Sunday, December 31, 2006

Saddam Hussein Gone... Anything Solved??

一国の元首であろうと、何人であろうと絞首刑寸前の画像を見るのはつらい。これで何が解決できたのか?

Saturday, December 30, 2006

Saddam Hussein executed

Saddam Hussein executed in Iraq

Snowy Hometown

間違いない。夢を見ながら、現実世界の音を聞くことができる。同時に、夢を夢と認識している自分が存在する。どういう心理状態、どういう精神状態なのか説明している本があったら読みたい。

けさ(29日)の京都。MAGNIFICENT!!(上は読売新聞、下は産経新聞から)

Friday, December 29, 2006

No Sleep... Off to Work

眠らなかった……。

来年からのつもりだったが、誘惑が強すぎて昨日から“Stalin: The Court of the Red Terror” を始めた。

Thursday, December 28, 2006

Let Me Hold Your Hand, My Little Boy. I am You

子どもの頃の自分と手をつないで歩こう。苗木だった彼と木になった自分。同じひとりの人間だから。

Tuesday, December 26, 2006

Ando-san, I Remember Your Mistake

ジムに行くつもりだったんだけど、会社前から駅に送ってくれるシャトルバスが来るまで30 分も待ってしまったのでやめた。その前に1台来たが、通り過ぎていった。まだ乗れそうだったのに。

安藤優子さんが再婚した。この人、「ニュースステーション」っていうかなりひどい番組が放送を開始して間もなく起きたフィリピン政変を取材して注目されたあと、別局の報道番組に出るようになった。ボスニアにNATO軍が派遣されて、米軍のたしかヘリコプターが友軍機に撃墜されたとき、クリントンが放送時間中に始めた会見の同時通訳を敢行。そのときは会見の元音声が聞き取れないほど下げられたのでわからなかったのだが、彼女が「ファクス(fax)」で情報を収集とか何とか言った部分は、あとで米テレビ局の放送で確認すると「事実(facts)」を調査中だった。できないんなら、やらなきゃいいのに。一気に信頼なくした。

「日本語を叱る!」を昨日眠る前に読了。

……カタカナ語、漢語、和語、さらには若者ことばやオノトペアを、それぞれ相互に言い換えてみる。
これはすでにして、海外帰国子女と国内在住者、南国の子と北国の子、おじいちゃんと孫などのあいだに、共通の言語を打ちたてようとする試み以外の何物でもありません。そしてその試みは、とどのつまり「翻訳」という概念に帰着することとなるでしょう。国内在住者は帰国子女の言葉を、北国の子は南国の子の言葉を、そして、孫はおじいちゃんの言葉を、それぞれ翻訳して理解しようとするわけですね。(166 ページ)

……漢語と和語との二重性は、もはやホンネをタコツボに閉じ込めるものではなく、むしろそれを、異言語間のダイナミズムのなかに開放するものであると思われます。
……私たちの日本語が、すでに開かれた言語となるための翻訳装置を満載しているということも、私たち日本人が、そもそも国際的なメンタリティーをもっているということも、もはや一目瞭然ではないでしょうか。(178 ページ)

「鳥インフルエンザ」を「鳥インフル」と書き始めたのはどこの新聞だろう。定着してしまったようだが、たいへん気に入らない。「インフル」?「インフラ」?「インフレ」?あと、「インフリ」と「インフロ」が出現すれば完璧か。略したければ「鳥流感」で押し通してほしかった。

Monday, December 25, 2006

Flexibility and Superficiality of Japanese

「日本語を叱る!」は、日本語の「詞」と「辞」から成る二重構造に注目。辞である「テニヲハ」に、漢語、西洋語、カタカナ語、流行語などを詞に当てはめれば、日本語としての体裁が整うことから、意味不明な文章の氾濫につながると指摘している。

……日本語は本質的に翻訳語として発達してきたのであり、根本的に二重構造をもっています。そこからすれば、「辞」は外国語を受け入れる鋳型であり、「詞」は、その多くが出入り自由の外国語であることになるでしょう。
「詞」は外国語なのだから、少しばかり疎遠な言葉でも、一知半解のものでもかまわない。鋳型となる「テニヲハ」さえ整っていれば、まがりなりにも日本語の体裁はつくろえるわけです。また、「詞」は、つねに文化の優れた外国からやってくるものでした。したがって、それはいつでも意味深長なありがたいものとしてうけ入れられてきたにちがいありません。(99ページ)

「詞」がブラックボックスのままでありながらも、私たちは「テニヲハ」のおかげで、どことなくわかったような気になってしまう……融通無碍に外国語を取り込んできた見事な日本語の構造も、実は内部に、言葉を未消化のまま放置するという思いがけぬ陥穽を隠しもっていたのです。(100ページ)

