Saturday, August 28, 2021

Japanese Man Who Insists He Understands Latin

I know a Japanese man who spent seven years in the US to obtain a certification or degree, or whatever else, in some medical field in Iowa (refer to “Sophie’s Choice”) but is miserable when it comes to communicating in English. I am sure of the resentment he feels toward me. Eventually, the man started saying, “I know Latin,” with a straight face. Of course, there are Latin words still used for medical terms. Yet, everybody, except the man himself, knows being familiar with those terms does not mean at all that he understands the dead language. I’m sorry for him. How can I trust a person as a medical practitioner who got certified in the US and is so inept in English? Jejune, impossibly.

Friday, August 13, 2021

Bernard B. Fall's Two Viet-Nams

 About a week ago, I reached the final page of The Two Viet-Nams by Bernard B. Fall, first published in 1963. The one I’ve read is its third edition (1965). The sole reason I thought about reading it is because Kaiko Takeshi mentioned it in one of his essays as a book he had read for his quick study of the situation in Vietnam before visiting the South as a special correspondent for a Japanese newspaper.

When I started reading the book, I didn’t pay much attention to the author’s name while feeling that the book should be quite valuable as Fall seems to have been one of the very few in the West, who actually had met people both in North and South for gathering information for his analysis, questioning the accuracy of the provided data, especially of the North, something that we probably can’t find in memoirs written by American journalists who reported on the war from the perspective of the South and its backer, the US.

I also thought I should check Embers of War by Frederik Logevall because both books cover the first Indochina War against France, which tried to recolonize the region. Then I found a photo of Fall in Logevall’s book, wearing a pair of teardrop glasses, and it was like, “It’s you!”

The Two Viet-Nams was written before the US Marines landed at Da Nang in 1965, and there are things which came to light only after the end of the war, such as the relationship between the North Vietnamese Government and the National Liberation Front (NLF), as told by Truong Nhu Tang, the man who played a key role as the Minister of Justice for the Provisional Revolutionary Government and, after the war, fled to France.

From the time of the publication of Fall’s book to the war’s end, a lot of things happened. The Tet offensive, a debacle for the NLF and the North but a deep psychological shock to the US, the Pentagon Papers, exposing lies made by US presidents and their administrations, the Tonkin Gulf Resolution, Johnson’s subsequent bombings in Hanoi and Hai Phong, Nixon’s downfall because of the Watergate scandal, etc.

Even with these post-The Two Viet-Nams events, and though Fall’s “alternatives” did not predict the course the war would take toward its end, it seems that his final analysis, “What is at stake in Viet-Nam in the 1960’s, and on both sides of the demarcation line, is freedom,” from oppressive government and foreign intervention, remained valid.

I’m now waiting for his wife’s memoir to arrive here.

Friday, August 06, 2021

もう買わないこのシリアルメーカー製品

 平成二十六(二〇一四)年二月二十五日と二十六日の二日間、シリアル製品でずっと昔から有名な米系シリアルメーカーのアジア太平洋本部の会議で通訳。事前に資料を渡すという約束だったが、わずかな量の資料しか提供されなかった。初日の朝、会場になっているノビナのオエイジアホテル(Oasia Hotel)に向かい、名刺を交換すると、自分が通訳することになるのは、この米系企業内の人たちではなく、日本のM製菓の人たちだった。そんなことも知らされていなかった。会議が始まってすぐにわかったことだが、米系企業のポテトチップスを日本ではM製菓が販売しており、今後のマーケティング方針について話し合う会議だった。プレゼンテーションの内容についても、もちろん事前情報はなかったが、それに加え、出席していたこの米系企業の責任者は日本人だった。

 途中から、この責任者とM製菓の出席者との話はすべて日本語になり、通訳としての仕事が成立しなくなった。会議に出席している双方間の日本人同士による日本語での会話は、英語と日本語の間で通訳するという前提が崩れてしまう。日本語が理解できない他の出席者に通訳する義務はないだろうし、責任者が日本語で聞いた内容を自ら通訳してスタッフに伝えるという手立てをしてもらわないと困るのである。この日本人の責任者、普段は何語で仕事をしているのだろうか。通訳が本当に必要なのであれば、日本人同士であろうと英語で話を進めるのが筋だろう。通訳としては、限りなく居心地が悪い状況だった。

 二日目の朝、まだタクシーでオエイジアホテルに向かっている時、依頼者から電話あり。この米系シリアルメーカーの会議に出席していた責任者とは別人の日本人担当者から「しっかり通訳していない」と厳しい不満の連絡があったということだった。会話の途中でホテルに到着してしまったので、「終わってから報告します」と言って電話を切った。

到着して席につくと、すぐにこの担当者のオバさんが目の前に現れ、

「あなたが通訳ですか!すべて訳してもらえる『クオリティー』を求めているんです!うちのスタッフはみんな日本語がわかるんです!」

 ドカンと気分が落ち込んだ。約束された資料もほとんどもらっていなくて約束違反であり、なぜM製菓の人がいるのかも説明してもらっていないし、「うちのスタッフはみんな日本語がわかるんです!」なら、そもそも通訳不要ではないか。この人、通訳という仕事をまったく理解していない。お客さんだからと思う気持ちが強くて、どうもこういう時にはっきりと言い返せないのが恥ずかしい。めずらしい事ではないが、通訳は魔法使いだと勘違いする人が実際には多かったりするのである。

