「不服申し立て」が認められなかったことは、おそらくそうなるだろうと思っていた結
果だが、やはり大変心が重い。昨日は足が地に着いていない感覚と呼吸の苦しさ
を覚えた。負の力を正に変換しようとして何とか続けている1時間の運動も、負に
圧倒されやる気にならなかった。今夜もそのようだ。
脳内をすっかり占拠してしまったこの1年間の災難への思いを排除しなければ、眠
りにつくこともつらいだろうと考えて、「妻と娘」シリーズを一気に読むことにした。夕
方、「バンコクの妻と娘」を始めたが、これまでと同じく、リセの校長からの手紙と
「長年の親友」について書かれたページで目が止まった。
一体、うちの両親は子育てについて誰からどんな教示や助言を得ていたのだろう
か?子供に心の安住を与えることを無視してしまった自分たちの行動が、子供の成
長にどう影響するのか一度でも立ち止まって考えたことがあったのだろうかと思う。
おそらく両親間の争いの中では、子供は道具になっていたのだろう。その傾向は母
親に顕著だった。「両親のようになってはいけない」というのが信条となってしまい、
今でも心の解決を得ることがきないデキソコナイとなってしまった。昨年11月に持
ち帰った母親の写真は、すぐにコンピューターに取り込んで京都に送り返すはずだ
った。持ち帰ってから10日か2週間かで何とか全部取り込んだものの、送り返すと
いう何でもない作業が面倒でたまらず、まだうちにある。持ち帰った日記も数冊ある
が、1ページも読んでいない。ページをめくれば悲しさや懐かしさがあふれるのでは
なく、怒りが沸いてくることを恐れている。
「ふつうの人生コースを歩んできたものには」「生涯の支えとなったり、慰めとなった
りする」存在がいるはずらしい。そうだとすると、自分の人生コースはつまり「ふつう」
ではなかったようだ。例えば仕事に関する能力の有無などを除いて、自分の内面
について知る人がどこにいるのだろうかと考えてみても、誰の名前も浮かんではこ
ない。「あの英語のうまい人」などという評価は深く落胆させるほど浅薄で、自分に
ついてそんな評価しかできない人は支えにも慰めにもなっていただく資格はまった
くない。自らのデキソコナイさが人との絆の形成を不可能にしているのだろうか。そ
れとも他に理由があるのだろうか。「友人はひとりでいい。その友人は妻となる人」
だと、しばしば思ってきた。今でもそう思う。しかし、それにも失敗し、おそらく癒える
ことのない大きな傷を残してしまった。
Alcohol intake record:
August 9 (Tue.): none
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