、匿名で846人から回答を得た。調査結果は近く日本職業・災害医学会会誌に掲載される。
調査結果によると、診断の際に、92%が「虚偽でない範囲で診断病名の表現を緩和する」とした。うつ病の表現には「抑うつ状態」が40%で最も多く、ほかにも「心身症」「心身疲弊状態」など「病気」という印象を弱めようとする傾向が見られた。
患者の意向に沿った診断書の作成について、厚生労働省は「患者をだまして事実と全く異なることを書くのでなければ、診断書の偽造ともいえない」(医事課)との見方だが、調査した柏木部長は「あいまいな表現が広がれば、病気に対する職場の理解が進まず、適した仕事量を話し合うことも難しくなる」と指摘する。
また復職条件については、96%の医師が日常生活に支障がない「寛解状態」で可能と考えているが、74%の医師は会社側から「完全治癒」を求められていた。ただ、うつ病は再発しないと断言することが難しく、「完治」の判断がしにくい。
労働相談に応じている日本労働弁護団は「復職を望んでも会社側が拒み、休職状態を長引かせて解雇に追い込むケースがここ2、3年目立っている」という。
厚労省の02年の調査では、仕事で強いストレスを感じている労働者は全体の6割を超えた。うつ病患者を含む精神障害者の労災申請数は03年度は438件、認定数は108件といずれも過去最高を更新している。
Sunday, May 15, 2005
Skilfull Finger Nail Clipper Handler
"GBNMMI" は半分以上終わらせた。
近所で発見する不思議な人に、いつも半ズボンだけはいて全身日焼けしているおじさんがいる。貧しいと察せられるが白髪頭はいつもわりときれいに散髪されており、ヒゲもそんなに伸びていない。何して暮らしているのだろう。また、JB に行った帰り(10日)にHavelock Road の店でビールを飲んだが、となりのテーブルにいたおじさんは、口を大きく開けて、爪切りで鼻毛を切っていた。
近所で発見する不思議な人に、いつも半ズボンだけはいて全身日焼けしているおじさんがいる。貧しいと察せられるが白髪頭はいつもわりときれいに散髪されており、ヒゲもそんなに伸びていない。何して暮らしているのだろう。また、JB に行った帰り(10日)にHavelock Road の店でビールを飲んだが、となりのテーブルにいたおじさんは、口を大きく開けて、爪切りで鼻毛を切っていた。
Surround Sound System of Thunderstorm
仕事を始める前の最後の週末なので…って長~い間週末だったんだが、CC に行こうと思っているうちに時間が経ってしまった。数週間前にQ ちゃんと行ったDelta Road 沿いの店でビールでも飲もうと思って、さっき10時頃に出かけたものの、遠くの空がピカピカ光っており、パラパラと雨が降ってきたので引き返した。賢明だった。その後、空が照明弾で照らしようにときどき明るくなり、「厳しい稲妻」と360度パノラマ大音声の雷鳴とともに大雨となった。今やっと、落ち着いてきた。
ところで、木曜日の夜はKMFSに行った。今年初めて(!)。見慣れた場所ではあるが、お客さんに知った顔はない。もともと駐在のお客さんが多い店だから、知らない人ばかりになるのも当然か。
今日(土曜日)。昨日と同じくCB で4時間過ごした。"Gandhi, Bose, Nehru and the Making of the Modern Indian Mind" (Reba Som) を始めた。始めなくてもよかってんだけど、George Orwell のEssays の最後が Gandhi の話だったので選んだ。焦点はBose で、順番から言えば、彼のEssential Writings の理解には、こっちを先に読むべきだったのだろう。とは言っても、"Gandhi, Bose, Nehru and the Making of the Modern Indian Mind" の出版は2004年で、Essential Writings を読んだのは3年半ほど前のことだから仕方がない。
これだけ毎日のようにCB に行くと、人の観察もできる。数日に一度やってきては何も注文せず、外のイスに座って爪を切って去っていくおばちゃん。「カネくれ」と手を差し出す物乞いのおじさん。勉強なのか仕事なのか知らないが、週末になるとペンを片手に自分に負けないほどの時間を過ごしている若い女性。
ところで、木曜日の夜はKMFSに行った。今年初めて(!)。見慣れた場所ではあるが、お客さんに知った顔はない。もともと駐在のお客さんが多い店だから、知らない人ばかりになるのも当然か。
今日(土曜日)。昨日と同じくCB で4時間過ごした。"Gandhi, Bose, Nehru and the Making of the Modern Indian Mind" (Reba Som) を始めた。始めなくてもよかってんだけど、George Orwell のEssays の最後が Gandhi の話だったので選んだ。焦点はBose で、順番から言えば、彼のEssential Writings の理解には、こっちを先に読むべきだったのだろう。とは言っても、"Gandhi, Bose, Nehru and the Making of the Modern Indian Mind" の出版は2004年で、Essential Writings を読んだのは3年半ほど前のことだから仕方がない。
これだけ毎日のようにCB に行くと、人の観察もできる。数日に一度やってきては何も注文せず、外のイスに座って爪を切って去っていくおばちゃん。「カネくれ」と手を差し出す物乞いのおじさん。勉強なのか仕事なのか知らないが、週末になるとペンを片手に自分に負けないほどの時間を過ごしている若い女性。
Friday, May 13, 2005
Public Opinion Less Tolerant Than Any System of Law
"Essays" (George Orwell) を読み終えた。
In a society in which there is no law, and in theory no compulsion, the only arbiter of behavour is public opinion. But public opinion, because of the tremendous urge to conformity in gregarious animals, is less tolerant than any system of law. When human beings are governed by 'thou shalt not', the individual can practice a certain amount of eccentricity: when they are supposedly governed by 'love' or 'reason', he is under continuous pressure to make him behave and think in exactly the same way as everyone else. "Politics Vs Literature"
Until I was about thirty I always planned my life on the assumption not only that any major undertaking was bound to fail, but that I could only expect to live a few years longer.
But this sense of guilt and inevitable failure was balanced by something else: that is, the instinct to survive. Even a creature that is weak, ugly, cowardly, smelly and in no way justifiable still wants to stay alive and be happy after its own fashion. I could not invert the existing scale of values, or turn myself into a success, but I could accept my failure and make the best of it. I could resign myself to being what I was, and then endeavour to survive on those terms.
A child which appears reasonably happy may actually be suffering horrors which it cannot or will not reveal. "Such, Such Were the Joys"
9日。仕事紹介会社にEP 申請書類を持っていく。
10日。滞在期限が来て、またJBへ行く。
昨日、カウンセリング。当初は16日が予約日だったが、その日から仕事を始めることになったので、その前にDr に会っておいたほうがいいと思い、変更してもらっていた。話したかったこと、きいてもらいたかったことをゆっくりでも吐き出すと確かに気分がよくなる。
精神医療にたずさわっていることを知ると、医師と患者という関係ではなく、普通のつきあいも敬遠する人があるらしい。Dr によると、そのような人には、メンタルヘルスの問題を抱える家族がいる場合が多いという。
In a society in which there is no law, and in theory no compulsion, the only arbiter of behavour is public opinion. But public opinion, because of the tremendous urge to conformity in gregarious animals, is less tolerant than any system of law. When human beings are governed by 'thou shalt not', the individual can practice a certain amount of eccentricity: when they are supposedly governed by 'love' or 'reason', he is under continuous pressure to make him behave and think in exactly the same way as everyone else. "Politics Vs Literature"
Until I was about thirty I always planned my life on the assumption not only that any major undertaking was bound to fail, but that I could only expect to live a few years longer.
But this sense of guilt and inevitable failure was balanced by something else: that is, the instinct to survive. Even a creature that is weak, ugly, cowardly, smelly and in no way justifiable still wants to stay alive and be happy after its own fashion. I could not invert the existing scale of values, or turn myself into a success, but I could accept my failure and make the best of it. I could resign myself to being what I was, and then endeavour to survive on those terms.
A child which appears reasonably happy may actually be suffering horrors which it cannot or will not reveal. "Such, Such Were the Joys"
9日。仕事紹介会社にEP 申請書類を持っていく。
10日。滞在期限が来て、またJBへ行く。
昨日、カウンセリング。当初は16日が予約日だったが、その日から仕事を始めることになったので、その前にDr に会っておいたほうがいいと思い、変更してもらっていた。話したかったこと、きいてもらいたかったことをゆっくりでも吐き出すと確かに気分がよくなる。
精神医療にたずさわっていることを知ると、医師と患者という関係ではなく、普通のつきあいも敬遠する人があるらしい。Dr によると、そのような人には、メンタルヘルスの問題を抱える家族がいる場合が多いという。
Monday, May 09, 2005
Position Offered. Confused with Time Flying So Fast
2日夜。George Orwell の "Essays" を始める。
3日(火)。Dr に"You can't protect your mother emotionally" と言われる。"You can't be responsible for what you aren’t supposed to be" とも。
同日。面接の知らせを受ける。あまりに話が早く進みすぎて困惑する。翌4日の午後3時に面接に行く。20分ほど話した後、30~40分かけて記事を1本作る。その後、また20分ほど話す。翌日に合否の連絡をするときいて帰宅するも、帰宅してすぐに仕事紹介会社から「採用」の連絡あり。
5日。採用のオファーを受けると連絡する。翌6日、仕事紹介会社にビザ申請に添付する書類を渡す。同日夜、ブラジルレストランでS にごちそうになる。その後、CCで少し飲む。その後、"Bridge" で少し飲む。帰宅したのは7日の朝3時半ごろ。
今日(8日)。NKKT邸で「もつ鍋」ごちそうになる。たくさん食べた。(先月29日夜にも、たくさんごちそうになった。)
3日(火)。Dr に"You can't protect your mother emotionally" と言われる。"You can't be responsible for what you aren’t supposed to be" とも。
同日。面接の知らせを受ける。あまりに話が早く進みすぎて困惑する。翌4日の午後3時に面接に行く。20分ほど話した後、30~40分かけて記事を1本作る。その後、また20分ほど話す。翌日に合否の連絡をするときいて帰宅するも、帰宅してすぐに仕事紹介会社から「採用」の連絡あり。
5日。採用のオファーを受けると連絡する。翌6日、仕事紹介会社にビザ申請に添付する書類を渡す。同日夜、ブラジルレストランでS にごちそうになる。その後、CCで少し飲む。その後、"Bridge" で少し飲む。帰宅したのは7日の朝3時半ごろ。
今日(8日)。NKKT邸で「もつ鍋」ごちそうになる。たくさん食べた。(先月29日夜にも、たくさんごちそうになった。)
Monday, May 02, 2005
"Hata Is a Good Politician": Clinton
"All Too Human" 終わった。Stephanopoulosと自分は、"Zoloft" mates だな。この本の本筋とはまったく関係ないが、日本人が1人だけ登場する。クリントンが羽田孜について語っている部分。
"I like Hata. Speaks more English than he lets on; caught himself answering my questions before they were translated. But he's a good politician."
どうして、Good だと思ったのだろう。自分には、「『あれ』しないといけない」とか「『あれ』だから」とか、話に「あれ」の多い首相だったという印象が強い。すなわち、言語能力の欠如。
副大統領が企画したというキャンプデービッドでのcamaraderie sessions の話が何ともバカバカしい。"Setting personal goals" に "What's the most embarrassing thing you've ever done?" だって。どっかの企業でやってる社員合宿研修みたい。
"I like Hata. Speaks more English than he lets on; caught himself answering my questions before they were translated. But he's a good politician."
どうして、Good だと思ったのだろう。自分には、「『あれ』しないといけない」とか「『あれ』だから」とか、話に「あれ」の多い首相だったという印象が強い。すなわち、言語能力の欠如。
副大統領が企画したというキャンプデービッドでのcamaraderie sessions の話が何ともバカバカしい。"Setting personal goals" に "What's the most embarrassing thing you've ever done?" だって。どっかの企業でやってる社員合宿研修みたい。
Nice Scene of Two Sikh Men
Lok Lok Eating House でビール2本 (S$11) 飲んで帰ってきた。閉店間際の11時半頃、Sikh 教徒のおじさんが2人来て、自分からは離れたところに座った。そのうちのひげが半分白い1人がこぶしをテーブルに叩きつけるようにして何やら興奮して話していた。Lok Lok をほぼ同じ時間に出たが、その興奮したおじさんは、駅入口のスロープの手すりに背中をもたれかかせ、目に涙を浮かべて、もう1人のおじさんに "You are laughing at me..." と言っていた。2人は喧嘩していたのではなく、悩みを打ち明けあう親友のようだった。もちろん何が問題なのか知る由もないが、うらやましさを感じた。
"All Too Human" で、セラピストとの時間だけが安心できる時間だったと語るGeorge Stephanopoulos。自らの未熟さを認めながらも、大統領に裏切られた思いだった。
"All Too Human" で、セラピストとの時間だけが安心できる時間だったと語るGeorge Stephanopoulos。自らの未熟さを認めながらも、大統領に裏切られた思いだった。
Saturday, April 30, 2005
A Few Hours in JB
水曜日午後、JB に行って4 時間ほど過ごして戻ってくる。その日の夜、S に借りていた『20世紀 大東亜共栄圏』(読売新聞)を始めて、翌木曜日午後終える。そのすぐ後、George Stephanopoulos の "All Too Human" を開始。
最近、Qちゃんとは問題なし。良好。
火曜日の電話からあまり気分のよくない状態が続く。集中して本を読もうとしても、不安が襲う瞬間がある。
最近、Qちゃんとは問題なし。良好。
火曜日の電話からあまり気分のよくない状態が続く。集中して本を読もうとしても、不安が襲う瞬間がある。
Wednesday, April 27, 2005
She Wanted To Die
シンガポールで会った2人のElizabeth のうち、1人はうつでアル中だった。最初に会ったのは、Dave に連れられて行ったチャイナタウンのパブ。自分が日本人だと知ると、うれしそうに「前のBF が日本人だった」と言う。カネ欲しそうで日本人にやたら愛想のいい女はたくさんいるが、彼女はちょっと違った風で、数日後、仕事帰りにMRT に乗っているとき電話をもらったがそのときは会わず。しばらく経ってから、Newton Circus で朝方会う。彼女は友人と、自分はSといっしょだった。もう酔っている様子だったが、Tomlinson のアパートでさらに飲むことになった。立ち上がることもできなくなってしまった彼女をベッドに寝かせて、翌朝見つけたのは左手首にある無数の傷跡だった。
モデルになりたかったという。確かにきれいな人だった。手首だけではなく、あごにも足にも傷跡があった。あまりの酔い方がひどいので、「帰れ」と怒ったことがあった。泥酔状態で、彼女はバッグから安定剤を取り出して飲み込み、さらにぜんそく発作のときの吸入器を使い始めたりしたこともあった。
察するところ、彼女の過去は「相当」(tons of guys) なもののようだったが、「あんたは違う」と言って自分のことは信用してくれた。「チップもらいになんか行くんじゃない」と1日分の稼ぎを渡して(どこか知らんが)行くのを止めようとしたこともあったが、タクシーに乗って行ってしまった。しかし、途中で戻ってきて、また飲んだ。またまた、あんまり酔い方がひどいので、それ以上飲むのを止めるように言ったが、ダメだった。その日、半分開いたままのタクシーのドア越しに自分の名前を叫んでいた彼女を忘れようとしても思い出してしまう。(ず~っと経ってから、去年電話で話したところによると、彼女はシングルマザーになったらしい。男は逃げたとか。)
このElizabeth 、「シングリッシュ」は使いたくないと言い、なぜか英語がうまかった。「私は劣等生だった」と言っていたが、英語はシンガポールで会った人の中で最高のレベルだった。
モデルになりたかったという。確かにきれいな人だった。手首だけではなく、あごにも足にも傷跡があった。あまりの酔い方がひどいので、「帰れ」と怒ったことがあった。泥酔状態で、彼女はバッグから安定剤を取り出して飲み込み、さらにぜんそく発作のときの吸入器を使い始めたりしたこともあった。
察するところ、彼女の過去は「相当」(tons of guys) なもののようだったが、「あんたは違う」と言って自分のことは信用してくれた。「チップもらいになんか行くんじゃない」と1日分の稼ぎを渡して(どこか知らんが)行くのを止めようとしたこともあったが、タクシーに乗って行ってしまった。しかし、途中で戻ってきて、また飲んだ。またまた、あんまり酔い方がひどいので、それ以上飲むのを止めるように言ったが、ダメだった。その日、半分開いたままのタクシーのドア越しに自分の名前を叫んでいた彼女を忘れようとしても思い出してしまう。(ず~っと経ってから、去年電話で話したところによると、彼女はシングルマザーになったらしい。男は逃げたとか。)
このElizabeth 、「シングリッシュ」は使いたくないと言い、なぜか英語がうまかった。「私は劣等生だった」と言っていたが、英語はシンガポールで会った人の中で最高のレベルだった。
Tuesday, April 26, 2005
Peace/Piece of Mind
暑い日続く。夕方、"The Tiananmen Papers" を読み終えた。鄧小平の党外勢力とではなく「党内で議論しろ」などは東南アジアのある小国の与党が言っていることとよく似ている。
午後、CB にいたとき母親から電話を受ける。兄から何か話を聞いたと思うが、まともな話が成立しそうになく、余計に気分が落ち込む。こちらから電話を切った。
Why do people not give me a small peace/piece of mind????