 二日目は、おそらく通訳不要と思われる内容も含め、遠慮することも、躊躇うこともなく「すべて」訳してやった。自尊心からというよりは、この世界的に著名なシリアル企業に意地でも反抗したかったからだった。それから、この二日間、何時までと、通訳業務の時間が決められていたが、シリアル企業の人はそれを知らされていなかったのか、無視していたのかわからないが、時間をこれっぽっちも気にする様子がなく、「通訳さん、きょうは何時までですか」と気にしてくれたのは、客先ではない「ポテチ売るのも大変なんです」と言っていたM製菓の人たちだった。

 この米系メーカーの製品は、シリアルであろうとポテチであろうと、一生、金輪際買わないことにした。

 また、同じ年のはずだが、大阪にある建設会社の社長と部下が出張で訪問され、通訳を務めた。当日朝の待ち合わせ場所はラッフルズホテル(Raffles Hotel)のロビー。誰もが知る超有名なホテルだから、タクシー運転手が迷うはずはない。そんな理由でこのホテルを待ち合わせ場所にしたのだろうとばっかり思っていたら、お二人は本当にここに宿泊しておられた。出張宿泊費を削ろうとする会社の人たちには多く出会ったが、こんな羽振りがいいと言うか、世間知らずで印象の悪い会社もめずらしい。

Monday, August 02, 2021

Playing with Google Translate: My Brain Is Still Better

「台湾は中華民国」

当たり前のことで、そんなことをわざわざ新聞記事で教えてもらわないといけなくなったのか。中華人民共和国と国交がなかった(中華民国と国交があった)1964年の東京五輪には、「中華民国」として参加していた。今回、ロシアの選手たちが「ROC」として参加しているが、「ROC = Republic of China(中華民国)」かと思い……はしなかったけど。

Translated to English:

"Taiwan is the Republic of China"

Did I have to bother to tell such a thing in a newspaper article? He participated in the 1964 Tokyo Olympics, which had no diplomatic relations with the People's Republic of China (had diplomatic relations with the Republic of China), as the "Republic of China". This time, Russian players are participating as "ROC", but I thought "ROC = Republic of China" ... I didn't think.

Back to Japanese:

「台湾は中華民国です」

新聞記事でそんなことをわざわざ言わなくてはならなかったのでしょうか。 彼は「中華人民共和国」として、中華人民共和国と外交関係のない(中華人民共和国との外交関係を持っていた)1964年の東京オリンピックに参加した。 今回はロシア人プレイヤーが「ROC」として参加しているのですが、「ROC =中華民国」と思ったのですが…とは思いませんでした。

To English again:

"Taiwan is the Republic of China"

Did I have to bother to say such a thing in a newspaper article? As the "People's Republic of China," he participated in the 1964 Tokyo Olympics, which had no diplomatic relations with the People's Republic of China (has diplomatic relations with the People's Republic of China). This time, a Russian player is participating as "ROC", but I thought "ROC = Republic of China", but I didn't think.

Sunday, August 01, 2021

奇怪な英語との出会い(3)

 クレオールについて端的に言えば、「words from one language and structure from others1」(ジョン・マクホーター(John McWhorter))ということか。

経験した具体例を挙げると、ずっと後年になってから、番組制作会社のディレクターによる取材に数日、通訳として付き合った。取材は、土木工事は終わっているが建屋などはまだ枠組みしかなく、歩くのも非常に危険な建設現場においてであって、取材対象はまだ三十代前半の日本人現場責任者だった。取材後は映像が日本で編集されることになるが、映像に追加する字幕の作成を東京の翻訳会社に依頼したところ、この責任者さんと現地スタッフの会話がさっぱりわからないと字幕作成を断られ、取材現場にいたこの通訳に仕事が入ってきたことがある。インターネット上に見られる、例えばシンガポール料理を紹介する映像などが、全編英語であるにも関わらず、おそらく奇妙な発音のためにシンガポール人が話す場面には英語の字幕が付けられていたりもする。ここでは、一般的に言語の美しさや自然さに関する意識が相当低いように思われる。タクシーの運転手に目的地を理解してもらえず、挙句には、

"Your English is 'too good'."

と言われ、乗車拒否されたことも数度ある。言語に対する美的感覚が欠如しているように思われてならない。 

 またこれも後年のことだが、マレーシア人エンジニア(華人)と日本人エンジニアとの間で通訳を務めたある日のこと。彼が絶対的な自信を表しながら、

"I go China one week."

と言うので、近々中国へ一週間の出張に行くのだと思い、

"Are you going to visit there soon?"

とたずねてみると、返答は、

"I go already."