また、感情的に過ぎる文章も批判する。

この記事(「お受験殺人事件」)には、とりわけ周囲の人々の談話が多く、それぞれの引用符のあとに「と驚いた」「と容疑者の動機を理解できないといった様子だった」「と驚きの表情で語った」などの表現が添えられていて、ただでさえ感情的なバイアスがかかっています。
とくに興味深いのは、被害者と同じマンションに住む「飲食店経営の男性(四四)」によるコメントです。「若山さんとの家族とは面識はなかったが、毎日、新聞やテレビで関心をもって、ニュースを見てきた。私にも三人の子どもがいるが、子どもは親の宝物。殺さなくてもよかったのではないか」……
いかがでしょう。ここにはなぜ「家族と面識はなかった」人の談話などが引用されているのでしょうか。あるいはまた、当の男性に三人の子どもがいることなど、事件とは何のかかわりがあるのでしょう。それどころか、この人物が説く「子は親の宝」というお説教までが載せられ、さらにはこれが「宝物」「殺さなくても」という見出しにさえなっているのです。
つまるところ記者は、自分の語りたかった陳腐な常識を彼に代弁させ、読者の感情をあおりたてているわけですね。ここまでくるとこの記事は、もはや荒唐無稽の浪花節と言うしかないでしょう。(142ページ)

自分が常々疑問に思う報道記者のいい加減さが表されている。

Sunday, December 24, 2006

Material Society Cheapens Language

“Wings of Fire” を終えた。「日本語を叱る!」(加賀野井秀一)をやっと見つけて、読み始めた。明日には終われそうに思う。少なくとも正しい文法で話そうとすると、語数が増えて話が長くなる傾向がある。自覚していることだが、「一語文」社会では嫌われる。

The culture of working for material possessions an rewards must be discarded. When I see wealthy, powerful, learned people struggling to be at peace with themselves, I remember people like Ahmed Jallaluddin (husband of Kalam’s sister, Zohara) and Iyadurai Solomon (his teacher at the Schwartz High School). How happy they were with virtually no possessions! (p. 175)

インドが自前の技術でミサイル開発を進めた姿勢は、大手メーカーのモデルをコピーしてきた中国と対照的に自動車製造にも生きている(The Economist, December 16, “A different route”)。

Save the Boy! Just Another Strange Dream...

目が覚めてしまった。虐待というか、無視されているような少し指の爪が伸びた顔色の悪い男児。かと思った瞬間、この男児が白犬に変化した。周りにも同じような犬が数匹いたが、世話を受けていない様子なのはこの1匹だけ。あれ、隣の部屋には猫が5匹いる。何とか不幸な1匹を助けようとしていたら、目が覚めた。

昨日から「delete」も効かない。

「ジャングル鳥」は少し離れた場所へ引っ越したようだ。声は聞こえるが、以前ほど至近ではない。

The Second Russian Revolution

何年も探していた英BBCが1991 年に制作した“The Second Russian Revolution” 50 分8巻)を販売しているサイト(株式会社日本外語協会)を見つけた。336000円だって。ふざけた価格。おまけに個人には販売しないって。あんなにも感動した名作なのに、何で……。

Saturday, December 23, 2006

Long Long Way to Go...

まったく動けず、3カ月の無給休職を余儀なくされた1年前を思えば、進歩前進か。しかし、まだまだ先は長い。

甘ったるいロシア音楽が好きなわりには、ロシア文学に親しむ機会がなかった。ロシアと言えばソ連邦。自分の世代ならゴルバチョフとレーガンの米ソ・サミット、国の崩壊と米原万里が強烈な記憶だ。“American Prometheus” にあったように、スターリンは米国の「特殊兵器」開発に特に大きな関心を示さなかったらしい。来年は“Stalin: The Court of the Red Terror” から始めよう。そして革命前のロシア文学も(もちろん翻訳ものだが)。