The Economist(4月23日号)の "Daddy wore a blue helmet" はまったくひどい話だな。
枝雀さんには大阪で2度出くわしたことがある。最初は、阪急梅田コンコースとJR 大阪駅との間の横断歩道の阪急側で、一門の人たちといっしょだった。2度目は、大阪駅前ビルの近くで、一人で歩いておられるところをすれ違った。歩きながらニコニコして「ねたくり」されている様子だった。
昨日の夜、散歩に行ったとき、Old Havelock Road を歩くとHDB が並ぶ小さな丘があることを(今頃になって)発見した。階段を上って、少し歩いて、反対側の階段を下りてきた。
けったくそ悪いので、夕食の後ビール2本飲んで、さっき戻ってきた。
現在、Qちゃんは何の心配事もなさそうに、スヤスヤとお休み中。
中国外務省:日中首脳会談を評価「実施に重要な意味」(毎日新聞26日)
【北京・西岡省二】中国外務省の秦剛副報道局長は26日の記者会見で、先の日中首脳会談を「両国関係が困難な状況下で実施されたことに重要な意味がある」と評価した。秦副局長は、国際社会が注目する中、両首脳が双方の重要性を確認し、日中友好とアジア和平を進めるという大局からの出発を強調したと指摘。その半面、歴史教科書問題について「本質は日本が軍国主義の歴史を正確に認識できるかだ。真摯(しんし)に反省して教科書の間違いをただしてほしい。それによりアジアの信頼が得られ、自らの発展にも有益だ」と述べた。
また、温家宝首相の来日について「中国は中日両国首脳の往来を重視している。双方が努力して、往来実現の条件を整えたい」と語った。
一方、反日デモにからみ、上海の日本料理店を破壊したとして40人以上が身柄拘束されたと地元テレビが報じたことについて「中国の関係部門は多大な努力により日本人を保護し、企業の安全を確保した。今後も法律に基づいて問題を処理する」と従来の立場を繰り返した。
日本にも、「大化の改新」「建武の中興」「明治維新」などクーデターがあったけど、中国共産党の歴史は暴力革命そのものじゃなか。あんたんとこは最初っからずっと軍国主義だわな。
午後、CB にいたとき母親から電話を受ける。兄から何か話を聞いたと思うが、まともな話が成立しそうになく、余計に気分が落ち込む。こちらから電話を切った。
Why do people not give me a small peace/piece of mind????
The Economist(4月23日号)の "Daddy wore a blue helmet" はまったくひどい話だな。
枝雀さんには大阪で2度出くわしたことがある。最初は、阪急梅田コンコースとJR 大阪駅との間の横断歩道の阪急側で、一門の人たちといっしょだった。2度目は、大阪駅前ビルの近くで、一人で歩いておられるところをすれ違った。歩きながらニコニコして「ねたくり」されている様子だった。
昨日の夜、散歩に行ったとき、Old Havelock Road を歩くとHDB が並ぶ小さな丘があることを(今頃になって)発見した。階段を上って、少し歩いて、反対側の階段を下りてきた。
けったくそ悪いので、夕食の後ビール2本飲んで、さっき戻ってきた。
現在、Qちゃんは何の心配事もなさそうに、スヤスヤとお休み中。
中国外務省:日中首脳会談を評価「実施に重要な意味」(毎日新聞26日)
【北京・西岡省二】中国外務省の秦剛副報道局長は26日の記者会見で、先の日中首脳会談を「両国関係が困難な状況下で実施されたことに重要な意味がある」と評価した。秦副局長は、国際社会が注目する中、両首脳が双方の重要性を確認し、日中友好とアジア和平を進めるという大局からの出発を強調したと指摘。その半面、歴史教科書問題について「本質は日本が軍国主義の歴史を正確に認識できるかだ。真摯(しんし)に反省して教科書の間違いをただしてほしい。それによりアジアの信頼が得られ、自らの発展にも有益だ」と述べた。
また、温家宝首相の来日について「中国は中日両国首脳の往来を重視している。双方が努力して、往来実現の条件を整えたい」と語った。
一方、反日デモにからみ、上海の日本料理店を破壊したとして40人以上が身柄拘束されたと地元テレビが報じたことについて「中国の関係部門は多大な努力により日本人を保護し、企業の安全を確保した。今後も法律に基づいて問題を処理する」と従来の立場を繰り返した。
日本にも、「大化の改新」「建武の中興」「明治維新」などクーデターがあったけど、中国共産党の歴史は暴力革命そのものじゃなか。あんたんとこは最初っからずっと軍国主義だわな。
"Afraid to Die" Illness
今日(月曜日)の午後、"The Tiananmen Papers" がかなり読めた。6月4日以降の各地方からの報告。各国政府の対応など。シンガポール政府は、"declined to comment" だって。
さて、会社との話が一向に進まない。こんなことで、症状が改善されるわけがない。一人の人間の将来とその家族、また友人知人にさえ影響していることをわからせてやる。最近、解雇理由として言い出したのは、具体性がなく意味不明な「経営判断」。伝え聞いたところによると社内では「円満解雇」と報告したという。勝手な日本語を作るな。そのような経営判断をして、経営はさぞかし改善されているのだろう。自分(会社)に都合のいい約束は口頭だけで、あとは知らぬ存ぜぬ。こちらには書類への署名を求める。「円満」であろうとなかろうと、「解雇」だと認めるなら、カネを払え。ここまでひどい会社はこれまでなかった。何があろうと、「おつかれさま」と言って別れるのが人の道だろう。デッチあげた文書を訂正する潔さもなく、きれいに分かれる道を最初から絶つ態度からして理解不能だな。どっちが狂人なんだ??
眠れそうにない (FUMING!!) ので、さっき散歩に行ってきた。
「ポール牧さん」、あんまり知ってる人じゃないけど、本当に死にたくて、死ぬ人なんかいないと思う。抗うつ剤を続けないなければいけないという思いと、一瞬だけでも幸福を感じようと酒を飲みたいという思いが本人の中に同居していたに違いない。わかりすぎる感覚。ただ、ある量を超えると、負の感情のダムが決壊してしまう。その危険を冒しても幸福を感じたかったんだと思う。
桂枝雀さんは「死ぬのがこわい病」と呼んでいたそうな。
現在、Qちゃんは何の心配事もなさそうに、スヤスヤとお休み中。
さて、会社との話が一向に進まない。こんなことで、症状が改善されるわけがない。一人の人間の将来とその家族、また友人知人にさえ影響していることをわからせてやる。最近、解雇理由として言い出したのは、具体性がなく意味不明な「経営判断」。伝え聞いたところによると社内では「円満解雇」と報告したという。勝手な日本語を作るな。そのような経営判断をして、経営はさぞかし改善されているのだろう。自分(会社)に都合のいい約束は口頭だけで、あとは知らぬ存ぜぬ。こちらには書類への署名を求める。「円満」であろうとなかろうと、「解雇」だと認めるなら、カネを払え。ここまでひどい会社はこれまでなかった。何があろうと、「おつかれさま」と言って別れるのが人の道だろう。デッチあげた文書を訂正する潔さもなく、きれいに分かれる道を最初から絶つ態度からして理解不能だな。どっちが狂人なんだ??
眠れそうにない (FUMING!!) ので、さっき散歩に行ってきた。
「ポール牧さん」、あんまり知ってる人じゃないけど、本当に死にたくて、死ぬ人なんかいないと思う。抗うつ剤を続けないなければいけないという思いと、一瞬だけでも幸福を感じようと酒を飲みたいという思いが本人の中に同居していたに違いない。わかりすぎる感覚。ただ、ある量を超えると、負の感情のダムが決壊してしまう。その危険を冒しても幸福を感じたかったんだと思う。
桂枝雀さんは「死ぬのがこわい病」と呼んでいたそうな。
現在、Qちゃんは何の心配事もなさそうに、スヤスヤとお休み中。
Sunday, April 24, 2005
Depressed, Drunk... Jumped off to Death
ポール牧さん酒に抗うつ剤前夜一緒に飲む(日刊スポーツ)
22日に都内の自宅マンションから飛び降り自殺したタレントのポール牧さん(享年63)が亡くなる前夜、スナックなどで酒と一緒に抗うつ剤をのんでいたことが23日、分かった。ポールさんは10年以上前からうつ病の治療を続けていたが、最近になって酒とチャンポンするようになっていた。精神科医は「判断力を失わせる、非常に危険な行為」という。葬儀は今日24日午後、近親者だけで営まれる予定だ。
事務所関係者によると、ポールさんは21日午後7時ごろから9時ごろまで、マネジャーと自宅近くの焼き肉店やスナックで焼酎などを飲んだ。その際酒と一緒に抗うつ剤を服用。ろれつが回らなくなり、足元がフラフラした状態で自宅に帰ったという。22日早朝に飛び降り自殺したが、部屋に酒の空き瓶が残っていたことから、帰宅後も酒を飲んでいたとみられる。
ポールさんは十数年前からうつ病を患い、睡眠薬や抗うつ剤を常用。昨年末に前所属事務所を辞めるころから、症状が重くなった。そのころから酒と抗うつ剤、睡眠薬をチャンポンするようになったという。
関谷神経科クリニックの関谷透院長によると、酒と抗うつ剤を同時に飲んだ場合「意識がもうろうとしたり、判断がきちんとできなくなる」という。同院長は「酒の効果で判断力を失った状態が続き、自殺願望を自制できなくなった可能性はある」とも指摘する。
ポールさんは「お笑いの学校をやりたい」「吉本に負けないようなお笑い番組を作る」と準備をしていた矢先の自殺だった。事務所関係者は「理由が見当たらない。(直前も)思い詰めているような様子はなかった。衝動的なものではないか」と推測している。
ポールさんの遺体は、都内にある友人の自宅マンションに安置され、22日夜に通夜が営まれた。参列したのは前妻と長男(40)長女(37)、放送作家はかま満緒さん(67)、友人2人の計6人。40年来の親交のあったはかまさんは「(通夜では)みんなでなぜこういうことになったのかを話し合った。金銭問題もなかったし、仕事も芸も順調だった。やはり病気が関係していたのではないか」と話した。葬儀・告別式は場所の都合で23日には行われず、今日24日午後、近親者だけで営まれる。場所は公表しない。はかまさんらが発起人となって後日、しのぶ会を行う予定だ。
いっしょにいた人、うつ病だとわかってて「焼肉と焼酎と抗うつ剤」の後、なぜ1人にしたんだろう?
22日に都内の自宅マンションから飛び降り自殺したタレントのポール牧さん(享年63)が亡くなる前夜、スナックなどで酒と一緒に抗うつ剤をのんでいたことが23日、分かった。ポールさんは10年以上前からうつ病の治療を続けていたが、最近になって酒とチャンポンするようになっていた。精神科医は「判断力を失わせる、非常に危険な行為」という。葬儀は今日24日午後、近親者だけで営まれる予定だ。
事務所関係者によると、ポールさんは21日午後7時ごろから9時ごろまで、マネジャーと自宅近くの焼き肉店やスナックで焼酎などを飲んだ。その際酒と一緒に抗うつ剤を服用。ろれつが回らなくなり、足元がフラフラした状態で自宅に帰ったという。22日早朝に飛び降り自殺したが、部屋に酒の空き瓶が残っていたことから、帰宅後も酒を飲んでいたとみられる。
ポールさんは十数年前からうつ病を患い、睡眠薬や抗うつ剤を常用。昨年末に前所属事務所を辞めるころから、症状が重くなった。そのころから酒と抗うつ剤、睡眠薬をチャンポンするようになったという。
関谷神経科クリニックの関谷透院長によると、酒と抗うつ剤を同時に飲んだ場合「意識がもうろうとしたり、判断がきちんとできなくなる」という。同院長は「酒の効果で判断力を失った状態が続き、自殺願望を自制できなくなった可能性はある」とも指摘する。
ポールさんは「お笑いの学校をやりたい」「吉本に負けないようなお笑い番組を作る」と準備をしていた矢先の自殺だった。事務所関係者は「理由が見当たらない。(直前も)思い詰めているような様子はなかった。衝動的なものではないか」と推測している。
ポールさんの遺体は、都内にある友人の自宅マンションに安置され、22日夜に通夜が営まれた。参列したのは前妻と長男(40)長女(37)、放送作家はかま満緒さん(67)、友人2人の計6人。40年来の親交のあったはかまさんは「(通夜では)みんなでなぜこういうことになったのかを話し合った。金銭問題もなかったし、仕事も芸も順調だった。やはり病気が関係していたのではないか」と話した。葬儀・告別式は場所の都合で23日には行われず、今日24日午後、近親者だけで営まれる。場所は公表しない。はかまさんらが発起人となって後日、しのぶ会を行う予定だ。
いっしょにいた人、うつ病だとわかってて「焼肉と焼酎と抗うつ剤」の後、なぜ1人にしたんだろう?
