「バンコクの妻と娘」(近藤紘一)を昨日の午後買って、ほぼ一気に読み終えた。パパとママンの娘ミーユンへの言葉は時にかなりドギツイが、それは愛情と信頼があってこそ成立するもの。涙を見せたり、生意気しながらも、ミーユンはパパとママンが大好きだ。この家族はやっぱりすばらしい。
「それでも私がときおり、六時、七時などという常軌を逸した時間にベッドから飛び出すのは、この世にまだそういう時刻が存在することを忘れないため、それに、なぜか前夜半までの呻吟も甲斐なく、締め切りまぎわの原稿を仕上げそこなう、という事態がしばしば生じるからである。ときには早朝会見、早朝発表などという始末の悪いものもある。
こういう日は、天の摂理に反して早起きした、という、健康管理上のうしろめたさが丸一日つきまとう。その精神的重圧感だけでもう気力体力の保全がそこなわれ、ぐったり過ごしてしまうことが多い。結局のところ、誰の得にもなりはしないわけである。」
「日本でも国外でもそうだが、未知の土地を訪れたさい、私はよく足の向くまま、気の向くままにひとしきりあたりを歩き回る。それも、とりあえず時間の観念を忘却し、いわば行雲流水に心と身体をまかせた心境でさまようのが楽しい。
というと、いかにも風雅で詩的に聞こえるかもしれないが、暑湿の土地では、そう太平楽な作業とは限らない。長時間、脳天を南国の太陽にさらせば、中身の老化現象もそれだけ促進されるものと覚悟しなければならない。」
自分も「万葉集」をのぞいてみることにする。
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けさの夢、イヤだった。右側上の歯茎を含めて、体のあちこちに縫い針を刺されていて、それを1本づつ抜いていた。誰が刺していたのかはわからない。1カ所に長さの違う針が2本刺さっていた。刺された時の激痛と、針が体内にあることによる鈍痛がたまらなかった。動くと激痛に変わるので、できるだけ体を動かさないようにして抜いていた。目が覚めると汗ダクだった。それから結構若い女性が兄とともに登場した。兄が何かを教えている生徒のようだった。理由は闇の中だが、この女性をたいそう嫌っていた。母親はおどおどと心配するだけだった。そしてまた、雨上がりの知らない土地から(多分自転車で)帰宅しようとしていた。はなはだ狭い道の両側を白壁が囲んでいて道路はどちらかと言うと鮮やかな黄色だった。急斜面のこの道を下ると、直角に横切る舗装道路に出た。近所に住むと思れる30代後半あたりの女性に道を聞くと、「工事が始まってから、道が変わったからねぇ」と答えた。全く断片的に過ぎて、文章にできない程ではあるが、何週間か前、何カ月前に見た夢を思い出すことがある。不思議なことだ。
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