Friday, June 25, 2021

結局のところ国際人なんていない?

 日本人の英語運用能力に対する劣等感は今も栄え続けているようだ。海外に在住する人たちによる自国人で構成される村の形成は日本人に限ったことではないが、海外における、よく言えば日本人同士が親睦を深める、悪く言えば日本語に限定される極めて排他的な「日本村」の形成は、それを表す一つの現象だろう。開高健の『夏の闇』には、「女」が爆発的な感情を以て日本人を批判する場面があるが、その批判は今日でもそのまま十分に当てはめられそうだ。この場面には作家の自己批判や自嘲が含まれているのではないかと思う。

 例えば複数の国籍や人種の人たちで食事をしたり、酒を飲んでいたりしている非日本語環境、つまりシンガポールでは英語環境に日本人がいると、日本人だけでコソコソと、もちろん日本語で、誰それの英語がうまいだとか下手だとかということに話題が移ってしまう、あるいは貝になってしまう状況に出くわしたことが何度かある。国際的と呼ぶにはほど遠い態度である。そんな状況がとても嫌で、仕事でない限り日本人がいる英語環境を避けるようになった。これも人との交通や交流にほとんど無縁の一因かと思う。国際都市国家と呼ばれたりもするシンガポールでさえ、この有様である。多言語、多人種、多文化が自然に受け入れられる環境を求めてきたが、そんな環境はまだまだ世界に存在しないのかもしれない。

 別の例を挙げると、翻訳仲介業をやっていた日本人女性。数件の仕事をいただいた後、守秘義務合意書(NDA)に署名してほしいと言われたので、快諾した。送られてきた合意書は日本語で書かれていた。お互いシンガポールで仕事をしているのに、どうして合意書が日本語で書かれているのか。シンガポール企業であるのだから、当然、当地の司法、そして立法と行政の言語である英語で書かれた合意書を作成するのが当たり前だろう。契約当事者が合意すれば「契約書が何語で書かれていようと問題はない」ということに間違いないだろうが、シンガポールに在していて、双方が日本語を解するというのは偶然でしかなく、うちに日本語を理解しない法務担当者がいたらどうするのだろうか。管轄裁判所が東京となっていることにも反対し、これはシンガポールの裁判所に変更してもらった。また、機密情報漏洩の可能性が皆無ではないからこそ、NDAへの署名を求めているのだろうが(NDAなるものがあるらしいと知って、単に形式上作成してみたのだろうか)、万が一にも違反があって裁判となった場合はこの日本語の合意書を証拠として提出するために英訳する必要がある。そんな場合、翻訳業にも関わらず、当事者であるため、第三者に翻訳してもらう必要が発生する。それは時間とカネのムダであるばかりか、愚かしいのである。彼女は、「合意書を英語にしてもいいが、その英文合意書はそちらで作成してください」と返答してきた。守秘義務を求めているのは彼女なのだから、それは理不尽だろうと思った。法意識の欠如した日本村の住人としか思えなかった。争い事の解決なら、「胴乱の幸助」こと割木屋のおやっさんの方がよっぽど手際がいい。結局、日本語の合意書に求めの通り署名した。その後、彼女から仕事を依頼されることはなくなった。

それから、平成十二(二〇〇〇)年一月に台湾に出張した時に、到着した台北の空港ではっきりとわかる程の緊張と不安が滲み出ている日本人のおじいちゃんがすぐ近くにいたので、たまらずに「だいじょうぶですか」と尋ねた。おじいちゃんは「周りがガイジンばっかりで、言葉もわからん」と言う。外国に来たんだから自らがガイジンだということが認識できないようだった。

 また実際に、シンガポールで日本人が運営する企業同士に揉め事があり、先方に「うちはシンガポール企業なので英語での書面で通知してください」と言われ、どう英語で対処すればいいのかわからないという事案を経験したことがある。日本人同士の係争であれば、外国においてでさえオトモダチ間のように日本語で解決できると考える程度の思考なら、もう海外在住者として失格なのではないか。

 少々脱線する内容かもしれないが、平成二十七(二〇一五)年十月にバングラデシュの首都ダッカにあるレストランでテロ襲撃事件が起きた。この事件で犠牲となった日本人の一人が「日本人だ。撃たないでくれ」と訴えたと報道された。「撃つなら日本人の自分以外にしてくれ」「日本人以外なら撃たれてもいい」とも解釈でき、暗澹な気持ちにさせられた。