Books of 2006

今年1年で何冊読めただろう。米原万里さんには遠く遠く及ばないが、常に何かを読んでいるように努めた。

Noonday Demon: An Anatomy of Depression (Andrew Solomon)
Electric Don Quixote: The Definitive Story of Frank Zappa (Neil Slaven)*
The Unfinished Presidency (Douglas Brinkley)
Generalissimo: Chiang Kai-Shek and the China He Lost (Jonathan Fenby)
Yasir Arafat: A Political Biography (Barry Rubin/Judith Colp Rubin)*
Arafat: The Biography (Tony Walker/Andrew Growers)
Elusive Peace: How the Holy Land Defeated America (Ahron Bregman)
Penguin Special: The Life and Times of Allen Lane (Jeremy Lewis)
菊兵団 軍医のビルマ日記(塩川優一)
死は易きことなり:陸軍大将・山下奉文の決断(太田尚樹)
山下奉文:昭和の悲劇(福田和也)
警察(サツ)回り(本田靖春)
人間将軍 山下奉文:「マレーの虎」と畏怖された男の愛と孤独(安岡正隆)
The Psychopathology of Everyday Life (Sigmund Freud)
The Schreber Case (Sigmund Freud)
Homage to Catalonia (George Orwell)
Touched with Fire (Kay Redfield Jamison)
From Oslo to Iraq: and the Road Map (Edward W. Said)
閉された言語空間:占領軍の検閲と戦後日本(江藤淳)
Zappa (Barry Miles)
メディアの興亡(上下)(杉山隆男)
American Prometheus (Kai Bird/Martin J. Sherwin)
Many Lives, Many Masters (Brian Weiss)
打ちのめされるようなすごい本(米原万里)
Wings of Fire: An Autography (A P J Kalam/Arun Tiwari)†

*水没のため破棄
読了予定

Friday, December 22, 2006

Sakura

桜の木の夢を見た。うちの裏にあった桜。すぐ横に柳の木が伸びている。花の色は本当の桜より濃いピンク。風で花びらの散る。北朝鮮の軍事パレードでも桜が舞っていた。雨で時期を早めて散ってしまった桜。新しく建設された大阪球場も夢に出た。屋根のない天然芝の球場。

Jean Kirkpatrick, RIP

昨日まで、元米国連大使Jean Kirkpatrick が亡くなっていたことを知らなかった。

眠りについて。とにかく眠い。薬のせいか催眠のせいか、わからない。とにかく眠い。

ひどい日本語:倖田(來未)は高さ13メートルの最上階に登場。「いいメンズ(男性)をゲッチューした?」と見物客3000人に呼び掛けた。(スポーツニッポン)おまけに「メンズ」「ゲッチュー」って英語も最悪。

Wednesday, December 20, 2006

Pay Me, You Slut!!

東京地裁が正式な婚約関係になかった男性と別れてから、2カ月後に別の男性と結婚した女性に「不誠実代金」120 万円の賠償を命じた。

今日(19 日)の夜。催眠療法に行ってきた。まだわからない。催眠状態になれるよう「協力的」な姿勢でいるが、邪念が紛れ込む。週1回の予定。今後に期待する。Jurong East から逆方向のMRT に乗ってしまい、ずいぶん余分に時間がかかってしまった。

Monday, December 18, 2006

Early Bird

早起きしてしまった。何度も目が開いたように思うが、そのわりにはスッキリしている。

寝る前に、「打ちのめされるようなすごい本」を終えた。今年読んだ本の中では、印象深い1冊になった。最後の掲載日は5月18 日になっている。その1週間後の25 日、彼女は亡くなった。

Sunday, December 17, 2006

Back to Basics as a Human

今に始まったことではないが、ビジネス記事を読むのがつらい。昔は圧倒的な知識不足を補うことに懸命で、義務感を感じていた。しかし、利益至上主義、能力主義、カネを動かしてカネを稼ぐ個人や企業について読むにつけ、「だからどうだって言うのか」との考えが頭をもたげる。貧乏人の僻みだろうか。貧しいながらも幸せであろうとする人たちの居場所がなくなっていく。1992 年だったか93 年だったか、米国にいたとき、ニュージーランド人の元同僚が自分宛に(偶然にも)チャンギ空港で投函した手紙には、インドネシア雨林に暮らす人たちを、少ない食糧を分かち合いながらも「最も幸せな人たち」と表現していた。

サダム・フセイン時代に命の心配をする必要のなかった一般市民が、利益至上国の軍隊による爆撃で落命する。国の概念より、種族や宗教の方を重視する人たちに米国式の統治を押し付けようとするのがそもそも誤りだろう。

「打ちのめされるようなすごい本」で「戦争で儲ける人たち」という書名で紹介されているのは、“The Iron Triangle: Inside the Secret World of the Carlyle Group” のことで、読んでおくべき1冊だと思う。

