Wednesday, August 16, 2006

A Real Scum

狸オヤジのことは以前の日記にも書いたが、ファイルが消滅してしまったので、おさらいする。

シンガポールに来るまでは、師匠のように思っていたところがあった。シンガポールでの仕事に誘われたときも、「信用があるからこそ」だと考えた。ARN の仕事を横取りすることが狸の目的だったが、ボスは数年たった今もそのことに気づいていないだろう。また、日本人翻訳者の欠員が発生したのは、そりの合わない自分の前任者を狸が事実上追い出したからだということはあとから知ることになる。オヤジは自分が同僚のY から借りていた東部WL のひと部屋を自分に渡して引っ越すつもりだった。この国での初日、その部屋に入った途端、スーツケースを開ける気にもならなかった。あまりに乱雑で、狸の臭気が漂っていたから。

1週間以内に新しいアパートを無事見つけて転居した。2人で住むことに抵抗はなかった。オーナーとの契約は、自分がビザを取得できておらず、また彼が年長だったこともあり、まかせた。

十分な広さのアパートで、オヤジは多少落ち着く気になったのか電気炊飯器を買ってきた。ところが、その使い方がわからないという。「あんた、産業翻訳者やろ。炊飯器の使い方がわからないとはまったく情けない」と思ったが黙っていた。自分はかいがいしく週末には床掃除をしていたが、ご本人は気にも止めないようで、食べこぼしを床に落としても平気。しばらくして、「シンガポールの(洗濯)せっけんは全然あかんわ」と言ってた意味がわかった。彼が使っていたのは、漂白剤だったのだ。「あんた、翻訳者やろ。“Bleach” という言葉を読めんのか」と思ったが黙っていた。洗濯物も洗濯機から出してそのまま干すので、シャツかタオルか雑巾かわからない。床掃除はバカバカしくてやめた。

数カ月して、オーナー(の娘)が自分に直接連絡をとるようになった。例えば、郵便物。ある日、届いているはずの郵便物を回収に来たオーナーがボックスが空っぽなので、「どういうことか」と自分に電話してきた。オーナーは自分宛の郵便物を週に一度、1階のメールボックスから回収に来るので、部屋(7階)には持って上がらないようにとの取り決めだったようだ。狸はめったに郵便物のチェックなどしなかったが、たまにすると誰宛であろうと「すべて」を持って上がってしまう。

元日を日本で過ごして帰ってきたとき。「事故に遭いかけたんや」と言う。トラックにでもはねられかけたのかと思えば、何と台所のキャビネットの一部が燃えてへこんでいる。キャビネットと似た色のペンキを塗ったらしいが、へこみはどうにもならない。すぐにオーナーに連絡して「ごめんなさい」と言えばまだしも、失敗を何とか隠そうとする子供のような態度に言葉を失った。バレて、アパートから追い出されることになり、この頃から、自分はこの狸と公私を問わず話をすることを避けるようになった。

ちょうどその頃だったか、英国の大手通信社からの仕事があった。訳文を見た同社からの返事は、“unreadable” だった。狸の書く和文にはちょっと特徴があって、どんな文章でも産業調というか、マニュアル調というか、お世辞にも美しい日本語ではない。安っぽいプライドには不足しないオヤジにとって、“unreadable” とのコメントは耐えがたかったようだ。大げさにも客先(東京とシンガポール)との三者電話会議が開かれた。殊勝な態度でいればいいものを、よほど悔しかったのかオヤジは涙を流しておった。狸の涙。この一件で、オヤジは日本に帰ることを決めた。自ら呼び寄せた自分には何の説明もなく。

同時に米投資銀行からの大量の仕事があり、狸は自分が大阪で運営している翻訳教室の生徒を十数人シンガポールに招いた。2001年9月のことだっただろうか。ボスは喜んだ。「優秀な」翻訳者が日本から多数来てくれたのだから。ふたを開けてみれば、ほとんど使い物にならない「生徒さんたち」だった。自分は、割り当てられた翻訳のほか、生徒さんたちの添削、校正もやるはめになった。狸オヤジはと言えば、身内が大勢でシンガポールに来たことに有頂天で、まったく見苦しい姿だった。そんなことを理解できない、ボスも大口の契約だったこともあってか、うれしそうで、まったく情けなく、腹立たしかった。この投資銀行の仕事を最後に、あらたな人質U を置いて、狸は紀州へと帰っていった。U には自分がこちらに来るときに長野県の顧客を引き継いでもらっていた。この顧客を今度はU が狸に渡したと知ったが、狸からは何のあいさつもなかった。しかし、これで終わりではなかった。

以降も社内では対応できない量の仕事があると、大阪の狸事務所が外注(害虫)先となった。ある日本の大手企業からのアジア地域市場調査の翻訳は自分もかかわったが、狸オヤジはまたもや生徒にやらせたようで、Delhiを「デルヒ」と訳す(!)など、送られてきた内容があまりにひどく、“If he works only as a middleman, pay him accordingly” と会社には抗議した。この頃、自分はうつの症状がはっきり現れるようになり、出社できないこともあった。この市場調査の仕事は自宅でやることが多かったが、ボスはそんな努力は知らない。

ARN に在籍していなかった0210月から翌年3月までの間にもおもしろいことがあった。日本の巨大掲示板サイトに狸を話題にしたスレッドがあったのだ。ご自慢の英文法論を批判され、またもや安っぽいプライドを木っ端微塵にされていた。自分は「このオヤジは、“ありがとう”も“ごめんなさい”も言えない人だから、相手にしない方がいい」と投稿したことを覚えている。

「こらっ狸オヤジ、人の信頼を自分の利益に利用するんじゃない。ここにキミのことを許さない人間がいることを自覚して生きろ」

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