 日本について言えば、そこで働き、そして暮らす外国人の数が増えたとは言え、日本語能力が乏しい人を日本の社会はまだまだ受け入れない。異質な存在には村八分で応える村体質の印象が拭い切れないのである。一方、日本語を学ぼうとせず、例えば英語ですべてを済ませようとして、「日本では英語が通じない」と文句を言う外国人にも問題がある。日本語が難しいって?知らんがナ、そんなこと。さらに、そんな文句を聞いて英語で書いた掲示板をあちこちに設置し、せっせと英会話学校とやらに通う日本人もまた情けない。どうせなら、地球上にある全言語で掲示したらどうか。そうすれば、もう文句はもう出ない。「おもてなし」を自慢しても、それは観光客相手のことであって、社会全般がそんな態度であるわけがないし、また日本社会で暮らす外国人をもてなす必要などはない。

 とは言っても、心の問題として「多」や「他」を受容する能力が社会全体としてまだまだ欠如している。英語学習にやたらと熱心なご様子ではあるが、無知や無理解を原因として社会が未成熟なのである。どんな人に国際人と呼ばれる資格があるのか、国際人をどう定義するのか、また日本の国柄をどう説明するのがよいのかについて、答えを持ってはいないが、国際化を叫ぶ一方で、日本や日本人の固有性や特殊性を説く人たちがどこかに必ずいる。人種や血統の強調を聞いたりすると、何か背筋に寒いものを感じるのだ。日本の何がそれほど特殊なのか。言語はその国の文化や社会生活の基本的な要素だろうが、「日本語は世界に類のない言語」と平気な顔で言う日本人もいる。中国由来の漢字を使う日本語のどこが特殊なのか。ひらがなが確立されるまでは万葉仮名を使っていたではないか。カタカナを多用、乱用せずにはおれない現代日本語のどこがそんなに特殊なのか。中国文明に深く影響された朝鮮半島、日本、そしてベトナムには言語的に共通点が見いだされる。日本語とベトナム語はお互いに遠く、ベトナム語の文字と発音にはどうにも歯が立たないようだが、「văn hóa(文化)」「độc lập独立」「lao động労働」「trà」「bác sĩ(博士)」など、実際の発音を聞いてみたりすると、そう遠くでもないと思えたりもする。

 特殊性ではなく、共通性を強調しないと「多」や「他」を受容する共生はできない。日本人は自らの特殊性を信じ込んで日本人であることに意識的、無意識的に満足しており、今も国は圧倒的に「日本」なのである。「日本」を維持したければ、都合のいい時だけうるさくなる国際化への叫びを止め、単に体裁のいい安価な労働力の搾取だったりする技能実習制度などはきっぱりと廃止したらどうか。看護と介護の分野はもっとひどいかもしれない。フィリピンとインドネシアから人材の受け入れ制度があるが、人の生命に関わる仕事に日本語がおぼつかない人たちを採用するというのは愚策だろう。日本語能力試験の合格率が低いから試験の難易度を下げるなどという方針は愚の愚のように思えてならない。日本語が難しいって?知らんがナ、そんなこと。日本社会にける外国人に対する日本人の心の持ち方を変えていかないと、関連する人口減少と移民受け入れという問題も出口は見えてこないのではないか。結果に対する覚悟があるなら、もちろん何も変えないという選択肢もある。

 人種間の交わりを妨げているもう一つの原因は排他的な宗教観ではないか。しかし、これは宗教については極めて柔軟で無節操な日本人だから言えることかもしれないし、宗教とはそもそも排他的なのかもしれない。カラマズーで会ったイスラム教徒のアラブ人学生なら、やはり、

"I don't believe someone who has nothing to believe in."

