Sunday, July 18, 2004

How Come Like Dat One Nah?

木曜日の仕事は金曜日の朝3時20分頃まで。印刷もやっと次号から落ち着くだろう。
印刷に問題がなくなれば、内容が一層問われる。ミスは許されない。

今日(土曜日)、去年の税金払った。

多言語ミックスで「お好み焼き」みたいな「シングリッシュ」とやらには、大いに笑かされる。
ここに来た当初は、シングリッシュが「ケッタイ」で、できるだけマネしていた。"Dis one nah..." と最初に言われたときは、それが関西弁の「これな…」のように聞こえ、親しみを感じたものだ。"lah" とか"nah" とか "ah" とかは気にならない。"th" 音が "t" 音になるので、"tree" と "three" や "true" と "through" が同じ発音になるのも、語尾の子音を無視したりするのもあんまり気にならない。そんなカタカナ的発音は多くの日本人にも共通している。(もちろん、カタカナの場合は、「ツリー」、「スリー」、「トゥルー(ツルー)」、「スルー」だが。)

ただ、極端な英文法無視には絶句する。例えば、
"How come like dat one nah?"(なんでやねん?)
"Dis one from where one nah?"(これどこにあったん?)
"Cannot lah."(でけへんわ/あかんわ。)
"Don wan nah."(いらんわ。)
"Can?"("Can you manage it?" や "Can I do it?" を意味している場合が多い。)
などは許せない例だが、「三単現の"s"」や複数形も平気で無視する。
"She don..." などとよく耳にするでしょう。許さない。

ある時、タバコを買いに行って、"I'm gonna have a pack of Marlboro Lights and a lighter too." と言うと、店のオバちゃんに "Two lighter?" と言われたことがあった。許さない。

付加疑問文っていうのがあるが、ここではすべて文末が"... is it?" で終わる。"It isn't that... " と始めたとも仮定できるが、あり得ない。許さない。

言葉の意味をよく知らずに使っていると思われるものに、
Return back(何回戻ってくるんでしょう?)
U-turn back(何回Uターンするつもりでしょう?)
Call back(誰が誰にかけ直すのでしょう?)
Repeat again(何回繰返すのでしょう?)
なんかがある。

それから、構文が見事に破壊されている例には、
"Prawn can eat already." などの場合。これはいっしょに食事をしていたQちゃんの発言で、もう少し正確に書くと、"Prawn, can eat already." だろうか。

鍋物を楽しんでいる時で、「もうエビは食える」と言ったわけだが、それを知りながら、わざと"Prawn can eat what!?" と聞き返してみた。エビに必死だったようで、"Prawn can eat already!" と繰返されただけだった。

初対面のときは、それなりに「マトモな英語」を話していた人が、親しくなるにつれて「シングリッシュ・スピーカー」と化していくのに遭遇することも多い。まだ「マトモ英語」を話そうとすれば話せる人はいいのだが、上記の例のような言語しか話せない人もいるようだ。シンガポールのバイリンガル教育が果たしてきた役割は大きいが、その一方でどの言語も満足に話せない人たち(「ダブル・ハーフリンガル」)を生み出したことも事実だろう。

うちには、1枚の白黒写真がある。某スポーツ紙に掲載されたもの。昭和55年4月21日(月)、南海×日本ハム(大阪)。「5回から登板した藤田学投手が半年ぶりに白星を挙げる」と書かれている。試合終了の瞬間、帽子に手をやって満面笑みの同投手。

藤田学-愛媛県南宇和高校出身。昭和51年パリーグ新人王。
昭和48年秋、南海ホークスのドラフト1位。江川卓、掛布雅之と同年。
2年間の「英才教育」を経て、51年、始めて一軍昇格。前期成績は1勝2敗。後期10勝1敗。年間防御率1.98。翌年から2年続けて16勝。開幕投手として登板した昭和54年の対阪急戦(西宮)で左内転筋を痛める。以後、満足な成績を挙げることなく昭和61年のシーズン後引退。通算成績は72勝65敗。
『南海ホークスがあったころ』(永井良和/橋爪紳也共著、紀伊國屋書店)は、南海ホークスの歴史を辿りながら、都市計画を論じた一冊。この本が藤田学に触れる個所がある。福岡ダイエーホークスのコーチとして、胴上げに参加している藤田学を見つけた著者が感慨深げに彼を語っているページだ。強すぎた阪急ブレーブスの前に優勝できなかった昭和51年と52年。「野村解任」の後は、パリーグのお荷物となった南海ホークス。そして勝てなくなった藤田学。彼が投げる日は、阪急にも勝てると信じたあのころ。彼の野球人生はあの胴上げで報われたに違いない。

No comments: