日本人の英語運用能力に対する劣等感は今も栄え続けているようだ。海外に在住する人たちによる自国人で構成される村の形成は日本人に限ったことではないが、海外における、よく言えば日本人同士が親睦を深める、悪く言えば日本語に限定される極めて排他的な「日本村」の形成は、それを表す一つの現象だろう。開高健の『夏の闇』には、「女」が爆発的な感情を以て日本人を批判する場面があるが、その批判は今日でもそのまま十分に当てはめられそうだ。この場面には作家の自己批判や自嘲が含まれているのではないかと思う。
例えば複数の国籍や人種の人たちで食事をしたり、酒を飲んでいたりしている非日本語環境、つまりシンガポールでは英語環境に日本人がいると、日本人だけでコソコソと、もちろん日本語で、誰それの英語がうまいだとか下手だとかということに話題が移ってしまう、あるいは貝になってしまう状況に出くわしたことが何度かある。国際的と呼ぶにはほど遠い態度である。そんな状況がとても嫌で、仕事でない限り日本人がいる英語環境を避けるようになった。これも人との交通や交流にほとんど無縁の一因かと思う。国際都市国家と呼ばれたりもするシンガポールでさえ、この有様である。多言語、多人種、多文化が自然に受け入れられる環境を求めてきたが、そんな環境はまだまだ世界に存在しないのかもしれない。
別の例を挙げると、翻訳仲介業をやっていた日本人女性。数件の仕事をいただいた後、守秘義務合意書(NDA)に署名してほしいと言われたので、快諾した。送られてきた合意書は日本語で書かれていた。お互いシンガポールで仕事をしているのに、どうして合意書が日本語で書かれているのか。シンガポール企業であるのだから、当然、当地の司法、そして立法と行政の言語である英語で書かれた合意書を作成するのが当たり前だろう。契約当事者が合意すれば「契約書が何語で書かれていようと問題はない」ということに間違いないだろうが、シンガポールに在していて、双方が日本語を解するというのは偶然でしかなく、うちに日本語を理解しない法務担当者がいたらどうするのだろうか。管轄裁判所が東京となっていることにも反対し、これはシンガポールの裁判所に変更してもらった。また、機密情報漏洩の可能性が皆無ではないからこそ、NDAへの署名を求めているのだろうが(NDAなるものがあるらしいと知って、単に形式上作成してみたのだろうか)、万が一にも違反があって裁判となった場合はこの日本語の合意書を証拠として提出するために英訳する必要がある。そんな場合、翻訳業にも関わらず、当事者であるため、第三者に翻訳してもらう必要が発生する。それは時間とカネのムダであるばかりか、愚かしいのである。彼女は、「合意書を英語にしてもいいが、その英文合意書はそちらで作成してください」と返答してきた。守秘義務を求めているのは彼女なのだから、それは理不尽だろうと思った。法意識の欠如した日本村の住人としか思えなかった。争い事の解決なら、「胴乱の幸助」こと割木屋のおやっさんの方がよっぽど手際がいい。結局、日本語の合意書に求めの通り署名した。その後、彼女から仕事を依頼されることはなくなった。
それから、平成十二(二〇〇〇)年一月に台湾に出張した時に、到着した台北の空港ではっきりとわかる程の緊張と不安が滲み出ている日本人のおじいちゃんがすぐ近くにいたので、たまらずに「だいじょうぶですか」と尋ねた。おじいちゃんは「周りがガイジンばっかりで、言葉もわからん」と言う。外国に来たんだから自らがガイジンだということが認識できないようだった。
また実際に、シンガポールで日本人が運営する企業同士に揉め事があり、先方に「うちはシンガポール企業なので英語での書面で通知してください」と言われ、どう英語で対処すればいいのかわからないという事案を経験したことがある。日本人同士の係争であれば、外国においてでさえオトモダチ間のように日本語で解決できると考える程度の思考なら、もう海外在住者として失格なのではないか。