と言うだろうか?また、元同僚でカトリック教徒だったトニー・リーなら、

「それは日本人的な考え方だネ」

と言うだろうか?トニーの場合は、勝手に想像するカトリック教徒に期待されているような敬虔さは感じられなかったが。

 人種や宗教を超えた交流ということでは、シンガポールでさえ難しい。牛肉を食べない人たち、豚肉を食べない人たち、決められた儀式に則って屠殺された肉しか食べない人たちと、一同に集まることは簡単ではない。どうすれば、みんなが集まれるのだろうか……。インド出身のAは日本での生活を経験した人だが、食に関しては極めて保守的だった。牛肉はもちろんだが、スシや刺身も全然ダメだった。「日本のモノ、食べるヨ。オヤコドンとか……」などと言っていたが、「久し振りに会ったから、親子丼でも食べに行こう!」とは、罪のない親子丼には申し訳ないが、なかなか言えないのである。

 宗教上の食物禁忌について、心理学者のスティーブン・ピンカー(Steven Pinker)がユダヤ教指導者の教えを「頭のいい十二歳なら誰でも論破できるもの」と述べたうえで、彼自身の「cynical view」だと断りながらも、禁忌はやはり排他を目的としているという視点で以下のように説明している。

 "… People everywhere form alliances by eating together, from potlatches and feasts to business lunches and dates. If I can't eat with you, I can't become friend. Food taboos often prohibit a favorite food of a neighboring tribe; that is true, for example, of many of the Jewish dietary laws. That suggests that they are weapons to keep potential defectors in. First, they make the merest preclude to cooperation with outsiders – breaking bread together – an unmistakable act of defiance. Even better, they exploit the psychology of disgust. Taboo foods are absent during the sensitive period of learning food preferences, and that is enough to make children grow up to find them disgusting. That deters them from becoming intimate with the enemy ('He invited me over, but what will I do if they were… EEEEUUUUW!!'). Indeed, the tactic is self-perpetuating because children grow up into parents who don't feed the disgusting things to their children...*"

  そしてまた、シンガポールで、さらにマレーシアで、紋切り型と呼ぶべきか、本能的と呼ぶべきか、はたまた経験的と呼ぶべきか、そんな人種間の差別感が潜在していることを目撃することがある。特に華人のマレー人に対するもので、華人から「でも、その人、マレー人なんだよ」とマレー人であることが非難されるべき事であるような言動を聞いたこともある。華人のEが実家のメイドを「ブラックガール」と呼んだことも思い出される。シンガポールも含め、この地はマハティール(Mahathir Mohamad)が回想録『A Doctor in the House』で強調しているが、「Tanah Melayu(マレー人の祖国)」であり、華人やインド(タミル)人は、ラッフルズ卿(Sir Stamford Raffles)によるシンガポール上陸以来、漁村が点在していただろうマレー人が住む島を港町とするために必要な労働力として、主に中国大陸南部、インド南部、さらに現在のバングラデシュやスリランカから後に移民してきた人たちである。シンガポールでは、後からやって来た華人がその商才のために経済的に発展し、マレー人を文化的、宗教的、また経済的な理由で蔑むような態度が生まれたのではないかと推察する。マレー人が他人種と競争できていないというマハティールが「マレー・ジレンマ」と呼ぶ問題とも関連する。自給自足の漁村意識が今にしてもマレー人から消えないということかもしれない。現代の企業文化や競争社会から逃れたいと思い、あるいはそんなことには魅力も関心も感じることなく、信仰と家族を大切にして自給自足の生活を求めようとする人たちも世界には実際に多く存在するのである。世代が代わって以前ほどの対立は目立たないにしろ、シンガポールとマレーシアは仲の悪い兄弟という雰囲気が残る。マレーシア華人で「うちにはシンガポールにはない自由がある」と言っていた人もあった。外側から覗き見れば、シンガポールには治安維持法が、マレーシアにはマレー人優先の政策が残っていて、どっちがより「自由」かという議論は不毛のようだが。インドネシア人は言うに及ばず、フィリピン人も人種的にはマレー人である。表面的な観察だろうが、「会社の仕事?何それ」といったような気質を共有しているように感じる。

 これまでのガイジンとしての経験から、人を人種や国籍で判断する意識がどんどん薄くなっていったが、残念ながら、海外においては、自らの人種や国籍をおそらく不要にまで強くに意識する人たちもいれば、この日本人を、個人として、人間としてではなく、まずは「日本国籍を持つ者」あるいは「(人種としての)日本人」として見る人たちが多数だと思う。また、社命を受けて赴任している人なら会社を代表している気持ちにもなろうが、「日本を代表するつもりで」などという、そんな気はこの日本人にまったく起こらない。