Saturday, April 23, 2005
Beijing Under Martial Law
"The Tiananmen Papers" は、5月19日に北京市内を対象にした戒厳令発動が発表され、翌日から国軍が市内包囲を開始するところ。趙紫陽総書記は指導部で孤立し、事実上失脚した。
フランスに亡命して、その後台湾に行ったウアルカイシは、今でも台湾にいるらしい。
フランスに亡命して、その後台湾に行ったウアルカイシは、今でも台湾にいるらしい。
"Patriotism Is Not a Crime!": Protesters
A collision in East Asia
Apr 14th 2005
From The Economist print edition
There should be no enlarged Security Council without Japan
YOU can be sure that a march of 10,000 protesters through the heart of Beijing would have been halted by China's security services if they had been marching for democracy. Since they were marching instead to denounce Japan, for its supposed failure to apologise for historical crimes, and for its temerity in seeking permanent membership of the United Nations Security Council, China's authorities allowed the demonstration to go ahead, with predictable results (see article). Japanese shops were ransacked and Japan's embassy pelted with eggs and stones. The protests, which had started in Chengdu a week earlier, spread to other cities, including Shenzhen and Guangzhou in the prosperous south.
For anyone who had taken the view that the present proposals to reform the United Nations and change the architecture of the Security Council were just a parlour game for diplomats, these demonstrations mark a rude awakening. All of the council's permanent five—America, Britain, China, France and Russia—guard their seats at the top table jealously and are wary about the prospect of this honour being diluted. Some, it is now plain, are willing to whip up the emotions of their people to resist unwanted newcomers. And when it comes to China and Japan, those emotions are still remarkably raw.
It is not much of an exaggeration to say that these two Asian giants are scarcely any better reconciled than they were in 1972, when they established diplomatic relations. This is true in spite of an economic relationship that has grown increasingly intimate. In most years, China and Japan are nowadays each other's biggest trading partner. Some 16,000 Japanese firms do business on the Chinese mainland: Japan's technology and China's low-paid workers make a natural and mutually advantageous fit. In culture and consumption, too, the two countries are growing closer: younger Chinese admire Japanese boy-bands, older ones relish buying reliable Japanese cars and applying Japanese cosmetics.
In politics, however, the story is quite different. The mighty neighbours are competing for natural resources and squabbling over the sovereignty of tiny islands. In service of its present interests, China endlessly drags up the legacy of the past, taking the view that Japan has never apologised properly for its brutal behaviour in China during the second world war and before. No Chinese president has visited Japan since 1998, and Japan's prime minister has not been to China since 2001.
If anything, relations have in fact grown worse. In previous decades the wounds of war were no less deep but the neighbours enjoyed a sort of understanding about their respective places in the world. China was a heavyweight in geopolitics but an economic weakling. Japan was the opposite: an economic superpower, barred by its own constitution and historical guilt from playing any significant role in world affairs. But this division of labelling has been breaking down.
China is on the way to becoming an economic superpower: today it is China and no longer Japan that runs the world's biggest trade surplus with the United States. And Japan, which still has the world's second-largest economy, is no longer willing to be a second-class citizen in diplomacy. As a populous and rich democracy, a big contributor of foreign aid, the second-biggest contributor after America to the United Nations, and (within the limits imposed by its post-war constitution, which it has been flexible in reinterpreting) an increasingly active international peacekeeper, it believes it deserves a permanent seat in any enlarged Security Council.
And it is right. The UN's current archaic system gives permanent seats, and vetoes, to five countries and condemns everyone else, no matter how regionally powerful or active in international security, to an occasional two-year term. If permanent membership of the council is to be enlarged, as Kofi Annan, the UN's secretary-general, says he would like it to be, Japan (along with India and Brazil) is a natural candidate by dint of population, standing and economic power. Germany has a strong case, too, though one complicated by the fact that the European Union would then have three permanent members. A case can also be made for a large African country such as South Africa or Nigeria, and perhaps an Arab one, such as Egypt. But what is absolutely plain is that to add India, Brazil, Nigeria, South Africa or Egypt but to exclude Japan would not only constitute an egregious insult to the Japanese but also make a nonsense of the whole exercise.
Don't call the whole thing off
In which case, should the exercise be abandoned? That might be convenient to some. Countries such as Italy and Pakistan, dismayed by the prospect of neighbours and rivals taking places at the top table, are already complaining. Although America pays lip service to enlargement, it might welcome an excuse to stick with the present system—and China's exclusion of Japan would certainly provide one. But what a pity that would be. The UN system will never be perfect, but it can be improved to reflect the world more as it is today, not as it was at the end of the second world war more than half a century ago. The Japanese belong in an enlarged Security Council—not least so the Chinese come to understand that they cannot have everything their way in East Asia's future.
The China question
Apr 21st 2005
From The Economist print edition
Asia's real boat-rocker is a growing and undemocratic China, not democratic Japan
THERE is so much noise surrounding and emanating from the world's miracle economy that it is becoming cacophonous. In Washington, DC, the latest idea is that China is becoming too successful, perhaps even dangerously so: while Capitol Hill resounds with complaints of trade surpluses and currency manipulation, the Pentagon and sundry think-tanks echo to a new drumbeat of analysts worrying about China's 12.6% annual rise in military spending and about whether it might soon have the ability to take pre-emptive military action to force Taiwan to rejoin it. So it may be no coincidence that for three consecutive weekends the streets of big Chinese cities have been filled with the sounds of demonstrators marching and rocks being thrown, all seeking to send a different message: that Japan is the problem in Asia, not China, because of its wanton failure to face up to its history; and that by cosying up to Japan in security matters, America is allying with Asia's pariah.
Deafness is not the only risk from all this noise. The pressure towards protectionism in Washington is strong (see article), and could put in further danger not only trade with China but also the wider climate for trade liberalisation in the Doha round of the World Trade Organisation (WTO). So far words have been the main weapons used between China and Japan, but there is a chance that nationalism in either or both countries could lead the governments to strike confrontational poses over their territorial disputes in the seas that divide them, even involving their navies. And the more that nationalist positions become entrenched in both countries but especially China, the more that street protests could become stirred up, perhaps towards more violence.
All these issues are complex ones and, as is often the case in trade and in historical disputes, finding solutions is likely to be far from simple. A revaluation of the yuan, as demanded in Congress, would not re-balance trade between America and China, though it might help a little, in due course. A “sincere” apology by Japan for its wartime atrocities might also help a little, but it would not suddenly turn Asia's natural great-power rivals into bosom buddies. For behind all the noise lies one big fact: that it is the rise of China, not the status or conduct of Japan, that poses Asia's thorniest questions.
Echoes of the 1930s
But doesn't Japan have much to apologise for? And hasn't it failed to match Germany's postwar blend of contrition and compensation? Yes, it does have a lot to apologise for, and yes, it has failed to do as much as Germany. But it would not take all that much to remedy those faults.
Japan has apologised countless times to China as to its other Asian victims, using all the right words. Its problem is that it has undermined those apologies in three main ways: by forcing recipient governments to negotiate over the phraseology to be used, making the apology feel reluctant and purely pragmatic; by failing to match declarations of guilt with the proper taking of responsibility, in particular through adequate compensation for Asian individuals who suffered from its atrocities; and, since 2001, by its prime minister's visits to the Yasukuni shrine, a private entity that honours war criminals as well as Japan's general war dead. Taken together, these failings weaken the government's claim that the nation is officially contrite, even if small groups of right-wingers are not.
If Japan's government were to launch efforts to deal with those three things, then the pluralism that, through those right-wingers, currently damages it would turn into a strength. Japan, unlike China, is a democratic and peaceful society in which disputes and even nasty debates can be handled safely. Japan poses no danger to its neighbours. Rather, another country is coming to resemble the Japan of the 1920s and 1930s: one that is developing rapidly, is hungry for energy and other natural resources, and whose nationalist politics sometimes spills worryingly into its streets. That country is China.
This does not mean that China looks poised to repeat Japan's ghastly 20th-century history. But it does mean that China, for all its new official mantra about its “peaceful rise”, is nevertheless the region's, and even the globe's, boat-rocker. Its past willingness to bind itself into global rule-based systems such as the WTO has been a welcome way to channel its growth. The country's new leadership needs to follow that same path: by adapting its currency system to reflect changing conditions, for example, and by seeking ways to defuse tensions with Japan, not to exploit them. The Japan question will fade. The China question is only going to get louder.
Apr 14th 2005
From The Economist print edition
There should be no enlarged Security Council without Japan
YOU can be sure that a march of 10,000 protesters through the heart of Beijing would have been halted by China's security services if they had been marching for democracy. Since they were marching instead to denounce Japan, for its supposed failure to apologise for historical crimes, and for its temerity in seeking permanent membership of the United Nations Security Council, China's authorities allowed the demonstration to go ahead, with predictable results (see article). Japanese shops were ransacked and Japan's embassy pelted with eggs and stones. The protests, which had started in Chengdu a week earlier, spread to other cities, including Shenzhen and Guangzhou in the prosperous south.
For anyone who had taken the view that the present proposals to reform the United Nations and change the architecture of the Security Council were just a parlour game for diplomats, these demonstrations mark a rude awakening. All of the council's permanent five—America, Britain, China, France and Russia—guard their seats at the top table jealously and are wary about the prospect of this honour being diluted. Some, it is now plain, are willing to whip up the emotions of their people to resist unwanted newcomers. And when it comes to China and Japan, those emotions are still remarkably raw.
It is not much of an exaggeration to say that these two Asian giants are scarcely any better reconciled than they were in 1972, when they established diplomatic relations. This is true in spite of an economic relationship that has grown increasingly intimate. In most years, China and Japan are nowadays each other's biggest trading partner. Some 16,000 Japanese firms do business on the Chinese mainland: Japan's technology and China's low-paid workers make a natural and mutually advantageous fit. In culture and consumption, too, the two countries are growing closer: younger Chinese admire Japanese boy-bands, older ones relish buying reliable Japanese cars and applying Japanese cosmetics.
In politics, however, the story is quite different. The mighty neighbours are competing for natural resources and squabbling over the sovereignty of tiny islands. In service of its present interests, China endlessly drags up the legacy of the past, taking the view that Japan has never apologised properly for its brutal behaviour in China during the second world war and before. No Chinese president has visited Japan since 1998, and Japan's prime minister has not been to China since 2001.
If anything, relations have in fact grown worse. In previous decades the wounds of war were no less deep but the neighbours enjoyed a sort of understanding about their respective places in the world. China was a heavyweight in geopolitics but an economic weakling. Japan was the opposite: an economic superpower, barred by its own constitution and historical guilt from playing any significant role in world affairs. But this division of labelling has been breaking down.
China is on the way to becoming an economic superpower: today it is China and no longer Japan that runs the world's biggest trade surplus with the United States. And Japan, which still has the world's second-largest economy, is no longer willing to be a second-class citizen in diplomacy. As a populous and rich democracy, a big contributor of foreign aid, the second-biggest contributor after America to the United Nations, and (within the limits imposed by its post-war constitution, which it has been flexible in reinterpreting) an increasingly active international peacekeeper, it believes it deserves a permanent seat in any enlarged Security Council.
And it is right. The UN's current archaic system gives permanent seats, and vetoes, to five countries and condemns everyone else, no matter how regionally powerful or active in international security, to an occasional two-year term. If permanent membership of the council is to be enlarged, as Kofi Annan, the UN's secretary-general, says he would like it to be, Japan (along with India and Brazil) is a natural candidate by dint of population, standing and economic power. Germany has a strong case, too, though one complicated by the fact that the European Union would then have three permanent members. A case can also be made for a large African country such as South Africa or Nigeria, and perhaps an Arab one, such as Egypt. But what is absolutely plain is that to add India, Brazil, Nigeria, South Africa or Egypt but to exclude Japan would not only constitute an egregious insult to the Japanese but also make a nonsense of the whole exercise.
Don't call the whole thing off
In which case, should the exercise be abandoned? That might be convenient to some. Countries such as Italy and Pakistan, dismayed by the prospect of neighbours and rivals taking places at the top table, are already complaining. Although America pays lip service to enlargement, it might welcome an excuse to stick with the present system—and China's exclusion of Japan would certainly provide one. But what a pity that would be. The UN system will never be perfect, but it can be improved to reflect the world more as it is today, not as it was at the end of the second world war more than half a century ago. The Japanese belong in an enlarged Security Council—not least so the Chinese come to understand that they cannot have everything their way in East Asia's future.
The China question
Apr 21st 2005
From The Economist print edition
Asia's real boat-rocker is a growing and undemocratic China, not democratic Japan
THERE is so much noise surrounding and emanating from the world's miracle economy that it is becoming cacophonous. In Washington, DC, the latest idea is that China is becoming too successful, perhaps even dangerously so: while Capitol Hill resounds with complaints of trade surpluses and currency manipulation, the Pentagon and sundry think-tanks echo to a new drumbeat of analysts worrying about China's 12.6% annual rise in military spending and about whether it might soon have the ability to take pre-emptive military action to force Taiwan to rejoin it. So it may be no coincidence that for three consecutive weekends the streets of big Chinese cities have been filled with the sounds of demonstrators marching and rocks being thrown, all seeking to send a different message: that Japan is the problem in Asia, not China, because of its wanton failure to face up to its history; and that by cosying up to Japan in security matters, America is allying with Asia's pariah.
Deafness is not the only risk from all this noise. The pressure towards protectionism in Washington is strong (see article), and could put in further danger not only trade with China but also the wider climate for trade liberalisation in the Doha round of the World Trade Organisation (WTO). So far words have been the main weapons used between China and Japan, but there is a chance that nationalism in either or both countries could lead the governments to strike confrontational poses over their territorial disputes in the seas that divide them, even involving their navies. And the more that nationalist positions become entrenched in both countries but especially China, the more that street protests could become stirred up, perhaps towards more violence.
All these issues are complex ones and, as is often the case in trade and in historical disputes, finding solutions is likely to be far from simple. A revaluation of the yuan, as demanded in Congress, would not re-balance trade between America and China, though it might help a little, in due course. A “sincere” apology by Japan for its wartime atrocities might also help a little, but it would not suddenly turn Asia's natural great-power rivals into bosom buddies. For behind all the noise lies one big fact: that it is the rise of China, not the status or conduct of Japan, that poses Asia's thorniest questions.
Echoes of the 1930s
But doesn't Japan have much to apologise for? And hasn't it failed to match Germany's postwar blend of contrition and compensation? Yes, it does have a lot to apologise for, and yes, it has failed to do as much as Germany. But it would not take all that much to remedy those faults.
Japan has apologised countless times to China as to its other Asian victims, using all the right words. Its problem is that it has undermined those apologies in three main ways: by forcing recipient governments to negotiate over the phraseology to be used, making the apology feel reluctant and purely pragmatic; by failing to match declarations of guilt with the proper taking of responsibility, in particular through adequate compensation for Asian individuals who suffered from its atrocities; and, since 2001, by its prime minister's visits to the Yasukuni shrine, a private entity that honours war criminals as well as Japan's general war dead. Taken together, these failings weaken the government's claim that the nation is officially contrite, even if small groups of right-wingers are not.
If Japan's government were to launch efforts to deal with those three things, then the pluralism that, through those right-wingers, currently damages it would turn into a strength. Japan, unlike China, is a democratic and peaceful society in which disputes and even nasty debates can be handled safely. Japan poses no danger to its neighbours. Rather, another country is coming to resemble the Japan of the 1920s and 1930s: one that is developing rapidly, is hungry for energy and other natural resources, and whose nationalist politics sometimes spills worryingly into its streets. That country is China.
