Monday, December 20, 2004

Unable to Shake off Work from Head

仕事のこと、アタマから離れない。

今日(日曜日)、"Soldier of Peace"を読み始めた。 東淀川にいたときにAmazon で買った本だから、5年は経ってるか。

Friday, December 10, 2004

Fever with Bad Infection

6日(月)。昼から寒気がひどくなり、指が凍ったように冷たくなる。腰も痛く熱があるような症状で、のどがちょっと「イライラ」していた。幸い、仕事が早めに終わったので、プラザの向かいにあるクリニックに行った。

熱は38.1度。「ちょっと熱があるね」。解熱剤、ビタミンC錠、のどのイライラで少しせきをしていたのでせき止めシロップをもらって帰る。翌日の出勤はあきらめた。

翌日(火)。のどはイライラではなく、痛い。非常に痛い。声を出すのもつらい。同じクリニックに行く。「昨日よりちょっと赤いね」。抗生物質をもらう。熱は上がったり下がったり。

翌々日(水)。朝。熱は39度、その後やっぱり上がったり、下がったり。改善なし。

昨日(木)。熱が下がらない。決心してDr. Gohのクリニックに行くことにした。

"BAD INFECTION!"

思ったとおりだった。ただ、のどの両側ではなく、突き当たった奥が感染個所だった。プラザの向こうのクリニックでは、おそらくそんな場所が問題だと思わなくて、両側をチェックして「少し赤い」と言ったのだろう。薬を変えてもらった。午後からは気分も多少よくなる。仕事は気になったが、どうしようもない。

今日(金)。ずいぶん体調はまし。熱が上がることもない。出勤はしていないが、何もしなくていいわけではなく、やっぱり家で仕事。ただ、来週号がどんなことになって発行されるのか、見当つかず。

今日、読み終えた本:"The Painted Veil" (Somerset Maugham), 「バカ女」の話。「最後までやっぱり変われませんでした」っていう結末の方が Maugham らしいかなと感じた。
最近、読み終えた本:『明暗』(夏目漱石)、未完だが、長すぎ。人の描写にこだわって話が進まない。

Saturday, December 04, 2004

Tristan und Isolde

"Tristan und Isolde"も買ってしまった。

Friday, December 03, 2004

Der Freischütz

疲れた…。

仕事の帰り、HMVに寄って"Super Size Me" のDVDとCarlos Kleiberの「魔弾の射手」CDを買ってきた。CDを買ったのはホントに久しぶり。

Carlos KleiberのCDは他にも"Tristan und Isolde" と"La Traviata"があった。以前は置いてなかったのに。亡くなってから並べたんだろう。この国にもKleiber好きの人がいるということか。

今年亡くなってしまった人。このCarlos KleiberとYassir Arafat...。どちらも自分が「一生懸命」になった人だった。RIP...

仕事については、「文章を作る」ということ、「日本語扱う」ということ、「ジャーナリズム(のようなもの)にクビをつっこむ」ということに意識の差を非常に感じる。また、扱っている題材への思いにも差を感じる。

買収や株取得の企業ニュースであっても、毎日追えばそれはいずれ歴史となる。そこには人がいて、興奮させるドラマさえある。中国航油が倒産しようと流す涙はないが。

紙面構成がどうとか、広告がどうとか、申し訳ないが根本的にそんな基準で仕事をしている訳ではない。そんな暇があれば、そこに「人間を見つける努力」でもしてみるがいい。

まったく、商売とカネしかアタマにない人間の心の浅さにはタメイキが出る。もうちょっと幅というか、深みというか、深さというか…そんなものを感じさせてみてはどうか。そう、INSPIRE させてみろよ。

Wednesday, November 24, 2004

Touched by Soft Contact Lens for the First Time

昨日、臨時のレンズをもらいに行った。ソフトレンズだったので、ちょっと驚いた。はめてからほんの少しの間は見えにくかったが、慣れれば臨時ソフトの方がよく見えているぐらい。

ただ、はめる時とはずす時はこわい。大変こわい。

Monday, November 22, 2004

Overslept and Lens Gone

けさ、起きたらほとんど8時40分だった。目覚まし時計が先週の土曜日にセットしていた11時半になったままだった。この時間に目が覚めて、まだよかった。

ところが、コンタクトレンズをはめようと思って、ケースを開けたら左がない…。慎重に急いで探したが見つからず、また余分な出費(S$150)となる。使い捨てのソフトレンズにすることを検討した方がいいかも。

Arafat Dies

日記をつける余裕なし。


11日午後。ヤセル・アラファト死去の報あり。

Wednesday, October 27, 2004

Alamak... No Entry for Weeks

忙しくて、気がつけばそれから何も書いていない。

読んだ本:『ペルソナ』(猪瀬直樹)『五衰の人』(徳岡孝夫)

Monday, October 04, 2004

Alamak... No Entry for Last Month

忙しくて、気がつけば先月は何も書いていなかった。

Sunday, August 29, 2004

Good Bye, Lenin

1989年10月。ハンガリーはすでにオーストリアとの国境を開放していた。東ドイツ国民は同盟国ハンガリー、そしてオーストリアを抜けて西ドイツへ脱出していた。

「グッバイ・レーニン」はちょうどその頃の話。東ドイツで理想の社会主義国家建設に燃えた母は、反政府デモに参加している息子の姿を見て倒れる。8カ月の昏睡状態から目を覚ました母のために、息子は現実を知らせまいとかつての東ドイツを再現しようと試みる。「トラビ」に乗って郊外に出かけた母親が話し始めたのは…。

ちょうどその頃(天安門事件から4カ月ほど)、成田空港で鄧小平が軍事委員会主席の座を辞任したことを知った。オレゴン州ポートランドを経てジョージア州アトランタのはずれにあるホテルに到着。到着してすぐテレビで見たのは、ベルリンの壁をブチ壊している人たちとコメントしているチェイニー国防長官(現副大統領)だった。

Tuesday, August 24, 2004

Some Improvement?

今日は7時半ごろ仕事を終えた。少しずつ早くなってきて「よろしい」。記事の種類や量が原因で一時的に多少早くなっているのか、改善されているのかは、もう少ししないと判断できないだろう。

Monday, August 23, 2004

Coming Back Home by Walk

「ムルデカ」の続きは翌日見た。

中井貴一と石坂浩二の「ビルマの竪琴」は昨日(土曜日)見た。

「ムルデカ」は多少演技過剰か。それから戦闘場面では「ゴジラ映画」の雰囲気さえある。

「ビルマの竪琴」の方がよかった。監督の差か。

「ビルマの竪琴」を見た後CC に行ったが、かなり酔っ払った「らしく」、フラフラしながら歩いて帰ってきた。

本は、"David Marshal Trials" が終わってないのに、『男装の麗人 川島芳子伝』(上坂冬子)を始めてしまった。日経新聞には山口淑子の「私の履歴書」が連載中。山口は川島芳子の麻薬癖について触れているが、上坂の取材では麻薬ではなく「鎮痛剤」となっている。

Monday, August 16, 2004

August 15 and Merdeka

敗戦記念日(15日)。

インドネシア独立の話「ムルデカ」をちょっとだけ観た。全部観る時間がない。

Tuesday, August 10, 2004

National Day

今日(9日)。ナショナル・デー。A が帰ってきたことと、個人的な仕事があって、土曜日から新聞がほとんどチェックできなかった。余分な仕事は受けたくないんだけど、今後のこともあるし、カネも必要だし、仕方ない。長生きしないだろう。

Friday, August 06, 2004

Here Cannot Stop One, Aah!

今日、来週号の入稿済ます。

けさのタクシーで…
"Here cannot stop one, aah!" "Give way one, aah!"