  ただ、一人だけ少々態度の違う人に出会ったことがある。日本のある新聞社による取材に通訳として同行した際に会った当地大学の先生だった。記事にする都合上、「何国人なのか」を知る必要があってその先生に訊くと、「世界市民だと思っている。持っている旅券はスイスが発行した」という答えだった。国籍はスイスということだが、彼は「世界市民だ」と言って、スイスで生まれたスイス人だとは決して言わなかったし、出身国を言いたくないような印象さえ受けた。ついでにその時の取材の状況を書くと、彼は二時間半ほど、記者からの質問を聞く時以外は休むことなく話し続けた。そしてずっと追いかけた。取材が終わって、彼は「自分を追って話し続けている男がいるが、途中で大丈夫かなと思ったんだけど……」と言っていた。そう思ったなら休んでくれよ。こっちは記者の質問も訳さないといけないんだから。

 

* How the Mind Works, 1997

 

Wednesday, June 23, 2021

訳者としての言語体験―仕事だから訳しているだけ

 谷沢永一の『回想 開高健』に、「(開高は)要はフランス語の新しい詩を、いちはやく訳してみたかったのである」と記されている。その詩を愛でたいだけなら、訳す必要などないではないか。それを日本語に「訳してみたかった」ということは、日本人にその詩を自らの日本語訳で読ませたいという気持ちがおそらくあったのだろうが、その気持ちが理解できない。微妙な意味合いや韻が重要な要素となる詩なら、訳すことでこんな要素が失われてしまう危険が大きいので、なおさらそうである。反対に、この職業翻訳者は例えばロシア文学を英語でしか読めないことを恥じ、情けなく感じるのである。翻訳者としても、通訳としても、もちろん訳すのが仕事であるが、訳すことそのものに楽しさを見出したことはない。この仕事は、生きるために何かして口に糊をしなければならないという必要に迫られ、そしてできるだけ少ない努力で成り立つ職業はないだろうかと思って続けてきたものだ。誇りに思えるような作業でも仕事でもない。日本には、通訳学校や翻訳学校とかいうものがあって、そこに授業料を支払ってまでして、このような職業に就きたいと思う人たちが存在するようだが、訳したいという欲求が本当にあるのだろうか。あるとすれば、その欲求の源泉は何なのだろうか。

 遠い昔、まだ大学生だったある日にアルバイト先の先輩が英語の授業で使っているというNewsweekを持っていたので、何の真剣さもなくTIMEを買って読もうとし始めたのだったが、最初は読んでいるのではなく、英語で書かれている文章を分解、解剖して、日本語の語順に並べ替えて縫合して理解しようとする外科手術的作業だった。中学校や高校では、このような理解方法しか教わってはいなかった。しかし、読もうとする量が増えて、読む速度が増すにしたがって、こんな分解と解剖の作業はどんどん不要になっていき、記事の背景に関する知識も増えていって、既知の内容に時間を消費する必要がなくなると、読書速度が急激に向上していったように思う。

 英語で書かれた文章は英語で読む。当たり前ではないか。ましてや、読みたくて読んでいるだけで、誰かに読んだ内容を日本語で伝える必要がないのだから。日本語で書かれた文章を日本語で読むのと何が違うのか。まだ雑誌記事や新聞記事しか読んでいなかったという有様だったが、最初の渡米以前にもう不自然で人工的な解剖作業はまったく必要なかった。ただ、理解できる語彙数はまだまだ不足していて、辞書の助けを乞うことも多かったが、日本語の訳語を提供してくれる英和辞典というものを使うことはなかった。単語の意味を調べる時も、訳語を頂戴するのではなく、その定義もまた英語で読むということ。「Random House」「Webster」「Oxford」などのペーパーバック辞書なら、半年ぐらいで背骨が折れてしまって買い換えていたし、類語辞典にもさんざんお世話になった。辞書を読むこともまた楽しんでいたのである。しかし、ある単語を調べると、その定義を説明する文章の中に知らない単語が出現する。それを調べると、また知らない単語に出くわす。それをまた調べると、最初に調べた単語が出てきて、結局、意味がよくわからないということもあった。日本では「英英辞典」などと呼ぶが、これも「英和」「和英」と並列させるからそんな呼び方になる。かなり気に入らない。国語辞典を「和和辞典」と称するようなものだ。

