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これも「目撃者」に収録されている「私の英会話履歴書」(「週
刊文春」1985年5月16~30日)を読むと。近藤紘一の英語能力が
うかがえる。書かれていることは英語学習者によるもので、ずっ
と文法が複雑なはずのフランス語に精通していたはずの人が書い
たものとは思えない。
日本人はなぜ「英会話」がこんなに好きなんだろうか?この「英
会話」という語を誰が作ったのか知らないが、そこには「会話は
できないが、読み書きはできる」「文法なんてどうでもいいから
話せないとだめ」という意味が内包されているのだろう。読み書
きは識字能力の基礎だが、本当に「英語で読み書きはできる」の
か、自分自身の経験からいって、これはまったく真実とは言えな
い。
現状に詳しくないが、自分が通った中学校、高校では、英語を解
剖して日本語で説明し、また説明させるもの。記号や番号こそ付
加されていないが、「漢文」の読ませ方と同じで、例が適当かど
うかわからんが、「イモリを解剖して、取り出した内臓をつなぎ
合わせてヤモリを作る」ようなもんだ。(漢文について言えば、
せっかく中国語に親しむ機会を破壊してしまっている。「漢文」
が中国語であることに気づいていない人に会ったこともある。)
役所が「日本語で英語を学ばせる」ことを前提に作成した指導
要領に沿って、日本語をどこまでも基盤にしているから、いつま
で経っても「英語を読む/書く」から、書かれている内容を語ら
せる「英語で読む/書く」に成長できないし、また「英語で読む/
書く」の段階に達するには圧倒的に英語との接触量が少ない。
そして「英会話」とやらへの執心だが、独り言は別にして、会話
するには相手がいる。何語かに関わらず、無口な人は会話が少な
い。人と話したくない人も当然存在する。成約を目指し、ある意
味において「会話」を技能とする営業職に就いている人たちなど
を対象とした専門的な会話術習得ならともかく、「会話」を教
え、学ぶということはどういうことなのか。そんなもの、人に教
わるものでないだろう。話題がなかったり、機嫌が悪ければ、無
言で当たり前。
数々の「英会話学校」が姿を消した今でも「英会話」習得熱が冷
めやらない(ように思える)のは、企業の海外活動という側面も
あるが、これを定着させたのは、教師がどこへ行っても通じない
ようなどうしようもないカタカナ発音で、本当なら流暢さを重視
すべき段階から、文章の正確度と文法を叩き込もうとし、教師も
発音できないのに発音記号まで教えようとする英語教育の体たら
くにつけこみ、「今どき、英語ぐらい話せないとだめですよ」な
どと話し、脅して、日本語以外の言語におよそ縁がない人にも
「そうかな」と思わせる手口を使った英会話産業の仕業だろう。
突然の円高で短期留学ブームが起こった1980年代後半に隆盛した
その産業では、とっくになくなった「『ピンクのリボンの』バイ
リンガル」が代表例か。また、日本人医師がどこの大都市にもい
るような時代に、「病院での会話」とか、地銀に何の用があるの
か知らんが「銀行での会話」とか、観光客におよそ縁のない会話
例を載せたがるのが観光ガイドブック。日本人医師に診察しても
らう余裕もなければ、もう救急車のお世話になって、どの場はお
任せするしかないのではないか。それから、「How are you?」と
たずねられると、「Fine, thank you」と答える決まりとなってい
る。はらわたが煮えくり返るほど腹立たしかったり、とんでもな
く体調が悪いときは想定していないようだ。
そして、何でかわからんが、間違っていてもお構いなしに外国語
やカタカナ語をやたらと使いたがる日本人の気質も英語に限らず、
第二言語習得の大きな障壁となっている。誰しもひとつぐらいは
関心事があるだろう。その情報になぜ日本語以外で触れようとし
ないのか。自分が経験し始めた30年前とは大きく違って、テキス
トはもちろん、動画での情報さえ苦労なく手に入るではないか。
近藤紘一の話に戻れば、言語を血肉としていたはずの人ですら、
「英会話病」だったということか。
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October 4 (Tue.) – 7 (Fri.): red wine
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