This does not mean that China looks poised to repeat Japan's ghastly 20th-century history. But it does mean that China, for all its new official mantra about its “peaceful rise”, is nevertheless the region's, and even the globe's, boat-rocker. Its past willingness to bind itself into global rule-based systems such as the WTO has been a welcome way to channel its growth. The country's new leadership needs to follow that same path: by adapting its currency system to reflect changing conditions, for example, and by seeking ways to defuse tensions with Japan, not to exploit them. The Japan question will fade. The China question is only going to get louder.
Thursday, April 21, 2005
Could You Please Fuck Off?
会社から、早い話が"GET OUT OF MY WAY"という内容のメールが来ていた。それはこっちのセリフだろ。まったく何が重要なのかわかっておられない。
紹介されようとしている仕事の件については、昨日より応募してもいいかなという気分が大きくなっている(ようだ)。応募しても向こうから断られることもあるわけだし。
紹介されようとしている仕事の件については、昨日より応募してもいいかなという気分が大きくなっている(ようだ)。応募しても向こうから断られることもあるわけだし。
Wednesday, April 20, 2005
Job Search Begins
仕事を見つけ始めようと、知ってる人のいる「仕事紹介会社」に昨日連絡した。紹介してもらえそうなのは、「前職」と思いっ切り競合している会社だった。断った方がよいと思い、その旨を伝えた。
夕方、「一回来てよ」とメールをくれていたTさんに会いに行った。翻訳会社や新部署の設立にまったく反対することもなかったが、もちろんどうなるかはわからない。
夕方、「一回来てよ」とメールをくれていたTさんに会いに行った。翻訳会社や新部署の設立にまったく反対することもなかったが、もちろんどうなるかはわからない。
Tuesday, April 19, 2005
Veil, Talk Therapy, Wasabi, Selective Memory
Tom Friedman の "Longitudes and Attitudes" を終わった。
... [There] is nothing in the Koran that dictates that women have to be veiled – it is a cultural thing, a conservative desert Bedouin thing. (p. 359)
ホント?
"The Tiananmen Papers" (Edited by Andrew J. Nathan and Perry Link) を始める。
Deep impact
Mar 3rd 2005
From The Economist print edition
A way of switching depression off
ROB MATTE, a 38-year-old Canadian laboratory technician, suffered from severe depression for 20 years. He had tried everything: psychotherapy, anti-depressant drugs (several varieties) and a gruelling three-week course of electro-convulsive therapy. Nothing worked. Then his psychiatrist told him about an experimental operation using a technique called deep-brain stimulation (DBS) that was being conducted at Toronto Western Hospital, in Canada. In spite of the risk of brain haemorrhage, infection or seizure, Mr Matte signed the consent form. For him, the next step would have been suicide.
Mr Matte is one of six people who have been part of this pilot study into the use of DBS for treating depression. It is being carried out by Helen Mayberg, Andres Lozano and their colleagues at Toronto Western. Their results have just been published in Neuron, and though the sample is small, the outcome is astonishing. For Mr Matte and three others, the treatment worked completely. As soon as the electrodes implanted in their brains were switched on, they noticed a difference. Mr Matte describes how everything in the room became brighter. Lights and colours seemed more vivid. His depression vanished so dramatically that it left him feeling terrified—and it remained vanished, not only for the six months of the study, but also for the six months since it was completed. And none of the patients involved has experienced noticeable cognitive impairment as a result of the operation.
The study was conceived when Dr Mayberg discovered, using a brain-scanning technique called positron-emission tomography, that an area of the brain called the subgenual cingulate is overactive in patients with depression. This got her thinking. Neural overactivity is known or suspected in several other conditions, including chronic pain, dystonia, epilepsy, Tourette's syndrome, essential tremor, obsessive-compulsive disorder and Parkinson's disease. All of these illnesses may be treated with DBS. And in the case of Parkinson's disease it is known that the treatment dampens neural activity.
That is what happened in the successful cases in this experiment, too. Indeed, not only did electrical current fed into the subgenual cingulate suppress its activity, it also re-invigorated activity in the frontal cortex, the hypothalamus and the brainstem—all areas which themselves become dampened in depression.
There is a price to pay. Not only do patients have electrodes implanted in their brains, they also have a battery implanted into their chests (in the case of men) or their stomachs (in the case of women, to avoid damage to the breast tissue). But that is a small charge for resisting suicide.
According to the World Health Organisation, depression is the leading cause of disability in the world. Of the estimated 121m people who suffer from it, 15-30% have "refractory" cases like those treated by Dr Mayberg and Dr Lozano—that is, they do not respond to any treatment. If bigger studies prove this new approach to treating refractory depression works on even a fraction of that fraction, neurosurgeons could be in for a busy time.
Talk is cheap
Apr 14th 2005
From The Economist print edition
And surprisingly effective
FOR almost a century after Sigmund Freud pioneered psychoanalysis, "talk therapy" was the treatment of choice for many mental illnesses. Artists and writers lined up to lie down and be analysed, and the ideas of Freud, Jung, and other influential psychiatrists permeated the intellectual world. They also seeped into the popular consciousness, and still pop up today whenever someone talks of a subconscious desire, a Freudian slip, a death wish, or an Oedipal complex. But advances in neurology, and especially in pharmacology, have called such therapy into question. When psychological and emotional disturbances can be traced to faulty brain chemistry and corrected with a pill, the idea that sitting and talking can treat a problem such as clinical depression might seem outdated.
Robert DeRubeis of the University of Pennsylvania and his colleagues beg to differ, however. They have conducted the largest clinical trial ever designed to compare talk therapy with chemical antidepressants. The result, just published in Archives of General Psychiatry, is that talking works as well as pills do. Indeed, it works better, if you take into account the lower relapse rate.
The study looked at a relatively modern type of talk therapy, known as cognitive therapy, which tries to teach people how to change harmful thoughts and beliefs. Patients learn to recognise unrealistically negative thoughts when they occur, and are told how to replace them with more positive ones. It may sound too simplistic to work, but other studies have shown it can be used to treat anxiety, obsessive-compulsive disorder and eating disorders. Dr DeRubeis wondered just how effective it really was for depression.
In the study, 240 patients with moderate to severe depression were divided into three groups. One group was treated with cognitive therapy, a second with Paxil, an antidepressant drug, and members of the third group were given placebo pills. (Those in the second and third groups did not know whether their pills were placebos or not.) After 16 weeks of treatment, the results for those on cognitive therapy and drugs were identical. Some 58% had shown perceptible improvement. By contrast, only 25% of those on the placebo improved. That was encouraging. But the really surprising advantage of cognitive therapy is that it seems to keep working even after the therapy sessions are over. A year after treatments ended, only 31% of those who had received it had relapsed into their former state, while 76% of those who had been given antidepressants, and then been taken off them, had done so. Even patients who stayed on antidepressants for the intervening year did not do any better than those who had taken cognitive therapy and then quit.
If Dr DeRubeis's study can be replicated (an important "if" in a soft-edged discipline such as psychotherapy), it has implications for the way clinical depression should be approached in the future. One consideration, at least in America, where the study was done, is that many medical-insurance companies that are willing to pay for antidepressant drugs nevertheless refuse to pay for psychotherapy. A successful replication of the DeRubeis study ought to change that—not least because cost-benefit analysis shows that while cognitive therapy is more expensive than drug treatment to start with (since it involves extended one-to-one sessions with a highly paid specialist), it is cheaper in the long run because prescriptions do not have to be refilled indefinitely.
Which is not to say that cognitive therapy will suit everyone with depression. According to Dr DeRubeis, it is still likely that some patients will respond better to drugs than conversation. The next breakthrough might be a way of working out in advance who fits which treatment.
韓国「サシミ、ワサビ抜き」 釜山の教授らが日本語排斥運動 「定着しててもダメ」(西日本新聞)
【ソウル19日原田正隆】竹島領有権や歴史教科書の問題をめぐり反日・嫌日感情が広がっている韓国で、水産分野の専門家が、「サシミ」など海鮮料理関連で数多く残る日本語を排斥し、韓国語に置き換える運動を始めた。
韓国センソンフェ(サシミ)協会会長も務め、地元で「サシミ博士」と呼ばれる釜慶大(釜山市)の趙永済(チヨヨンジエ)・水産学科教授は、地場焼酎メーカーの後援を受けて、日本語がよく使われる魚や料理の写真とともに、韓国語への置き換え例を紹介するポスター三千枚を作製。四月一日から、釜山市や慶尚道の海鮮料理店などに配布中だ。
置き換え例によると、「サシミ」は「センソンフェ」、「ワサビ」は「コチュネンイ」、「サワラ」は「ハクコンチ」、「アナゴ」は「プンチャンオ」、突き出しは「プヨリ(副料理)」―になる。
「サシミ」「ワサビ」「スシ」などは国際的な言葉として定着しているが、趙教授は韓国の通信社・聯合ニュースに対し「わが民族の自尊心回復のため、この地だけは、これ以上、日本語のはんらんを放置できない」と述べ、新たに二種類のポスターを作製予定という。
勝手にしたら…。キムチは「朝鮮漬」で統一かな。
各地の嫌がらせは「テロ」 中国大使館幹部(共同)
在日中国大使館の黄星原参事官は19日、都内の同大使館で記者会見し、中国で反日デモが拡大して以降、日本各地の中国関連施設に薬きょうが入った郵便物が届くなど嫌がらせとみられる事件が続いていることについて「テロ、破壊行為」だと強く批判、日本政府に「謝罪と賠償、犯罪者の処罰と事件の再発防止」を強く求めていく考えをあらためて強調した。
参事官は送られてきた脅迫状などを示しながら、大使館をはじめ関連施設の職員らが「正常な業務を妨げられ、生命の脅威にさらされている」と指摘。各施設への脅迫電話などもあるという。
日本人が怒っても当たり前ちゃう?
China's Selective Memory
By Fred Hiatt, the Washington Post
Monday, April 18, 2005; Page A17
China, a permanent member of the U.N. Security Council, has made clear that it doesn't think Japan is deserving of similar status.
You might wonder why not. After all, Japan is one of the world's largest contributors of foreign aid and most generous backers of the United Nations, a successful democracy for more than a half-century, with a powerhouse economy and a constitution that forbids aggression.
But here's the problem, Chinese Premier Wen Jiabao explained last week: "Japan needs to face up to history squarely." After another weekend of anti-Japanese protests and riots in China, China's foreign minister yesterday amplified that "the main problem now is that the Japanese government has done a series of things that have hurt the feelings of the Chinese people... especially in its treatment of history."
Truth in history is an interesting standard for great-power status. One intriguing response would be for Japan to embrace it and suggest politely that, if China wants to keep its Security Council seat, it ought to do the same.
There's no doubt, as Premier Wen implied, that some Japanese have a hard time admitting the terrible things their troops did in China, Korea and other occupied Asian countries before and during World War II. Apologies sometimes seem to be mumbled, and textbooks sometimes minimize past crimes.
Recently, for example, Japan's education ministry approved a textbook that refers to the 1937 Nanjing Massacre as an "incident" during which "many" Chinese were killed, though some estimates of civilian deaths run as high as 300,000. News of these textbooks helped spark the anti-Japanese riots in Chinese cities.
But put the issue in some perspective: Many textbooks receive ministry approval in Tokyo, and no school is forced to use any particular one. Issues of war guilt or innocence, and of proper historiography, are debated endlessly and openly in Japanese newspapers, magazines and universities. Some Japanese demonstrate against politicians who won't go to Yasukuni Shrine -- where Japan's war dead, including some who were judged war criminals, are honored -- while other Japanese demonstrate against politicians who do go.
Compare this to the situation in Premier Wen's China. There is only one acceptable version of history, at least at any given time; history often changes, but only when the Communist Party decides to change it.
For example, according to a report by Howard W. French in the New York Times last December, many textbooks don't mention that anyone died at what the outside world knows as the 1989 massacre of student demonstrators near Tiananmen Square. One 1998 text notes only that "the Central Committee took action in time and restored calm." Anyone who challenges the official fiction is subject to harsh punishment, including beatings, house arrest or imprisonment.
And if the 300,000 victims of the Nanjing Massacre are slighted in some Japanese textbooks, what of the 30 million Chinese who died in famines created by Mao Zedong's lunatic Great Leap Forward between 1958 and 1962? No mention in Chinese texts; didn't happen.
Well, you might say, how a nation treats its internal history is less relevant to its qualifications for the Security Council than whether it teaches its children honestly about its wars with other nations. A dubious proposition, but no matter; as the Times found in its review of textbooks, Chinese children do not learn of their nation's invasion of Tibet (1950) or aggression against Vietnam (1979). And they are taught that Japan was defeated in World War II by Chinese Communist guerrillas; Pearl Harbor, Iwo Jima and Midway don't figure in.
"Facing up to history squarely" isn't easy for any country. Americans don't agree on how to remember the Confederacy. Russia can't yet admit to Soviet depredations in the Baltic republics. And, yes, Japan too often sees itself purely as a victim of World War II.
But in countries that permit open debate, historical interpretations can be constantly challenged, revised, maybe brought closer to the truth. In dictatorships that use history as one more tool to maintain power, there's no such hope.
China's Communists used to find it useful to vilify Russia in their history texts. These days, for reasons of China's aspirations to lead Asia, Japan makes a more convenient villain. Next year might be America's turn. The reasons may be complex, but none of them has much to do with facing history squarely.
... [There] is nothing in the Koran that dictates that women have to be veiled – it is a cultural thing, a conservative desert Bedouin thing. (p. 359)
ホント?
"The Tiananmen Papers" (Edited by Andrew J. Nathan and Perry Link) を始める。
Deep impact
Mar 3rd 2005
From The Economist print edition
A way of switching depression off
ROB MATTE, a 38-year-old Canadian laboratory technician, suffered from severe depression for 20 years. He had tried everything: psychotherapy, anti-depressant drugs (several varieties) and a gruelling three-week course of electro-convulsive therapy. Nothing worked. Then his psychiatrist told him about an experimental operation using a technique called deep-brain stimulation (DBS) that was being conducted at Toronto Western Hospital, in Canada. In spite of the risk of brain haemorrhage, infection or seizure, Mr Matte signed the consent form. For him, the next step would have been suicide.
Mr Matte is one of six people who have been part of this pilot study into the use of DBS for treating depression. It is being carried out by Helen Mayberg, Andres Lozano and their colleagues at Toronto Western. Their results have just been published in Neuron, and though the sample is small, the outcome is astonishing. For Mr Matte and three others, the treatment worked completely. As soon as the electrodes implanted in their brains were switched on, they noticed a difference. Mr Matte describes how everything in the room became brighter. Lights and colours seemed more vivid. His depression vanished so dramatically that it left him feeling terrified—and it remained vanished, not only for the six months of the study, but also for the six months since it was completed. And none of the patients involved has experienced noticeable cognitive impairment as a result of the operation.
The study was conceived when Dr Mayberg discovered, using a brain-scanning technique called positron-emission tomography, that an area of the brain called the subgenual cingulate is overactive in patients with depression. This got her thinking. Neural overactivity is known or suspected in several other conditions, including chronic pain, dystonia, epilepsy, Tourette's syndrome, essential tremor, obsessive-compulsive disorder and Parkinson's disease. All of these illnesses may be treated with DBS. And in the case of Parkinson's disease it is known that the treatment dampens neural activity.