 納期がすぐ目の前に存在する仕事として翻訳する者としては、企業資料が題材であることがほとんどで、機密文書であることも多い。日本企業の中国での事業で、「『セキュリティー』が人流管理に活用するシステム」などとあると、中国での「セキュリティー」とは、すなわち「公安当局」を意味しているのだろうと思い、日本企業が中国政府の国民統制に手を貸しているのだなと、また間接的に訳者として協力しているような嫌な気分になる。

 当然、仕事では正確で自然な文章にしようとはするが、醜い原文があったりすることも原因で、訳文に美しさを求めようとする興味はない。訳したいという衝動も経験したことがない。あくまでも、訳すという作業は仕事、糊口のためのものである。

 どれほど自然で美しい訳文であっても、訳文である限りそれは本物でなく、自然で美しい偽物なのである。海外文学についての造詣が深い開高にしても、読んでいたのは日本語に翻訳されたものがほとんどであり、原語で読んだ場合もこの戦後昭和の文豪は英和なり、仏和なりの辞書に大きく依存していたはずである。そうなら、これは日本語で読んだのと同じ事であり、原語で読んだとは到底呼べないのだ。彼の『告白的文学論』というエッセイには、「原文を私は読んでいないのだけれど(おごそかな書きかたをしなさんな。読めもしないくせに)、かねてから(それは事実だ)、中野好夫氏訳の『ガリヴァ旅行記』を愛読してきた」とある。(「かねてから」は正用法だったっけ?)原文がそのまま読めるというほどの能力がなかったのである。

 彼や近藤紘一によるフランスやベトナムなどに関する記述は、日本人が海外に渡航することがほとんどなかった時代に現地を体験した記録として貴重ではあるが、開高なら『サイゴンの十字架』の中の「最後の撤兵」で、近藤ならエッセイ『私の英会話履歴書』で自ら認めている通り、英語やフランス語の能力に長けていたわけではない。さらに開高については、『夜と陽炎』に「(パリの)キャフェの主人と二言三言口をきいたり、新聞をよろよろとたどり読みしたりして、少年時代におぼえたフランス語の赤錆を爪で落した。蜂が花から花へ蜜を集めてまわるようにして言葉を下宿へ持って帰り、ウトウト毛布のなかで眼を閉じつつおさらいする。つぎの外出のときに単語と単語をつないだうえでちょっと大胆な飛躍をおずおずと試みる。せめて小学三年生の水準ぐらいまで回復できたらと思うのだが……」と記述している。心許ないことである。彼はまた、一九六一年にイスラエルで傍聴した「アイヒマン裁判」での英語、ドイツ語、フランス語、ヘブライ語の同時通訳を同書で「完璧」と表現している。おそらく英語かフランス語の通訳を聞いていたのだろうが、彼に何をして完璧かどうかを判断する能力があったのか、極めて疑わしいし、耳に入ってくる音の流れに退屈して浮遊し、「ついウトウト」となったのも頷ける。ベトナム人を妻とした近藤は、当時は現在と違って地元臭しかしなかったはずの地区を住居としていたが、彼らが書いたものをどこまで信用していいのかわからなくなってくる。あくまでも創作として読むべきなのだろうか。「二言三言」を超える意味ある会話や「よろよろとたどり読み」する新聞記事の理解が成立していたとは思えない。開高は『焼跡闇市の唄』で「ドイツ語だろうとフランス語だろうとかまうことなく私は棒暗記で頭から丸呑みすることにしていた」とも白状している。

