ベトナム戦争がいつ始まったのか定義するのは容易ではないが、この戦争についていくらかの理解を得ようとするなら、少なくとも第二次世界大戦の終結から見始めて、インドシナの再植民地化を企てようとするフランスとそれに抗するベトミンとの別のベトナム戦争(第一次インドシナ戦争)まで遡らなければ、なぜアメリカが介入することになったのかは理解できないはずだが、いずれの論文も書籍も日本国内のベトナム反戦運動にひたすら狭く焦点をあてているので、説明なくともそんなことは知っていて当然だという姿勢なのかどうか知らないが、ベトナム戦争とは何だったのかをわずかでも知ることはできない。「フレイミングダート」にしろ、「ローリングサンダー」にしろ、これらの作戦に至る経緯、プレイク、キャンプ・ハロウェイ、クイニョンのアメリカ軍施設に対する解放戦線による攻撃を非難する姿勢がまったくないどころか、言及さえしていないのである。比較すれば、北爆の開始時期をいつとするかなどは問題ですらない。
市橋によると、日本でベトナム戦争が注目されるのは、視覚に訴える南ベトナム政府軍による残虐行為を強調するテレビや雑誌による報道が盛んになる一九六五年になってからで、つまりアメリカ海兵隊がダナンに上陸して地上部隊を投入しての介入が始まる前後からだということになる。ベ平連の発足もこの時期にあたる。開催されていた「ティーチイン」でどのようなベトナム情報が伝えられたのかわからないが、そこにフォール(Bernard B. Fall)や『The Quiet American』が登場したとは想像し難い。チョムスキー(Noam Chomsky)はどうだろうか。
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