Saturday, December 16, 2006

She Read Seven Books a Day

居ても立ってもいられず、書店に向かった。「打ちのめされるようなすごい本」を読み進めてそうしない人がいるだろうか。米原氏は他の著書で、日本語は速読に適していると書いていたはずだが、それは母語だからという意味ではなく、漢字かな混じりの文体が理由だと。しかし、しかしだ。「……受験の丸暗記地獄から解放された頃から(読書)速度は面白いほど伸び、ここ20 年ほど1日平均7冊を維持してきた」とある。「1週間7冊」かと思ったら、何と何と「1日7冊」。そして、付箋を携帯しながら読むべきだとまたしても思い知る。

「打ちのめされるようなすごい本」(29ページ)から。

親類筋の女性Tがかつてネルーの信奉者だった。ネルーの思想と活動に手放しで共鳴し、親譲りの潤沢な資産を惜しげもなく注ぎ込んだ。熱烈なる敬愛の念は相手にも通じたらしく、インド独立式典への招待状が舞い込み、いそいそと出かけていった。貴賓席で待ち受けていると、憧れの君は民衆の歓喜の声に包まれて颯爽と登場。ボロをまとった女たちが感極まって駆け寄り壇上のネルーの靴に口付けしようとした瞬間、ネルーはあからさまに汚らわしいという表情をして女たちを足蹴にし、ステッキを振り上げて追い払った。周囲の囁きから、女たちが不可触賎民であることを知る。Tの「百年の恋」は冷めた。……明治4年の賎民廃止令発布の功労者と讃えられる大江卓が、全国の部落を回りながら、食器だけは持ち歩き、絶対に部落のものは使わなかったという……。(「よみがえる部落史」上杉聰)

彼女が紹介してくれている作品から、丸谷才一、星野博美、斎藤美奈子の著作を購入しようと紀伊國屋へと急いだ。エドワード・ラジンスキーの「赤いツァーリ」も。それぞれ見つかったが、「赤いツァーリ」はペーパーバックしかなく、ハードカバーを求めてBorders に走った。やはり10 年ほど前に初版が出たもので、ペーパーバックしかなかった。ラジンスキーの「真説ラスプーチン」も書棚にあったのばペーパーバックだった。いずれ、ネットでハードカバーを見つけることにして、結局、予定になかった「赤いツァーリ」後に出版された“Stalin: The Court of the Red Tsar” (Simon Sebag Montefiore) “Nehru: a Political Life” (Judith M. Brown) を買って帰った。合計S$145.65

また、来週火曜日から「催眠療法」を開始する決心をした。健康になるためにカネがかかるという仕組みに複雑な気分。「いかがわしい療法ほどカネがかかる」らしい。「溺れる者は藁をも掴む」とはこのことだ。催眠療法が藁でないことを祈る。

Palestinian Civil War?

パレスチナのハニヤ首相がエジプトからガザに入ろうとして阻止され、首相警備員が銃撃により死亡した。阻止はイスラエル国防相の指示だという。その後、西岸でハマスとファタハとの衝突に発展。英BBC は負傷者32人とし、アルジャジーラは少なくとも20人と伝えている。まったく無益だ。ファタハはイスラエルの一部隊に成り下がったのか

Overwhelmed by Her Reading and Writing

行かなくてもよかったのに、JB に行くはめになった。今日(15 日)でビザが切れることを昨日は覚えていたのに、すっかり寝入ってしまい、MOMの業務時間に間に合わなかった。再入国時にまた部屋に連れて行かれた。今度からICA に行くように言われた。そんなことなら、部屋に連れ込まなくても、入国カウンターで伝えれば済むのにと、気分が悪い。ただ、MOM ではないのかと念を押したが、ICA だと言う。まだ半信半疑だ。確認しなければならない。

「打ちのめされるようなすごい本」は第一部を終えた。天国の米原さんには海外で彼女の著作を読んでいる人がいることを知ってほしい。彼女の読み方、書き方をあらためて知って、ここに殴り書きしている自分を反省している。誰に読ませようと書いている訳でもないので、推敲することもなく、日本語の語彙を増やそうとしている訳でもなく、こんなことでいいのだろうかと思う。

第一部のどこかで、「自分にも書けそうな気にさせる」本のことに触れている。米原さんの読破量を知れば、「自分にも読めそうな気がする」と言いたくなる。ただ、おかげでこれから読みたいと思う本がずいぶん増えた。

Wednesday, December 13, 2006

Zionist Regime... Just Like the USSR. Book by the Late Mari Yonehara. Kim Il

"Just as the USSR disappeared, soon the Zionist regime will disappear." (Iranian President Mahmoud Ahmadinejad)

