石原慎太郎が亡くなった。
彼の主張に対する好き嫌いの別はあっても、無視できない人だったことは間違いないだろう。
2012年7月だったか、マリーナベイ・サンズ(MBS)で開催された世界都市サミットに出席するため、石原都知事(当時)はシンガポールを訪問していた。統合型リゾート(IR)の日本への招致を最初に推し進めようとした人でもあり、MBSも彼の発言に注目していた。
会議後に「ぶらさがり取材」があるはずなので、そこでのIRに関する知事の発言を聞いて、伝えてほしいとMBSから依頼があり、当日、ジュースを飲みながら「屋上の船」で待機していた。すると、知事の体調がよくないので会見はしないと都庁の人から連絡があって、仕事としては完全に空振りだった。「せっかく来たのに……」と、周りにいた日本からの取材陣にはっきり聞こえる声で言ってしまった。発言を録音しようと、ICレコーダーまで買ったのに。ロビーに降りて引き上げる準備をしていると、知事が、おそらく控室に戻るために、すぐ近くを通っていった。お疲れの様子がうかがえ、また片足を引きずるようにして歩かれているように見えた。
30余年振りに、盛田昭夫との共著『Noと言える日本』を読み返してみた。キッシンジャーの中国極秘訪問に関するくだりがあるが、何かおかしいのではないか。石原慎太郎は年代に触れていないが、キッシンジャーが中国首脳部に見せたという衛星写真は1979年の中越戦争のものだろう。しかし、彼の中国訪問はもちろん1972年であって、整合しない。
もうひとつ、この著作を再読しておどろいたことがあった。常々思っている日本の漢文教育に関することを盛田昭夫がすでに指摘している。
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