That is what happened in the successful cases in this experiment, too. Indeed, not only did electrical current fed into the subgenual cingulate suppress its activity, it also re-invigorated activity in the frontal cortex, the hypothalamus and the brainstem—all areas which themselves become dampened in depression.
There is a price to pay. Not only do patients have electrodes implanted in their brains, they also have a battery implanted into their chests (in the case of men) or their stomachs (in the case of women, to avoid damage to the breast tissue). But that is a small charge for resisting suicide.
According to the World Health Organisation, depression is the leading cause of disability in the world. Of the estimated 121m people who suffer from it, 15-30% have "refractory" cases like those treated by Dr Mayberg and Dr Lozano—that is, they do not respond to any treatment. If bigger studies prove this new approach to treating refractory depression works on even a fraction of that fraction, neurosurgeons could be in for a busy time.
Talk is cheap
Apr 14th 2005
From The Economist print edition
And surprisingly effective
FOR almost a century after Sigmund Freud pioneered psychoanalysis, "talk therapy" was the treatment of choice for many mental illnesses. Artists and writers lined up to lie down and be analysed, and the ideas of Freud, Jung, and other influential psychiatrists permeated the intellectual world. They also seeped into the popular consciousness, and still pop up today whenever someone talks of a subconscious desire, a Freudian slip, a death wish, or an Oedipal complex. But advances in neurology, and especially in pharmacology, have called such therapy into question. When psychological and emotional disturbances can be traced to faulty brain chemistry and corrected with a pill, the idea that sitting and talking can treat a problem such as clinical depression might seem outdated.
Robert DeRubeis of the University of Pennsylvania and his colleagues beg to differ, however. They have conducted the largest clinical trial ever designed to compare talk therapy with chemical antidepressants. The result, just published in Archives of General Psychiatry, is that talking works as well as pills do. Indeed, it works better, if you take into account the lower relapse rate.
The study looked at a relatively modern type of talk therapy, known as cognitive therapy, which tries to teach people how to change harmful thoughts and beliefs. Patients learn to recognise unrealistically negative thoughts when they occur, and are told how to replace them with more positive ones. It may sound too simplistic to work, but other studies have shown it can be used to treat anxiety, obsessive-compulsive disorder and eating disorders. Dr DeRubeis wondered just how effective it really was for depression.
In the study, 240 patients with moderate to severe depression were divided into three groups. One group was treated with cognitive therapy, a second with Paxil, an antidepressant drug, and members of the third group were given placebo pills. (Those in the second and third groups did not know whether their pills were placebos or not.) After 16 weeks of treatment, the results for those on cognitive therapy and drugs were identical. Some 58% had shown perceptible improvement. By contrast, only 25% of those on the placebo improved. That was encouraging. But the really surprising advantage of cognitive therapy is that it seems to keep working even after the therapy sessions are over. A year after treatments ended, only 31% of those who had received it had relapsed into their former state, while 76% of those who had been given antidepressants, and then been taken off them, had done so. Even patients who stayed on antidepressants for the intervening year did not do any better than those who had taken cognitive therapy and then quit.
If Dr DeRubeis's study can be replicated (an important "if" in a soft-edged discipline such as psychotherapy), it has implications for the way clinical depression should be approached in the future. One consideration, at least in America, where the study was done, is that many medical-insurance companies that are willing to pay for antidepressant drugs nevertheless refuse to pay for psychotherapy. A successful replication of the DeRubeis study ought to change that—not least because cost-benefit analysis shows that while cognitive therapy is more expensive than drug treatment to start with (since it involves extended one-to-one sessions with a highly paid specialist), it is cheaper in the long run because prescriptions do not have to be refilled indefinitely.
Which is not to say that cognitive therapy will suit everyone with depression. According to Dr DeRubeis, it is still likely that some patients will respond better to drugs than conversation. The next breakthrough might be a way of working out in advance who fits which treatment.
韓国「サシミ、ワサビ抜き」 釜山の教授らが日本語排斥運動 「定着しててもダメ」(西日本新聞)
【ソウル19日原田正隆】竹島領有権や歴史教科書の問題をめぐり反日・嫌日感情が広がっている韓国で、水産分野の専門家が、「サシミ」など海鮮料理関連で数多く残る日本語を排斥し、韓国語に置き換える運動を始めた。
韓国センソンフェ(サシミ)協会会長も務め、地元で「サシミ博士」と呼ばれる釜慶大(釜山市)の趙永済(チヨヨンジエ)・水産学科教授は、地場焼酎メーカーの後援を受けて、日本語がよく使われる魚や料理の写真とともに、韓国語への置き換え例を紹介するポスター三千枚を作製。四月一日から、釜山市や慶尚道の海鮮料理店などに配布中だ。
置き換え例によると、「サシミ」は「センソンフェ」、「ワサビ」は「コチュネンイ」、「サワラ」は「ハクコンチ」、「アナゴ」は「プンチャンオ」、突き出しは「プヨリ(副料理)」―になる。
「サシミ」「ワサビ」「スシ」などは国際的な言葉として定着しているが、趙教授は韓国の通信社・聯合ニュースに対し「わが民族の自尊心回復のため、この地だけは、これ以上、日本語のはんらんを放置できない」と述べ、新たに二種類のポスターを作製予定という。
勝手にしたら…。キムチは「朝鮮漬」で統一かな。
各地の嫌がらせは「テロ」 中国大使館幹部(共同)
在日中国大使館の黄星原参事官は19日、都内の同大使館で記者会見し、中国で反日デモが拡大して以降、日本各地の中国関連施設に薬きょうが入った郵便物が届くなど嫌がらせとみられる事件が続いていることについて「テロ、破壊行為」だと強く批判、日本政府に「謝罪と賠償、犯罪者の処罰と事件の再発防止」を強く求めていく考えをあらためて強調した。
参事官は送られてきた脅迫状などを示しながら、大使館をはじめ関連施設の職員らが「正常な業務を妨げられ、生命の脅威にさらされている」と指摘。各施設への脅迫電話などもあるという。
日本人が怒っても当たり前ちゃう?
China's Selective Memory
By Fred Hiatt, the Washington Post
Monday, April 18, 2005; Page A17
China, a permanent member of the U.N. Security Council, has made clear that it doesn't think Japan is deserving of similar status.
You might wonder why not. After all, Japan is one of the world's largest contributors of foreign aid and most generous backers of the United Nations, a successful democracy for more than a half-century, with a powerhouse economy and a constitution that forbids aggression.
But here's the problem, Chinese Premier Wen Jiabao explained last week: "Japan needs to face up to history squarely." After another weekend of anti-Japanese protests and riots in China, China's foreign minister yesterday amplified that "the main problem now is that the Japanese government has done a series of things that have hurt the feelings of the Chinese people... especially in its treatment of history."
Truth in history is an interesting standard for great-power status. One intriguing response would be for Japan to embrace it and suggest politely that, if China wants to keep its Security Council seat, it ought to do the same.
There's no doubt, as Premier Wen implied, that some Japanese have a hard time admitting the terrible things their troops did in China, Korea and other occupied Asian countries before and during World War II. Apologies sometimes seem to be mumbled, and textbooks sometimes minimize past crimes.
Recently, for example, Japan's education ministry approved a textbook that refers to the 1937 Nanjing Massacre as an "incident" during which "many" Chinese were killed, though some estimates of civilian deaths run as high as 300,000. News of these textbooks helped spark the anti-Japanese riots in Chinese cities.
But put the issue in some perspective: Many textbooks receive ministry approval in Tokyo, and no school is forced to use any particular one. Issues of war guilt or innocence, and of proper historiography, are debated endlessly and openly in Japanese newspapers, magazines and universities. Some Japanese demonstrate against politicians who won't go to Yasukuni Shrine -- where Japan's war dead, including some who were judged war criminals, are honored -- while other Japanese demonstrate against politicians who do go.
Compare this to the situation in Premier Wen's China. There is only one acceptable version of history, at least at any given time; history often changes, but only when the Communist Party decides to change it.
For example, according to a report by Howard W. French in the New York Times last December, many textbooks don't mention that anyone died at what the outside world knows as the 1989 massacre of student demonstrators near Tiananmen Square. One 1998 text notes only that "the Central Committee took action in time and restored calm." Anyone who challenges the official fiction is subject to harsh punishment, including beatings, house arrest or imprisonment.
And if the 300,000 victims of the Nanjing Massacre are slighted in some Japanese textbooks, what of the 30 million Chinese who died in famines created by Mao Zedong's lunatic Great Leap Forward between 1958 and 1962? No mention in Chinese texts; didn't happen.
Well, you might say, how a nation treats its internal history is less relevant to its qualifications for the Security Council than whether it teaches its children honestly about its wars with other nations. A dubious proposition, but no matter; as the Times found in its review of textbooks, Chinese children do not learn of their nation's invasion of Tibet (1950) or aggression against Vietnam (1979). And they are taught that Japan was defeated in World War II by Chinese Communist guerrillas; Pearl Harbor, Iwo Jima and Midway don't figure in.
"Facing up to history squarely" isn't easy for any country. Americans don't agree on how to remember the Confederacy. Russia can't yet admit to Soviet depredations in the Baltic republics. And, yes, Japan too often sees itself purely as a victim of World War II.
But in countries that permit open debate, historical interpretations can be constantly challenged, revised, maybe brought closer to the truth. In dictatorships that use history as one more tool to maintain power, there's no such hope.
China's Communists used to find it useful to vilify Russia in their history texts. These days, for reasons of China's aspirations to lead Asia, Japan makes a more convenient villain. Next year might be America's turn. The reasons may be complex, but none of them has much to do with facing history squarely.
Monday, April 18, 2005
Now Efexor
症状は改善しているが、効果の強いはずのLexapro (10 mg) は期待すべきほどではなく、薬が変わった。Lexaproに変わってEfexor (Effexor)、Epilim がなくなってAtivan は残った。
Venlafaxine is a structurally novel Serotonin-Norepinephrine Reuptake Inhibitor which is chemically unrelated to other anti-depressants.
Variants include Effexor, Effexor XR, Efexor, Efexor XL.
Venlafaxine is widely prescribed to treat depression, generalized anxiety disorder, and social anxiety disorder (social phobia). The United States FDA has not approved Venlafaxine for paediatric use.
The product insert for Effexor suggests that "Although Venlafaxine has not been shown to increase the impairment of mental and motor skills caused by alcohol, patients should be advised to avoid alcohol while taking Venlafaxine".
Venlafaxine is a structurally novel Serotonin-Norepinephrine Reuptake Inhibitor which is chemically unrelated to other anti-depressants.
Variants include Effexor, Effexor XR, Efexor, Efexor XL.
Venlafaxine is widely prescribed to treat depression, generalized anxiety disorder, and social anxiety disorder (social phobia). The United States FDA has not approved Venlafaxine for paediatric use.
The product insert for Effexor suggests that "Although Venlafaxine has not been shown to increase the impairment of mental and motor skills caused by alcohol, patients should be advised to avoid alcohol while taking Venlafaxine".
Sunday, April 17, 2005
You Are Breaking Our Agreement
Uttered only four words today: ice latte, thank you.
当たり前だろうが、金曜日から気分がよくない。これからどう対応していくのがいいのか考え込む。「言った」「言わない」の争いにならないように望むが、3月21日時点での契約解除通知文書の内容変更に関する合意がすでに破られようとしており、そうなる危険がある。
A級戦犯っていうけど、昭和28年の国会決議で名誉回復が行われていて、日本の国内法ではAだろうが、Bだろうが、Cだろうが、戦犯なんて存在しないんだな。
「山口さんちのツトム君」(76年)って歌があったけど、ツトム君、どうして友達に会いたくなかったんだろう?明日の朝、カウンセリング。
「オペラ」にしてから、ウェブは引っかからない。Hotmailのチェックがちょっと厄介なだけで問題ない。
当たり前だろうが、金曜日から気分がよくない。これからどう対応していくのがいいのか考え込む。「言った」「言わない」の争いにならないように望むが、3月21日時点での契約解除通知文書の内容変更に関する合意がすでに破られようとしており、そうなる危険がある。
A級戦犯っていうけど、昭和28年の国会決議で名誉回復が行われていて、日本の国内法ではAだろうが、Bだろうが、Cだろうが、戦犯なんて存在しないんだな。
「山口さんちのツトム君」(76年)って歌があったけど、ツトム君、どうして友達に会いたくなかったんだろう?明日の朝、カウンセリング。
「オペラ」にしてから、ウェブは引っかからない。Hotmailのチェックがちょっと厄介なだけで問題ない。
Leave Me Alone but Stay with Me
Leave me alone.
But don't forget to stay with me.
Don't call me.
But please remember to call me.
But don't forget to stay with me.
Don't call me.
But please remember to call me.
Saturday, April 16, 2005
"Mental Health Disfunction"
けさ、LKYが殺される夢を見た。
メンタルヘルス不全:うつ病など社員の「心の病」、過去3年間で増加--労務研調査(毎日新聞16日夕刊)
◇回答企業の半数も
財団法人・労務行政研究所(猪股靖理事長)が主に上場企業を対象に実施した調査で、この3年間にうつ病やノイローゼ、心身症などの「メンタルヘルス不全」を訴える社員が増加していると回答した企業が、過半数に達した。従業員1000人以上の企業では7割に達し、過労やいじめなどのストレスで心を病むケースが広がっていることが裏付けられた。
調査は上場・店頭公開企業と未上場企業の計3952社を対象とし、276社から回答を得た。メンタルヘルス対策は、4割強の企業が「カウンセリング」や「電話やメールによる相談受け付け」を実施していたが、5割強の企業は「対策が課題になっている」と回答し、長時間・過重労働への取り組みや心の健康管理の難しさなどを挙げる企業が多かった。
メンタルヘルス不全者が最近3年間で増えたと答えたのは52%で、従業員1000人以上では70%、300~999人54%、300人未満17%だった。特に増加が目立つ世代は30代(40%)で、20代(28%)、40代(19%)の順だった。メンタルヘルス不全で1カ月以上休職している社員がいると答えた企業は約半数で、20人以上と答えた企業が4・3%あった。
厚生労働省は過労死・自殺対策として、1カ月の時間外労働が100時間超の社員から申し出があった場合、企業に医師による面接指導を義務付けるよう労働安全衛生法改正案を今国会に提出している。同省は医師の面接時にメンタルヘルス面もチェックするよう求めている。【大石雅康】
メンタルヘルス不全:うつ病など社員の「心の病」、過去3年間で増加--労務研調査(毎日新聞16日夕刊)
◇回答企業の半数も
財団法人・労務行政研究所(猪股靖理事長)が主に上場企業を対象に実施した調査で、この3年間にうつ病やノイローゼ、心身症などの「メンタルヘルス不全」を訴える社員が増加していると回答した企業が、過半数に達した。従業員1000人以上の企業では7割に達し、過労やいじめなどのストレスで心を病むケースが広がっていることが裏付けられた。
調査は上場・店頭公開企業と未上場企業の計3952社を対象とし、276社から回答を得た。メンタルヘルス対策は、4割強の企業が「カウンセリング」や「電話やメールによる相談受け付け」を実施していたが、5割強の企業は「対策が課題になっている」と回答し、長時間・過重労働への取り組みや心の健康管理の難しさなどを挙げる企業が多かった。
メンタルヘルス不全者が最近3年間で増えたと答えたのは52%で、従業員1000人以上では70%、300~999人54%、300人未満17%だった。特に増加が目立つ世代は30代(40%)で、20代(28%)、40代(19%)の順だった。メンタルヘルス不全で1カ月以上休職している社員がいると答えた企業は約半数で、20人以上と答えた企業が4・3%あった。
厚生労働省は過労死・自殺対策として、1カ月の時間外労働が100時間超の社員から申し出があった場合、企業に医師による面接指導を義務付けるよう労働安全衛生法改正案を今国会に提出している。同省は医師の面接時にメンタルヘルス面もチェックするよう求めている。【大石雅康】
Friday, April 15, 2005
Fuck off, Man
I had a third meeting with him this afternoon. He changed his tack now not acknowledging the necessity to amend the contract termination notice. It is absolutely contrary to what he said in our first meeting of March 21: he then agreed to my request to change it. His reason for refusing to do so is that the notice is for in-house record keeping and is only between the company and me, and the company has no intention to use it for any purpose. I should not accept his argument if there is even a very slim chance for the company, or any individual, to disclose it, with or without dishonorable intent. It is obvious a mere verbal assurance must not be enough. Why is the company so adamant to refuse my request? What is the real reason behind it?