前を走っていたバイクが急停止しようとしたときの運転手のおじさん。

ま、最初に来たときからわりとビックリしてたことだが、平気で「手鼻かむ」オヤジって結構いたりする。上級相に意見を求めたい。

Tuesday, August 03, 2004

Tamil Disco Till Morning

土曜日、久しぶりに大酒くらう。前日、A がインドから1年ぶりに帰ってきたこともあって、さんざん飲んだ。

昼の3時にT さんと待ち合わせていたのに、彼が来たのは4時半。その間にビール1杯。会ってからもう2杯。

夜、S がごちそうしてくれて、ビールと日本酒と焼酎。その後、Aと合流してビールと焼酎。行かなくてもいいのに、朝3時半まで「タミル系ディスコ」。どうやって帰ってきたのか覚えてなかった。

Tuesday, July 27, 2004

Nakajima Ramo Dies

数日前から、右背中下に鈍痛を感じる。「大洋」にいた頃よく感じていた痛みとまったく同じ。当時、「桜橋病院」に行ったが、「そんなところに内臓はないから、筋肉痛だ」と言われた。こんな筋肉痛があるはずないが、原因がわからずガマンしていた。腎臓にすれば位置が下すぎるような気がする。痛みがひどいときは、そこに手を当てて、こらえていた。その後、仕事をやめてから痛みは消えた。

仕事をしていないと痛みがないことから、体が疲れると現れる症状かな、と思っている。最近、疲れていないわけがないから。「大洋」当時と比べて、仕事の時間は圧倒的に長いが、酒量はかなり減った。

先週の木曜日(22日)は、翌日の朝2時半までだった。1週目は4時。2週目は4時半。3週目3時20分。改善が見られる。今週は1時が目標か。

米民主党大会開幕。クリントン登場。やっぱり、「しゃべりはうまい」。

中島らも死去。なんでやねん。

Monday, July 26, 2004

Time Flying

7 月が終わろうとしている。日が経つのが早すぎる。

今日(26日)、第4号が町に出る。

Tuesday, July 20, 2004

Former PM Suzuki Dies. Carlos Kleiber Dies


鈴木元首相のことに触れたら、昨日「おくやみ記事」を見つけてしまった。

けさ、Carlos Kleiber 死去のニュースに出くわす。

Sunday, July 18, 2004

How Come Like Dat One Nah?

木曜日の仕事は金曜日の朝3時20分頃まで。印刷もやっと次号から落ち着くだろう。
印刷に問題がなくなれば、内容が一層問われる。ミスは許されない。

今日(土曜日)、去年の税金払った。

多言語ミックスで「お好み焼き」みたいな「シングリッシュ」とやらには、大いに笑かされる。
ここに来た当初は、シングリッシュが「ケッタイ」で、できるだけマネしていた。"Dis one nah..." と最初に言われたときは、それが関西弁の「これな…」のように聞こえ、親しみを感じたものだ。"lah" とか"nah" とか "ah" とかは気にならない。"th" 音が "t" 音になるので、"tree" と "three" や "true" と "through" が同じ発音になるのも、語尾の子音を無視したりするのもあんまり気にならない。そんなカタカナ的発音は多くの日本人にも共通している。(もちろん、カタカナの場合は、「ツリー」、「スリー」、「トゥルー(ツルー)」、「スルー」だが。)

ただ、極端な英文法無視には絶句する。例えば、
"How come like dat one nah?"(なんでやねん?)
"Dis one from where one nah?"(これどこにあったん?)
"Cannot lah."(でけへんわ/あかんわ。)
"Don wan nah."(いらんわ。)
"Can?"("Can you manage it?" や "Can I do it?" を意味している場合が多い。)
などは許せない例だが、「三単現の"s"」や複数形も平気で無視する。
"She don..." などとよく耳にするでしょう。許さない。

ある時、タバコを買いに行って、"I'm gonna have a pack of Marlboro Lights and a lighter too." と言うと、店のオバちゃんに "Two lighter?" と言われたことがあった。許さない。

付加疑問文っていうのがあるが、ここではすべて文末が"... is it?" で終わる。"It isn't that... " と始めたとも仮定できるが、あり得ない。許さない。

言葉の意味をよく知らずに使っていると思われるものに、
Return back(何回戻ってくるんでしょう?)
U-turn back(何回Uターンするつもりでしょう?)
Call back(誰が誰にかけ直すのでしょう?)
Repeat again(何回繰返すのでしょう?)
なんかがある。

それから、構文が見事に破壊されている例には、
"Prawn can eat already." などの場合。これはいっしょに食事をしていたQちゃんの発言で、もう少し正確に書くと、"Prawn, can eat already." だろうか。

鍋物を楽しんでいる時で、「もうエビは食える」と言ったわけだが、それを知りながら、わざと"Prawn can eat what!?" と聞き返してみた。エビに必死だったようで、"Prawn can eat already!" と繰返されただけだった。

初対面のときは、それなりに「マトモな英語」を話していた人が、親しくなるにつれて「シングリッシュ・スピーカー」と化していくのに遭遇することも多い。まだ「マトモ英語」を話そうとすれば話せる人はいいのだが、上記の例のような言語しか話せない人もいるようだ。シンガポールのバイリンガル教育が果たしてきた役割は大きいが、その一方でどの言語も満足に話せない人たち(「ダブル・ハーフリンガル」)を生み出したことも事実だろう。

うちには、1枚の白黒写真がある。某スポーツ紙に掲載されたもの。昭和55年4月21日(月)、南海×日本ハム(大阪)。「5回から登板した藤田学投手が半年ぶりに白星を挙げる」と書かれている。試合終了の瞬間、帽子に手をやって満面笑みの同投手。

藤田学-愛媛県南宇和高校出身。昭和51年パリーグ新人王。
昭和48年秋、南海ホークスのドラフト1位。江川卓、掛布雅之と同年。
2年間の「英才教育」を経て、51年、始めて一軍昇格。前期成績は1勝2敗。後期10勝1敗。年間防御率1.98。翌年から2年続けて16勝。開幕投手として登板した昭和54年の対阪急戦(西宮)で左内転筋を痛める。以後、満足な成績を挙げることなく昭和61年のシーズン後引退。通算成績は72勝65敗。
『南海ホークスがあったころ』(永井良和/橋爪紳也共著、紀伊國屋書店)は、南海ホークスの歴史を辿りながら、都市計画を論じた一冊。この本が藤田学に触れる個所がある。福岡ダイエーホークスのコーチとして、胴上げに参加している藤田学を見つけた著者が感慨深げに彼を語っているページだ。強すぎた阪急ブレーブスの前に優勝できなかった昭和51年と52年。「野村解任」の後は、パリーグのお荷物となった南海ホークス。そして勝てなくなった藤田学。彼が投げる日は、阪急にも勝てると信じたあのころ。彼の野球人生はあの胴上げで報われたに違いない。

Monday, July 12, 2004

Pacific League Disappearing?

パリーグがなくなる可能性大だ。関西のパリーグ・ファンの悲しみはとりわけ大きいだろう。

南海、阪急が一気になくなり、今度は近鉄。「お荷物」と呼ばれた時代から、何とか球団経営を続けていた近鉄球団には敬意さえ感じていたが、「身売り」して「バファローズ」の名を残そうと努力をしたようにも見えず、「命名権売却」を言い出したと思ったらすぐにひっこめ、今度は勝手に合併して、おまけにパリーグを消滅させたとしたら、その罪は限りなく重い。

フランチャイズは移っても、「ホークス」の名を叫ぶことのできる旧南海ファンはまだ幸せなのか。しかし、もう「ひとつの合併」が噂されており、「ホークス」は今度こそ消え去ってしまうかもしれない。

ドーム球場の出現した頃から、野球は野球ではなく、もっと大きなレジャー産業の一部となってしまったようだ。ドーム球場では野球を観る必要はない。それなりに「気の利いた」レストランで食事する合間に、「目をそらして野球を眺める」ということもできる。行き先に迷った家族は、退屈しないドーム球場へと足を運ぶ。野球場であるのは単なる偶然に過ぎないし、野球場である必要もない。

そして、「1リーグ制」などと言って、読売に同調するような態度の阪神球団。「アンチ巨人」のはずなのに。情けない。

「大阪」、「西宮」、「日生」がなつかしい。

大学で「国際関係論」を受講していた。大学名と担当教授名は伏せるが、かなり乱暴な授業だった。時代は80年代後半で、まだ中曽根康弘が首相で、ソビエト連邦が存在し、G7 サミットが大ニュースだった頃。教授は、「オモシロ、オカシク、ワカリヤスク」授業を進める意図だったのかもしれないが、こんなことがあった。

「国鉄と農家の子、いるか?」何人かの学生が手を上げた。
「耳、閉じろ。」
「???」
「泥棒の子!」

また、こんなこともあった。鈴木善幸が首相になったとき、漁村出身のこの人を海外メディアが"Fisherman Suzuki"と報じていたと嘆いた後、「中曽根、やったねぇ」。

アメリカのウィリアムズバーグで開かれたG7 サミットの記念撮影で、中曽根首相が真ん中に近い場所に写っていたのだ。それまでの(その後も)日本の首相と言えば、隅っこに遠慮がちに半ば仲間はずれにあったように写真に収まるのが決まりのようだった。しかし、私が確認したところでは、中曽根氏はこの「フォト・オプ」で、やはり隅っこにいたのだ。ただ、この人がすごいのは、準備していたかのように、撮影直前にスルスルと中央に場所を移したこと。チャッカリ者ですね、この人。

この教授の授業では、またまた、こんなこともあった。教室に入ってきた教授は、教壇の上に「雪見大福」の空箱が(なぜか)置かれていることに気づき、いたく気分を害したらしく、その日の講義はその時点で終了となった。

