Monday, April 17, 2006

Prof. Otis Cary Dies

オーテス・ケーリ氏が死去 日米交流に尽力 (産経新聞)
 戦後の日米交流に尽力した歴史学者で同志社大名誉教授のオーテス・ケーリ氏が現地時間の14日午後(日本時間15日午前)、肺炎のため米カリフォルニア 州オークランドで死去した。84歳。北海道小樽市出身。米国でお別れ会をした後、日本でも行われる予定だが、日取りなどは未定。
 日本在住の宣教師の長男。同志社の創始者、新島襄と親交があった祖父が新島とともに学んだ米・アーモスト大卒。在学中に日米が開戦し、「日本語が分か る」情報部員としてハワイの日本人捕虜収容所長を務めた。除隊後の昭和22年、同志社大への派遣教授として改めて来日、半世紀を京都で暮らした。
 太平洋戦争史の研究者として知られ、京都が原爆投下を免れたのは当時の陸軍長官の意思だったという新説を発表するなどした。著書に「日本との対話」「よこ糸のない日本」など。
(04/16 21:04)

Sunday, April 09, 2006

Why So So Sleepy??

休みの日、どうしてこんなに眠くなるんだろう……。前日に飲み歩くこともなく万端整えたはずなのに、1日(土)はクリニックに行けず、昨日は午後のジムにも行けず。今日は今日で「寝ては読み、読んでは寝て」の繰り返し。また、おかしな夢を見ていたようだが、今は思い出せない。

さっき階下に行くと、封書が郵便ボックスに貼り付けてあるので、「宛先不明便だな」と思って見てみると、なんと自分宛だった。先月13日の消印が押されている保険会社からの書類だった。今までどこをうろうろしていたのだろうか。

Thursday, April 06, 2006

More Strange Dreams (Continued)

先月見た夢の続き。学生服姿の首相に「あとで戻ってこい」と言われて戻ると、学校の楽団が「法華経」を演奏していた。パーカッションが効果的だ。首相は講堂の舞台に立って、数十人の聴衆を前に何やら説明していた。「シートノック」用のネットの後ろからボールを講堂の後方に向かって投げていた。

スポーツジムで。会員カードを受付で見せて運動できる服装に着替える。高校生の時に通っていた美術教室の講師をしていた女性に似たトレーナーが自分たちのクラスの担当だった。何のトレーニングをしていたのかわからないが、教室のような場所だった。何度か目のトレーニングの日、様子が違った。ジムを閉鎖すると言うのだ。

広い芝生の敷地。シャトルが宇宙から戻ってくる。たくさんの見物人がいて、ロープが張り巡らされている。ロープの内側に立ち入ることができるのは、カメラマンなど報道関係者だけ。自分はロープの外側から懸命に写真を撮ろうとしていた。無事に帰還したシャトルに乗船していたのは、有名な男優がひとり。彼は出口から隣接するビルに直接つなげられていた空中廊下をこっちに向かって手を振りながらビルに入っていった。

小学校で同窓の「石村くん」など数人と繁華街を歩く。韓国風の焼肉レストランに入って、「サムギョプサル」を食べた。歩いていたのは三条河原町辺りの繁華街だった。

Story of "Baa-san"

「山下奉文:昭和の悲劇」(福田和也)も終えた。読み終えてすぐに買ってしまった「警察(サツ)回り」(本田靖春)も今日終えた。「バアさん」を主人公にして、周辺の人々、警察回りの生活、人種問題、本田氏自身の売(買)血絶滅運動などを描いて東京オリンピック前後の日本の様子を教えてくれる。印象深い1冊となった。昨日の夜、また「東京オリンピック」を見た。「バアさん」は、馬術を観覧しているのだ。
山下将軍に関しては、もう1冊「人間将軍山下奉文:「マレーの虎」と畏怖された男の愛と孤独」(安岡正隆)を買ってきた。
ちなみに、当てにしていた海外傷害保険への申請が認められず、休職中3カ月間の給与も当然なく、カネがない……

Misrepresentation

地元タブロイド紙が一面で日本人女性「クミ・コダ」の写真を大きく載せていた。
日本の芸能情報に疎くなっていて、誰だかわからない。調べたら、「倖田來未」という同郷の人気歌手だった。シンガポールでも売れているそうで、最新アルバムが18歳未満への販売を禁じる「M18」指定になったらしく、一面への登場となった。
テレビドラマや音楽が日本への親近感を生み出している。「日本人になるのが夢」と言った人にも会った。だが、倖田來未が日本の日常を代表しているわけではない。天地真理世代としては、Jポップ人気も所詮流行に過ぎないと思え、長続きするのか心許ない。
最近の日本の音楽に対する東京都知事の見解はこうだ。「歌詞はデタラメ、文法も間違っているし、とにかく意味をなさないような言葉の羅列」。