"Bridge" に朝4時ごろまでいて、帰ってきた。タクシーに乗ったところまで記憶があるが、その後のことは覚えていない。ずっと眠り続けて長い夢を見ていた。
いつも会っていたい女性がいたようだ。SMS で、"r u free 2 talk?" などと送っていた。会っている場面もあったが、相手が誰だったのかわからない。よっぽど好きな人のようだった。
兄も夢に出てきて、母親の体調が悪いことを告げられるが、「これ以上、自分にできることはない」と伝える。鳥の声がきこえたので2階の窓から外を見ると一羽がこちらを向いて鳴いていた。
食事をしようと立ち寄った店は「大長今」の時代の感じで、主人は長今の親代わりのおやじ。洗ってない皿が重ねられていて、その下に料理を見つける。サトイモとぶどう一房と青菜があった。
いくつか紙か葉っぱにとって、店を出た。現代の風景ではなく、大正時代ごろか。京都の四条通。観光客のような女性と会い、祇園や八坂神社、つまり東へ歩く。買ったはずの料理は消えていた。途中にある食堂のウェイトレスにきくと、その店ではなく数軒先の食堂をすすめてくれる。すすめられた店の2階へ上がる。何を注文したのか覚えていない。外へ出ると、「大長今」のおやじが白装束の大道芸人となっていた。観光客風の人はどこへ行ったのだろうか。
別の店をすすめてくれたウェイトレスの店。オーナー夫婦がビールを持ってくるように厳しく彼女に言うと、大道芸人がビールの置かれてあった倉庫に現れて、「『94』のビールだ」と瓶ラベルを確認しておどろいていた。
昨日の午後、ずっと以前に見た夢を突然思い出した。
Wheelock Place の裏側、Orchard Blvd からバスに乗って、どこかへ。東海岸方向だろうか。降りるとフード・コートがあり、いちばん外側の店、数軒では、アイスクリームやジュースが売られていた。場面が変わると、五軒長屋があり、そのうちの一軒の前に立つ。自分の家のようだった。すると、小学生ぐらいの欧米系の子供が二人近寄ってきた。何かを話したのかは覚えていない。その長屋の並びを右に進むと、左に曲がる道があって、団地が見えた。何軒かの住人が窓から顔を出していた。
Saturday, June 25, 2005
Tuesday, June 21, 2005
Mehta Erased, EP Approved, Me Hypnotised, Bose Remembered
Midori の記事をもう一度確認しようと思って、数日後にST のサイトで探す。記事はあったが、Zubin Mehta について触れた個所がなくなっていた。
17日(金)。会社からEP 承認の手紙をもらう。その10日ほど前には承認されていたようだ。翌日、カウンセリングの後、数年前の血液検査のときにも行ったPeace Centre の検査所に行く。前回は、確かDr がいて即日結果をもらったように記憶しているが、診断書は22日に用意できると言われた。採血の後、診察を受けるためIOIビルにあるNTUC のクリニックに行った。な~んだ。前と同じDrだった。明日の午後、診断書をもらいに行ってくる。
土曜日のカウンセリングで浅い催眠を経験した。意識ははっきりしているが、照明を少し暗くして一点に視線を集中させ、「私の声だけ」をきくように指示される。無理やり逆らうこと必要もないし、「まぶたが重~くなってくる」と言われると目を開けてられないほど、重くなってきて目を閉じてしまった。
今日午前。NTT-NEC の会見に出席。
今月の日経新聞「私の履歴書」は野村克也。保存版にする。
エスプラネード・パークに記念碑がある。正確には記念碑の記念碑。インド国民軍にシンガポールで参加した無名戦士の碑があった場所を記したものだ。
部隊は占領していた日本の協力を得て結成された。インド国民軍を1943年から率いたのは、祖国で今も「ネタージ」(師)と呼ばれるチャンドラ・ボース。45年7月に建てられた碑には、「団結、信念、犠牲」とあり、礎石は彼自身が置いた。
シンガポールで「日本の支援を受けて」と書かれている占領期の記念碑はこれだけではないだろうか。相変わらず周辺諸国から批判の多い日本だが、この碑を見ると多少は気分も晴れる。
欧州の混乱に乗じて、一気にインドの完全独立を目指せと主張したボースは日本軍と協力して対英戦を実行して失敗。その後、飛行機事故で命を落とす。
17日(金)。会社からEP 承認の手紙をもらう。その10日ほど前には承認されていたようだ。翌日、カウンセリングの後、数年前の血液検査のときにも行ったPeace Centre の検査所に行く。前回は、確かDr がいて即日結果をもらったように記憶しているが、診断書は22日に用意できると言われた。採血の後、診察を受けるためIOIビルにあるNTUC のクリニックに行った。な~んだ。前と同じDrだった。明日の午後、診断書をもらいに行ってくる。
土曜日のカウンセリングで浅い催眠を経験した。意識ははっきりしているが、照明を少し暗くして一点に視線を集中させ、「私の声だけ」をきくように指示される。無理やり逆らうこと必要もないし、「まぶたが重~くなってくる」と言われると目を開けてられないほど、重くなってきて目を閉じてしまった。
今日午前。NTT-NEC の会見に出席。