「日本語を叱る!」(加賀野井秀一:筑摩書房)「打ちのめされるようなすごい本」(米原万里:文藝春秋)「韓国野球の源流」(大島裕史:新幹社)「家族力」(山本力:文藝春秋)を読みたい本に選んで、ジム帰りに紀伊國屋に寄った。「一度に買ってもなぁ」と思い、「日本語を叱る!」に絞って探すが、見当たらない。店内検索機を利用してみると、あるじゃないか。それでも見つからない。あきらめかけたとき、隠れるようにして置かれている「打ちのめされるようなすごい本」を発見。迷わず購入した。

大木金太郎(金一)の追悼会・自叙伝出版記念会が東京で開かれた。デイリースポーツには、猪木とブッチャーの写真が掲載されている。猪木、馬場、そして坂口の去ったあとの日本プロレスを守ろうとした気持ち。遺恨試合と言われた新日本での坂口との試合、戸口正徳(キム・ドク)と組んで参戦した全日本での試合についてどう書かれているのか興味あり。

Monday, December 11, 2006

Chile's Pinochet dies at 91

General Pinochet dies at 91.

何で起きてなあかんのやろ……。疲れるわ。「ピント」って何語やろと考えたりしていた。ジャングル鳥は仲間と呼応して相変わらずうるさい。

小橋が武道館で「必ずリングに戻ります」(日刊スポーツ)
 腎臓がんの摘出手術を受けて長期欠場中のノア小橋建太(39)が10日の日本武道館大会で約半年ぶりに公の場に姿を現した。……今年6月に右腎臓に腫瘍(しゅよう)が見つか り、7月に手術を受けて成功。日常生活に支障はなく、現在はリハビリを続けている。

成功するのは手術なのに、「手術を受けて成功」って、何が成功したのか、はっきりせんな。不合格。

イラク報告書は「国民に対する侮辱」 大統領が拒否(共同)

てっきりブッシュ大統領だと思ったら、イラクのタラバニ大統領だった。紛らわしい見出し。

「ピント」を調べると、ニコンのウェブサイトにはオランダ語で「焦点」を意味する「brandpunt」が語源とあった。納得できるようなできないような……。

Sunday, December 10, 2006

Princess's 'Book Review Homework'??

9日は皇太子妃の誕生日だった。宮内庁発表文を各紙が掲載したが、「感想文」っていうのはどうか……。妃殿下の読書感想文かと思った。

昨日午後。ジムに行った。そのあと、Little India までMRT で行ってHillman Restaurant のあるFarrer Park まで歩いた。何年ぶりかでMustafa Centre にも寄ってみた。Orchard 周辺まで戻ったときには汗だらけで、$15 のシャツを買って着替えた。

Saturday, December 09, 2006

Yamaguchi-kun

山口くん……。と言っても、山口敏夫元代議士ではない。中学校で同級生だった秀才山口くんのことで、彼には自尊心というものを徹底的にぶち壊された。彼の父親は自分の父親と交流があったらしい。ずいぶん年齢が離れているはずだが、写真の趣味が共通でうちに何度も来ていたという。そんな昔の親同士の付き合いもあって、2年生で同じクラスになったとき仲良くなったのだが、彼は秀才、自分は上の中あたり。2学期。隣同士の席になり、彼は何様のつもりなのか自分の授業理解に口を出す。

「(英語の)関係代名詞がわからんかったら、この学期は意味あらへんわ」
「……」

という具合だった。

学校で起こったことだったのかどうか場所は覚えてないが、ある日、彼は「キミのお母さんが“(自分のことを)よろしく頼む”と言っていた」と明かし、おせっかいの理由がわかった。親も親なら、彼も彼だ。いくら秀才でも彼は同級生。「息子をよろしく」と言う親もひどければ、それを真に受けて振舞うこいつもひどい。侮辱された気分で、すっかり彼のことを避けるようになった。何に必要だったのか、当然忘れたが、彼に数千円を貸したことがあって、その返済を求めるはがきを送りつけてやった。はがきなら家族の目にも触れることを承知のうえでやったことだった。彼はうちまで返しに来た。「すぐ返してきなさい」とうちで言われたはずだ。彼は私立の秀才コースに進学した。高校生になっても朝の通学電車で会うことがあったが、話し掛けられても無視した。30年近く経った今、どこかで会ってもやっぱり無視すると思う。

Russian Night

まったく久しぶりに“Russian Night” DVD Berliner Philharmoniker, Seiji Ozawa, recorded at the Waldbühne, Berlin, 20 June, 1993)を見て聴いて、そしてみんながあんまり楽しそうなので涙した。夏休み恒例だった八坂神社近くの円山公園音楽堂での演奏会も思い出した。

Friday, December 08, 2006

'Ozato-hen'??

