ニクソン政権中枢とその周辺にいた人たちは、レーガン政権とそれ以降も共和党の中心に残った人が多い。
ウォーターゲートによる政権崩壊が進行する中、H.R. Haldemanの辞任を受けて、陸軍参謀次官大統領主席補佐官に昇格したAlexander Haigは、その後、NATO軍最高司令官となり、レーガン政権では初代国務長官に就任。1988年の大統領選にも出馬した。
大統領のスピーチライターだったPatrick Buchananは当時35歳。Archibald Coxが提出を求めた録音テープの証拠隠滅を示唆している。92年、96年は共和党から、2000年は改革党から大統領選に出馬した。今でも米メディアの常連。
“… On July 23, Cox subpoenaed nine of the President’s recorded conversations.
Pat Buchanan had a blunter solution: destroy the tapes. He sat at his typewriter in his EOB office and described the advantage of his “bonfire” approach: there would be a firestorm afterward, but it would blow itself out; the President and the presidency were strong enough to withstand the assault.” (pp. 58-59)
ウォーターゲート当時のGeorge Shultzは財務長官。民主党George McGovern陣営の選挙資金調査に協力的でないIRSに不満のニクソンは、IRSを管轄する財務省のトップ、Shultzの更迭をほのめかす。レーガン政権では、ヘイグの後任として国務長官に就任する。
“[Shultz] didn’t get to be Secretary of the Treasury because he has nice blue eyes. It was a goddam favor to him to get the job.” (p. 89)
Robert Borkは当時司法次官で、司法長官代行となって特別検察官Coxを解任せよという大統領の指示を実行する。レーガン政権時の87年7月、最高裁判所判事に任命されたが中絶反対の立場で上院の承認を得られなかった。
その他、Kissingerに近く、フォード、ブッシュの両政権で国家安全保障担当の大統領補佐官となるBrent Scowcroftも登場。ニクソン辞任後はFrank CarlucciやDonald Rumsfeldの名前も現れる。
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このところ、土曜日は完全睡眠の日となっている。とにかく眠い。何度も目を覚ましては眠りに戻る。長~い夢を見る。しばらく前に見た改装された大阪球場がまた出てきた。電光表示になったスコアボードは旧ボードで使われていた色と字体を再現できるもの。バッテリー間から少し1塁側に寄った2階席には、関西テレビの実況ブースがあった。
それから、ノムラさんが「私の履歴書」に加筆して出した新著を読んでいた。本物の内容とはずいぶん違って、南海ホークスのファンブックに掲載された爆笑ものの写真を取り上げていた。南海電鉄が中吊りに使っていたポスター数枚が付録だった。
中モズ球場で撮影した監督、コーチ、選手の「集合写真」を大阪球場を背景にした写真に切り貼りするなど、確かに南海ホークスのファンブックに使われていた写真は安っぽかった。残念ながら所有していないが、昭和49年版はさすがに前年リーグ優勝しただけあって、新聞社が撮影した日本シリーズの写真があったと記憶する。ノムラさん後に新聞社提供の写真が使われたのは、広瀬2年目の54年版だけかな。
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