YouTube には、南海ホークスの大阪球場最終戦の模様もアップされていた(「プロ野球ニュース」から)。あの日、仕事を休んで難波へ。いつもなら、余裕で入場できる大阪球場も超満員。外野席は無料だったように記憶する。1塁側内野席の最上段にやっと場所を見つけ、試合開始から終了まで立ち見だった。昭和52 年のシーズン終了間際の「野村解任」からホークスはAクラスにすら留まることができず、球団売却の不名誉をいただく。最終戦に向かう途中、京阪淀屋橋駅のプラットホームで当時の吉村ホークス社長とすれ違った。(別人ではないと今でも信じる。)
ウィニングホールを惜しげもなくスタンドに投げ入れた井上裕二。試合終了後、整列した杉浦監督以下、コーチと選手ら。早すぎる現役引退だった藤原満。その後、オリックスに移籍したあと、(福岡ダイエー)ホークスに戻ってくることになる門田博光。スタンドのあちこちに涙いっぱいの人がいた。
同じような思いをしたのは昭和52 年の最終戦。観客は1000 人に満たないほど。日本シリーズ後の前期消化試合という無残な状況だった。穴吹代理監督の下での相手は日本ハム。ボロ負け。退団が確実視されていた柏原だったが、笑顔でスタンドに手を振っていた。同じく「野村派」だった江夏はうつむいたままだった。
今、ノムラさんは楽天監督。息子のカツノリの現役引退が発表された。コーチとしてチームに残るだろう。ヤクルト、阪神、楽天と同一チームに所属。ホークスの監督解任の理由だった公私混同が、ここでもそれがあからさまに観察できる。
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