 ベトナムへの関心から彼の著作を読むようになったのだが、開高の海外物を読むと、さもその地にある程度以上、属していたような印象を受けてしまうが、以上のようなことでは、どれだけの期間そこにいようと、日本に戻るための航空券を持っていたということだけが理由ではなく、そこには属してはいなかっただろうし、そんな印象を持つのは誤りだろう。もちろん、ご本人も帰国できる航空券を持つ第三者であったことを認めておられる。日本語能力が欠如している非日本人作家による何となく真実っぽいがまったく的外れな日本描写と同じもののような気がしてくる。オーウェルが内戦時のスペインに行ったことに影響されたのかどうかはわからないが、実際に戦場へ行った経験以外は、全体的に、散歩して、そしてさんざん酒を飲んでいただけというのが真実のような気がする。ついでに言えば、映像作品の『河は眠らない』で、「言う言葉がないとか、筆舌に尽くし難いとか、声を呑んだとか、言葉を忘れたとか、こういうことを書いている人がいるんだけど、これは敗北だな。物書きならば何が何でもこね上げて表現しなければならないと思う」と話しているが、しかし反意の形容詞の連結など、彼の凝り過ぎたと言ってもいい表現は読んでいてちょっと目に余ることがある。

 言語学者のチョムスキーは地球人以外と地球上の言語、地球人と火星語を例えにしたりしていて、

"Imagine an extrahuman observer looking at us. Such an extrahuman observer would be struck by the uniformity of human languages, by the very slight variation from one language to another, and by the remarkable respects in which all languages are the same.*"

"We have very strong reasons to believe that all possible human languages are very similar; a Martian scientist observing humans might conclude that there is just a single language with minor variants.†"

とさえ言うが、マレー語とインドネシア語、そしてこれらの遠縁のタガログ語のような例外を除けば、ヨーロッパ言語同士であっても、残念ながら地球人にとっては相互の類似性はそれほど強くない。

 未だにして、日本語と英語でしか読む能力がないことが残念だが、オルテガ・イ・ガセット(José Ortega y Gasset)のThe Revolt of the Masses (La Rebellión de las masas)やドストエフスキー(Фёдор Миха́йлович Достое́вский)やトルストイ(Лев Николаевич Толстой)の小説、またベトナム文学などは英訳に頼らないといけない。和訳ではなくて英訳で読むのは、類似性が強くはないとは言っても、スペイン語やロシア語は言語的に日本語より英語に近いに違いないという考えからだけである。ベトナム語についてもそのように思う。文学的または学問的な嗜好の好悪はともかくとして、スウィフト、モーム、オーウェル、グリーン、チョムスキー、サイード、スタイロン、それからベトナム文学、またベトナム戦争を記録しようとしたアメリカ人記者たちの著作を日本語訳で読みたいと思ったことは一瞬たりともない。

 翻訳と通訳とを問わず、訳すという作業は不自然なもので、ある程度、無理やりとか、強引とかいう要素が伴うこともある。これは、悪文が原文となっていたりするという事情や発言者の言語能力に直接的に関係する。これまで、何度読んでも意味不明の文章を翻訳したり、無用に複雑で長いが、やはり意味不明の発言を通訳したりしなければならない場面に出くわした経験がある。翻訳の場合は納期までにいくらかの時間が与えられているので、前後の文脈から推察力を動員して判断することになるが、例えば一文に同じ語句が数回使われているような、どう読んでも下手な書き手による工夫の欠片もない文章には苦労させられ、「何やコレ!」とか、「何、書いてんのかわからん!」と、イライラの限りに叫ぶことになる。しかし、そんな時には「原文より訳文の方が整然としているではないか」と言ってもらえるように少々の努力を試みるのである。両方を読み比べて、訳文の質を判断しようとする人は多分いないだろうが。また、いないからこそ訳文が必要なのだが。そして、最初の一行を読み終える前に、訳文であることがすぐにばれるような文章も、特に英訳文で見たことが何度もある。和英辞典で見つけた語句を並べただけのような場合が多く、猛吹雪か暴風雨に襲われた山と谷では歩を進めることが困難なように、また揺れや急降下の激しい飛行機に乗っているように、数語ごとに前進しようとする読む眼が固まってしまって、まったくガックリさせられる。訳者の能力を情けなく思い、またそんな訳文を嫌悪する。

