処刑されたサダム・フセイン元大統領。彼の立場にしてみれば、何とも理不尽な裁判だったことだろう。イラン・イラク戦争で、ホメイニ師率いるイスラム革命政権のイランに勝ってほしくない米国は彼に肩入れしていたではないか。裁判での発言を細かく報道にしたものに出くわしたことはないが、米国の外交政策について彼が何を言っていたのか知りたい。都合のいいときだけ利用し、悪くなれば犯罪者扱い……。レーガン政権時代に特使としてバグダッドを訪問したラムズフェルド前国防長官は、フセイン元大統領と握手していたではないか。心に痛みを感じる米国の政治家はいないのだろうか。キッシンジャーやカークパトリックの「敵の敵は味方」との論理は、敵が変われば当然味方も変わるという相対的なものでしかない。
去年の3月に独房で亡くなった旧ユーゴスラビアのミロシェビッチ元大統領(1941年生まれ)もハーグでの国際法廷で言いたいことが山ほどあったに違いない。両親は彼の幼年時に離別。ともに自殺で生涯を終えている。調べてみると、神学を学んだ父親は62年に、教師だった母親は74年にこの世を去っている。こんな環境が彼の生き方や考え方に大きく影響したはずだと勝手に想像する。クロアチアのトゥジマン大統領とボスニア・ヘルツェゴビナのイゼトベゴビッチ大統領とともに内戦を終結させた95年の「デイトン合意」に署名したというのに、後に逮捕され裁判で被告になるとは思ってもみなかっただろう。
最初、“Stalin” から長々と引用するつもりはなかったんだけど、読む速度にタイプする速度がまったく追いついていない状況になってしまった。ちなみに、ヤルタでルーズベルトと話し合われた対日参戦については、樺太と千島列島をいただくことで確約したとサラリと触れてあるだけ。ポツダム会談でトルーマンが新兵器について触れたとき、スターリンは無関心だったと“American Prometheus” にはあった。確かにそうだったようだが、スターリンはそれ以前に米国の原爆開発について情報を得ており、ベリヤと相談してわざと無関心を装ったと“Stalin” には書かれている。広島への原爆投下に関して、スターリンは「何でそんな必要があるのか。日本はもう敗北しているじゃないか」とオッペンハイマーと同意見。原爆が日本ではなく、冷戦のライバルとなるソ連に向けたものだという意図を正確に読んでいる。
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