朝9時なんかに予約してしまって……。行けなかった。夜、ジムに行こうかとも思って出かけたものの、行かなかった。明日はジムに行って、できれば仕事にも行きたい。

以下、産経新聞から。

馬英九台北市長(中国国民党主席)の後任を決める台北市長選は、40%を超える支持率で同党の●(赤におおざとへん)龍斌・元環境保護署長(環境相)が先行する。それを与党・民主進歩党の謝長廷・前行政院長(首相)と親民党の宋楚瑜主席という大物政治家が追う展開だ。終盤戦で謝氏が浮動票の取り込みに成功 すれば、市長選をステップに次期総統選の有力候補に躍り出る可能性もある。

漢字「郝」の説明にある「おおざとへん」って。漢字部首の右側を「へん」と呼んでいいのか。左側なら「こざとへん」、右側は単に「おおざと」のはずだが。

Thursday, December 07, 2006

I Need Cymbalta. Really...

朝、クリニックに電話したら、10 日まで休診との留守電メッセージだった。そう言えば、前回薬をもらったときにそんな話を聞いたような、聞かなかったような。その間に薬が必要になった人のために、メッセージには別のDr への連絡用に電話番号が残されていた。休診期間を忘れる(知らない)などという患者は自分ぐらいか。ともかく、その別のDr に連絡して、明日午後9時の予約を入れてもらった。Efexor に代わって処方してもらっているCymbalta が数日前になくなり、けさからあの「電気ショック」状態。万一、余分に出費することになっても、もう待ったなし。

Bad Editing Work

火曜日の夜から“Wings of Fire” を、昨日の夜から数年前に買って本棚に置いたままだったDr. M の演説集“Reflections of Asean” を始めた。

“Reflections…” の編集の悪さは特筆すべきかも。まだ、演説3つ分しか読んでないが、いずれにも意味を成さない個所がある。

本を読んで眠気を誘う人もある。自分の場合、眠くなるのは昼間の読書で、肝心の時間に睡眠を助けてはくれない。

I Knew It

ほ~ら、やっぱり眠れない。

Wednesday, December 06, 2006

I Just Need Some Calmness

15 時間以上、眠った。徹夜明けなんで、仕方ないかとも思うが、情けないことに変わりなし。

何のためにジムに行ったりして、健康を維持しようとしているのか皆目わからん。昨日の夜などは食欲もあり、特に気分が悪い訳ではない。しかし、この睡眠パターンはどう考えてもおかしい。まずまずすっきり目覚める日が1カ月に何日あるだろうか。徹夜しないと仕事に行けないなんて。

Tuesday, December 05, 2006

Yamaguchi-san Chi no Toshio Kun

キーボード故障でショートカット・キーが使えず、入力言語変更にカーソル操作が必要になった……。

“Many Lives, Many Masters” を終えたばかりでpsychic ぶるつもりはないが、夢に登場した人と翌日、あるいは数日後に出会うという経験が何度もある。出会ったときには夢のことを覚えていないことも多く、そんな場合は時間が経過してから「あれ、あの人は確か……」となる。

夢だったのか、それともまだ覚醒中だったのか忘れたが、先日「新自由クラブ」のことを考えていた。田中角栄時代に自民党の金権体質を批判して同党を離れ、河野洋平らが中心になって結成した小政党だが、テレビに出てくるのは決まってと言っていいほど、小さい体と比較してネクタイの結び目がやたらと大きかった山口敏夫だった。

1983年の総選挙直前に出演した「11PM」で当時の山口議員は巨泉に「自民党とは組まないと言えますか」と問われ、「組むことはない」と明言。しかし、選挙後は知らん顔して、自民党と連立しただけでなく、ご本人はその後ちゃっかり労働大臣に収まった。

そんな新自由クラブのことを考えていたら、今日夜のニュースは 旧東京協和、安全両信用組合の不正融資事件で、最高裁が山口元労相の上告を棄却したと伝えている。しかし、この裁判、まだ続いてたんだ。ちなみに、河野洋平は復党して総裁にまでなるが、自民党総裁で首相を務めなかったのはこの人だけ。現在は衆議院議長。

Give Me Sound Sleep, PC in Terminal Condition?, Oppie's Life

Couldn’t sleep at all… Horrible memories were coming back, and that jungle bird was making things even worse. These days the bird seems to have found friends in this neighborhood and it calls to other birds in a very loud and jungle type of shout.

Tried to sleep of course but gave up when the birds started BARKING. Turned to “AM” and finished it.