だった。中国語の文法を英語に充当しているのだろう。この例は極端かもしれないが、気にしている気配がないどころか、彼はまったく堂々としていた。彼の隣に座っていたイングランドから出張で来ていたエンジニアは声を立てずにクスクスと笑っていたが。シンガポールやマレーシアで、こんなことはまったくめずらしいことではない。 

そうだとしても、子どもの頃から多言語環境にあり、かなり早い段階で英語と中国語は別々の言語であることをしっかりと認識しているはず。時制による動詞の変化、そして複数形やいわゆる三人称単数現在形の「s」を無視する人は驚くほど多いのである。三単現の「s」について、ピンカーは、

"By the age of three and a half or earlier, [children] use the -s agreement suffix in more than ninety percent of the sentences that require it, and virtually never use it in the sentences that fobid it. This mastery is part of their grammar explosion, a period of several months in the third year of life during which children suddenly begin to speak in fluent sentences, respecting most of the fine points of their community's spoken language.2"

と述べている。当然、これはアメリカ人の場合ではある。しかし、差異があるにしても、日本の事情とは大きく異なり、小学校以前の幼児期から英語に慣れ親しんでいるという点を見過ごせない。ただし、「their community's spoken language」がいい加減なら、そのいい加減さを「respect」するということなのかもしれないが、正す機会はいくらでもあったはずだ。そうできていない、あるいはそうしないのは、やはり、

"What is different about a pidgin is that usually it dispenses with the difficult or unusual parts of the language, the parts that speakers from a great variety of language backgrounds would find strange or hard to learn.1"

であり、教室内での学習内容よりも社会全体からのより強い影響の結果、慣習として定着することで生まれてしまった言語に対するいい加減さが原因なのではないだろうか。この意味においては、ピジン、そうでなければクレオールと呼んでも問題ないのではないだろうか。

 また、対面して話した時にはそれほど違和感がない人でも、その人が書いた文章を読むと、何が言いたいのかわからないといった誤解を生みかねない状況にも何度も遭遇している。書きなぐったままで、そんな文章を書く人たちは読み直して書き直すという作業さえ思いつかないのではないだろうか。英語習得にやたらと卑屈かつ神経質で、正確でなければならないと思いがちな日本人には、こんな不思議な英語を聞いて、あるいは読んで、「シンガポールは英語圏だから、これが正しいに違いない」と信じる人もあるかと思う。そしていい加減英語が在住日本人の間でも広まっていくのである。シンガポールには「Speak Good English Movement」と称されるものさえあるのだが……。 

 The Economistが発行している「スタイルガイド」の一九九三年版と二〇一八年版を見ると、いずれにも著述家であり、批評家でもあったウィリアム・ハズリット(William Hazlitt)の言を引いて、こう書かれている。

 "To write a genuine, familiar or truly English style is to write as anyone would speak in common conversation who had a thorough command or choice of words or who could discourse with ease, force and perspicuity setting aside all pedantic and oratorial flourishes.3"

 これを理解しながらいい加減な文章を書いているかどうかはともかくとして、「to write as anyone would speak in common conversation」だけを当てはめてみれば、彼らは間違っていないということになるのか。自然に話すように文章を書いているのだから。話すのも書くのも、結局はいい加減だということだ。また、文法と構文の破壊は受け入れられることができない。ジョージ・オーウェルの六カ条4などを説いても仕方がないだろう。眼にやさしい文章の自然な流れが作り出す洗練さはなくとも自然な美しさがまったく欠落しているのである。シンガポール、あるいはマレーシアで「英語がお上手で……」などと称賛を頂戴したことが何度もあるが、まったくうれしくない。アンタらのがひど過ぎるやん。

  "Are you 'originally' from Japan?"

と言われたこともある。

 その土地で、つまり東南アジアで受け入れられていたとしても、それは東南アジア人の間だけ、あるいは東南アジアの各国内、とりわけシンガポールとマレーシアにおいてだけでのことである。根本的な習得不足、また単なるデタラメとしか解釈することはできず、許容することはできないことを強調したい。英語の下手さ加減について謙虚な人たちも存在するが、極めて少数だ。日本語に置き換えてみると、この程度の日本語しかできない人は、日本の大学を卒業したシンガポール人の元同僚が自ら言っていたように、日本語が結構わかる「ヘンなガイジン」としてめずらしがられる程度だろう。日本社会には表面的に受け入れられるだけだろう。数年前、シンガポールの永住権取得を申請する外国人には英語の試験を課すべきではないかという発言が議会であったように記憶する。そんな試験はまず、国民に義務として課してみてはいかがか。

 日本人に関して言えば、何十年も英語学習を続けてきてもさっぱりどうにもならないのに、「二週間で話せるようになる」とか、「英会話の単語はこれだけで十分」などという、無責任きわまりない広告文句にコロっとやられる人たちが今でもいることに驚きを禁じ得ない。

 あ、それから、この国ではまだ「J*p」と呼ばれたりする。「Japan」「Japanese」の省略形だそう。そのことを指摘して新聞に投書すると掲載されたことがあるが、在留日本人で気にしている人は他にいなさそう。

1 Word on the Street: Debunking the Myth of a "Pure" Standard English, 1998 

2 The Language Instinct: How the Mind Creates Language, 1994

3 The Economist Style Guide, 1993 and 2018 

4 Politics and the English Language, 1946