「嘘つきアーニャの真っ赤な真実」から:プラハのソビエト学校での授業、国への想いと民族、似非共産主義者、ロシアでの才能の扱い、ついて。
「(ソビエト学校では)正式なノートは教師が定期的に点検し、採点の対象となるものなので、二冊を交互に教師に預けることになっている。そして、この正式ノートは、必ずペン先の付いたペンにインクを付けて書き込むべきものだった。……
……そのようにして書かれたものは、消しゴムなんぞでは消せない。だから必ず下書き帳で推敲に推敲を重ねた上で書き込むことになっていた。インクのシミ一つでも大きな減点になったし、一度書いたものを棒線や×印で取り消すなど、自分が十分に考え抜くことをせずにペンで書くという軽はずみを犯したことを証明するようなものだった……
……日本の学校の習性で、つい正式ノートに鉛筆で書き込んでしまう私に向かって、数学の先生も、ロシア語の先生も諭した。
『マリ、一度ペンで書かれたものは、斧でも切り取れないのよ。だからこそ、価値があるの。すぐに消しゴムで消せる鉛筆書きのものを他人の目に晒すなんて、無礼千万この上ないことなんですよ』」(106~107ページ)
「……異国、異文化、異邦人に接したとき、人は自己を自己たらしめ、他者と隔てるすべてのものを確認しようと躍起になる。自分に連なる祖先、文化を育んだ自然条件、その他諸々のものに突然親近感を抱く。これは、食欲や性欲に並ぶような、一種の自己保全本能、自己肯定本能のようなものではないだろうか。
この愛国心、あるいは愛郷心という不思議な感情は、等しく誰もが心の中に抱いているはずだ、という共通認識のようなものが、ソビエト学校の教師たちにも、生徒たちのにもあって、それぞれがたわいもないお国自慢をしても、それを当たり前のこととして受け容れる雰囲気があった。むしろ、自国と自民族を誇りに思わないような者は、人間としては最低の屑と認識されていたような気がする」(123ページ)
「アーニャのパパは杖を手放して私に倒れ掛かるようにして抱きつき、ボソッと呟いた。
『後悔してます』
『エッ?』
『13年前にお亡くなりになった、あなたのお父上だって、そうだったと思いますよ』
大きなギョロ目の眼光が一瞬鋭くなった。
『そんな!父の夢見た共産主義とあなたの実践した似非共産主義を一緒くたにしないで欲しい!法的社会的経済的不平等に矛盾を感じて父は自分の恵まれた境遇を捨てたんです!あなたが目指したのは、その逆ではないですか!』
そう心の中では叫んでいた私だが、ヨボヨボの老人に向かってその言葉を投げつける勇気はなかった。そして、口には出さなかったためにアーニャの実家から引き上げる道すがら、その言葉は何度も頭の中を駆けめぐった。そのうちに、ふと思った。アーニャのパパだって、かつては恵まれたユダヤ人商人の家に生まれ、何不自由なく育ったのに、社会の矛盾に目覚めて非合法の共産主義運動に身を投じたのだ。投獄され拷問で足まで失っている。どこから彼の人生は狂い始めたのだろう。権力を奪取してからか。自分の父も、万が一、日本で共産党が政権をとっていたら、アーニャのパパのようになってしまったのだろうか」(156~157ページ)
「アーニャ、私たちの会話が成立しているのは、お互い英語とロシア語を程度の差はあれ、身に付けているからよ。あなたがルーマニア語でしゃべり、私が日本語でしゃべったら、意思疎通はできないはず。だいたい抽象的な人類の一員なんて、この世にひとりも存在しないのよ。誰もが、地球上の具体的な場所で、具体的な時間に、何らかの民族に属する親たちから生まれ、具体的な文化や気候条件のもとで、何らかの言語を母語として育つ。どの人にも、まるで大海の一滴の水のように、母なる文化と言語が息づいている。母国の歴史が背後霊のように絡みついている。それから完全に自由になることは不可能よ。そんな人、紙っぺらみたいにペラペラで面白くもない」(188ページ)
「他人の才能をこれほど無視無欲に祝福する心の広さ、人の好さは、ロシア人特有の国民性かもしれないと、私が気付いたのは、それから四半世紀も経ってからのことだ。ロシア語通訳として、多くの亡命音楽家や舞踏家に接して、望郷の思いに身を焦がす彼らからしばしば涙ながらに打ち明けられたからだ。
『西側に来て一番辛かったこと、ああこれだけはロシアのほうが優れていると切実に思ったことがあるの。それはね、才能に対する考え方の違い。西側では才能は個人の持ち物なのよ、ロシアでは皆の宝なのに。だからこちらでは才能ある者を妬み引きずり下ろそうとする人が多すぎる。ロシアでは、才能がある者は、無条件に愛され、みなが支えてくれたのに』」(199~200ページ)
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