Sunday, July 11, 2004

Edwards Chosen as VP Candidate

創刊号、世に出る。SPH の印刷は大失敗。最初からつまずく。一面記事に誤字発見。情けない。

8日(木)。金曜日の朝4時半まで仕事。やり方を考えないと、遅かれ早かれ破綻が来る。

党大会での正式指名を前に、米民主党のケリー上院議員が副大統領候補にエドワーズ上院議員を選んだ。

副大統領候補が大統領選挙の結果に影響することはほとんどないと言われているが、テキサス州をケネディー陣営にもたらしたジョンソン候補の例(60年)などもある。

「国家元首の葬儀参列が副大統領の仕事」とかつては言われていたが、ゴア前副大統領や現在のチェイニー副大統領などは政策決定に深く関わり、以前の副大統領のイメージを変えてしまったと言えるだろう。
また、注目度の低い副大統領候補のテレビ討論でも、記憶に残る場面はあった。

88年のテレビ討論で、「若さだけ」が売り物だったクエール候補(共和)が自らを JFK になぞらえたが、ベテラン議員だった民主党のベンツェン候補は、「ケネディのことなら知っている。キミはケネディじゃない」と一蹴。クエール候補の顔は確かに引き攣っていた。

92年、ペロー氏の立候補で三つ巴となった年。彼が副大統領候補に選んだのは政治経験も知名度もない元軍人のストックデール氏。討論のオープニングでの発言。"Who am I? Why am I here?"

Sunday, July 04, 2004

Very First Issue to Be Published

木曜日(1日)の仕事、翌日の朝4時まで終わらなかった。出版物の編集作業とは、こんなもんだろう。

昨日夜、去年の所得税請求書が届いていた。

5日(月曜日)、いよいよ創刊号が世に出る。

"The Scent of Green Papaya" と「東京物語」、「生きる」の DVDを HMV で発見したので買ってしまった。散財。どれも見たかった映画で探していたものばかり。「生きる」と先週買った"Roger & Me" はまだ見ていない。

Sunday, June 27, 2004

Tokyo Olympiad

金曜日の夜、「東京オリンピック」と"Roger & Me"のDVD を買ってきて、昨日の夜、「東京オリンピック」を見た。付録になっている各種目のメダル獲得者、獲得国のリストを見ていて"Germany" となっているのに気づいた。「東」か「西」か、書かれていないことを不思議に思った。映画が開会式の入場シーンを映したときわかった。いきさつは知らないが、「ドイツ色」の国旗の真ん中に「五輪」をデザインした「特別旗」で入場してきたのは、「東西ドイツ統一チーム」だった!それから堂々と国旗を掲げて入場する「中華民国チーム」!

40年前の日本、非常に感動した。「東京オリンピックマーチ」もなつかしい。

Thursday, June 24, 2004

State-sanctioned Bi-culturalists

帰国したSML が最近、中国、中国とやかましい。昨日の講演では、「バイカルチュラル」であらねばならないと仰った。

中国滞在中に語ったところによると、中国との競争のため、200人の「エリート」を選抜して、「中国語だけでなく中国の歴史や文化を理解できる人」を育成するのだそうだ。

「平均人に二言語の習得はできない」とも。本当だとすれば、シンガポール国民の持つ語学能力の低さを証明しているようなものだ。社会のコントロールがこんなに行き届いた国も少ないが、結果は相変わらず「カネ、カネ、カネ」とカネをことしか頭にないような人間を生み出し、「バイリンガル教育」も今になってやっとうまく行っていないことに気づくなんて。カネ儲けだけには熱心で複数の「半言語」を話す多数の人間を作り出してしまった教育システムや国家システムの責任はどこにあるのか。

中国訪問中に出会った通訳の能力が高いと言い、それは毎日何時間もその言語に接しているからだと言う。

中国やかつての東欧諸国では、専門職に就くことになる子供は、幼い頃から「英才訓練」を受けて職に就き、一生を過ごす。

言葉の学習はそれだけにとどまらず、その言葉を通して、どれだけ他のことを知ることができるかが重要なのだ。

カルガリー・オリンピックの女子フィギュアスケートで銀メダルをとったアメリカのデビ・トーマスは、オリンピックのあと、さっさとスケートをやめ、医大に戻った。人はこのようにあるべきだと思うがいかがか。デビにたずねてみればいい。「国によって選ばれたエリートですか?」と。

政権交代の時期が近づき、遺言のつもりなのか、それとも今の立場にとどまるつもりなのか。そうなれば、「親子タッグ」だ。

「まともな英語を話しましょう」運動自体が滑稽だが、今度は「中国語」だ。

Monday, June 21, 2004

Yet Another Divorced Couple

2004年6月21日(月)0:25

"A Moment of Anguish" やっと終わった。最近は、E も土日で半分を終えるペース。おまけに、月曜日の仕事を少しでもラクにするために、週末も記事作り。

次は、David Marshal について書いた"The David Marshal Trials"を読み始めるつもり。著者は、LKY の Press Secretary だったAlex Josey だ。

MITA ライセンス待ちの日々が続く。つらくないと言えばウソだが、政府のやることなので待つしかない。他社からの妨害によるものではないことを信じたい。

9日に、JEM からメールをもらっていた。4月に離婚して、今は埼玉に住んでいるとのこと。自分とは違った意味で、険しい道かもしれない。そして、また離婚カップルの誕生。

FZ が聴きたいけど、その時間もない。と言いながら、聴き始めてしまった。この時間から。

"Jimmy Swaggart under investigation!! Every one of those cocksuckers will get caught!!"

Thursday, June 17, 2004

Kintetsu Buffaloes Is No More

近鉄、球団経営あきらめ、オリックスと合併へ。

南海、阪急、近鉄。み~んな、なくなってしまった。

Monday, June 14, 2004

Singapore Japanese??

"Singapore Chinese," "Malaysian Chinese" などと言うけど、「日系米人」を、"American Japanese" と呼ぶようなもので不思議。また、"Singaporean Chinese" とは言わないし、理にかなったように思える "Chinese Singaporean" (華人のシンガポール国民)や "Chinese Malaysian" (華人のマレーシア国民)もめったにきかない。"Singapore" や"Malaysian" を地理的概念としているなら(「シンガポールにいる華人」、「マレーシアにいる華人」)は、まだ納得できる。しかし、「華人のマレーシア国民」の場合は、「シンガポールで暮らしていても」"Malaysian Chinese" と呼んでおり矛盾する。さらに、地理的概念として "Malaysian" は成立するのか? "Malayan" が正しいのではないか。最近の Straits Times には、「中国系アメリカ人」という意味で、"American Chinese" という記述があり、まったく不可解で紛らわしい。Chinese を国交のある「中華人民共和国」の「国民」とせず、あくまで「華人」と理解していることには間違いなさそうだ。自分などは、"Singapore Japanese" なのか?

Saturday, June 12, 2004

Reagan Memorial Service

BBC の Reagan 特集をウェブで見た。あんなに必死で追いかけた米ソ・サミットのニュース。今では完全に歴史となっている。

Baroness Thatcher は病のため "public speaking"を禁じられているらしい。何の病気か? 弔辞は今年初めに録画されたもの。Painful...

正面から見て、Thatcher の右隣に Mulroney が座り、左隣には Gorbachev がいた。さらに Gorbachev の隣には中曽根康弘が座っていたが、BBC は彼の名前には触れない。

仕事はタイヘン。自分の仕事をチェックする時間が十分にない。今まで以上に慎重でなければならないが、容易ではない。

産経新聞(6月7日付)

【横車】「校閲力」
わが専門と自負する「サンティアゴ・デ・コンポステラ巡礼」を扱った新刊書を三十分ほどぱらぱらとめくって、絶句した。十カ所以上の間違いが見つかったからだ。腰を入れ三時間ほどかけて、三百ページ弱の本書を通読すると、あるわあるわ、その数、百カ所をゆうに超えた。
決定的なのは地図。何を参考にすればここまでいい加減な地図ができるのか不思議でならない代物だった。ポルトがスペインとポルトガルの国境に位置していたり、エスピシェル岬をロカ岬としていたりと、あとは推して知るべし。地図さえ見れば確認できるはずなのに、この版元はそれすら怠っている。
メスキータで知られるスペインの都市コルドバをゴルドバ、教会の建築様式であるバジリカをパジリカ、彫刻様式のプラテレスコをブラテレスコと表記するなど、固有名詞のミスも枚挙にいとまがない。この著者の原稿は、濁点と半濁点との書き分けがあいまいらしく、この取り違いだけでも数十カ所あった。
また、著名なスポットには丁寧にスペイン語の表記がつけられているが、これもミスだらけ。著者も版元もスペイン語の基礎文法を知らないようだ。それでいて本書では、著者がスペイン語で現地の人と流暢な会話をしたかのように記されている。こっけいとしか言いようがない。 さらに、事実関係についても、ハチャメチャとしか言いようのない部分が多数。ポルトについて「コンポステラへ向かう、ポルトガル側の最終地点である」と書いたり、バスク人の人口を三千万人としたり(スペインの総人口は約四千万人)、こうなると、書いてあるすべてが信用できなくなる。
出版社の実力とは、つまるところ校閲力ではないか。だが、経費を切り詰めるため、編集者が校閲を兼務する出版社が多いと聞く。本書の版元もそうなのだろう。校閲を省いたばかりに、この版元は著者を笑い者にし、自社の名前をおとしめてしまった。無残なことだ。

Wednesday, June 09, 2004

Feeling Okay

月曜日。おととし分の所得税払う。

Dr. Goh には電話でもいいから、「大丈夫」だと伝えた方がいい。

Monday, June 07, 2004

Gipper Dies

今日(日曜日)のニュース。

Ronald Reagan died. RIP.