… In 1960, he visited Tokyo, where reporters greeted him at the airport with a barrage of questions. “I do not regret,” he said softly, “that I had something to do with the technical success of the atomic bomb. It isn’t that I don’t feel bad; it is that I don’t feel worse tonight than I did last night.” The translation of that ambiguously loaded sentiment into Japanese could not have been easy… (p. 564)

… One Christmas dinner [the Oppenheimers] served their guests champagne and Japanese seaweed. (p. 572)

“Japanese seaweed”???? And with champagne???

Oppenheimer’s security clearance was not renewed mainly because of years-old stories of his communist connections. After the hearing (i.e. trial), he is no longer as active in voicing his opposition to the US nuclear policy… The sort of morality Truman and Eisenhower to the arms race with the Soviet Union had should be questioned.

In 1964, Oppenheimer received an advance copy of a book with a startling new interpretation of the decision to use the bomb on Hiroshima. Using such newly opened archival sources as former secretary of war Henry L. Stimson’s diaries and State Department materials related to former secretary of state James F. Byrnes, Gar Alperovitz argued that atomic diplomacy against the Soviet Union was a factor in President Truman’s decision to use the bomb against a Japanese enemy that appeared to be defeated militarily. Atomic Diplomacy: Hiroshima and Potsdam: The Use of the Atomic Bomb and the American Confrontation with the Soviet Power created a storm of controversy…. [Oppenheimer] still thought the Truman Administration had used atomic weapons on an enemy already essentially defeated. (p. 578)

The opinions of those who knew the Oppenheimers are extreme whether positive or negative. I’d rather stay away from these strong, controversial characters even with their intelligence.

On balance, it seems that the couple left more suffering than happiness to their two children. The son, Peter, twice married and twice divorced, ended up as a “contractor and carpenter.” Their daughter, Toni, twice married and twice divorced, killed herself when she was only 31 or 32.

Monday, December 04, 2006

Grow up, My Fellow Japanese

「東日本の」縫製工場が研修で来日したイスラム教徒のインドネシア女性に礼拝や断食の禁止を記した誓約書に署名させていたと読売新聞が報じている。社名を明らかにして、厳しく処分すべきだ。先進国を称される国の中で日本ほど閉鎖性を維持している国はない。労働力としてのみ外国人を受け入れるのであれば、搾取という言葉がぴったり当てはまる。他の民族や文化に何の理解もなく、白人支配からの解放を掲げ、誰もが神国の理念を理解して当然との立場で領土を拡大していった日本軍の思想そのままではないか。成長せよ。

Ahhhhh... (3), Questions Remain about Past Regression

まだ情けない。ずっと情けない……。半覚半眠状態が気分に大きく影響する。腐った食べ物か水を口に入れて吐き出した夢を見た。閉めていた部屋のドアのノブを回す音が聞こえて、目を開けた。正常な状態とは思えない。

“Many Lives, Many Masters” を読んでしまったが、疑問が残る。人間の「一生」は一生ではなく、輪廻によって永遠に継続するという理解がなぜ治療に役立つのか。患者本人が催眠状態で語る過去がなぜ治療に役立つのか。この本が説明しているとは思えない。

PCのキーボードに異変。左矢印、上矢印や「alt」キーが反応しない。「alt」キーなしでは、日本語と英語の切り替えに支障がある。

Sunday, December 03, 2006

Catherine's Amazing Story, PC Trouble

“American Prometheus” はまだ終えていないし、AがBharat からわざわざ持ってきて、プレゼントしてくれたカラム大統領の自伝“Wings of Fire” は始めてもいないが、数日前から“Many Lives, Many Masters” Brian Weiss)を読み始め、すでに半分以上を終えた。患者“Catherine” が語る過去はあっと驚くもので、東洋の宗教思想にある輪廻そのものと言っていい。催眠状態によって数世紀にもさかのぼる過去を語ることがなぜ症状改善に役立つのかは、この本の最後に説明されていることだろう。

ところで、昨日からPCの具合がおかしい。何の操作もしていないのに、MSワードを使用中に下から上へと文章が消されていったほか(暴走)、点滅する「黒い縦線」が勝手に行末に移動する。ウイルス感染をチェックしたが、問題は見つかっていない。ブラウザーの右に表示されるスクロールバーも機能しないことがある。

けさの夢。ジムのトレーナーが実は日本人だった。彼女は大学でトレーニングを学び、著書もある。それから、京都の喫茶店「ミューズ」にいた。店内は自分が知っている「ミューズ」のものではなく、喫茶店と呼ぶよりはレストランらしかったが。

Saturday, December 02, 2006

Flying Train, Welcome by Nakatani Family

昨日見た夢。

白無地の紙を使って、簡単な列車の模型を作っていた。「のりしろ」も計算して。車両は1両に車輪が1対あるだけで短い。目の前にある遊園地のジェットコースターに乗せてみると、問題なく滑走する。車両前部を「流線型」にしようかとも考えたが、工夫することをあきらめた。