The company, he says, is ready to write recommendation letters for my future employment. And he also says that it demonstrates its good intention. But the wording of the notice and writing recommendation letters are completely different issues that should not be mixed up.
The reason he cited for the contract termination is his belief that I would not be able to come back to work (in the office or at home, despite my clearly expressed intent to keep working) and, without somebody who would take over my tasks, the company operation would not be sustained. (Up until now, it hasn’t hired anyone in my place.) He decided to terminate the employment contract with me also because he judged his allowing me to work at home would be a bad precedent other employees might want to follow. I said the operational sustainability was the company’s problem, not mine. His “counterargument” is that getting sick is “your personal problem, not the company’s.” So does it mean the company does not care about an employee, should he or she require a long-term recuperation from an illness or an accident? Does it have a right to fire the person unilaterally without notice?
The termination notice does not mention anything about working at the office or home. What the notice says about the reason of termination is my absence from work “without the Company’s authorization and without any reasonable excuse or cause,” and my “unsound mind.” Having notified it of what had happened to me without delay, it is quite reasonable to think that I did have the Company’s authorization.
The discrepancies in the reasons of termination cited by him and the notice are one more reason that I should demand amendments of the notice. And how long does it take anyone to change it? Five minutes?
I also believe that the failure on the part of the company to notify me about the contract termination in advance entitles me to an extra one-month salary because the notice says, "with immediate effect" and its failure to initiate any talks with me before sending me the notice by e-mail. It seems that the company thinks it is following the employment contract. He says, only recently did I start talking about this extra pay. By saying so, he implies, the company have no obligation to pay me extra. This is not true. E-mal messages in which I pointed out the part of the employment contract that provides for a one-month extra pay are a summery of what we discussed at our meeting of March 21. At the meeting, I also mentioned that there are only two procedures for the company to terminate its employment contract with an employee: give the person a one-month notice or, without thereof, paying a one-month salary.
We have been talking about the employment contract and official documents here. Who is this company director that seems pretending not to know what’s written in the employment contract? My impression is that he tries to be legalistic in one place and emphasize "common" (is it really so common?) business practices, legal or illegal, telling me to believe his verbal words and at the same time asking me to sign documents.
What did he say about all the work I did at home while sick? His view is that it is a "common practice" for employees to bring work home without demanding pay. It is surely more understanding and noble if an employee says he or she will not demand any pay for the work he or she does at home, showing deep commitment and goodwill toward work. When a company says it is a common practice making no employee eligible even to a word of appreciation. It says a lot about this kind of company.
I didn’t sign any document today. Of course, I didn’t sign the one that says by signing it all matters will be considered "settled and resolved." I’m not that stupid. I simply couldn’t sign such a document with big issues still outstanding.
Moreover, the February salary has nothing to do with the issue because the termination document is dated March 7. In February, I WAS an employee: as I believe, it must have been paid within one week of the payment day, which was the last day of month.
I even feel sorry for that man who called me "kimi" today and showed it to me to sign, perhaps not fully understanding what sentences the payment document contains... But let me tell you something, I AM FURIOUS. Yo, man, pay me up and fuck off.
けさ、コンタクトレンズが50セント硬貨を超える大きさになって、はめられずに困ってる夢を(また)見た。
The company, he says, is ready to write recommendation letters for my future employment. And he also says that it demonstrates its good intention. But the wording of the notice and writing recommendation letters are completely different issues that should not be mixed up.
The reason he cited for the contract termination is his belief that I would not be able to come back to work (in the office or at home, despite my clearly expressed intent to keep working) and, without somebody who would take over my tasks, the company operation would not be sustained. (Up until now, it hasn’t hired anyone in my place.) He decided to terminate the employment contract with me also because he judged his allowing me to work at home would be a bad precedent other employees might want to follow. I said the operational sustainability was the company’s problem, not mine. His “counterargument” is that getting sick is “your personal problem, not the company’s.” So does it mean the company does not care about an employee, should he or she require a long-term recuperation from an illness or an accident? Does it have a right to fire the person unilaterally without notice?
The termination notice does not mention anything about working at the office or home. What the notice says about the reason of termination is my absence from work “without the Company’s authorization and without any reasonable excuse or cause,” and my “unsound mind.” Having notified it of what had happened to me without delay, it is quite reasonable to think that I did have the Company’s authorization.
The discrepancies in the reasons of termination cited by him and the notice are one more reason that I should demand amendments of the notice. And how long does it take anyone to change it? Five minutes?
I also believe that the failure on the part of the company to notify me about the contract termination in advance entitles me to an extra one-month salary because the notice says, "with immediate effect" and its failure to initiate any talks with me before sending me the notice by e-mail. It seems that the company thinks it is following the employment contract. He says, only recently did I start talking about this extra pay. By saying so, he implies, the company have no obligation to pay me extra. This is not true. E-mal messages in which I pointed out the part of the employment contract that provides for a one-month extra pay are a summery of what we discussed at our meeting of March 21. At the meeting, I also mentioned that there are only two procedures for the company to terminate its employment contract with an employee: give the person a one-month notice or, without thereof, paying a one-month salary.
We have been talking about the employment contract and official documents here. Who is this company director that seems pretending not to know what’s written in the employment contract? My impression is that he tries to be legalistic in one place and emphasize "common" (is it really so common?) business practices, legal or illegal, telling me to believe his verbal words and at the same time asking me to sign documents.
What did he say about all the work I did at home while sick? His view is that it is a "common practice" for employees to bring work home without demanding pay. It is surely more understanding and noble if an employee says he or she will not demand any pay for the work he or she does at home, showing deep commitment and goodwill toward work. When a company says it is a common practice making no employee eligible even to a word of appreciation. It says a lot about this kind of company.
I didn’t sign any document today. Of course, I didn’t sign the one that says by signing it all matters will be considered "settled and resolved." I’m not that stupid. I simply couldn’t sign such a document with big issues still outstanding.
Moreover, the February salary has nothing to do with the issue because the termination document is dated March 7. In February, I WAS an employee: as I believe, it must have been paid within one week of the payment day, which was the last day of month.
I even feel sorry for that man who called me "kimi" today and showed it to me to sign, perhaps not fully understanding what sentences the payment document contains... But let me tell you something, I AM FURIOUS. Yo, man, pay me up and fuck off.
けさ、コンタクトレンズが50セント硬貨を超える大きさになって、はめられずに困ってる夢を(また)見た。
Some People Enjoy Beating Japanese
「オペラ」で遊んでたら、こんな時間になってしまった。
「日本人は死ね」と中国人が暴行(共同)
北京で大規模デモが起きた9日に上海市で日本人留学生が殴られた事件で、被害を受けた留学生(22=滋賀県草津市)らが14日、共同通信社の取材に応じ、容疑者の中国人が「日本人は死ね」などと、反日感情をあらわにしてビール瓶やいすで何度も殴りつけたと証言した。さらに事件を処理した複数の警官まで「小日本(日本人の蔑称(べっしょう))」などと、留学生をののしる嫌がらせをしたという。
留学生らによると、公安当局は事情聴取の際、「殴ったのが1人なら簡単だ。2人なら中国と日本の関係に影響する」と事実を曲げて証言するよう迫った。公安当局は、中国人女性をめぐる留学生と容疑者の三角関係のトラブルとして事件を処理していた。
取材に応じたのは、留学生のほか、事件が起きたバーの女性店員ら。
証言によると、9日夜、容疑者の男ら中国人6人がバーで、日本の国連安全保障理事会常任理事国入りの問題や日中戦争を話題にしながら「日本人を次に見たら、殴ってやる」などと話していた。そこへ、日本人、韓国人、イタリア人の留学生10人が入り、容疑者らが「日本人か韓国人か」と聞き、留学生が「日本人だ」と答えると、いきなり、ビール瓶やジョッキで何度も頭部を殴った。
生命の危険を感じた留学生が店の外へ出た後も、いすを持ち出すなどして暴行。留学生の友人の通報で、警察が駆け付けるまで暴行は続いた。
警官らは現場に残っていた容疑者を直ちに拘束しなかった。また、その後、留学生らを事情聴取して病院に運ぶ際も、ののしるだけでなく、車のスピードを意図的に速めたり遅くしたりして、ニヤニヤ笑いかけるなどし嫌がらせを続けたという。
「恋愛トラブル」か「日本人は死ね」かどっちなんだ?
「日本人は死ね」と中国人が暴行(共同)
北京で大規模デモが起きた9日に上海市で日本人留学生が殴られた事件で、被害を受けた留学生(22=滋賀県草津市)らが14日、共同通信社の取材に応じ、容疑者の中国人が「日本人は死ね」などと、反日感情をあらわにしてビール瓶やいすで何度も殴りつけたと証言した。さらに事件を処理した複数の警官まで「小日本(日本人の蔑称(べっしょう))」などと、留学生をののしる嫌がらせをしたという。
留学生らによると、公安当局は事情聴取の際、「殴ったのが1人なら簡単だ。2人なら中国と日本の関係に影響する」と事実を曲げて証言するよう迫った。公安当局は、中国人女性をめぐる留学生と容疑者の三角関係のトラブルとして事件を処理していた。
取材に応じたのは、留学生のほか、事件が起きたバーの女性店員ら。
証言によると、9日夜、容疑者の男ら中国人6人がバーで、日本の国連安全保障理事会常任理事国入りの問題や日中戦争を話題にしながら「日本人を次に見たら、殴ってやる」などと話していた。そこへ、日本人、韓国人、イタリア人の留学生10人が入り、容疑者らが「日本人か韓国人か」と聞き、留学生が「日本人だ」と答えると、いきなり、ビール瓶やジョッキで何度も頭部を殴った。
生命の危険を感じた留学生が店の外へ出た後も、いすを持ち出すなどして暴行。留学生の友人の通報で、警察が駆け付けるまで暴行は続いた。
警官らは現場に残っていた容疑者を直ちに拘束しなかった。また、その後、留学生らを事情聴取して病院に運ぶ際も、ののしるだけでなく、車のスピードを意図的に速めたり遅くしたりして、ニヤニヤ笑いかけるなどし嫌がらせを続けたという。
「恋愛トラブル」か「日本人は死ね」かどっちなんだ?
Thursday, April 14, 2005
Don Blasingame and Akio Fukushi (Matsubara) Die
会社からは今日になってメールあり。常時メールをチェックしているわけではないので、電話かSMSで連絡してほしいと言ってるのに。5時半までCBで待ったが来なかった。
"An Unequal Mind"を終わり、Thomas L. Friedmanの"Longitudes and Attitudes"を始めた。"AUQ"のAcknowledgmentsにはSafireの名前もあった。
On manic depression: ... an understanding at an abstract level does not necessarily translate into an understanding at a day-to-day level. I have become fundamentally and deeply skeptical that anyone who does not have this illness can truly understand it. And, ultimately, it is probably unreasonable to expect the kind of acceptance of it that one so desperately desires. It is not an illness that lends itself to easy empathy. (An Unequal Mind, pp. 174-175)
Even in my blackest depressions, I never regretted having been born. It is true that I had wanted to die, but that is peculiarly different from regretting having been born. (ibid. pp. 191-192)
Suddenly, he [the chairman of Psychiatry Department] reached across the table, put his hand on mine, and smiled, "Kay, dear," he said, "I know you have manic-depressive illness." He paused, and then laughed. "If we got rid of all of the manic-depressives on the medical school faculty, not only would we have a much smaller faculty, it would also be a far more boring one." (ibid. p. 209)
I long ago abandoned the notion of a life without storms, or a world without dry and killing seasons. Life is too complicated, too constantly changing, to be anything but what it is. And I am, by nature, too mercurial to be anything but deeply wary of the grave unnaturalness involved in any attempt to exert too much control over essentially uncontrollable forces. (ibid. p. 215)
Others imply that they know what it is like to be depressed because they have gone through a divorce, lost a job, or broken up with someone. But these experiences carry with them feelings. Depression, instead, is flat, hollow, and unendurable. It is also tiresome. People cannot abide being around with you when you are depressed. They might think that they ought to, and they might even try, but you know and they know that you are tedious beyond belief: you're irritable and paranoid and humorless and lifeless and critical and demanding and no reassurance is ever enough. You're frightened, and you’re frightening, and you're "not at all like yourself but will be soon," but you know you won't. (ibid. pp. 217-218)
Qちゃんとは、おととい、昨日と続けてケンカ。おとといはビザがいよいよ切られることを知って「心配だ、心配だ」と言う。この本人がいちばん心配しているんだけど。そんなに心配なら何とかしてくれ。昨日は、こっちが「その(怒ったような、非難するような)顔は何だ」ときつく言って、食事のあとプイっと家を出てしまった。気分がイライラ、ピリピリしているのだろうか?今日は「大人げある」一日だった。
兄からの電話を受けた。おそらく数日前からかけてくれていたのだろうけど、「電話への恐怖」で応えられなかった。
ドン・ブレイザー氏が死去 元阪神、南海監督 (共同)
プロ野球の阪神球団に入った連絡によると、阪神、南海(現ソフトバンク)で監督を務めたドン・ブレイザー氏が13日に米アリゾナ州の自宅で死去したことが14日、分かった。73歳だった。死因は心臓まひとみられる。
ブレイザー氏は内野手の現役時代、米大リーグのカージナルスなどで12年間活躍した後、1967年に南海に入団。3年間で366試合に出場した。79年から80年にかけて阪神監督を務め、81年から2年間は南海を率いた。監督としては通算180勝208敗28分け。
ドン・ブレイザー氏=元プロ野球阪神・南海監督(読売新聞)
プロ野球・南海でプレーし、阪神の監督など指導者としても活躍したドン・ブレイザー氏が13日、前立腺がんのため、米アリゾナ州ファンテンヒルの自宅で死去した。73歳。
名二塁手として1955年からカージナルス、レッズなどで12年間活躍した後、67年に南海に入団。70年にはヘッドコーチに就任した。
78年秋、阪神監督に就任。主力の田淵幸一を西武へ放出して話題となった。81、82年には南海に復帰、監督を務めた。帰国後は米マイナー球団でコーチなどを務めた。大リーグでは1444試合に出場し、通算2割5分8厘、南海では366試合で2割7分4厘の成績を残した。
ブレイザー死去:
「頭脳野球への貢献者」と野村監督(毎日新聞)
プロ野球の南海(現ソフトバンク)でプレーし、阪神、南海の監督を務めたドン・ブレイザーさんが13日、米国・アリゾナ州の自宅で死去した。73歳。死因は心臓まひだった。
大リーグのカージナルスなどで二塁手として活躍。67年、南海に入団。3年間在籍し、すべてオールスターに出場、67、68年にはベストナインに選ばれた。日本での通算成績は366試合に出場し、打率2割7分4厘、15本塁打、86打点。
現役引退後は、「シンキング・ベースボール」を提唱し、南海のコーチを経て79年~80年5月まで阪神の監督を務め、看板の田淵幸一選手を西武に放出するなど話題を呼んだ。81、82年には南海でも指揮した。監督としては79年阪神の4位が最高で、通算では180勝208敗28分けだった。
◇彼こそ「炎の人」「シンキング・ベースボール」
日本に「シンキング・ベースボール(考える野球)」を浸透させたドン・ブレイザーさんが、逝った。
南海入団(1967年)前の58年、米大リーグ・カージナルスの一員として来日、二塁手として日米野球に出場した。当時、南海の二塁手で全日本メンバーに選ばれていた岡本伊三美さんが振り返る。「二塁ベース上からセンターへ抜けようとしていたゴロを逆シングルで捕球。一塁走者がいたので素早くベースカバーの遊撃手に送球し、併殺を成立させたんです。すごいプレーができる選手だな、と驚いたことをよく覚えています」
体はそれほど大きくなかった。岡本さんは「こんな小柄な選手が、どうして大リーグで活躍できるのだろうと思った」と言うが、“ハンディ”をカバーしたのが「考える野球」だった。相手の考えを見抜き、対応策を考え出して実行する。セーフティーバントも絶妙。ラインのギリギリにボールを転がした。
現役を退いてからは70年、南海・野村監督(選手兼任)誕生と同時に作戦参謀としてコーチに就任。8年にわたって監督を支え、データを重視する「野村ID野球」の礎を築いた。
グラウンドでは「炎の人」も、ユニホームを脱げば「静かな人」。ブレイザーさんが南海コーチの時から親交がある市原實さん(現巨人アドバイザー)は「南海、阪神で通訳、コーチとして一緒に仕事をしましたが、細かい気配りをする人で、すごく働きやすかった」と言う。一社会人としても、頭を使い続けた人であった。【江尻進一】
▽シダックス・野村克也監督 (南海監督時代にコーチとして招へい)今でこそ野球界の常識になったが、彼が「シンキング・ベースボール」の元祖。南海で僕がプレーイング・マネジャー(選手兼監督)になった際、それまでの精神野球から頭脳野球への転換を果たすうえで貢献してくれた功労者です。いいヒントやアドバイスをもらい、随分と勉強させてもらった。彼とは名コンビだったと思う。
▽プロ野球解説者の掛布雅之さん 79年に私が初めて本塁打王(48本)を取った時の監督。「シンキングベースボール」と聞いていたが、基本の反復練習を大切にしたのが印象深い。チームがいかに戦いやすくなるかを常に考えてくれた監督でした。
▽阪神・岡田彰布監督 ゲッツーの基本動作などを教えてもらった。まず基本重視で、大胆なプレーより、一つ一つを大切にしろ、という感じだった。
▽阪神・島野育夫総合コーチ バックアップや全力疾走など基本を大切にする人だった。まだユニホームを着てがんばっていると、人づてに聞いていたのだが……。
Former MLB player and Hanshin Tigers manager Blasingame dies at his U.S. home
April 14, 2005
TOKYO (AP) -- Former major leaguer Don Blasingame, who managed two of Japan's professional baseball teams, has died of heart failure in Arizona, a Japanese club official said Thursday. He was 73.
