Monday, January 05, 2009

G Vs T, Oct 1973

昨日、今日と、「YouTube」で昭和48(1973)年10月10、11日の巨人阪神戦(後楽園)のダイジェストを見た。アップロードしてくれた人に感謝したい。解説する村山さんの関西弁も懐かしい。

特に11日の試合は記憶に鮮明だ。学校からの帰り、直違橋通りを歩いていると、うちの近所のおばちゃんが、「今、X対Xやで」と教えてくれ、うちへと急いだことが思い出された。この試合は10対10で引き分けるが、その後の中日球場、そして甲子園球場での試合につながる。20日の中日球場での試合、阪神は引き分けても優勝。しかし……この試合に先発した江夏豊の述懐は……、
「十八日、球団から電話があって、あした球団に寄ってくれという。南海―阪急戦(プレーオフ第1戦)を見るので大阪球場へ行くと言ったら、その前に来るようにとのことでした。こっちは、優勝がかかった試合を前にして、ボーナスか何かの打ち合わせかなと思って、午前十一時にホイホイホイと事務所に行ったわけです。
部屋に入っていくと、長田球団代表と鈴木常務が、むずかしい顔をして座っていました。何の用事かと聞くと、二人は『あしたの中日戦には勝ってくれるな』と言うわけです。
『どういうことですか』
『いや、勝つと金がかかるから。これは監督も了承している』
聞いた瞬間、僕は思わず目の前の大きなテーブルを引っくり返しましたよ。わざと負けるなんでことは承知できるはずがない。しかも監督まで『了解済み』というのは、とんでもない話ですよ。僕はカッカしたまま下に降りていって、待っていた蔦さん(報知新聞記者)に、事務所でのやりとりを話したんです。さすがの蔦さんも驚いていました。
『おい、それは書けんぞ。おまえの胸に納めておけ。俺も書かんから』」(「左腕の誇り」)

この20日の試合中、中日球場外野席の外を甲子園へと向かう巨人の選手が乗った新幹線が通り過ぎていったことは、マンガ「侍ジャイアンツ」でも使われたほど、当時としては有名な話。先発した江夏は中日打線に3点を許し途中降板。阪神は2―4で敗れた。

129試合(当時は130試合制)を終えて、阪神と巨人は同率首位。22日の甲子園での決戦は上田と高橋一三が先発。阪神は0―9と惨敗する。テレビ解説はやっぱり村山さんだった。(「侍ジャイアンツ」は解説席の村山さんも登場させていた。)セリーグを制した巨人は、プレーオフで阪急を抑えた南海との日本シリーズに臨み、4勝1敗でV9を達成する。

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