前日にレーガン時代のことを書いたばかりだった。Straits Times には健康状態悪化で、その時が来るのが「数日後か、数週間後か、数カ月後かはわからない」という記事が出たばかり。

Reagan, Thatcher, Gorbachev が国際政治教育をしてくれた人たち。

Friday, May 28, 2004

$$$$ Flying out

火曜日。オバQ に頼んで、送金してもらった。残高が半分以下になってしまった。

北朝鮮は「首相が来ないと家族を帰さない」と言っていたらしい。人質をとって、脅迫か。

Saturday, May 22, 2004

Jpn Housewife Arrested for Drug Charge

「日本人主婦薬物所持で逮捕」のニュースは木曜夜の FM ラジオで知ったが、昨日の朝、ST に掲載された記事と夜 ST サイトに掲載された AP 通信の記事内容が違うので驚き。

年齢が違うし(31歳と29歳)、最高刑も違う(最高3年と最低3年/最高20年)。

年齢と刑期という客観的事実がどうしてこうも異なってしまうのか。

数日前の民主党党首選びで、「岡田丸」を「オカダガン」と読んだのは、どこのテレビ局だったけ。

首相の再訪朝、向こうの思うツボか。「最悪の結果」とは言わないまでも、「最低の期待を満たしただけ」で、わざわざ首相が行く必要があったのか、と考えさせられる。北朝鮮の「再調査」なんて、信用できるはずがない。家族会との会見での首相。こんなに緊張して疲れた様子を見たことがない。

PM's Second Trip to N. Korea

首相が今日、2度目の訪朝。「切り札」を出して解決できなかったなどと、歴史の汚点にならなければいいが。

昨日(木曜日)。覚えのない番号から電話。CKYT の N さんだった。和訳のチェックの依頼で、会社まで来てもらった。しかし、電話のとき、KMFS で会ってたときとあまりに言葉使いが違っていて驚いた。「FZ さんでいらっしゃいますか?」ちょっとビックリ。

今週、面接した一人の採用を決定した。「ぶっつけ本番」になる見通し。最初から多く望むのはやめた方がいいかもしれないが、基本的に不特定多数の人の目にふれるものをいい加減に扱えるわけがない。

新聞の読み方は、明らかに変わった。情報源としてだけでなく、文章の構成と内容が気になる。ハデな見出しにしておきながら、内容の乏しい記事もめずらしくないし、「起承転結」などお構いなしの記事もある。

Monday, May 17, 2004

Energetic Me? Am I Sure?

この週末、たくさん読んで、たくさん仕事をすることにしていた。おおよそ達成できたが、まだ不足。

土曜日の午後は日本語クラスがあり、午前中は眠っていたい気持ちに勝てず、何かを済ませるほどの余裕がない。

日曜日の新聞には、採用できる記事が少ないものの、「E を読んで、本を読んで、食事を作って」では、当然時間が足りない。特に、Synphinics からの仕事があったこともあって、土曜日の新聞をその日のうちにチェックできないという有様。

このSynphonics という会社、なぜ"Symphonics" ではないのだろうかとずっと疑問に思っている。

「会社の仕事をうちでやること」をヨシとしないことを主義としてきた自分としては、はなはだしい変化だが、機会があればやってみてもいいと思っていたことなので、作業自体にはそれほどの苦痛は感じていないどころか、時間さえ許せばもっとやってもいいとまで感じている。

Saturday, May 15, 2004

Taking up Extra Work for $$$$

編集スタッフの採用まだ。発刊の1週間前では、「ぶっつけ本番」になり、危険。最悪でもその前の週からシミュレーションを始めたい。理想はそのもうひとつ前から業務の流れを知ってもらいながら、「新聞記事」らしい文章を書くトレーニングに費やしたい。

記事の処理速度は、平均して6本ぐらいか。昨日(木曜日)3つ、今日(金曜日)9つ。

けさ、シンガポールの高層ビルが崩壊する夢を見た。新聞の読み過ぎかもしれない。

昨日、Synphonics から別の仕事の依頼あり。月曜日締め切り。余分な仕事は本当はしたくないが、「背に腹は代えられない」。

今月末、国民年金保険料の納付期限。あと、京都の家賃にアロハシャツ。残高がアッと間に落ちていく。

Sunday, May 09, 2004

Encounter with "JBJ"

夕食、まだ。けさ4時ごろまで「作文」してたので、起きたのが昼になってしまった。

今後、平日にE を読む時間があまりないと思われるので、週末にどれだけ読んでおけるかが重要。まとめて買った本も「のぞみ」のスピードで読んでいかないといけない。

兄に送る年金納付書を準備した。あした投函できればいいが。

4月28日(金)。City Hall MRT のエスカレーターを上がったところで "JBJ" 発見。著書を1冊(サイン入り)買って握手した。02年12月に次いで2度目。

雑誌読んで、本読んで、洗濯して、食事作って、時間が足りない。

実は昨日と今日の新聞をまだ読んでいない。

Job Applicants Interviewed by Me

マレーシアからの分離の過程を辿った"A Moment of Anguish" は半分終えた。

新聞をすみずみまで読もうとする毎日が進んでいる。これまでやりたいと思っていたことであり、喜んでこの仕事を受け入れている。

しかし、量的にひとりでこの仕事をこなしきることは不可能と言ってもよい。昨日(7日)、4人を面接したが、印象に残る人はない。「翻訳の仕事をしたい」とその現実を知らずに考える人の浅はかさを改めて感じる。翻訳経験のある人でさえ、こんな文章でこれまでよく受け入れられていたものだと驚く。翻訳力で言えば、過去に校正した文章のうちでほぼ最低ランク。さらに、情報と知識の不足が著しい。「マハティール」を知らない人。彼を「前インドネシア大統領」とした人。ハイウェイの陥没事故は知っていても、他の出来事をさ~っぱり知らない人。「ビジネススクール」に通っていながら、最近の地元銀行の動きを知らない人。ツアーコンダクターの仕事で外貨両替の経験があるだけなのに、「外国為替」ができると平気で応募書類に書く人(給与 S$4,000 希望)。なめとんか。

英語がさっさと読めることに加えて、経済の基本的な仕組みぐらい知っておいてもらわないと、この仕事はできない。もうちょっと「やるな」と思わせる応募者はないものか。来週月曜日のもうひとり面接。悲観的。今回合格者なしか? ひとりでやる覚悟をしておくべきか?

火曜日。IRAS へ送ったメールの返信がなく、所得税を支払っていないことがいよいよ気になり、一旦会社へ行ったあと、直接行ってみる。ARN からもらった書類を残しておいてよかった。ただ、会社が記入すべき欄が空白になっていたり、社印がなかったりで、「こんな会社がときどきある。経理がいるはずなのに」と担当者に言われ、自分の責任を問われないことにホッとすると同時に、あの会社の恐ろしさをまた感じた。記入した書類は、今日(8日)投函した。

同じく今日(土曜日)。CCの日本語クラス再開。

Tuesday, April 27, 2004

I'm Not Evading Income Tax...

