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数十人いた。西洋人も多かったけど、国籍は不明。同僚のようだった。あるビルから、みんな逃げようとしていた。高層ではなかったが、数棟あったかもしれない。建物の裏にある駐車スペースは1台しか止めることができない小さなものだったが、そこに止めてある大型車に乗った。しかし、追っ手はお見通しで、見つかった。
そこからどうやって逃げおおせたのかはわからない。二度目に逃げようとしていた時、同じ車に乗っていた人たちに「そこはダメだ」と言ってから、自分は他の手段を見つけるべく走り去った。かなりの恐怖だった。
どの場面が先だったか、時間的にはまったく混乱しているが、鉄道の駅にいた。「鶴橋」までたどり着けばいいと思って、乗車券を買おうと窓口に行くと、「もうちょっと早よ言うてもらえばよかったのに(列車は三重県か岐阜県か、雪の多いあの辺りまで)」と。残念。
おそらく駐車場を走り去って、野原を横切ったようだ。追っ手から逃れようとする人が大勢いた。野原を越えると道路わきに人の列。シンガポールによくある屋根付きのタクシースタンドのような場所。その内側へ入りさえすれば安全でほっとした。そこに並んだ人たちは、順番に呼ばれて飛行場へと進んでいった。しかし、ツアー・グループの人たちも同じ列に並んでいて、仲間の人数によっては先に進まないグループもある。自分は、Kalamazooでいっしょだった「いしかわゆうこ」ちゃん(歌手の(歌手だった?)石川優子ではない)と並んでいて、警備員がまだ乗れると手招きしたので、急いでエスカレーターを上がった。一瞬遅く、搭乗ゲートのシャッターが目の前で下ろされた。
窓の外を一機が飛び立って行くのが見えた。主翼があるべき場所には、タクシーが屋根に乗せてのを見ることがある企業広告看板の背を少し高くしたものが取り付けてあり、機体の後部はむき出しのコンテナのように四角張っていた。
次に到着した飛行機に、いしかわゆうこちゃんと乗ろうとして通路を進んでいる時、ダークグリーンの南海帽子が他の落とし物といっしょに通路の壁にひっかけてあるのを見つけた。自分のやないか!大事にかぶって通路を進んでいたら、目が覚めた。電話がかかってきたので。
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また別の夢も見た。どっちかが先だったのか、場面が分割されて、時間的に交差しているのか、やっぱりわからない。通路を進んでいた時に電話で目が覚めたことは確か。1年に何度も見るエレベーターボーイ時代の夢だった。どういうわけか、運転するエレベーターのあるビルがいつもと異なっていて、京都の河原町ではなく、「福知山」まで行った。いちばん大きな仕事は、エレベーターの操作と清掃手順を指導すること。しかし、何年も操作していないし、いつもの場所とも違うのでずいぶん戸惑った。さらに、その日のうちに自宅に戻れない距離なので、どこに宿泊すればいいのか、はたまた地下の窓のない部屋で夜を明かさなければならないのか不安だった。
まったく操作を知らない数人に混じって、河原町でいっしょに仕事をした高校生の連中もいた。実際、職場の雰囲気は、留年しながらも読書をかかさない大学生だけの時代から高校生が混じってから変わった。それを反映してか、この夢での自分の態度は不満いっぱいのものだった。ん、お世話になった「保安長」も、どっかに出てきたな。
「福知山」には雪が積もり、タクシーで自宅に帰ることは不可能のようだった。(自宅が京都にあるのか、大阪にあるのか不明。)なぜか、ローラーコースターに乗っていて、レールが切れたところからコースターごと投げ出された。うまく着地した。
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I managed to upload the image to my “Hawks” blog, but the connection remains troublesome as simple file attachments to Hotmail sometimes fail.
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