すっかり朝になるまで眠れなかった。眠ろうとしてダメで“Ousted!” に戻り、また眠ろうとしてダメで“Ousted!” に戻り……を繰り返し、朝にはこの1冊を終えてしまった。
リー・クアンユーは、連邦憲法が定めている「マレー人優遇」に反対してはいないと言うものの、「マレーシア国民のためのマレーシア」を主張する。立場を失うことを懸念した半島のマレー人は華人との人種対立を煽るとして反対。その態度は日増しに過激になっていく。また、当時のマレーシアがスカルノのインドネシアと極めて危険な状態にあったこと(コンフロンタシ)が背景にある。共産勢力と手を組むスカルノは、マレーシア国内でゲリラ活動などを展開するなど、マレーシアを飲み込んでしまおうとしていた。
統一マレー国民組織(UMNO)と華人政党、インド人系政党の3党連合(アライアンス)はシンガポール総選挙(63年9月)でまったく議席を獲得できず、また人民行動党(PAP)が、不参加を表明していたにも関わらず、64年4月に実施された半島部総選挙に候補者を立てたことも、UMNOの態度を硬化させる原因となった。(PAPからの当選は、後にシンガポール大統領になるデヴァン・ナイヤーだけ。)さらに、海外メディアがリー賞賛を始めるとやっかみもあって、両者の関係は修復不可能なレベルにまで落ち込む。同年9月にはシンガポールで人種暴動が発生する。
リーの手法は強引すぎる。正論をぶって相手を論破しても微妙な政治問題の解決には逆効果となる場合もある。「双頭蛇」と呼ばれても仕方ない印象だ。彼の手法は以後も何ら変わっていないようだ。シンガポール国民に「タイやフィリピンのようになりたいのか?」と訴えても、タイやフィリピンが「シンガポールのようになりたい」と思っているかは、昨年、Eの投書にあったように疑問だ。 皮肉なのは、「マレーシア国民のためのマレーシア」を目指したリーが、独立後の国軍創設に当たって「(イスラエル国民のためではなく)ユダヤ人のため」を掲げて恥じないイスラエルの支援を受けたことだ。
最初の数ページ目に「デヴィ・スカルノ」の名前が出てきてびっくりした。
すっかり寝入ってしまった昼すぎの電話2件に応えられなかった。1件はインド。もう1件はコンタクトレンズ入荷の知らせだっただろう。 夢では、かなり機嫌が悪かった。怒りの寝言だった。数日前は「全部壊してもたやないか!」と叫んでいた。
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