午前、EP オフィスに行って、カードをもらってきた。

さっき、気になっていた所得税のことでIRAS にメールした。こっちに非がまったくなくても、イヤな気分。

Sunday, April 25, 2004

Learning New Things in KL

昨日の午後、KL から戻ってきた。(KL には山も丘も坂道もある!)(「クアラルンプール」のことを KL と呼びながら、シンガポールを「シンガ」、ロサンゼルスのことを LA ではなく「ロス」、サンフランシスコのことを SF と呼ばずに「サンフラン」などと呼ぶ不思議。)

当初、金曜日の夜に帰る予定だったが、もう一泊することになった。翻訳のこと、日本語の文章の話、いくつも意味のある会話ができて有意義だった。記事をずっと追いかけている人に特有のことなのかと思うが、共通点がいくつもあってうれしい。

かなりの刺激になり、自分にとって日本語への関心が増すことは、すなわち他言語への関心が増すことを意味し、特に、マレーシアから戻ってくるバスの中で読んだ New Straits Times に掲載されていた 80 歳を迎えたジャーナリスト、Tan Sri A. "Pak" Samad Ismail についての記事を読んだからか、今後英語のwriting クラスを受講してみたい気にさえさせられた。自分はこれまで「翻訳者」という立場でのみ仕事をしていたので、原文にある情報は訳文にすべて反映しなければならなかったが、これからは情報の取捨選択をしながら文章を作り上げなければならない。文章の理解力と作成力、また(読者にとって)何が重要で何が重要でないのかを見分ける能力をさらに鍛えていく必要がある。

シンガポールの歴史、政治制度、選挙制度、教育、福祉など、まだまだ詳しく知らなければならないことが多い。

さっそく昨日の夜、シンガポールのマレーシアからの分離独立の過程についての本、(今まで読むことを避けていた)リー・クアンユーの自叙伝、Dr. M に関する本などを買ってきた。

マレーシアとシンガポールがこれまでになく身近なものとなってきた。これはおもしろい。

EP 申請が承認されたと木曜日にきいた。

Sunday, April 18, 2004

Going to Kuala Lumpur

明日から金曜日まで、クアラルンプール。

Saturday, April 17, 2004

Freed Hostages. Now Time to Pay?

日本人3名の解放で、損害賠償請求の可能性を言う人が出てきた。当然だろう。

Thursday, April 15, 2004

Fined for Overstaying

EP 申請したけど、不法滞在一日で50ドルの罰金とられた。

Wednesday, April 14, 2004

SDF or Japanese Army?

陸上自衛隊が駐留するイラクのサマワで14日午前、外国軍の駐留に反対するデモがあり、「オランダ軍と自衛隊に告ぐ。占領軍の犯罪行為は(イラク)市民への敵対行為だ」などと書いたビラを配りながら市内約4キロを行進した。サマワでのデモが自衛隊に言及したのは初めて。(朝日新聞)

元の文章は「オランダ軍と日本軍に告ぐ」ではなかったのかな?

Sunday, April 11, 2004

Going Back to Work

明日から仕事。

"England Made Me" 終了。仕事が始まる前に終われてよかった。「前振り」の長い話で、文脈を理解するのが少々困難だった。でも、("The Quiet American" の"Pyle" と同様に、)Anthony が死ぬだろうという予測はできた。73年に映画化されていたことは今日知った。ナチスドイツが舞台というから、原作と内容はかなり違っていると思う。

人質解放されるという情報。何か金銭のからんだ取引きがあったとしたら、使われた税金の返済を求める賠償訴訟をおこすべき。

Saturday, April 10, 2004

Three Japanese Held Hostage in Iraq

イラクで拘束された日本人3名。政府と与党の自衛隊派遣決定に反対し、退避勧告が出されていることも承知し、また危険な場所であることも十分認識していたはず。それでもこの人たちを救出に努める政府。無責任な民間人3名のために国の政策を変更する必要はなし。「国のメンツか人命か」などという問題ではない。「家族を救ってくれ」ではなく、「ご迷惑をおかけしております」だろ。政府の努力が実り、無事解放されても、この人たちは政府の方針に反対し続けるのだろうか?

同日、拘束された韓国人グループはカネを払って解放されたとの一部報道あり。

Thursday, April 08, 2004

Back to Z&Z

2004年4月8日(木)23:08

けさ、4時まで眠れなかった。ヘンな夢ばっかり見る。またZopiclone が必要。今日、クリニックに行って、Zopiclone とZoloft をもらってきた。

Saturday, April 03, 2004

Another Turning Point with Expectation of Breakthrough

土曜日(3月27日)。西宮のNくんに30日放送の「関西テレビ」の深夜番組「帰らざる黄金の日々、南海ホークスへの鎮魂歌」の録画を頼む。

同じく土曜日。夜、HRMS 宅へタクシーで行く(遠~い)。翌日の午後、タクシーで帰宅。

月曜日(29日)にMS のKaren からメールをもらった。CY から「ARN 退職」のことを聞いたらしい。返信すると、水曜日(31日)の彼女からの再度のメールで、彼女もMS を今月(4月)半ばで退職。MSプロジェクトを知るPE Centre の他のメンバーもMS の社内外に「散り散りバラバラ」になってしまったことを知る。こうして歴史は辿ることが困難となっていく。

水曜日。ARN に行ったとき、上條さんから「新潮45」が届いていた。メールでお礼を伝えて、「新聞への連載」の可能性をたずねた。

この「新聞の件」は経験がないので、やってみないとわからないが、「ハマリ」そう。

昨日(2日)も朝、起きた。オバQ と出かけてCJ で点心ランチ。そのあと歩き回ってピザディナー。

うちの体重計は正確なのだろうか? 何人かの人に「痩せたね」と言われたけど、実際5キロも体重が減っている。信じがたい。減ったのはアルコールの消費量で、特に食べる量が少なくなったわけでもないのに。飲むビールと焼酎の量が減って痩せたのだろうか(カロリー不足)?(しかし、めずらしいことに、昨日からすぐ空腹になって困る。)5キロ増やそうと思ってたのに。

去年12月にサイフを失くしたときにKrisFlyer のカードも失くして、昨日やっと再発行を申請した。ParagonのSIAに行って、"reissue"して欲しいと言ったら、"replace"かと言われた。すでに失くしてるのに、どうやって"replace"できるのだろう?

Thursday, April 01, 2004

Sayonara to ARN (for the Second Time)

"Rivonia's Children" を先週末に終了。すぐに"Let a SIMILE Be Your Umbrella" を読み始める。

月曜日にARNに行って、正式に退職。昨日(水曜日)にEP取り消し後のパスパートを受け取りに行った。前回(1年前)の申請の際に提出した書類のコピーをもらおうとしたら、3年前のものしかなかった。なぜだろう?

昨日と今日、朝起きた。うれしい。でも昨日はずっと夢を見ていた。眠った気がしなかった。昼はオバQのおかあさんがランチをごちそうしてくれた。

同じく昨日。ワールドカップ予選(ジャランベサール)。テレビ観戦。ハーフタイムで「富士通エアコンCM」あり。ずっと格下のはずのシンガポールに苦戦。

「ホークス・アロハシャツ」を注文していたけど、3月末の予定が6月になると25日にメールをもらった。問題ない。

Thursday, March 25, 2004

Pro-Japan Korean Writer and Apartheid

EPが27日に切れるので、退職の手紙と2月分の給料をもらいにARNに行ってきた。行きたくなくて、「あと10分、あと5分」と出かける時間を引きのばしていた。…が、行ってみると何にも用意されていなかった。「木曜日の午後に行く」と伝えていたけど、「来週」の木曜日と思われていたよう。社員のビザがいつ切れるのか管理していないようだ。来週、月曜日にもう一度行く。

「さいた」から借りた本のうち、「金正日入門1、2」「戦争論1、2、3」「お~い竜馬」「『親日派』のための弁明」を終えた。「『親日派』のための弁明」には、かなりのショックを感じた。最終的には韓国人自身が考えるべきことであり(早く考えなさい)、「加害者日本」が口をはさむと問題の解決が遠のくだけだろう。

"Rivonia's Children" を数日中に読み終えたい。これは1960年代前半の話であって、米上院の司法委員会で民主党のJoe Biden がレーガン政権の「建設的関与 (constructive engagement)」政策をめぐって、当時の国務長官George Shultz を激しく攻撃していたことが思い出される80年代後半にアパルトヘイトが世界的に問題視された時期以前のこと。いつの世も良心をもった人たちがいることに感動する。ただし、冷戦期の米ソ対立がどう影響したのか、ここではわからない。

アパルトヘイト下の南アフリカで「名誉白人」と分類された日本人の断罪は決して行われていない。

その他、途中になっているのは "England Made Me"。

Saturday, March 13, 2004

Who Are You, Mr. Ken'ichiro Ura?