少々脱線する内容かもしれないが、平成二十七(二〇一五)年十月にバングラデシュの首都ダッカにあるレストランでテロ襲撃事件が起きた。この事件で犠牲となった日本人の一人が「日本人だ。撃たないでくれ」と訴えたと報道された。「撃つなら日本人の自分以外にしてくれ」「日本人以外なら撃たれてもいい」とも解釈でき、暗澹な気持ちにさせられた。
日本について言えば、そこで働き、そして暮らす外国人の数が増えたとは言え、日本語能力が乏しい人を日本の社会はまだまだ受け入れない。異質な存在には村八分で応える村体質の印象が拭い切れないのである。一方、日本語を学ぼうとせず、例えば英語ですべてを済ませようとして、「日本では英語が通じない」と文句を言う外国人にも問題がある。日本語が難しいって?知らんがナ、そんなこと。さらに、そんな文句を聞いて英語で書いた掲示板をあちこちに設置し、せっせと英会話学校とやらに通う日本人もまた情けない。どうせなら、地球上にある全言語で掲示したらどうか。そうすれば、もう文句はもう出ない。「おもてなし」を自慢しても、それは観光客相手のことであって、社会全般がそんな態度であるわけがないし、また日本社会で暮らす外国人をもてなす必要などはない。
とは言っても、心の問題として「多」や「他」を受容する能力が社会全体としてまだまだ欠如している。英語学習にやたらと熱心なご様子ではあるが、無知や無理解を原因として社会が未成熟なのである。どんな人に国際人と呼ばれる資格があるのか、国際人をどう定義するのか、また日本の国柄をどう説明するのがよいのかについて、答えを持ってはいないが、国際化を叫ぶ一方で、日本や日本人の固有性や特殊性を説く人たちがどこかに必ずいる。人種や血統の強調を聞いたりすると、何か背筋に寒いものを感じるのだ。日本の何がそれほど特殊なのか。言語はその国の文化や社会生活の基本的な要素だろうが、「日本語は世界に類のない言語」と平気な顔で言う日本人もいる。中国由来の漢字を使う日本語のどこが特殊なのか。ひらがなが確立されるまでは万葉仮名を使っていたではないか。カタカナを多用、乱用せずにはおれない現代日本語のどこがそんなに特殊なのか。中国文明に深く影響された朝鮮半島、日本、そしてベトナムには言語的に共通点が見いだされる。日本語とベトナム語はお互いに遠く、ベトナム語の文字と発音にはどうにも歯が立たないようだが、「văn hóa(文化)」「độc lập(独立)」「lao động(労働)」「trà(茶)」「bác sĩ(博士)」など、実際の発音を聞いてみたりすると、そう遠くでもないと思えたりもする。
特殊性ではなく、共通性を強調しないと「多」や「他」を受容する共生はできない。日本人は自らの特殊性を信じ込んで日本人であることに意識的、無意識的に満足しており、今も国は圧倒的に「日本」なのである。「日本」を維持したければ、都合のいい時だけうるさくなる国際化への叫びを止め、単に体裁のいい安価な労働力の搾取だったりする技能実習制度などはきっぱりと廃止したらどうか。看護と介護の分野はもっとひどいかもしれない。フィリピンとインドネシアから人材の受け入れ制度があるが、人の生命に関わる仕事に日本語がおぼつかない人たちを採用するというのは愚策だろう。日本語能力試験の合格率が低いから試験の難易度を下げるなどという方針は愚の愚のように思えてならない。日本語が難しいって?知らんがナ、そんなこと。日本社会にける外国人に対する日本人の心の持ち方を変えていかないと、関連する人口減少と移民受け入れという問題も出口は見えてこないのではないか。結果に対する覚悟があるなら、もちろん何も変えないという選択肢もある。
人種間の交わりを妨げているもう一つの原因は排他的な宗教観ではないか。しかし、これは宗教については極めて柔軟で無節操な日本人だから言えることかもしれないし、宗教とはそもそも排他的なのかもしれない。カラマズーで会ったイスラム教徒のアラブ人学生なら、やはり、
"I don't believe someone who has nothing to believe in."
