Sunday, April 03, 2011

"Mokugekisha" by Kondo Koichi

木曜日に買ってきた「目撃者『近藤紘一全軌跡1971~1986』より」を終えた。

「せめて五分刈りぐらいには」(「マネジメント・レポート」1978年7月号)では、ベトナム戦争中に「日本の多くの識者」が中国とべトナムにある「連帯と結束を信じ、これを称えつづけた」と振り返り、「三年後の今、北京は、ハノイを、『恩知らず』ときめつけ、ハノイは北京を『漢族』を罵っている」(37ページ)と現状を知らせる。ベトナムの歴史をほんの少しでも知っていれば、それが北の大国との対峙であったことがわかるというものだが、当時の「日本の多くの知識人」は「『人民の総意』『歴史の正義』などという耳ざわりのいいスローガンで事変を割り切っていた人々が、それと明らかに矛盾する事態を突きつけられても要領よく沈黙をきめこみ、でんでそのばかばかしさかげんを恥じたり、反省したりしないのはどういうわかであろう。実際に私たちが問題にすべきは『人民の連帯と結束』を殺し文句に、自らと異なる意見を吐く者を『反動の手先』『米帝のイヌ』呼ばわりしたこれら識者らのその後の不誠実さではないのか。
全員坊主になれとはいわないが、今なお新聞・雑誌ですましてオピニオン・リーダーを気取っている先生方の何人かはせめて五分刈りぐらいにするていどの男らしさがあってもいいのではないか、と思う」(38ページ)と厳しく問う。

「キッシンジャー回想録」にあったように、中越関係については「米帝」もしっかり分析していた。当時の識者の皆さんにおかれましては、「アジアの共産主義は一枚岩」だという、個別の国の事情を無視した結論が先にあり、まじめに調べれば自身の主張が破綻することを知りながら、つじつまを合わせようと論理をこじつけ、日本国民を騙くらかそうとしておられたわけですね。立場は違えど、こういう人たちは今でも散見される。

また、「『南方』という意識」(「文藝春秋」1987年3月号)においては、日本人にとっての「南方」が「ジャングルにおおわれ、どこへ行っても腰ミノひとつの“土人”がひしめいている、いわばのべたんの未開地であった。軍部だけでなく一般日本人の大多数にとっても、それは『冒険ダン吉』『私のラバさん……』の世界であった」「十把ひとからげ、冒険ダン吉の発想はすでに往時の日本人の思い上がりと愚劣さを刻み込んだ化石的盲影となった……はずである」(125ページ)「今、かたわらのテレビのチャンネルをNHKに合わせた。たままた中曽根首相のASEAN(東南アジア諸国連合)歴訪終了を告げるニュースが流れていた。(中略)その端整かつ流暢なコメントを聞くともなく聞いていて、またまた恐れ入った。『フィリピンの場合、マルコス大統領ら政府首脳はともかく、原住民の反応は……』」(126ページ)とある。

日本人が抱いていた、あるいは今も抱いている他のアジア民族に対する差別意識を考えれば、「大東亜共栄圏」なんてハトヤマ流に言えば、国家延命と資源確保のための「方便」に過ぎない。大東亜会議にも参加したインドのチャンドラ・ボースは強烈な反英であり、イギリスに対して戦争を始めた日本に戦術上肩入れしたにすぎない。日本軍による中国大陸での蛮行への彼の批判からもそれは明らかではないか。

また、「白熊と老猿と宝石と シンガポール動物園」(「銀座百点1984年8月号」)では、「ところが、どういうわけか、そのとき私のかたわらにも、正体不明の二本足が一人いた。漆黒の髪を肩まで流し、白熊より劣るが、まずは申し分ない白磁の肌をしなやかなチャイナドレスに包んだ年若き二本足である。
空港から、いったん昼なお罪深いこの町の中心街オーチャード通りに出て、そこで動物園のありかを尋ねて、再びタクシーでやってきたのだが、いったい、どこで、どうしたはずみで、道連れになってしまったのかわからない」
「タクシーで市中に引き返し、あとは、ガイド役の彼女の誘導のままに行動した―はずだが、具体的にどういう行動をしたかは忘れてしまった。
ただ翌朝、別れぎわに、ガイド料としてはどうやら法外の額を請求されたことだけは憶えている」(225~228ページ)。

近藤さん、オーチャードのどの辺でこの白磁の二本足を見つけられたんでしょうか。ぜひ、知りたいです。

「夏の海」は亡くした前妻への恋文なのか鎮魂なのか、「妻と娘」では知りえない感情を表した作品。そして。巻末にある沢木耕太郎の「彼の視線」には「仏陀を買った」について、「吉行淳之介が≪主人公が下宿の女主人と結婚する気持についての表現が、すこし不足している≫と書いているは、当を得ているように思われる。小説には不要と思ったのか、書くことで事実に縛られるのを嫌ったのか、いずれにしても何も知らぬ読者には、いささか唐突の感はいなめなかった」とあるが、そうだろうか?これは、近藤さんのベトナム経験を知る人の意見であって、彼にとって「仏陀を買った」はあくまで独立した作品であり、彼のベトナム・ストーリーは読者が他の作品から独自に見つけ出す作業であるべきだと思う。

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I came back home with “Demons” by Fyodor Dostoevsky.

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