今月の日経新聞「私の履歴書」は野村克也。保存版にする。
エスプラネード・パークに記念碑がある。正確には記念碑の記念碑。インド国民軍にシンガポールで参加した無名戦士の碑があった場所を記したものだ。
部隊は占領していた日本の協力を得て結成された。インド国民軍を1943年から率いたのは、祖国で今も「ネタージ」(師)と呼ばれるチャンドラ・ボース。45年7月に建てられた碑には、「団結、信念、犠牲」とあり、礎石は彼自身が置いた。
シンガポールで「日本の支援を受けて」と書かれている占領期の記念碑はこれだけではないだろうか。相変わらず周辺諸国から批判の多い日本だが、この碑を見ると多少は気分も晴れる。
欧州の混乱に乗じて、一気にインドの完全独立を目指せと主張したボースは日本軍と協力して対英戦を実行して失敗。その後、飛行機事故で命を落とす。
Sunday, June 12, 2005
Zappa, "Nobody Knows," Mehta
5月28日。紙風船に「おつかれさま」のあいさつに行ったら休みだった。Borders に行ってみたら、新しい"Zappa"本が出ていて買ってしまった。
4日。JB に行く。シンガポールに再入国するとき、入管でビザ申請受領の手紙を見せると、「何日必要なんだ」ときかれた。「30日」と言うとそのまま30日もらえた。しかし、ビザ申請はまだ承認されていない。ちょっと時間がかかりすぎだな。あんまりいいサインではない。
会社で割付けに使うPageMaker にやっと慣れてきた。予期しない問題が発生がなければひとりで何とか作業を終えることができる。退社時間が少しは早くなるだろう。
先週末、「誰も知らない」を見た。演技しているとは思えない演技。柳楽くんが受賞したことにおどろきなし。
"Subhas" をまとめて読む時間がとれない。まだ半分終えていない。
金曜日のStraits Times だったと思うが、「Midori 来星」の中で"the late Zubin Mehta"とあった。いつ死んだんだ?
Zubin Mehta has been Music Director of the Bavarian State Opera and the Bavarian State Orchestra since 1998. Quite apart from his commitments and responsibilities for the musical leadership of new productions, repertory performances and concerts associated with this position, he has also led the State Orchestra on two major European tours and the whole opera company on tours to Japan the next of which is planned for the autumn 2005.(Bayerische Staatsoper のウェブサイトから)
4日。JB に行く。シンガポールに再入国するとき、入管でビザ申請受領の手紙を見せると、「何日必要なんだ」ときかれた。「30日」と言うとそのまま30日もらえた。しかし、ビザ申請はまだ承認されていない。ちょっと時間がかかりすぎだな。あんまりいいサインではない。
会社で割付けに使うPageMaker にやっと慣れてきた。予期しない問題が発生がなければひとりで何とか作業を終えることができる。退社時間が少しは早くなるだろう。
先週末、「誰も知らない」を見た。演技しているとは思えない演技。柳楽くんが受賞したことにおどろきなし。
"Subhas" をまとめて読む時間がとれない。まだ半分終えていない。
金曜日のStraits Times だったと思うが、「Midori 来星」の中で"the late Zubin Mehta"とあった。いつ死んだんだ?
Zubin Mehta has been Music Director of the Bavarian State Opera and the Bavarian State Orchestra since 1998. Quite apart from his commitments and responsibilities for the musical leadership of new productions, repertory performances and concerts associated with this position, he has also led the State Orchestra on two major European tours and the whole opera company on tours to Japan the next of which is planned for the autumn 2005.(Bayerische Staatsoper のウェブサイトから)
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