昨日。KMFSNに行った。ずっとうちにいるのが何かこわくて。知った顔がいくつかあってよかった。初めて会った人とも話ができた。最近Channel 5 で発見した「富士通エアコン」テレビCMの「日本語セリフ翻訳」が自分の仕事だと話すと、ある人は、「外国のテレビCMになるなんてすごい」と言ってくれた。(この仕事でもらったのは確か30ドルだったか。)閉店後、「さいた」んちへ行ってまた飲んだ。いい話もできた。たくさん本を借りてきた。タクシーで朝4時帰宅。

何時なのか見当もつかず、起きたのは結局夕方だった。またヘンな夢見ていた。冷凍庫の中に濃い黄色をした粒状のゴキブリ除去剤が入れてあって、それが溶け出して氷と混ざりあって危ないから、何とかその薬剤と氷を分けようとしていた。冷凍庫の扉がなぜか液晶テレビ画面になっていて、その角度じゃ「見えない」と兄が言うので、足でけって角度を変えた。

デパートの中の和食レストラン。オバQの両親(旧正月に実際に会った人とは違う)が目の前に座っている。「おかあさんの会社」のミーティングに招待された様子で、社員が何人か他のテーブルに座っていた。自分は社員でもないし、会話もなく、「居場所のない」雰囲気でつらい。まず最初に「漬物」がいろいろと運ばれてきて、シンガポールの和食レストランだから仕方ないとあきらめながらも驚く。その後、テーブルには「ごはん」がでてきた。その横には、レトルトパック風のカレーが封を切った状態で置いてあった。(「パルナス」に続いて、「♪メタルゥインドォカレ~」を今思い出してしまった。)

オバQはデパートの売り場に行ったり、このレストランに戻ってきたりしていた。気がつくと隣に日本人の男性が座っていて、日本語で話しかけられた。彼は、「渡辺久信」(西武~ヤクルト)にちょっと似ていて、また見たことのある日本の若い俳優(名前は知らない)にそっくりだった。自分と面識があるみたいで、「普通」に話しかけてくれていたが、自分にはその人が誰なのかさっぱりわからず、そのことを隠そうとして、以前からの知り合いであるように振舞っていた。

いつの間にか、窓際の席に彼と2人で移っていて、「すし屋」のメニューの翻訳について打ち合わせしていた。そこで彼が「浦健一郎(うら・けんいちろう)」という名前の人物であることを思い出した。打ち合わせの途中にかかってきた電話に彼は丁重に応対していた。でも、「浦健一郎」って誰?

レストランが何軒もあるこの階のトイレを探して苦労する。(ホントにトイレに行きたかったんだろう。)トイレを探す途中で出会ったレストランの人たちが自分のことを知っているようで話しかけられていた。

「南海ホークスがあったころ」の著者とは世代が同じで、ホークスと言えば「野村南海」であって、藤田学への想いも同じである。

京都の部屋のベッドの下にずっとあったホークスカレンダーにポスター、いつ捨てたのやら。

Friday, March 12, 2004

And Suddenly, ПАРНАС Songs

ずっと仕事に行けないまま。(もう行きたくない。)気分はわりとよかったり、ひどく悪かったりして落ち着かない。薬は飲み続けている。

これまでと今と何がそんなに違うのだろう? 今と比べれば、酒量もずっと多かったのに、気分はまだよかった。こんなに「ぼ~っと」してなかったし、仕事がイヤでももう少し「活動的」だった。

仕事に行ってないんだから、せめて本を読もうとしている。

数日前、"Out of the Darkened Room" を読み終えた。ずいぶん以前に読みかけてそのままにしていたもの。買ったときは、自分と親のことを想像していたけど、そのうち自分自身のことについて読んでいるように感じ始めた。継続中の話ではあっても、当然「うまくいった(いっている)」ケースの例で、この他に助けられなかった例がどれだけあるのかも知りたいところ。しかし、オバQにはぜひ読んでほしい本。

その他、読み終えた本。"Travels with My Aunt"、「沈黙のファイル『瀬島龍三とは何だったのか』」、「『満州国』見聞録」(訳文のにおいがプンプンして読みにくい)、「南海ホークスがあったころ」、「門」。今は、"Rivonia's Children" を読んでいる。

「門」の主人公「宗助」は「神経衰弱」という設定だけど、禅僧に会いに行くことを決めるまでは、毎日きちんと出勤してるし、痛飲してる様子もない。過去がどうあれ、体調をおかしくすることなく、静かに暮らしているようだけど。

オバQとは、最近衝突ばかり。先週の土曜日にHRMSとLeona がまた来たと知ったら、また例の通りだった。彼は彼のやり方で自分のことを心配してくれて、元気づけようとしてくれているのに。

今日も、彼女のやることで何が自分の気持ちをイライラさせているのか正直に話したら(話してほしいと言われたので)、何の結論にも達することなく、ただ泣き出して感情的になるだけ。

30年ほど前の写真(昭和49年、50年、51年、大阪球場)のネガを探してみたけど、さすがに見当たらない。いつも「そこ」にあるものだったのに。いつどこで処分してしまったのだろう?

やっぱりない。それにしても、もったいない。東淀川に引越したときに捨ててしまったのか、それともそれ以前か? いつか、「ひょっこり」出てきてほしい。

♪パルナスの歌

ぐっとかみしめてごらん ママのあたたかいこころが
おくちのなかに しみとおるよ パルナス
あまいおかしの おくにのたより
おとぎのくーにの ロシアの ゆめの
おそりがはこんでくれた パルナス パルナス
モスクワのあじ パルナス パルナス パルナス

そっとかみしめてごらん あいのうるわしいこころが
ふたりのほほに しみとおるよ パルナス
あまいささやき めとめでかわす
はつこいのささげる パルナスが ふたりを
しあわせに むすんでくれた パルナス パルナス
ゆめのケーキ パルナス パルナス パルナス

ぐっとかみしめてごらん ママのあたたかいこころが
おくちのなかに しみとおるよ パルナス
ボリショイス チャースチ ぺチェーネ ベリョーダ
おおきなしあわせ パルナスが パパとー
ママとー わたーしたちに パルナス パルナス
しあわせのあじ パルナス パルナス パルナス

♪お誕生日の歌

まごころこめて 送ってくれた 
やさしい心を 忘れない パルナス
いろんなことが あったけど
生きていく 生きていく
喜びが 泉のように 湧いてくる 
(お誕生日おめでとう)
しあわせをみんなで わけよう わけよう 
パルナスの パルナスの バースディーケーキ 

あすへの夢と ねがいをこめて
ふきけす ローソクの 小さな火 パルナス
いろんなことが あったけど
ほのぼのと ほのぼのと いつだって
ゆたかな心を わすれない
(お誕生日おめでとう)
しあわせをみんなで わけよう わけよう 
パルナスの パルナスの バースディーケーキ

Saturday, February 28, 2004

"Hikikomori"

ひきこもり。

Tuesday, February 24, 2004

pqnv46ubpwqeo tiuw4[aou

人の大きな声にイライラする。イライラさせるなら、話しかけてほしくない。昔、親が即答を求めたときに感じたのと同じ。脳に考える時間を与えることができず、「ちょっとだまってくれへんか」と思う。ずっと、静かでありたい。耳元でキャンキャン吠えないでほしい。

いくつかの感情の種類は、昔のものと同じで、そのころすでに何かが狂っていたことが繰返し証明される。ただ、今となっては抵抗する感情を「爆発」させることもできない。爆発は何倍も大きく、しかも内部爆発になるだろうから。

Doctor, thank you so much. In so many senses, you have been so so so nice to me. Maybe so much nicer than you think you have been. And you have saved me until now. You have been an important person to me and you are like my friend with whom I can be very honest. I should have talked to you directly and I wanted to do so. I had no energy to go out over to your office. Now I’m regretting not seeing you tonight. Whatever happens to me, I will be forever grateful for your help. Doctor, you take very good care of yourself.

Calling It a Day, Once Again

「ノムラ」は青少年にいい影響を与えてると自分で思っているのだろうか?

明日(24日)、辞職を申し出る……かもしれない。

仮にも、翻訳者の端くれとして、言語をこんな風に扱いたくない。高尚ぶるつもりは毛頭ないが、これは異常事態だと言っても言い過ぎではないだろう。もちろん、これでは体の調子もよくなるはずがない。

Monday, February 23, 2004

Dead Tired... and "Nomu" Keeps Talking

疲れた。本読んで、日記つけて、その上仕事して。立ち上がりたくない。

Doctor, I'm falling through the net... I don't know how I can pull myself up...

シダックス野村克也GM兼監督(68)が…「少年野球から中学、高校、大学、社会人、プロ野球とピラミッド型の機構にしないと野球界全体が機能しなくなる」と持論を展開。プロ選手についても「中村(近鉄)の金髪は信じられない。スーパースターの長髪、茶髪、ヒゲは青少年に悪影響を及ぼす。そういう点で松井(ヤンキース)には頭が下がる」と球界全体に警鐘を鳴らした。(日刊スポーツ)

この人、まだこんなこと言うてんのか。もういい加減にしてほしいね。

Ralf Nader、また来た!