Blasingame died Wednesday at his home in Fountain Hills, said Hanshin Tigers spokesman Toru Miyake, quoting Blasingame's son, Kent, who notified the club of the death by phone.
Blasingame, an infielder, played 12 years in the major leagues beginning in 1955 with the St. Louis Cardinals. He also was with the San Francisco Giants, Cincinnati Reds, Washington Senators and Kansas City Athletics.
He joined Japan's now defunct Nankai Hawks in 1967, playing as a second baseman for three years until 1969, when he joined the team's coaching staff. He stayed there through 1977.
Blasingame then moved to the Hiroshima Carp for a one-year stint as manager in 1978.
In 1979 and 1980, Blasingame led the Hanshin Tigers, a popular club based in Nishinomiya in western Japan as manager. Blasingame then returned to the Carp from 1981 to 1982.
As manager for the two teams, he had a record of 180-208-28. Ties are played in Japanese baseball.
(78年は広島カープのヘッドコーチ。また81~82年はカープではなく、南海ホークス監督)
福士敬章氏が死去-元巨人、南海、広島投手 (産経新聞)
プロ野球の巨人、南海、広島で投手をした福士敬章(ふくし・ひろあき)氏が13日夕、和歌山県みなべ町のマージャン店内で死亡しているのを訪ねてきた知人が見つけ、田辺署に届けた。病死とみられる。54歳。鳥取県出身。葬儀・告別式、喪主は未定。
鳥取西高から1969年にドラフト外で巨人に入団。4年間勝ち星がないまま73年に南海へ移籍し、主力投手として活躍。77年には広島に移り、2度15勝をマークするなど6年間で58勝を挙げて広島のリーグ制覇に貢献した。
83年に渡韓し、いきなり30勝をマークして最多勝を獲得した。
日本での通算成績は339試合、91勝84敗9セーブ、防御率3・68。韓国の通算成績は54勝79敗。78年まで松原明夫、79年は福士明夫の名前でプレーした。
福士明夫氏=プロ野球・元広島投手(読売新聞)
プロ野球・元広島投手の福士明夫さん(54)が13日夕、和歌山県みなべ町芝のマージャン店内のソファで死んでいるのを、訪ねてきた知人が見つけ、田辺署に届けた。同署は病死とみている。約1年前から同店の店長だったという。
鳥取県出身。1969年に鳥取西高からドラフト外で巨人に入団し、73年に南海で初勝利。77年に移った広島で2度、15勝をマーク。83年には韓国で30勝を挙げ、最多勝を獲得。日本での通算成績は91勝84敗9セーブ。78年までは松原明夫の名前でプレーした。
元プロ野球投手・福士敬章氏死去(スポーツニッポン)
日本と韓国のプロ野球で投手として活躍した福士敬章(ふくし・ひろあき、本名明夫=あきお)氏が13日夕、勤務していた和歌山県みなべ町のマージャン店内で死亡しているのを知人が見つけ、田辺署に届けた。病死とみられる。54歳。鳥取県出身。葬儀・告別式は15日正午から近親者のみで行う。喪主は長男裕健(ひろたけ)氏。
鳥取西高から1969年にドラフト外で巨人に入団し、73年に南海へ移籍。77年には広島に移り、15勝を2度マークするなど6年間で58勝を挙げ、79、80年の日本一に貢献。83年には韓国プロ球団の三美に入団し、30勝を挙げて最多勝を獲得した。
日本での通算成績は339試合、91勝84敗9セーブ、防御率3.68。韓国の通算成績は54勝79敗。78年まで松原明夫、79年は福士明夫の名前でプレーした。
どういうことだ!!
ところで市原稔(實)って読売アドバイザーなんだ…。
日本人留学生殴打「原因は恋愛トラブル」上海(共同)
中国上海市で日本人留学生3人が9日夜に中国人に殴打されるなどして負傷した事件で、留学生の通う華東師範大学の教員が13日、他の日本人留学生らを集め、原因は反日感情によるものではなく、恋愛トラブルだったと説明した。大学関係者が明らかにした。
上海の日本総領事館は、留学生らへの聴取結果から、日本人であることを理由に中国人が留学生を殴ったと10日発表しており、大学側の説明の真偽は不明。上海のイメージ悪化を防ぎたい当局の意向を反映した解釈の可能性もある。
説明によると、事件が起きたのは大学近くのバーで、同店の女性店員をめぐり、男性店員と日本人留学生の間でトラブルとなり、事件に発展したという。大学教員は、日本人留学生らに「日中関係に関するトラブルではないので、心配しないように」と呼び掛けた。
総領事館は、加害者は中国人客で、「日本人か、韓国人か」と聞かれた留学生が「日本人だ」と答えたところ、ビールジョッキなどで頭部を殴打されたと発表していた。
ウェブサーフののろさにアタマにきて、ブラウザーを"Opera"に変えた。スイスイ。
"An Unequal Mind"を終わり、Thomas L. Friedmanの"Longitudes and Attitudes"を始めた。"AUQ"のAcknowledgmentsにはSafireの名前もあった。
On manic depression: ... an understanding at an abstract level does not necessarily translate into an understanding at a day-to-day level. I have become fundamentally and deeply skeptical that anyone who does not have this illness can truly understand it. And, ultimately, it is probably unreasonable to expect the kind of acceptance of it that one so desperately desires. It is not an illness that lends itself to easy empathy. (An Unequal Mind, pp. 174-175)
Even in my blackest depressions, I never regretted having been born. It is true that I had wanted to die, but that is peculiarly different from regretting having been born. (ibid. pp. 191-192)
Suddenly, he [the chairman of Psychiatry Department] reached across the table, put his hand on mine, and smiled, "Kay, dear," he said, "I know you have manic-depressive illness." He paused, and then laughed. "If we got rid of all of the manic-depressives on the medical school faculty, not only would we have a much smaller faculty, it would also be a far more boring one." (ibid. p. 209)
I long ago abandoned the notion of a life without storms, or a world without dry and killing seasons. Life is too complicated, too constantly changing, to be anything but what it is. And I am, by nature, too mercurial to be anything but deeply wary of the grave unnaturalness involved in any attempt to exert too much control over essentially uncontrollable forces. (ibid. p. 215)
Others imply that they know what it is like to be depressed because they have gone through a divorce, lost a job, or broken up with someone. But these experiences carry with them feelings. Depression, instead, is flat, hollow, and unendurable. It is also tiresome. People cannot abide being around with you when you are depressed. They might think that they ought to, and they might even try, but you know and they know that you are tedious beyond belief: you're irritable and paranoid and humorless and lifeless and critical and demanding and no reassurance is ever enough. You're frightened, and you’re frightening, and you're "not at all like yourself but will be soon," but you know you won't. (ibid. pp. 217-218)
Qちゃんとは、おととい、昨日と続けてケンカ。おとといはビザがいよいよ切られることを知って「心配だ、心配だ」と言う。この本人がいちばん心配しているんだけど。そんなに心配なら何とかしてくれ。昨日は、こっちが「その(怒ったような、非難するような)顔は何だ」ときつく言って、食事のあとプイっと家を出てしまった。気分がイライラ、ピリピリしているのだろうか?今日は「大人げある」一日だった。
兄からの電話を受けた。おそらく数日前からかけてくれていたのだろうけど、「電話への恐怖」で応えられなかった。
ドン・ブレイザー氏が死去 元阪神、南海監督 (共同)
プロ野球の阪神球団に入った連絡によると、阪神、南海(現ソフトバンク)で監督を務めたドン・ブレイザー氏が13日に米アリゾナ州の自宅で死去したことが14日、分かった。73歳だった。死因は心臓まひとみられる。
ブレイザー氏は内野手の現役時代、米大リーグのカージナルスなどで12年間活躍した後、1967年に南海に入団。3年間で366試合に出場した。79年から80年にかけて阪神監督を務め、81年から2年間は南海を率いた。監督としては通算180勝208敗28分け。
ドン・ブレイザー氏=元プロ野球阪神・南海監督(読売新聞)
プロ野球・南海でプレーし、阪神の監督など指導者としても活躍したドン・ブレイザー氏が13日、前立腺がんのため、米アリゾナ州ファンテンヒルの自宅で死去した。73歳。
名二塁手として1955年からカージナルス、レッズなどで12年間活躍した後、67年に南海に入団。70年にはヘッドコーチに就任した。
78年秋、阪神監督に就任。主力の田淵幸一を西武へ放出して話題となった。81、82年には南海に復帰、監督を務めた。帰国後は米マイナー球団でコーチなどを務めた。大リーグでは1444試合に出場し、通算2割5分8厘、南海では366試合で2割7分4厘の成績を残した。
ブレイザー死去:
「頭脳野球への貢献者」と野村監督(毎日新聞)
プロ野球の南海(現ソフトバンク)でプレーし、阪神、南海の監督を務めたドン・ブレイザーさんが13日、米国・アリゾナ州の自宅で死去した。73歳。死因は心臓まひだった。
大リーグのカージナルスなどで二塁手として活躍。67年、南海に入団。3年間在籍し、すべてオールスターに出場、67、68年にはベストナインに選ばれた。日本での通算成績は366試合に出場し、打率2割7分4厘、15本塁打、86打点。
現役引退後は、「シンキング・ベースボール」を提唱し、南海のコーチを経て79年~80年5月まで阪神の監督を務め、看板の田淵幸一選手を西武に放出するなど話題を呼んだ。81、82年には南海でも指揮した。監督としては79年阪神の4位が最高で、通算では180勝208敗28分けだった。
◇彼こそ「炎の人」「シンキング・ベースボール」
日本に「シンキング・ベースボール(考える野球)」を浸透させたドン・ブレイザーさんが、逝った。
南海入団(1967年)前の58年、米大リーグ・カージナルスの一員として来日、二塁手として日米野球に出場した。当時、南海の二塁手で全日本メンバーに選ばれていた岡本伊三美さんが振り返る。「二塁ベース上からセンターへ抜けようとしていたゴロを逆シングルで捕球。一塁走者がいたので素早くベースカバーの遊撃手に送球し、併殺を成立させたんです。すごいプレーができる選手だな、と驚いたことをよく覚えています」
体はそれほど大きくなかった。岡本さんは「こんな小柄な選手が、どうして大リーグで活躍できるのだろうと思った」と言うが、“ハンディ”をカバーしたのが「考える野球」だった。相手の考えを見抜き、対応策を考え出して実行する。セーフティーバントも絶妙。ラインのギリギリにボールを転がした。
現役を退いてからは70年、南海・野村監督(選手兼任)誕生と同時に作戦参謀としてコーチに就任。8年にわたって監督を支え、データを重視する「野村ID野球」の礎を築いた。
グラウンドでは「炎の人」も、ユニホームを脱げば「静かな人」。ブレイザーさんが南海コーチの時から親交がある市原實さん(現巨人アドバイザー)は「南海、阪神で通訳、コーチとして一緒に仕事をしましたが、細かい気配りをする人で、すごく働きやすかった」と言う。一社会人としても、頭を使い続けた人であった。【江尻進一】
▽シダックス・野村克也監督 (南海監督時代にコーチとして招へい)今でこそ野球界の常識になったが、彼が「シンキング・ベースボール」の元祖。南海で僕がプレーイング・マネジャー(選手兼監督)になった際、それまでの精神野球から頭脳野球への転換を果たすうえで貢献してくれた功労者です。いいヒントやアドバイスをもらい、随分と勉強させてもらった。彼とは名コンビだったと思う。
▽プロ野球解説者の掛布雅之さん 79年に私が初めて本塁打王(48本)を取った時の監督。「シンキングベースボール」と聞いていたが、基本の反復練習を大切にしたのが印象深い。チームがいかに戦いやすくなるかを常に考えてくれた監督でした。
▽阪神・岡田彰布監督 ゲッツーの基本動作などを教えてもらった。まず基本重視で、大胆なプレーより、一つ一つを大切にしろ、という感じだった。
▽阪神・島野育夫総合コーチ バックアップや全力疾走など基本を大切にする人だった。まだユニホームを着てがんばっていると、人づてに聞いていたのだが……。
Former MLB player and Hanshin Tigers manager Blasingame dies at his U.S. home
April 14, 2005
TOKYO (AP) -- Former major leaguer Don Blasingame, who managed two of Japan's professional baseball teams, has died of heart failure in Arizona, a Japanese club official said Thursday. He was 73.
