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南海ホークスの秘蔵品を見せびらかし、交換する人たちの集まり。無料で勝手に持って帰れる「球団グッズ」や個人撮影の写真もいくつかある。なぜか、そこに混じっていたのは、うつ病治療の新薬を処方された患者の記録。自分は「ブレイザー」のサインが入った小さな陶器製ケースと誰が撮ったのかわからない写真多数を持ち帰ることにした。最初の数枚を見てみると、夜間試合中の大阪球場や、ホイッスルを持って球場前に立つ警備員の顔が大写しになったもの、また南海ホークスとは全く無関係の旅行写真などだった。難波へと戻る南海電車の車内。いっしょに乗っていたのは、集まりで知り合った男性ひとりと、近鉄や南海で主力選手がひとり。この選手は新しいアパートを探していて、3人で不動産屋に寄るために途中下車したが、不動産屋の場面は記憶にない。
(幼児の頃、祖父母宅を訪れる以外に南海電車を利用した機会はなく、「鉄道会社」としての南海電鉄に何の恨みもないが、)驚いたのは、南海電車の高架線路が地上から50メートルほどの高い位置にあって、ホームと電車の隙間も広い。駅によっては、ドアが開かず、窓から乗下車する人もいたこと。高所に恐怖を感じる自分には危険すぎて、知り合った友人の助けが必要だった。ある駅では、乗るか降りるかしようとした乗客の1人が隙間から落下。ドアレールを片手で掴んで、「助けて」と叫んだ。近くにいた女性客が手を差し出し、その手に触れたものの、彼はさらに下へと転落していった。
一度、あの見紛うはずのない球団名ロゴが印刷されたビニール袋に入れた「ブレイザー・ケース」と写真を、袋ごと隙間から線路と下を流れる川の間にある鉄骨に落としてしまった。電車を止めてもらい、2人の駅員に拾ってもらった。
去ったはずの秘蔵品の集まりの場面が再び現れた。自分はベッドに仰向けの状態のまま起き上がれない。体が固まったのか、重くなったのか、背中にベッドが、ベッドが背中に張り付いている。ひざを折ったり、体の向きを変えることもできず、腹筋の力が完全に消滅してしまったように、仰向けのままでは「力を入れても起きられない」と伝えて、あの知り合いの男性に起してもらった。
また車内。電車が通過している場所を気にせず乗っていたら、難波を乗り越してしまった。(南海電車で難波の先はどこ?)車内に掲示してある路線図を見ながら「駅数が多すぎるね」と自分が言うと、知り合いも選手も女性客も同意した。どこかの駅で下車。「じゃ、また」と言いつつ連絡先も交換せずに。「ブレイザー・ケース」の用途がひらめいた。「100円ライター」の収納用ケースだ。
改札口のすぐ外にいた。またベッドに仰向けの状態で。どうやら実家からの最寄り駅のようだったが、起き上がれない。誰に起してもらったんだろうか、自分は思い荷物を積んで、自転車に乗っていた。荷物にはイワトリの不可食部分などというものもあったが、いずれも翻訳業務の納品に必要なものばかりだった。その自転車で駅前の通りにある喫茶店を通り過ぎる時、「タヌキ」のヘラヘラした見苦しい顔を見た。
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