Sunday, February 22, 2004

Carlos May

木曜日、JEMからメールあり。離婚するかもしれないとあった。タツはどうなるんか……。

金曜日、仕事に行かなかった。電話は無視した。疲れた。「その代わり」本を3冊、買った。そのうち1冊は「南海ホークスがあったころ」。

76年のオールスター第3戦(大阪)。先発はパリーグが江夏(南)、セリーグが江本(神)。この試合の写真、どっかにないんかな ?(藤原満の1枚だけ発見。)

あの年のユニフォームがスッキリしててホークス史上最高と思う。

以下はあるサイトで発見した釣り人の文章(原文のまま)。

「しばらくして、僕たちのボートに別のボートが近づいてきた。家族で来ていたメキシコ人。『あんまり釣れないね。』とか話してたら、この人達はバケーション中で、1週間前はウィーティースに行ったとのこと。そこでは1日で70匹釣れたって!10lbクラスもそこそこ出たって!全部食ったって!!ウィーティースといえば、僕たちがエルサルトかそこか?って迷った場所だよ・・・。そんなこと言っててもしょうがないか・・・。 なんて話しをしてたら『君たち日本人?』catch & eatのオッチャンが聞いてくる。なんとこの人、カルロス・メイは70年代後半、南海ホークスでプレイしていた外国人助っ人。(後で調べたらとんでもない人だったみたい。)
『ノムラ、カドタにヨロシク!』だって。だから会わないって・・・」

メイは「ノムラ」とはいっしょにやってないんだけど。

見る夢は悪夢。仕事は相変わらず。

先週初めにチェックしたN** の「インド」ファイルの訳があまりにひどく、それがオヤヂ(オサーン)の仕業だと気づいてキレた。許さん。絶対許さん。

もういい。生まれる前にいたところに帰りたい。

CCに「行こう、行こう」と思いながら、先週末も昨日も今日も行かず。特に今日はクラスの終わりに「行く」って言ったのに。

Saturday, February 14, 2004

Another Unpaid Busy Working Day

会社に行かなかった。でも、あんまり忙しいので、うちで仕事した。(また)

めっちゃ、イライラする。3000単語どころか4000単語やないか! この仕事、えぇかげんにせぇよ!(「貧乏ゆすり」してる。)

N**(超大手電気通信会社)もこんな市場調査を基にするなんて大変。「2万枚のカード発行して、50万枚回収」ってどういうことやねん。"Identity identification" ってなんやねん。英語、知ってのんか?

Thursday, February 12, 2004

Unpaid Busy Working Day

会社に行かなかった。でも、あんまり忙しいので、うちで仕事した。

個人的な仕事も続く。「ウコン」「浄水器」「豆乳ヨーグルト」。今度は「DVDプレーヤー」。クリスマスあたりから、ずいぶんカネをなくしたり、使ったりしたので取り返さないと。

Sunday, February 08, 2004

"Kimigayo" That Must Be Moving

歌手・錦野旦(55)が7日、カシマスタジアムで行われたサッカー「キリンチャレンジカップ2004日本代表×マレーシア代表」戦で、君が代を独唱した。赤い上下のスーツ姿で登場した錦野は力強い歌声を披露。デビュー35年目で初めてアカペラで君が代を歌い、会場から盛大な拍手を受け「ドキドキしたけど今までの歌手生活の中で最高に感動しました」と感無量の表情。(スポーツニッポン)

彼、韓国人だけど。

けさ、4時ごろまで飲んでたので、起きたのは昼をすっかり過ぎた時間。Eを1週間遅れで読んでたら、また眠くなって寝た。部屋の掃除してる夢見た。ここより広いリビングルームのアパートだった。

"Twilight Samurai"

今日(7日)。久しぶりに日本語クラスやった。その後、会社で7時過ぎまで仕事する。おかげで左腕の神経がおかしい。

CC に行くつもりで、Somerset で MRT を降りたのに、Isetan で買い物して帰ろうと気が変わる。Orchard まで乗ってればよかったと後悔する。Isetan には行かずに、HMV で「たそがれ清兵衛」のDVD を買って、Paragon の Market Place で買い物してタクシーで帰ってきた。

こういう気の変わり方がときどきある。しっかり考えたつもりなのに変更してしまう。

「たそがれ清兵衛」、いい映画だった。「たそがれ」的人間でありたいと思う。(酒飲みたいと思う限りムリ。)

Friday, February 06, 2004

Condition Deteriorates. Almost Erases Myself

最近、EP がどう感じていたのかわかるような気がする。あんまりしんどいんで酒を飲む。飲めば飲むほど、感情が深くなり悲しさが増す。安定剤や抗うつ剤を飲んで楽になろうとする。症状がさらにひどくなる。

出社できるだけでも自分は満足なのに、アホはあまりに冷たい。

月曜日の午後。NKGMさんからジムに誘われていた。前日にそのための買い物までしたと言うのに、朝起きると、雨で行く気が失せた。そのかわり、3時にCYとも待ち合わせてお茶。

火曜日の夜、F さんから呼ばれてCCとPL に行った。帰ってきて急に死にたくなった。会社でまたまたイヤなことがあったから。クビ吊りや飛び降りは後始末が大変だろうと思って、それから7階は高さがなさすぎるように思ってやめた。持ってる睡眠薬を数えたら15 錠ほどしかなくてこれもやめた。

"It's not like mixing coffee and milk." (Barry)

自分につらくする他人にどれだけ自分がつらく感じてるかを思い知らせるのは、死ぬのがいちばんだと考えたわけ。

水曜日の昼。一旦、家に戻ってきて「ヨーグルト」の仕事、できたとこまで送る。夜、残りを終わらせて送る。

仕事が忙しい。「言葉」をこんなに軽々しく扱っていいのだろうか? 時間をかければいいものができるというのは真実ではないが、この速度は異常と言っていい。言葉を単なるモノと考えて、カネ儲けの材料だけにするような行いは慎まないといけない。ま、「アンタ」には理解できないだろうが。

最近の仕事、1日3000 単語をかる~く越えている。ただのサラリーマンなのに。

神戸市兵庫区の市立和田岬小学校(岩島靖校長、263人)で5日、給食の時間に2年生児童11人におにぎりを握らせた際、担任の女性講師(53)が塩と粉せっけんを間違え、児童4人が腹痛や吐き気などの症状を訴えていたことが6日、わかった。
4人は病院で異常はないと診断された。学校側は児童の家庭を訪問し、謝罪した。
市教委によると、講師は5日午後零時半ごろ、児童の手に粉せっけんを振りかけて、給食の余ったご飯でおにぎりを握らせた。児童らは味の違いに気付き、一口か二口でおにぎりを吐き出したという。粉せっけんは配ぜん台の引き出しにあった半透明の容器に入っており、講師は「一度も粉せっけんを使ったことがなく、塩だと思い込んでいた」と話しているという。
市教委健康教育課は「信じられない間違い。余ったご飯は廃棄するか、器で分け与えるべきで、周知徹底したい」としている。(読売新聞)

信じられない「間違いに間違いない」。余ったごはんを廃棄するなら、譲ってくれ。

Monday, February 02, 2004

"Hawks 16" Loses

大阪府知事選挙、江本敗れる。
Anil からのメール発見。返信する。

Sunday, February 01, 2004

Court Case, Osaka Stadium, Soybean Milk Yogurt

金曜日(1月30日)。なぜか、すっきり目覚める。朝、会社への途中、Raffles Hospital の交差点で、裁判所に向かうO さんと出会う。夜、CC で判決を知る。今頃、彼は何をして時間を過ごしているのだろう?

CC の後、KMFSN に行く。

昨日の朝の夢。昔の京都の家にあったような「物干し台」。そこから改装された大阪球場が遠くに見える。赤、黄、緑と派手に塗り分けられたシート。あれは3塁側スタンドの一部か。急いでカメラを持ってきて写真を撮る。その大阪球場へと出かける。スタンド入口へ通じる階段が昇れない。地面に足が埋まってしまったか、鉛でも引きずってるように。自分の手で自分の足を運び、動かす。入口の掲示にあったのは、なぜかボクシングの試合予定。しかも出場選手はホークスから。おまけに選手は1980年代。

昨日の午後。NKGMさんからもらった「豆乳ヨーグルト」の仕事を始める。今日も午後から夜までずっとそれに時間を費やす。うまく進めば、明日終われる。

昨日の夜。HRMS とLON が来てくれる。自分は友達が来てくれてうれしいのに、不在のオバQ はスーパー不機嫌。友達呼んで、何が悪い?? 理解不能。わざわざ連絡したのが間違いか? 正直なだけなのに。

Thursday, January 29, 2004

Ever Keen Hearing in Sleep

仕事、昼から行った。朝、「起きられそう」だった。進歩。でもイヤ。

夢を見てる間、聴覚だけははっきりしているようで、周りの音がすべて聴こえる。覚醒剤で感覚が敏感になると言うけど、似た感じなのかと想像する。きわめて不思議な感覚。

Wednesday, January 28, 2004

Miss Q Comes and Feeds Me Oatmeal

21:58

オバQ 来た。オートミール作ってくれた。でも、あ~しんど。

Weird Dreams and SGR (Again)

