Tuesday, July 17, 2007

Is Balkan Part of Europe?

… Partisans of [Serbian] President Boris Tadic argue (privately) that joining the EU is more important than keeping Kosovo, whereas supporters of Mr [Vojislav] Kostunica [, the prime minister,] say (publicly) that keeping Kosovo is more important than joining Europe. (The Economist, July 14th)

再び、マリさんの「白い都のヤスミンカ」から引用する。

「つに列車が終点に到着した。車掌に別れを告げて列車を降りると、外は11月とは思えない暖かさだった。早速着ていたオーバーを脱いだ。
『ようこそ、バルカンへ。ここはもうヨーロッパではありません。バルカンです。』……
『ガイドのドラガンです。よろしく』
……ドラガンだって?ヤースナの弟と同じ名前ではないか。……
『残念ながら、ディズダレービッチではなく、ミレンコビッチ。タンユグ通信の特派員として日本に5年間滞在しました。米原さんが記者会見の通訳をされるのを、何度も聞いていますよ。』……
『気に入ったわ、その言い方。ここはもうヨーロッパではなくバルカンです、ていうの』
『そうですよ、米原さん。ここはもうヨーロッパではありません。バルカンですよ』……
『なんだか、ユーゴスラビアに入国したとたんに、とても気分が良くなったのよ。清々した気分ていうのかしら。その正体はなんだろうって、さっきから考えていたんだけど、いま分かった』
『それは嬉しいこと言ってくれますね。それで、なんなんですか、その正体は?』
『ここでは対西欧コンプレックスがほとんど感じられないのよ』
そう言って、私は昨晩ブカレスト駅頭の売店で受けた仕打ちや、それから車内で考えたことを話した。ドラガンは、我が意を得たりという顔をして、意外なことを言った。
『そうなんだよなあ。スロベニアもクロアチアもポーランドやチェコやルーマニアが顔色を失うくらい重度の西欧重症患者なんだよなあ』
溜息をついた。
『だって、今度のユーゴ多民族戦争の端緒となったのは、1991年6月25日にスロベニアとクロアチアがいきなり独立宣言をして始まった十日間戦争なんだよ。あれはほんとうに性急で強引なやり方だった。あれは、“東”であることから抜け出したくて仕方なかったんですよ。ダットウニュウセイです』
『ダットウニュウセイ?』
『ええ、東から抜け出て西へ入る、です』
『ああ、“脱東入西”か。“脱亜入欧”のもじりね。ドラガンの言うとおり、スロベニアとクロアチアには、“西”の仲間入りをしたいという空恐ろしいぐらい激しい渇望を感じる。本来の自分たちは、“東”ではなく“西”にいてしかるべきなんだという』」(250~252ページ)

*
“Woodward and Bernstein” mentions a TIME cover story that Carl Bernstein wrote in 1992 about Pope John Paul II and Ronald Reagan’s cooperation for bringing down the Polish communist government. I read the piece then and perhaps the TIME issue is still here with me. And Bob Woodward’s book of 1987, “Veil,” digs deep into the secret world of the CIA under William Casey, a central figure of the Iran Contra scandal. It was the big news story day after day when I first went to the States, with the congressional testimony by US Marine Lieutenant-Colonel Oliver North.

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