Tuesday, October 12, 2021

Reporting from South Vietnam―日本人記者たち:「ジャーナリズムの恥」と文豪が言う(1)

 ベトナム共和国(南ベトナム」。間違いなく存在していた国家だが、一九七五(昭和五十)年四月三十日に消滅した。

 ベトナムに関連した報道なのか、それとも米中関係についてだったのか、はたまたウォーターゲート(Watergate)事件についてだったのか、はっきり覚えていないが、子どもの頃、「ニクソン(Richard M. Nixon)」や「キッシンジャー(Henry Kissinger)」と言う名がテレビのニュースからよく聞こえてきたことが記憶にある。「かえんほうしゃき」とか「ぱらしゅーと」など、実際に目にしたことがあるはずのないものも、言葉としてベトナム戦争報道から学んだような気もする。記憶にあってもいいはずの「ジョンソン(Lyndon B. Johnson)」の名は脳内に残っていないが、ずっと後から紙での情報を基にして頭に深く入り込んだ。政治家の中の政治家であったようなLBJであるが、彼ほどベトナム戦争について苦悩したアメリカ人もいないようにも思う。

 ベトナム関係で最初に読んだのは、ハルバースタム(David Halberstam)がケネディ政権の内幕を描いた『The Best and the Brightest1』や各冊が千ページ以上になるキッシンジャーの回想録三部作だった2, 3, 4。まだ、大阪に住んでいたときのことだ。三部作の最後の一冊はシンガポールで読んだような気がする。しかし、ベトナムにもベトナム人にも実際に接したことがないのだから、実感のまったく乏しいものだった。南北に分断されていたベトナムの南側に加担するアメリカが介入して、結局は北が勝ったという、おおざっぱな歴史しか知らずに読んだので、たいした理解もなかった。パリ協定に至る交渉についてもおそらく何の知識もなかった。第二次インドシナ戦争(いわゆるベトナム戦争)について深く知るつもりもなかった。そんな気持ちが変わり、ベトナムについてもっと知ろうと思ったのは、その理由はともかくとして、サイゴン(現ホーチミン市)を訪問して、現地の人たちと接触する機会を得たからだった。時間を遡って第一次インドシナ戦争の理解を得ることから始めてベトナム戦争を知っていくなら、フォール(Bernard B. Fall)による『Street without Joy5』や『The Two Viet-Nams6』、またハルバースタムの『The Making of a Quagmire7』が必須のように思うが、こんな著作の存在すら、もちろん知らなかった。

 近藤紘一による『サイゴンから来た妻と娘』に始まる「妻と娘」シリーズ8, 9, 10を読み、またベトナムを最初に訪問した際に宿泊していたホテルとは到底呼べない場所、つまりゲストハウスが彼の妻の自宅近くであった地域であることを知って、ベトナム戦争への関心はさらに高まってしまい、日本人による著作にも同時に関心を持つことになった。すでによく知られているように、近藤は昭和四十六(一九七一)年から四十九(七四)年までサンケイ新聞のサイゴン支局長として現地取材を行い、その後、同紙の臨時特派員としてサイゴン陥落を目撃することになる11

 

1 Halberstam, David. The Best and the Brightest, 1969

2 Kissinger, Henry. White House Years, 1979

3 Kissinger, Henry. Years of Upheaval, 1982

4 Kissinger, Henry. Years of Renewal, 1999

5 Fall, Bernard B. Street without Joy, 1961

6 Fall, Bernard B. The Two Viet-Nams, 1963

7 Halberstam, David. The Making of a Quagmire, 1965

8 Kondo Koichi(近藤紘一).『サイゴンから来た妻と娘』, 1978

9 Kondo Koichi(近藤紘一). 『バンコクの妻と娘』, 1980

10 Kondo Koichi(近藤紘一). 『パリへ行った妻と娘』, 1985

11 Kondo Koichi(近藤紘一). 『サイゴンのいちばん長い日』, 1975

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