北関にとって、東京から大阪に向かっていた日航123便が航路をはずれて群馬と長野の県境付近に墜落した事故はいわゆる「もらい事故」だ。もし、長野県側に墜落していれば、北関の対応はずいぶん違ったものになっていたはず。悠木は、販売局、広告局との衝突や編集局内での派閥、また「大久保連赤」時代を知る幹部、さらに群馬3区を二分する福田と中曽根の各支持者への対応を迫られる。潰された現場レポート。幻に終わった「隔壁」スクープ。
県内の御巣鷹山で発生した未曾有の航空機事故の真っ只中で、地方紙の役割は「詳報すること」にあると決心する。社内の汚れた仕事を引き受けた「山屋」の安西や息子・淳などとのかかわりが、それに絡む。
記者と呼ばれた時期をもつ自分としては、自らの小ささを実感させられた。当時も感じていたものだが、取材対象を深く追求して記事を書くという姿勢は実現不可能な状況で、編集局整理部が行うべき紙面割りまでやっていたのでは、「記者の心構え」などというものが成立しなくても当然だろう。お決まりの文章構成でありきたり極まりない文章を書く。それが、現地発行紙の役割なのだろうか。この国の風土では、それもまた仕方のないことなのだろうか。
しかし、悠木は懲罰人事を甘んじて受け、書き続けるためにサラリーマン記者であることをやめなかった。解雇が現実のものになりそうな状況で、
「自分を嘲笑った。
もう四十だというのに……。
悠木は無為に重ねた年齢を呪い……」とある。既婚。子供が2人。
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「クライマーズ・ハイ」の後、“Language and Politics”に戻らず、「沈まぬ太陽」(アフリカ篇・上)の導入部分を読んだ。こちらも主人公の恩地元は40歳。既婚で子供が2人も同じだ。
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