Blasingame died Wednesday at his home in Fountain Hills, said Hanshin Tigers spokesman Toru Miyake, quoting Blasingame's son, Kent, who notified the club of the death by phone.
Blasingame, an infielder, played 12 years in the major leagues beginning in 1955 with the St. Louis Cardinals. He also was with the San Francisco Giants, Cincinnati Reds, Washington Senators and Kansas City Athletics.
He joined Japan's now defunct Nankai Hawks in 1967, playing as a second baseman for three years until 1969, when he joined the team's coaching staff. He stayed there through 1977.
Blasingame then moved to the Hiroshima Carp for a one-year stint as manager in 1978.
In 1979 and 1980, Blasingame led the Hanshin Tigers, a popular club based in Nishinomiya in western Japan as manager. Blasingame then returned to the Carp from 1981 to 1982.
As manager for the two teams, he had a record of 180-208-28. Ties are played in Japanese baseball.
(78年は広島カープのヘッドコーチ。また81~82年はカープではなく、南海ホークス監督)
福士敬章氏が死去-元巨人、南海、広島投手 (産経新聞)
プロ野球の巨人、南海、広島で投手をした福士敬章(ふくし・ひろあき)氏が13日夕、和歌山県みなべ町のマージャン店内で死亡しているのを訪ねてきた知人が見つけ、田辺署に届けた。病死とみられる。54歳。鳥取県出身。葬儀・告別式、喪主は未定。
鳥取西高から1969年にドラフト外で巨人に入団。4年間勝ち星がないまま73年に南海へ移籍し、主力投手として活躍。77年には広島に移り、2度15勝をマークするなど6年間で58勝を挙げて広島のリーグ制覇に貢献した。
83年に渡韓し、いきなり30勝をマークして最多勝を獲得した。
日本での通算成績は339試合、91勝84敗9セーブ、防御率3・68。韓国の通算成績は54勝79敗。78年まで松原明夫、79年は福士明夫の名前でプレーした。
福士明夫氏=プロ野球・元広島投手(読売新聞)
プロ野球・元広島投手の福士明夫さん(54)が13日夕、和歌山県みなべ町芝のマージャン店内のソファで死んでいるのを、訪ねてきた知人が見つけ、田辺署に届けた。同署は病死とみている。約1年前から同店の店長だったという。
鳥取県出身。1969年に鳥取西高からドラフト外で巨人に入団し、73年に南海で初勝利。77年に移った広島で2度、15勝をマーク。83年には韓国で30勝を挙げ、最多勝を獲得。日本での通算成績は91勝84敗9セーブ。78年までは松原明夫の名前でプレーした。
元プロ野球投手・福士敬章氏死去(スポーツニッポン)
日本と韓国のプロ野球で投手として活躍した福士敬章(ふくし・ひろあき、本名明夫=あきお)氏が13日夕、勤務していた和歌山県みなべ町のマージャン店内で死亡しているのを知人が見つけ、田辺署に届けた。病死とみられる。54歳。鳥取県出身。葬儀・告別式は15日正午から近親者のみで行う。喪主は長男裕健(ひろたけ)氏。
鳥取西高から1969年にドラフト外で巨人に入団し、73年に南海へ移籍。77年には広島に移り、15勝を2度マークするなど6年間で58勝を挙げ、79、80年の日本一に貢献。83年には韓国プロ球団の三美に入団し、30勝を挙げて最多勝を獲得した。
日本での通算成績は339試合、91勝84敗9セーブ、防御率3.68。韓国の通算成績は54勝79敗。78年まで松原明夫、79年は福士明夫の名前でプレーした。
どういうことだ!!
ところで市原稔(實)って読売アドバイザーなんだ…。
日本人留学生殴打「原因は恋愛トラブル」上海(共同)
中国上海市で日本人留学生3人が9日夜に中国人に殴打されるなどして負傷した事件で、留学生の通う華東師範大学の教員が13日、他の日本人留学生らを集め、原因は反日感情によるものではなく、恋愛トラブルだったと説明した。大学関係者が明らかにした。
上海の日本総領事館は、留学生らへの聴取結果から、日本人であることを理由に中国人が留学生を殴ったと10日発表しており、大学側の説明の真偽は不明。上海のイメージ悪化を防ぎたい当局の意向を反映した解釈の可能性もある。
説明によると、事件が起きたのは大学近くのバーで、同店の女性店員をめぐり、男性店員と日本人留学生の間でトラブルとなり、事件に発展したという。大学教員は、日本人留学生らに「日中関係に関するトラブルではないので、心配しないように」と呼び掛けた。
総領事館は、加害者は中国人客で、「日本人か、韓国人か」と聞かれた留学生が「日本人だ」と答えたところ、ビールジョッキなどで頭部を殴打されたと発表していた。
ウェブサーフののろさにアタマにきて、ブラウザーを"Opera"に変えた。スイスイ。
Wednesday, April 13, 2005
Days, Weeks and Years...
If I survive my future days, weeks, months and years, who is going to be with me?
It's the Light of an Oncoming Train!
Feeling normal for any extended period of time raises hopes that turn out, almost inevitably, to be writ on water. (AUM, p. 69)
Robert Lowell, often crazy but rarely stupid, knew better than assume a straight shot at happiness: If we see a light at the end of the tunnel, he said, it’s the light of an oncoming train. (ibid, p. 139)
Robert Lowell, often crazy but rarely stupid, knew better than assume a straight shot at happiness: If we see a light at the end of the tunnel, he said, it’s the light of an oncoming train. (ibid, p. 139)
Tuesday, April 12, 2005
:) ;) :O T_T
さっき"Eats, Shoots & Leaves"を終わった。ネット上の書き込みは、文章を書く作業でもタイピングでもなく「送信」にすぎないにうなずく。「本を読むときに動くのは読者の目で、ネット上で文字を読むときに動くのはスクロールされる画面」。当たり前だが、気がつかなかった。句読点が「感情表現の記号」としての使用が氾濫、定着すると、本来の機能がいずれ消え去り、後人は句読点を捨て去るのではないかとは恐ろしい。さまざまな記号は文字数削減に役立っているが、Trussが言うように文章による表現能力のなさをさらけ出しているのも同然だ。ネットの便利さは疑う余地もないが、たとえばオンライン辞書では、紙に印刷された辞書のページをめくりながら、いつのまにか「辞書を読んでいる」といった「楽しみ」は発生し得ない。電子辞書についても同じ。
インターネットは欲する情報のありかを示してくれるが、ページをめくる読書の感覚は与えてくれない。(擬似感覚を作り出そうとするソフトは開発されているようだが。)最後のページが近づいて来たときの満足感と"Please don’t go"感覚がうれしいのに。"Never Ending Story"に出てくる少年が本ではなく、コンピューター画面を見つめている場面を想像できるだろうか?あの本に没頭してページを進める"What's next?"感覚がうれしいのに。
Kay Redfield Jamisonの「何が自分に起こっているのかわからなかった」「病気だと気づかなかった」はまったく同感。
インターネットは欲する情報のありかを示してくれるが、ページをめくる読書の感覚は与えてくれない。(擬似感覚を作り出そうとするソフトは開発されているようだが。)最後のページが近づいて来たときの満足感と"Please don’t go"感覚がうれしいのに。"Never Ending Story"に出てくる少年が本ではなく、コンピューター画面を見つめている場面を想像できるだろうか?あの本に没頭してページを進める"What's next?"感覚がうれしいのに。
Kay Redfield Jamisonの「何が自分に起こっているのかわからなかった」「病気だと気づかなかった」はまったく同感。
Dying Words -- I Should Have Used Fewer Semicolons
A classic use of the colon is as a kind fulcrum between two antithetical or oppositional statements:
Man proposes: God disposes.
And as Shaw put it so well, the colon can simply pull up the reader for a nice surprise:
I find with only three things in this story of yours, Jenkins: the beginning, the middle and the end.
So colons introduce the part of a sentence that exemplifies, restates, elaborates, undermines, explains or balances the preceding part. (pp. 119-120)
... [The] main place for putting a semicolon... is between two related sentences where there is no conjunction such as "and"or "but", and where a comma would be ungrammatical:
I loved Opal Fruits; they are now called Starburst, of course. (p. 121)
... I have been told that the dying words of one famous 20th-century writer were, "I should have used fewer semicolons" — and although I have spent months fruitlessly trying to track down the chap responsible, I believe it none the less. If it turns out that no one actually did say this on their deathbed, I shall certainly save it up for my own. (p. 127)
ES&Lは単なる「句読点ブック」かと思って読み始めたら、そうではなかった。おもしろい話がたくさんある。文章は、ここまで深く楽しく考えながら書くべきだと教えられる。日本語の場合はどうか。ぞんざいで杜撰な扱いをしている場合が多すぎはしないだろうか。
「ネットの引っかかり」は多分3日の日曜日からだと思う。改善されていない。MS Wordに問題はないから、Windowsのトラブルではないはずだ。
明日、ビザがキャンセルされる。残り分給与の支払いも明日の予定。
Man proposes: God disposes.
And as Shaw put it so well, the colon can simply pull up the reader for a nice surprise:
I find with only three things in this story of yours, Jenkins: the beginning, the middle and the end.
So colons introduce the part of a sentence that exemplifies, restates, elaborates, undermines, explains or balances the preceding part. (pp. 119-120)
... [The] main place for putting a semicolon... is between two related sentences where there is no conjunction such as "and"or "but", and where a comma would be ungrammatical:
I loved Opal Fruits; they are now called Starburst, of course. (p. 121)
... I have been told that the dying words of one famous 20th-century writer were, "I should have used fewer semicolons" — and although I have spent months fruitlessly trying to track down the chap responsible, I believe it none the less. If it turns out that no one actually did say this on their deathbed, I shall certainly save it up for my own. (p. 127)
ES&Lは単なる「句読点ブック」かと思って読み始めたら、そうではなかった。おもしろい話がたくさんある。文章は、ここまで深く楽しく考えながら書くべきだと教えられる。日本語の場合はどうか。ぞんざいで杜撰な扱いをしている場合が多すぎはしないだろうか。
「ネットの引っかかり」は多分3日の日曜日からだと思う。改善されていない。MS Wordに問題はないから、Windowsのトラブルではないはずだ。
明日、ビザがキャンセルされる。残り分給与の支払いも明日の予定。
Monday, April 11, 2005
Comma for Pushing back Chairs and Stand up
また"Let a Smile Be Your Umbrella"(「ありがとう」コラム)についての付け足しだが、"sunaku" は "sunakku" とするのが適切。
"Eats, Shoots & Leaves: The Zero Tolerance Approach to Punctuation" (Lynne Truss)と買ったばかりの"An Unquiet Mind"を始めた。
A woman, without her man, is nothing.
A woman: without her, man is nothing.
(E, S&L, p. 9)
The English language first picked up the apostrophe in the 16th century. The word in Greek means "turning away", and hence "omission" or "elision". (ibid. p. 37)
I am tired of hiding, tired of misspent and knotted energies, tired of the hypocrisy, and tired of acting as though I have something to hide. One is what one is, and the dishonesty of hiding behind a degree, or a title, or any manner and collection of words, is still exactly that: dishonest. Necessary, perhaps, but dishonest. (AUM, p. 7)
CBの「正式名」は、"The Coffee Bean & Fine Tea Leaf"だが、その名とともに描かれているデザインにはコーヒー豆1個と葉っぱが「3枚」ある。なぜだろう?ほぼ毎日行っているが同じものしかオーダーしたことがなく、今日は店に入ると同時に作り始めてくれたようだった。また、2時間ほどして大粒の雨が降り始めたので、すぐ近くのDFに移った。数度しか行ったことがないが、同じものしかオーダーしたことがなく、店に入るといきなり、"Coffee?"とたずねられた。
ES&Lで、事柄を並列して記述するときに最後の接続詞(andかor)の前に付けるコンマを"Oxford comma"と呼ぶことを知った。
「コンマあり派」のHarold Ross (New Yorker editor)と「ほどほど派」のJames Thurberはコンマのあるなしで激しく口論する。うらやましい口論だな。Thurberは、ある記者にRossが加えた"After dinner, the men went into the living-room"のコンマについてたずねられ、"This particular comma was Ross’s way of giving the men time to push back their chairs and stand up"と答えたとある。
中国でのデモの後、社名を隠して業務再開する北京の日本企業もあるらしい。その態度、情けない…。アパルトヘイト下の南アフリカでカネ稼いで、後はダンマリの企業とよく似た振る舞いではないだろうか。
"Eats, Shoots & Leaves: The Zero Tolerance Approach to Punctuation" (Lynne Truss)と買ったばかりの"An Unquiet Mind"を始めた。
A woman, without her man, is nothing.
A woman: without her, man is nothing.
(E, S&L, p. 9)
The English language first picked up the apostrophe in the 16th century. The word in Greek means "turning away", and hence "omission" or "elision". (ibid. p. 37)
I am tired of hiding, tired of misspent and knotted energies, tired of the hypocrisy, and tired of acting as though I have something to hide. One is what one is, and the dishonesty of hiding behind a degree, or a title, or any manner and collection of words, is still exactly that: dishonest. Necessary, perhaps, but dishonest. (AUM, p. 7)
CBの「正式名」は、"The Coffee Bean & Fine Tea Leaf"だが、その名とともに描かれているデザインにはコーヒー豆1個と葉っぱが「3枚」ある。なぜだろう?ほぼ毎日行っているが同じものしかオーダーしたことがなく、今日は店に入ると同時に作り始めてくれたようだった。また、2時間ほどして大粒の雨が降り始めたので、すぐ近くのDFに移った。数度しか行ったことがないが、同じものしかオーダーしたことがなく、店に入るといきなり、"Coffee?"とたずねられた。
ES&Lで、事柄を並列して記述するときに最後の接続詞(andかor)の前に付けるコンマを"Oxford comma"と呼ぶことを知った。
「コンマあり派」のHarold Ross (New Yorker editor)と「ほどほど派」のJames Thurberはコンマのあるなしで激しく口論する。うらやましい口論だな。Thurberは、ある記者にRossが加えた"After dinner, the men went into the living-room"のコンマについてたずねられ、"This particular comma was Ross’s way of giving the men time to push back their chairs and stand up"と答えたとある。
中国でのデモの後、社名を隠して業務再開する北京の日本企業もあるらしい。その態度、情けない…。アパルトヘイト下の南アフリカでカネ稼いで、後はダンマリの企業とよく似た振る舞いではないだろうか。
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