Thursday, February 15, 2007

India's Road to Independence and beyond

インド独立への道とネルーの時代

主に“Nehru: A Political Life” (Judith M. Brown) から。地主などは英国による統治という現状維持を望んでいた。また、全インド人民の代表であることを基盤とする国民会議に対し、ムスリム連盟を主導するジンナーは1938年のボース国民会議総裁との会談で、すべてのイスラム教徒を代表すると主張。ヒンドゥー・インドと分離した国家、「パキスタン」の樹立を目指し、国民会議との対立が先鋭化する。一方、断食で英国統治に抗議するガンディーの非暴力運動は迷走する。父と妻の死を経験しながらネルーは投獄されることを繰り返す。皮肉なことに投獄中は日常の政治活動から開放され、読書と執筆に時間を割ける機会でもあった。ネルーは行動の欠如した政治への失望を抱きながらも、独立後のインドの指導者としても地位を確立していく。

42年、英国政府の閣僚、クリップス卿は英国の戦争遂行への協力と引き換えるような形で、戦後、インドに完全独立する権利を与えると申し出る。この提案は、インド独立に反対するリンリスゴー総督とチャーチル首相の反発に会い、同時に戦後制定されることになる憲法の枠組みを拒否することを地方に認める内容だったため、ムスリム連盟を勢いづける結果となる。(シンガポールでのボースによるインド自由政府樹立は43年10月。)

46年3月、英国政府はクリップス卿ら3人の閣僚からなるミッションを派遣。派遣団は、外交と国防を担う中央政府と州の「グループ化」による連邦制、詳細を決定する憲制会議発足と臨時政府樹立を柱とする案を提示する。国民会議はこれによってイスラム教徒が多数を占めるアッサム州や西ベンガル州が「イスラム州グループ」に組み込まれることを懸念したものの同意。ムスリム連盟はパキスタン樹立への一歩としていったんは受け入れたものの、臨時政府の内容などを巡って結局拒絶する。

8月16日にムスリム連盟が組織した「直接行動」を機に、カルカッタで1週間で約4000人が死亡する大規模な暴動が発生する。9月2日、ムスリム連盟が参加しないまま臨時政府が発足。

英国では、45年7月の総選挙でチャーチルの保守党が敗北し、アトリーの労働党政権が発足していた。同政権は事態を進展させるため、47年2月には東南アジアの連合国最高司令官マウントバッテン卿をシンガポールから呼び、ウェーベルに代わって総督に就任させ、英国政府は48年6月までのインド独立を発表する。

マウントバッテン卿が総督に就任してほどない3月8日、国民会議の実務委員会(CWC)は、最終的な分離を最小限に抑えるには暴動が広がったパンジャブ州(とベンガル州)を独立時に分離する可能性を認める。英国政府が当初示したインド分割案は、2分割以上の国土「バルカン化」(ネルー)であり、ネルーには到底受け入れられるものではなかった。2分割案をマウントバッテン卿がロンドンから持ち帰ったのは6月2日だった。国民会議は現実を直視し、さらなる混乱を回避するため、この案を受諾した。

インド独立は8月15日午前0時。ガンディーは独立式典には参加せず、分割の悲劇をカルカッタで断食して迎えた。独立宣言後の数時間内には州内がインドとパキスタンに分割されたパンジャブ州での暴動が再発。ヒンドゥー教徒、イスラム教徒のほか、住居地域に分割ラインが走るシーク教徒を巻き込んだ。

カシミール州では、州内住民から支持を得ていたシーク・アブドゥラを獄に捕らえたままで、帰属を決められないマハラジャ(藩王)の両国内からの扇動もあり、混乱が激化。10月にはマハラジャが州都スリナガールを脱出し、インドに支援を要請する。インド政府は同州がインドに帰属することとアブドゥラとの臨時政府発足を支援の条件にしたため、マハラジャはこれに合意。帰属について中央政府は、事態が沈静化してから住民の意見を問うべきとも主張した。パキスタンはマハラジャの合意を違法とし、インド軍が州内にとどまる限りパキスタンからの「侵入者」を撤退させることを拒否する。翌年1月1日、インドは国連に侵入者へのパキスタンの援助とインドの自衛権を主張し、「カシミール問題」は国際化されることになる。

国連への申し立てによって紛争は余計に複雑化し、その状況は今も変わっていない。ただ、当時と現在では国連への見方がずいぶん異なることを考慮する必要がある。

国連という組織への見方が大きく変わったというのに、敵国条項をそのままにしながら巨額を拠出し、さらにおおっぴらに「軍」と呼べるのは「巨人軍」ぐらいにもかかわらず、連合軍が設立したこの組織の安保理事会の常任理事国になりたいなどと、未だに夢物語を続けようとするおめでた~い国もあるが……。今年、韓国の潘基文が事務総長になって、彼の任期中は夢のまた夢だ。

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