  翻訳支援ソフトウェアなるのもが登場して多年になる。一度訳した文章が再び現れるとソフトが自動的に訳してくれているのである。また、既出の文章と八十%同じとか、九十%同じとかも表示してくれる。客先の要請でこんなものを何度か使ったことがあるが、タグと呼ばれる記号が散りばめられていて、不注意からタグを削除してしまったりすると、ソフトが記憶する翻訳データに影響する。訳者にとっては異常なほどに使い勝手の悪い非効率な代物で、翻訳するよりも、タグに触れないようにすることに大きな注意を払わなければならなかった。もう何年もこんなソフトの使用が求められる仕事をしていないが、今はおそらくもっと使い勝手のいいものになっているのではないかと想像する。しかし、たかが翻訳であっても、翻訳作業には文章を作り出すために少々の脳ミソが必要なのである。たとえ、まったく同じ文章であっても、その前後の文章や文脈を無視して自動的に同じ訳文にすることは、脳ミソを蹴り飛ばし、くすぐり、誤魔化し、またおだてながら、訳文を作りあげる作業、またスッキリとした訳文ができあがった時に感じられる安堵や爽快感を翻訳作業から奪うものである。だから、開高が「(小説が書けずに)しようがないから好きなE・H・カーの『バクーニン』でも翻訳してやろうかと思った」とか、「翻訳でも何でもいいから仕事を紹介してほしい」(『青い月曜日』)などと書いているのを読むと、この人の翻訳作業に対する蔑視感が垣間見えて、ただ糊口の手段にすぎないと自らに感じる蔑視を思いながらも「アンタに言われとうないワ」と憮然としてしまう。そして、南側へ自らの意思で転向した北ベトナム正規軍中佐の「応答記録」が『サイゴンの十字架』に収録されている。開高自身が英語から訳したのだろうが、その訳文は痛々しいほどに不自然で読むのが辛い。締め切りに追われて辞書を引き引きしながら切り貼りする様子が想像でき、「ご苦労はんどしたなぁ」と言いたくなる。

 数秒間の余裕も与えられない通訳の場合は推察も不可能な場合がある。マレーシアのジョホール州でのある会議では、締めくくりの挨拶を行った日本人の日本語が相当醜悪で、何が尾やら、何が頭やらわからなかった。慇懃だがひどく迷走し、何が主題なのかさっぱり不明だったが、とは言っても通訳として黙るわけにはいかず、また「何が言いたいのか説明してもらえませんか」とも言えず、大量の無から少量の有を生み出そうとしたのだが、失敗した。通訳した英語を聞いた相手側の出席者に、

"I don't understand what you're saying."

と言われてしまった。そりゃあ、そうだろう。日本語だったにも関わらず、発言者の言った内容をこの日本人が理解できずに通訳しようとしたわけだから。七年も八年も経ってから、この相手側出席者とシンガポールで再会した。あの時を思い出してお互いに笑い合った。

 そして、必要になる文字通り息が詰まる極度の集中力と緊張感のゆえに、おかしなことも発生したりする。平成二十一(二〇〇九)年の東京での仕事だった。予定を終了した最終日の最後にまとめの挨拶を日本側の責任者が出席者向けにもちろん日本語で始めた時、すかさずその挨拶を「日本語で通訳して」追いかけようとしてしまった。みんな唖然としていた。しかし、常に求められる集中力と緊張感にはかなり重いものがある。緊張して前日から膝が震えていることもあったし、話が三十分、あるいは一時間、それ以上と続けば、その場で「倒れるかもしれない」と感じたことは一度や二度ではない。瞬間の気絶を経験したこともある。健康によろしくないとさえ思う。

 通訳としてまた困るのは、自らを棚に上げて言うが、あまりにも「英語らしくない」発音で、つまり強烈な訛りで話す人たちである。『The Story of English』によれば、それらもまた英語ということになるのだろうが、経験して慣れ親しんだ何かしらの「英語音」というものが脳内に植え付けられていて、当然ながらその音から遠のけば遠のくほど理解度は下がる。個人差があるので、国や地域で一絡げにするのはいささか躊躇うのだが、今までに最も困ったのはインド、スコットランド、それからアイルランドの英語音。しかし、彼らに「もうちょっと英語らしい英語で話してもらえませんか」と言うのはさすがに憚られるのである。また、多くのシンガポール人が話す英語は慣れ親しんだ音から遠いし、おまけに文法破壊型だが、慣れてしまって、まず間違いなく理解できてしまう。理解と言うか……、ある程度は我慢できる。東南アジア全般について、ほぼ同じことが言えるかもしれない。六、七人だったかが出席したシンガポールでのある会議では、「ここにいる者の中で、アンタの英語がいちばんだ」と。英語を公用語にする国で、この日本人がそんなふうに言われる始末である。