と言うだろうか?また、元同僚でカトリック教徒だったトニー・リーなら、
「それは日本人的な考え方だネ」
と言うだろうか?トニーの場合は、勝手に想像するカトリック教徒に期待されているような敬虔さは感じられなかったが。
人種や宗教を超えた交流ということでは、シンガポールでさえ難しい。牛肉を食べない人たち、豚肉を食べない人たち、決められた儀式に則って屠殺された肉しか食べない人たちと、一同に集まることは簡単ではない。どうすれば、みんなが集まれるのだろうか……。インド出身のAは日本での生活を経験した人だが、食に関しては極めて保守的だった。牛肉はもちろんだが、スシや刺身も全然ダメだった。「日本のモノ、食べるヨ。オヤコドンとか……」などと言っていたが、「久し振りに会ったから、親子丼でも食べに行こう!」とは、罪のない親子丼には申し訳ないが、なかなか言えないのである。
宗教上の食物禁忌について、心理学者のスティーブン・ピンカー(Steven Pinker)がユダヤ教指導者の教えを「頭のいい十二歳なら誰でも論破できるもの」と述べたうえで、彼自身の「cynical view」だと断りながらも、禁忌はやはり排他を目的としているという視点で以下のように説明している。
"… People everywhere form alliances by eating together, from potlatches and feasts to business lunches and dates. If I can't eat with you, I can't become friend. Food taboos often prohibit a favorite food of a neighboring tribe; that is true, for example, of many of the Jewish dietary laws. That suggests that they are weapons to keep potential defectors in. First, they make the merest preclude to cooperation with outsiders – breaking bread together – an unmistakable act of defiance. Even better, they exploit the psychology of disgust. Taboo foods are absent during the sensitive period of learning food preferences, and that is enough to make children grow up to find them disgusting. That deters them from becoming intimate with the enemy ('He invited me over, but what will I do if they were… EEEEUUUUW!!'). Indeed, the tactic is self-perpetuating because children grow up into parents who don't feed the disgusting things to their children...*"
そしてまた、シンガポールで、さらにマレーシアで、紋切り型と呼ぶべきか、本能的と呼ぶべきか、はたまた経験的と呼ぶべきか、そんな人種間の差別感が潜在していることを目撃することがある。特に華人のマレー人に対するもので、華人から「でも、その人、マレー人なんだよ」とマレー人であることが非難されるべき事であるような言動を聞いたこともある。華人のEが実家のメイドを「ブラックガール」と呼んだことも思い出される。シンガポールも含め、この地はマハティール(Mahathir Mohamad)が回想録『A Doctor in the House』で強調しているが、「Tanah Melayu(マレー人の祖国)」であり、華人やインド(タミル)人は、ラッフルズ卿(Sir Stamford Raffles)によるシンガポール上陸以来、漁村が点在していただろうマレー人が住む島を港町とするために必要な労働力として、主に中国大陸南部、インド南部、さらに現在のバングラデシュやスリランカから後に移民してきた人たちである。シンガポールでは、後からやって来た華人がその商才のために経済的に発展し、マレー人を文化的、宗教的、また経済的な理由で蔑むような態度が生まれたのではないかと推察する。マレー人が他人種と競争できていないというマハティールが「マレー・ジレンマ」と呼ぶ問題とも関連する。自給自足の漁村意識が今にしてもマレー人から消えないということかもしれない。現代の企業文化や競争社会から逃れたいと思い、あるいはそんなことには魅力も関心も感じることなく、信仰と家族を大切にして自給自足の生活を求めようとする人たちも世界には実際に多く存在するのである。世代が代わって以前ほどの対立は目立たないにしろ、シンガポールとマレーシアは仲の悪い兄弟という雰囲気が残る。マレーシア華人で「うちにはシンガポールにはない自由がある」と言っていた人もあった。外側から覗き見れば、シンガポールには治安維持法が、マレーシアにはマレー人優先の政策が残っていて、どっちがより「自由」かという議論は不毛のようだが。インドネシア人は言うに及ばず、フィリピン人も人種的にはマレー人である。表面的な観察だろうが、「会社の仕事?何それ」といったような気質を共有しているように感じる。
これまでのガイジンとしての経験から、人を人種や国籍で判断する意識がどんどん薄くなっていったが、残念ながら、海外においては、自らの人種や国籍をおそらく不要にまで強くに意識する人たちもいれば、この日本人を、個人として、人間としてではなく、まずは「日本国籍を持つ者」あるいは「(人種としての)日本人」として見る人たちが多数だと思う。また、社命を受けて赴任している人なら会社を代表している気持ちにもなろうが、「日本を代表するつもりで」などという、そんな気はこの日本人にまったく起こらない。
ただ、一人だけ少々態度の違う人に出会ったことがある。日本のある新聞社による取材に通訳として同行した際に会った当地大学の先生だった。記事にする都合上、「何国人なのか」を知る必要があってその先生に訊くと、「世界市民だと思っている。持っている旅券はスイスが発行した」という答えだった。国籍はスイスということだが、彼は「世界市民だ」と言って、スイスで生まれたスイス人だとは決して言わなかったし、出身国を言いたくないような印象さえ受けた。ついでにその時の取材の状況を書くと、彼は二時間半ほど、記者からの質問を聞く時以外は休むことなく話し続けた。そしてずっと追いかけた。取材が終わって、彼は「自分を追って話し続けている男がいるが、途中で大丈夫かなと思ったんだけど……」と言っていた。そう思ったなら休んでくれよ。こっちは記者の質問も訳さないといけないんだから。
* How the Mind Works, 1997
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