1両目がうまくいったので、連結する車両も作った。連結したあと、まとめて走らせてみると、速い。あっと言う間に手の届かない場所まで進んでしまい、見えなくなった。あわてて自転車に乗って町の中を追った。「着地」しそうな場所を推測して、先回りしようとするが遅かったようだ。

着地していたのは、壁に白いペンキが塗られた3畳ほどの建物の上。倉庫のようだったが、内部はわからない。列車はすでに列車ではなく、太い針金を短いゴムチューブを連続させて巻いたものになっていた。先端のチューブは青色だっただろうか。建物の前には女性が2人立っていて、空から飛んできた「この物」について話していた。1人は上新庄アパートの大家さんだった。自分が飛ばしてしまったことを説明して……。そのあと、不明。

上新庄のアパート自体も繰り返すように夢に登場するような気がする。以前の部屋を無断で借りて、大家さんに見つからないように住んでいる夢など。

けさの夢。目覚めた瞬間は覚えていたのに、今はわからない。

以前見た夢を突然思い出すことがあるので、けさの夢の記憶もまた戻ってくるかもしれない。そんな夢のひとつに「たこ焼きの中谷さん」がある。

小さいころ、実家から本町通(直違橋通)を墨染方面に歩くと、「中谷さん」といううちがあって、本業かどうか知らないがたこ焼きを売っていた。ある夢で、その店を訪れると、おばあちゃんもおばちゃんも、店の様子もそのままで(どんな風だったのか記憶がないのに「そのまま」と言うのはいい加減だが)、「よく来てくれた」と歓迎してくれた。店の中にはたこ焼きの出来上がりを待つ人のために長椅子が置いてあり、奥にはテーブルもある。客数は多い。歓迎してくれた中谷さんのおばあちゃんとおばちゃんは、店ではなく家の中に招いてくれて、ごちそうしてくれた。中谷家の人ではないが、その場にいて子供のころをいっしょになつかしんだのは「淳子ちゃん」だった。この子は実家の向かいに住んでいた家族の親戚で、墨染駅の近くに住んでいたはず。夢の中で彼女の姓を思い出そうと必死だったがダメだった。今も思い出せない。

数日前、イタリアのベルルスコーニ前首相が演説中に意識を失ったというニュースがあった。「急に血圧が下がった」らしい。これは自分が倒れるときの症状と同じ。きっと脳天から汗が流れ落ちていたことだろう。

Friday, December 01, 2006

Ahhhhh... (2)

ずっと情けないまま……。

オッペンハイマーが危ない。米国政府の核増強路線に警笛を鳴らし、軍備の現状を明らかにすることを促す(“candor”)が、核開発の機密をソ連側に漏らすよう依頼されたなど、過去の共産党員との付き合いと水爆開発への反対をネタに揺さぶられる。冷戦激化とウィスコンシンのマッカーシー上院議員による「赤狩り」が背景にあるが、Atomic Energy Commission のボス、ルイス・シュトラウス(Lewis Strauss)を筆頭に、オッペンハイマーを個人的に嫌う勢力が彼を葬ろうと躍起だ。政権に都合の悪い考えは排除しようとする姿勢は全体主義と何ら変わるところがない。

公式には、日本本土上陸による米兵の犠牲を回避できたとして原爆投下を正当化する米国政府だが、そんな主張はここでは見られない。核軍備の優位を何とか保とうとするあからさまな軍備増強への意識しか見て取れない。

While in London, Kitty and Robert had dinner one evening with Lincoln Gordon, a classmate of Frank’s at the Ethical Culture School, and someone whom Robert had met in 1946 when Gordon served as a consultant to Bernard Baruch. Gordon would always remember the dinner conversation that evening. Robert was in a somber, reflective mood and when Gordon gingerly mentioned the atomic bomb, Oppenheimer spoke at some length about the decision to use the bomb. He acknowledged that he had supported the Interim Committee’s decision – but he confessed that he “didn’t understand to this day why Nagasaki was necessary….” He said this with sadness in his voice, not anger or bitterness. (p. 476)

Leaving Peter and Toni in the care of his secretary, Verna Hobson, Robert and Kitty boarded a train at Trenton and arrived in Washington in the late afternoon… (p.484)

ニュージャージー州のトレントン駅。1989年の出張の際、プリンストン近くからニューヨーク市に向かうために列車に乗ったあのトレントン駅だ。

Ahhhhh...

また情けない1日だった。