ずっと疑惑を抱いていたこと。AX を始めたとき、ワカ社長は「うちには日系企業の最新情報がある」と豪語していたが、N から「いただいた」ものではないかと思う。
昨夜、眠れずに朝になった。京都の印刷屋のことを思い出していた。1994年だったと思うが、先ごろ倒産した某英会話学校を辞したとき、のちに自分をシンガポールへ呼び寄せることになるオヤジが、「翻訳もやってる印刷屋」を紹介した。何らかの取引があったのだろう。ある意味、自分は人質だったのか。面接に行った日は雨で、またわかりにくい場所に会社があって約束の時間に遅れていった。
最初から臆病の裏返しのような空威張りの目立つ男だと感じたが、その通りだった。訪問する人に会社の場所を伝えるときには「自社ビルです」との一言を忘れずに付け加えていた。まもなく、「ネズミ男」と呼ぶようになった。
どこかの貿易商社にいたが、身の程知らずで司法試験に合格して弁護士になる気になったらしい。社会正義とは無縁のような男だが、司法試験という「むずかしい」試験に合格することで何かを誇示したかったのだろう。長年、浪人したが結局合格せず。
勤務時間が終わると、さっさとタイムカードを押して退社する社員の態度が気に入らないらしく、「残業費は全額支払わない」と宣言しておった。
ある日の朝、出勤の準備をしていると、視野が左右から狭くなっていって、真っ暗になってしまった。「見えない」と言ったまま、床に倒れた。今ではストレスのSOS と認識している「あの」めまいの最初だった。
給与を決めるとき、ネズミ男は「最終的にはミドリ(嫁はん)と相談して決める」と言ったにもかかわらず、次の給料日までに何の知らせもなかった。「いつ金額が決まったのか」とたずねると、「ミドリと相談」の話などなかったように主張する。実嫁はんにしっかり経営を握られているという事実がよほど悔しいのか、一歩も譲らない。自分は金額を問題にしていたのではなく、いつ誰が金額を決めたのかを正したかったのだ。
すでに不信感が爆発しそうだったので、その日は半日ほど会社にいただけで、さっさと帰った。と言っても、オヤジの所に寄って事情を説明した。あぁぁ、まだあの狸オヤジのことを信用していたんだ。この信用はシンガポールに来てからもしばらく続いた。人を見る目のなさに、我ながらあきれかえる。
会社の近くにたばこ屋があって、そこのおばちゃんと毎日のように話すようになった。仕事や会社の話をした覚えはないが、ネズミ男は、自分がおばちゃんと話している光景を目撃したらしい。退社してから、確かあいさつに行ったとき、おばちゃんが教えてくれたのは、ネズミ男が何の話をしていたのかといろいろ探りに来たということだった。
こんな男が万一弁護士になっていたらと想像すると恐怖を感じる。社名も忘れていたが、京都の翻訳会社や印刷会社でネット検索するとあった。ネズミの寿命は何年ぐらいなのだろうか?
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