Sunday, August 01, 2021

奇怪な英語との出会い(3)

 クレオールについて端的に言えば、「words from one language and structure from others1」(ジョン・マクホーター(John McWhorter))ということか。

経験した具体例を挙げると、ずっと後年になってから、番組制作会社のディレクターによる取材に数日、通訳として付き合った。取材は、土木工事は終わっているが建屋などはまだ枠組みしかなく、歩くのも非常に危険な建設現場においてであって、取材対象はまだ三十代前半の日本人現場責任者だった。取材後は映像が日本で編集されることになるが、映像に追加する字幕の作成を東京の翻訳会社に依頼したところ、この責任者さんと現地スタッフの会話がさっぱりわからないと字幕作成を断られ、取材現場にいたこの通訳に仕事が入ってきたことがある。インターネット上に見られる、例えばシンガポール料理を紹介する映像などが、全編英語であるにも関わらず、おそらく奇妙な発音のためにシンガポール人が話す場面には英語の字幕が付けられていたりもする。ここでは、一般的に言語の美しさや自然さに関する意識が相当低いように思われる。タクシーの運転手に目的地を理解してもらえず、挙句には、

"Your English is 'too good'."

と言われ、乗車拒否されたことも数度ある。言語に対する美的感覚が欠如しているように思われてならない。 

 またこれも後年のことだが、マレーシア人エンジニア(華人)と日本人エンジニアとの間で通訳を務めたある日のこと。彼が絶対的な自信を表しながら、

"I go China one week."

と言うので、近々中国へ一週間の出張に行くのだと思い、

"Are you going to visit there soon?"

とたずねてみると、返答は、

"I go already."

だった。中国語の文法を英語に充当しているのだろう。この例は極端かもしれないが、気にしている気配がないどころか、彼はまったく堂々としていた。彼の隣に座っていたイングランドから出張で来ていたエンジニアは声を立てずにクスクスと笑っていたが。シンガポールやマレーシアで、こんなことはまったくめずらしいことではない。 

そうだとしても、子どもの頃から多言語環境にあり、かなり早い段階で英語と中国語は別々の言語であることをしっかりと認識しているはず。時制による動詞の変化、そして複数形やいわゆる三人称単数現在形の「s」を無視する人は驚くほど多いのである。三単現の「s」について、ピンカーは、

"By the age of three and a half or earlier, [children] use the -s agreement suffix in more than ninety percent of the sentences that require it, and virtually never use it in the sentences that fobid it. This mastery is part of their grammar explosion, a period of several months in the third year of life during which children suddenly begin to speak in fluent sentences, respecting most of the fine points of their community's spoken language.2"

と述べている。当然、これはアメリカ人の場合ではある。しかし、差異があるにしても、日本の事情とは大きく異なり、小学校以前の幼児期から英語に慣れ親しんでいるという点を見過ごせない。ただし、「their community's spoken language」がいい加減なら、そのいい加減さを「respect」するということなのかもしれないが、正す機会はいくらでもあったはずだ。そうできていない、あるいはそうしないのは、やはり、

"What is different about a pidgin is that usually it dispenses with the difficult or unusual parts of the language, the parts that speakers from a great variety of language backgrounds would find strange or hard to learn.1"

であり、教室内での学習内容よりも社会全体からのより強い影響の結果、慣習として定着することで生まれてしまった言語に対するいい加減さが原因なのではないだろうか。この意味においては、ピジン、そうでなければクレオールと呼んでも問題ないのではないだろうか。

 また、対面して話した時にはそれほど違和感がない人でも、その人が書いた文章を読むと、何が言いたいのかわからないといった誤解を生みかねない状況にも何度も遭遇している。書きなぐったままで、そんな文章を書く人たちは読み直して書き直すという作業さえ思いつかないのではないだろうか。英語習得にやたらと卑屈かつ神経質で、正確でなければならないと思いがちな日本人には、こんな不思議な英語を聞いて、あるいは読んで、「シンガポールは英語圏だから、これが正しいに違いない」と信じる人もあるかと思う。そしていい加減英語が在住日本人の間でも広まっていくのである。シンガポールには「Speak Good English Movement」と称されるものさえあるのだが……。 

 The Economistが発行している「スタイルガイド」の一九九三年版と二〇一八年版を見ると、いずれにも著述家であり、批評家でもあったウィリアム・ハズリット(William Hazlitt)の言を引いて、こう書かれている。

 "To write a genuine, familiar or truly English style is to write as anyone would speak in common conversation who had a thorough command or choice of words or who could discourse with ease, force and perspicuity setting aside all pedantic and oratorial flourishes.3"

 これを理解しながらいい加減な文章を書いているかどうかはともかくとして、「to write as anyone would speak in common conversation」だけを当てはめてみれば、彼らは間違っていないということになるのか。自然に話すように文章を書いているのだから。話すのも書くのも、結局はいい加減だということだ。また、文法と構文の破壊は受け入れられることができない。ジョージ・オーウェルの六カ条4などを説いても仕方がないだろう。眼にやさしい文章の自然な流れが作り出す洗練さはなくとも自然な美しさがまったく欠落しているのである。シンガポール、あるいはマレーシアで「英語がお上手で……」などと称賛を頂戴したことが何度もあるが、まったくうれしくない。アンタらのがひど過ぎるやん。

  "Are you 'originally' from Japan?"

と言われたこともある。

 その土地で、つまり東南アジアで受け入れられていたとしても、それは東南アジア人の間だけ、あるいは東南アジアの各国内、とりわけシンガポールとマレーシアにおいてだけでのことである。根本的な習得不足、また単なるデタラメとしか解釈することはできず、許容することはできないことを強調したい。英語の下手さ加減について謙虚な人たちも存在するが、極めて少数だ。日本語に置き換えてみると、この程度の日本語しかできない人は、日本の大学を卒業したシンガポール人の元同僚が自ら言っていたように、日本語が結構わかる「ヘンなガイジン」としてめずらしがられる程度だろう。日本社会には表面的に受け入れられるだけだろう。数年前、シンガポールの永住権取得を申請する外国人には英語の試験を課すべきではないかという発言が議会であったように記憶する。そんな試験はまず、国民に義務として課してみてはいかがか。

 日本人に関して言えば、何十年も英語学習を続けてきてもさっぱりどうにもならないのに、「二週間で話せるようになる」とか、「英会話の単語はこれだけで十分」などという、無責任きわまりない広告文句にコロっとやられる人たちが今でもいることに驚きを禁じ得ない。

 あ、それから、この国ではまだ「J*p」と呼ばれたりする。「Japan」「Japanese」の省略形だそう。そのことを指摘して新聞に投書すると掲載されたことがあるが、在留日本人で気にしている人は他にいなさそう。

1 Word on the Street: Debunking the Myth of a "Pure" Standard English, 1998 

2 The Language Instinct: How the Mind Creates Language, 1994

3 The Economist Style Guide, 1993 and 2018 

4 Politics and the English Language, 1946

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