今頃の時間(午後2時38分)、家にいるなんて……。雨が降ってきた。

また、ずっと夢をみてた。バス停のような場所。スーツケースとリュックがひとつずつ。一時帰国にしては荷物が多い。スーツケースを自分の前に置いてベンチに座ると、自分のリュックをヒザに乗せて同じベンチに座っている女性を見つける。"Xcuse me, that's mine" と言って返してもらう。もうひとり女性が来て、その人と帰国することについて話す。(英語だったか日本語だったか不明。)

時計を見ると午後3時で、突然、航空券を予約し忘れたことに気づく。もうムリだろうと言いながらも手配してもらおうと、すぐにSGRに電話するが応答なし。左を見ると SGRが座り込んで仕事をしていた。彼が「この時間から取引が多いんだよね」とパソコン画面のグラフを見ながら言う。航空券手配じゃなくて、株の情報でも見ているようだった。

カウンターのある、あんまりきれいじゃない居酒屋風レストラン。背中から見て右から、自分、SGR、もうひとりの男性と並んで座っている。

「ラーメンと『ミソギョーザ』がいい」と言ったのは誰だろう。(叉焼包なんかを売ってそうな)店の入り口で注文できると教えられ(誰が教えてくれたのかわからない)、自分が注文しに行こうとすると「ミソギョーザ」は少し歩いたところにある別の店の方がいいと言われ(誰に?)、席を立つ。

(昨夜、"Body Worlds" の1ドル入場割引券がメールボックスに入っていたせいか、)化石発掘現場のような場所にいて、折れないように人骨を乾いて固まった土の中から取り出す。人の骨だと言っていたが、そんな風にはまったく見えず、割り箸のような細さの骨だった。何本か取り出したあと、さらに見つけるとそれは子供の一体だった。

あんまり明るくない部屋の窓際。男性ひとりと女性ひとりと自分が座って話す。自分が着ている上着の胸に "53"と書かれている。女性が「私も53年生まれだから同じ」と言う。「それは昭和53年のことでしょ。これは"1963" 年のこと」と自分が答える。(どうして"53" なんだろう?)男性は、なぜか「きむたく」似だった。彼が何を言ったのか覚えていない。

本屋かCD屋のフロアのような造りのアパート。ただし本やCDは見当たらない。数人の人とシェアしている様子。同居人の友人(なぜかインド系)が何人か遊びに来ていた。前日買ったばっかりのラップトップPCの電源を入れると、右側から煙が昇る。「えらいことになってしまった」と、かなりショックで、電圧を間違えたことが原因かと考えた。煙の出たスロットから基板を抜き出した。まだ保証期間だから無料で修理してもらえることに安心しながらも、買ってから2日めに壊れたことが恥ずかしい。(何年間か分の日記が読めなくなってしまっていることが気になっているに違いない。)

Tuesday, January 27, 2004

SGR and SM

日曜日(25日)の昼、SGRさんと電話で話す。仕事が順調じゃなく、数カ月して落ち着いたら日本に帰ると言う。なんか、気になったので夜、もう一度電話で話す。本当は、商売の具合ではなくて、もっと個人的な理由だと話す。

月曜日(昨日)。午後、SGRさんからまた電話。数時間後、会社の下の階の喫茶店で会う。本当のことを話してくれた。予想もつかない話でおどろく。彼は自分と同じ昭和38年生まれ。環境は違うけど、それだけでも親しい気持ちをもてた。彼も同様に感じてくれていることを願うし、真実を話してくれたことでそれが証明されているのではないかと思う。経験したことのない状況で、彼と家族が今後どうなるのかまったくわからない。元気でいてほしい。また、必ず会えることを信じる。

今日、夕方。AMから電話があったが答えられず。しばらくしてSMSもらう。J(つまりSMのこと)がCNY休暇中にCCに来て、自分宛にメッセージを残していったという。明日、HK に戻るので電話してほしいと、番号をくれた。電話した。2度と聞くことがないと思っていた声。あとで会う約束をして、彼女からの連絡を待つこととなった。と言っても、明日の朝6時のフライトなので時間はわずかしかない。そのとき、自分はBugis Junction にいたが、数分間どう行動していいのかわからなかった。C'TWN 近くのClub Street にいるときいて、待てずにそこまで行ってしまう。見つけられず。あれから半年になろうとしている。

結局、連絡なし。All over again. Me, stupid forever. 先月、New Year Cardをくれたとき(それ自体驚きだった)返信したメールは受け取っていないと言っていた。不思議。YKTNさんの件もあるし、こっちの問題か。でもOさんは問題なく受信できると言っていたが。

今までの日記を記録したディスクがおかしい。今日、会社のPCで試したけど、読めない。壊れたFDDでムリやり読もうとしてたから壊してしまったのかもしれない。だとしたら、悲しい。大変悲しい。HDDに残した日記も取り出せない。ホントに悲しい。

Sunday, January 25, 2004

Days of Unsound Sleep

続けさまにいくつも夢を見て、すっきり眠れない日多し。

Wednesday, January 21, 2004

Lunar (Chinese) New Year Eve

今日の仕事は「半ドン」。明日から旧正月(春節)休み。

昨日の午後、送金する。今日午後、親と兄から別々に電話あり。

1月2日。正月なので(一応)京都に電話する。元気そうで何より。数時間後、CYと夕食の約束があり、席に着いたとき電話がある。いつ結婚するつもりか? 相手は日本人でなくてもよい。母兄とうまくやっていける人ならよい。「キツイ」性格の人はダメ。いずれは日本に帰ってこい。それだけのために電話してきたらしい。そんな都合のいい話、ある訳もない。日本に戻るとなれば、住む場所も仕事も見つけなければならない。まったく何もない状態からのやり直し。あんまり勝手なことを言うもんじゃない。

Tuesday, January 20, 2004

Collecting Memories

ここ数カ月間、いろんなことが起こった。

8月5日の夜。初めて会ったSM と翌日の朝まで話し込む。人に対する感情に興奮し、幸福だと感じたのはまったく久しぶりのこと。その後、毎日連絡を取り合う。5日で3度会った後、彼女はPenang に行ってしまった。

この月の終わりに、親が「うつ病で入院した」と連絡を受ける。一時帰国するつもりはなかったが、人に話すと「なぜ帰らないのか」と不思議がられたこともあって、9月中旬に急遽帰国の手配をした。自分が帰ったことで興奮したのか、本人は元気そうで「早く退院したい」と言っていた。

Penang からHK、そしてまたPenang へと移動したSM の再来星は延期、また延期となり、10月始め、自分の方が耐えられなくなってしまった。2度と彼女に会うことはなかった。

10月の中頃、親の同症状での入院やSMとの悲しい結末もあって、うつ症状の治療を受けることを決心してクリニックに行く。抗うつ剤 (Zoloft) と睡眠薬 (Zopiclone) を処方される。しばらく禁酒して薬に託す。とりわけ、Zopiclone の効果はすぐに現れ、最初の数日はすっきりした日だった。特に11月からは、状況を改善できるような環境になりつつあるというのに、しかし気分は一向によくならない。まず、偶然引っ越しの話が訪れ、決断。Tomlinson のアパートを引き払う。「家」で生活しているという感覚を得る。11月の2週目から5週間、UbiでGMSとNTTの仕事。いつものようにいい時間を過ごした。食事や酒を共にする機会があって、薬を飲めない日があったにもかかわらず、この期間は毎日気分よく過ごせた。引っ越し中の荷物の移動は、GMSの仕事を終えて、Tomlinson に戻り、タクシーで運ぶという繰り返し。

10月の終わりか11月の初め、YKTNさんから個人的に仕事をもらうも、PCが故障していたこと、引っ越しを始めたこと、GMSの仕事に集中していたことでさっぱり開始できず。今年になって、このPCを買ってからとりかかった。やっと先々週にメールで送ったと思って安心していたら、「届いてない」とメールをもらってビックリする。先週の土曜日にCDで手渡す。「メール届かず」の問題は、今もYKTNさん側が原因だと思う。このPCからだけでなく会社のPCから送ったファイルも届いてないのだから。

この仕事が終わってから、気分は降下する一方。12月23日、買い物帰りのタクシーの中で財布を紛失し、近くの警察署に届ける。このあたりから急に症状が悪くなったように思う。唯一、10~12日にC'Wealthのスタジオでの吹き替えに立ち会ったのが楽しめた仕事の時間。薬を飲み始めてから、気分の波が以前よりよくわかるようになったよう。

“Shut up! I'm talking!” (Barry)

1週間通して、まともに出勤できない有様。

南海ホークス最後の胴上げ投手、 江本が大阪府知事選に立候補 30年前には想像できず。「大阪球場跡からスタート!」はムリやったらしいけど、それやったら着てるジャンパーの色がちゃうんちゃうの?