 翻訳と通訳との分業にも大きな不思議があるように思う。翻訳業務を経験していけば語彙が増え、それは通訳として従事する時に間違いなく役立つ。また、速さを求められる通訳としての経験を積めば、翻訳する速度が高まる。であるのに、両方をこなす人はどうやら多くないようだ。言語習得には、当然、話す、聞く、読む、書くという四つの要素が必須だが、これはどうしたことなのだろう。読み書きがまっとうにできなくても通訳できる、聞くことも話すこともできなくても翻訳できる、ということか。ARで同僚だった人たちは、みんな翻訳者であって通訳ではなく、他に通訳業務に出ていた者はタヌキを除いて、いなかった。Uさんは「工業翻訳者」としては優秀だったかもしれないが、通訳どころか、何でもない会話についても危なっかしかった。タヌキに関しても、彼が帰国した数年後に、たいした意味のないくだらない英文法論争について書かれたネット掲示板で、セントーサ島で開かれたイベントでの彼の大失敗通訳についてだと思われる投稿を目にしたことがある。

 開高は自伝的小説やエッセイで、敗戦直後の貧困期に英会話教師だった日々のことを回想しているが、英語と英会話は別物だと書いている。彼がどう違うのかを説明している文章に出会ったことはないが、エッセイ「小説の処方箋」に「英語はともかくとして〝英会話〟」と書いていたりするので、二つの差異はともかくとして、この文豪は「英会話」は「英語」より習得困難だとも見なしていたのだろう。彼も日本の歪んだ英語教育の枠から抜け出ることはできなかったということだろう。人間の言語習得は聞くことと話すことから始まるのである。赤ん坊が例えば母親の話す言葉をその意味を理解することなく聞こうとし、そしてまた意味のない発声を始める。そこから意味あるものが生まれてくるのである。読み書き能力は後の段階で発達してくるもので、聞く話すという能力より高度なものだ。それを証明する一つに識字能力がある。識字能力は、そう呼ばれることからもわかるように、読み書き能力のことで、聞く話す能力ではない。もう一つこれを証明するものがあるとすれば、日本人が話す日本語を理解し、極めて流暢な日本語を話すにも関わらず、日本語の読み書き能力が欠落している人たちの存在だろう。また、中国語の会話能力に問題ないが、漢字の読み書きが一切できない人たちの存在だろう。「英語の読み書きはできるが聞くことも話すこともできない」と真顔で言う日本人がいるが、言語習得の過程からすれば、極めて不自然なことで、歪な日本の英語教育の犠牲者と呼んでもいいのではないか。そして、こんな人たちが言う読み書きは、やはり日本語への、また日本語からの分解接続方式によるのではないか。もしそうなら、それは英語を読み書きしているのではなくて、実はアタマの中では日本語で読み書きしているのと大差ないことを意味する。

 翻訳支援ソフトについては先に書いたが、最近は携帯電話に向かって話すと、それを即座に訳してくれる通訳アプリケーションもある。何とも便利になったのではあるが、こんなものが現時点で可能である内容よりも、さらに複雑なものに対応できるようになると、人間は母語以外の言語を学習することが不要になるのかもしれない。アプリケーション開発に携わる人たちの頭脳だけがどんどん大きくなっていき、利用者はどんどんバカになっていくだけではないだろうか。これを進化と呼ぶべきではないような気がする。

 さて、技術的進歩が人間の進化に貢献したことがあるのだろうか?「便利さ」が生活に必要なカネを得るための仕事量を減らしたことがあるのだろうか?便利さ追求のために、人間はもっと働かなくてはならないのだ。

 夢を見ることがあるが、ほとんどは覚醒と同時にどんな夢だったのか忘れてしまう。しかし、断片的でも記憶にある夢もある。その中に登場する人物によって、日本語と英語をはっきりと使い分けている。不思議なことだ。

* Language as a Key to Human Nature and Society, 1983

Anarchism, Marxism and Hope for the Future, 1995