「サイゴンから来た妻と娘」から:
「市場前広場から鉄道線路沿いに十分ほど行った、ファン・グー・ラオ通りの一角」
(22ページ)
「菩提寺は少し離れた同じような下町の大通りにあり、コンクリートの山門に『興栄
寺』という漢字の額がかかっていた」(36ページ)
「市場前広場からサイゴン川の河岸に通じる大通りを、ハムギ通りといった。…河
岸近くに、密輸品やPX流れを扱う露店市があった。…このヤミ市の中ほどに、動物
を売る店が二、三十軒、固まっていた」(127ページ)
「支店のあるグエン・フエ通りのはずれにも、盛大な花市が開かれた」(151ペー
ジ)
ファン・グー・ラオ、興栄寺、ハムギ、グエン・フエ、今どうなっているのか知りたい。
何年前も泊まったゲストハウスと安ホテルの名刺を探して、その住所を見ると、そ
のうちの一軒に「Pahm Ngu Lao」とあるではないか!名刺は3枚。泊まったのは
2軒。3枚のうち1軒は「Kim Linh」とあり、ここは間違いなく3度目に行ったときに
泊まった場所。地図を見ると、「96」のある「Bui Vien」は路地のようだから、これ
が最初と2度目、2008年初めに泊まったゲストハウスだろう。とすると、「Pahm
Ngu Lao」が住所になっている「Hanh Chuong」は、予約して行ったにもかかわ
らず、「チェックアウトするはずの客が出ていかなかった」とかで、泊まる部屋がなか
った場所だろう。おばちゃんの運転するスクーターの後部座席に乗せられて自分は
ここから「96」に譲り渡されたのだった。「96」の周辺はそれなりに歩いたが、通りの
名前まで気にする余裕もなく、どれが「Pahm Ngu Lao」だったのか、まったく記憶
にない。毎日のように午後を過ごした確か「Bobby’s」というコーヒーショップやベト
ナム航空のオフィスがあった通りかもしれない。
などと思っていたら、プノンペン行きの長距離バスが発着したのは片側に公園があ
る通りで、出発してすぐにバスが線路を越えたこと、帰りは線路を越えればすぐに到
着だなと考えていた記憶が、突然よみがえった。地図を見ると「Pahm Ngu Lao」
の北側は公園になっているから、あの通りに違いないだろう。とすると、その「一角」
とは、まさしく「96」や蚊に刺されまくった「Q Cafe」、そして「96」を出て左斜め向か
いにあった「安楽寺」があった「Bui Vien」の辺りではないか!自慢げに指でサッ
カーボールを回していた少年たちはミーユンの親戚かも。
記憶は糸をたぐるようにして今に戻ってくる。プノンペン行きのバスを予約したのは、
「96」を左に進んで「Pahm Ngu Lao」と思われる通りの手前にあった建物、おそら
くホテルの1階で済ませたし、赤Tシャツを買ったのはその通りとの角を左に曲がり、
線路方向にあった店ではなかったか。「96」を右に行くとすぐに「Bobby’s」のある通
りに出る。「Nguyen Thai Hoc」かもしれない。そこを左に曲がると大きめの交差
点で、派手めの看板があるバーがあった。ここを左に進むと、「女性用ですが…」と言
われても「Who cares?」と答えて、かまわずサンダルを買った土産物の店。またこ
の交差点を渡ると、バーからほぼ対角線の場所にATMがあって、何度かそこでカネを
引き出した。引き出す金額にかかわらず、1回5ドルの手数料がかかるとは知らず、
シンガポールに戻ってから、銀行から何通も手数料引き落としの通知が来た。土産物
店を通りの反対側に見て少し行くと「Pho 24」だったと記憶する。もうちょっとしっかり
した地図を見て確かめたい。
就労ビザがなくて一時避難するための訪問だった。ただ、今よりもっとカ
ネがなかったのに、サイゴン滞在中は不安をそれほど感じていなかった。
同じような状況に陥ってしまっている今の方が、不安はよほど大きい。
The result of my second appeal may come today.
Alcohol intake record:
August 11 (Thu.) – 14 (Sun.): none
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