Monday, May 12, 2008

Nomo and Nomura... Simply Incompatible, Spritual Significance of "Fundoshi," and My Wish to Japanese Learners

産経新聞とサンケイスポーツ(ともに電子版)が、「野茂、楽天入りか?」と伝えている。「大リーグ関係者」によると、交渉がすでに開始されており「今週中にも」入団が発表されるかも、とも。あってはならない。ブレイザーの助けを借りたノムラさんが、アメリカ式科学的野球の日本での先駆者であることに疑義はないが、「長髪」「ヒゲ」「茶髪」はダメという高校野球的精神論を維持しているのもまたこの人なのである。

先日、イチローがノムラさんの通算安打数を抜いたとき、彼は「ふ~ん」とコメントしただけだった。イチローの思考にノムラさんの影響なんか存在していない証拠だ。野茂も然り。野茂の代理人とノムラさんが義理の親子であることなんぞ、関係ない。日本野球の殻を見事に破って実績を残してきたパイオニア野茂がノムラ監督の下で投げるなんて、想像すらしたくない。

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阪神が交流戦用のユニフォームを発表した。土と芝のグランドに映えると思えぬし、野球用のデザインとは到底かけ離れている。

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「パンツの面目ふんどしの沽券」には、その名もズバリ「褌」という昭和2年発行の本が紹介されている。「洋服を着るやうになつた今日も尚は、赤褌や、黒褌や、白褌をしめて居る。これが真に国粋保存の唯一であらう。大いに結構なことで、いざ国家が緊急存亡の場合には褌をしめて掛からねばならぬのに、その褌が無ひやうでは物の役にはたゝぬからである」と勇ましい。

「……国家を天皇という生きた人間に人格化(パーソナリゼーション)させることによって、一般庶民にも国家の一員たることを自覚せしめることができたように、日本精神や大和魂もフンドシに物神化されることによって、より強く意識されるようになってと言える」(万里さん)のだが、フンドシは日本起源でもなければ、日本固有のものでもないのが事実なのだ。

「褌」の編者、「松本実」なる人も、「褌は読者の御存じの通り熱帯民族の特有物である」と、これを認めているのだが、こんなことではあきらめていない。「世界広しと雖も地球上で温帯の住民で褌をしめて居るのは我が大和民族ばかりではないか」と書き、さらには「この褌で太平洋の島々を結び合し、軈て太平洋を日本の湖水とせねばならぬ。褌の使命や偉大なりと言はねばならぬ。『此の漂へる国を造り固め』て、以つて天恩に報ひねばならぬ。社会主義や、無政府主義や、欧米の物質主義は美々しく飾り立てゝいるが外観だけであって、イザと云ふ時には褌程に物の役にも立たぬ。吾人は褌を忘却してはならぬと思ふ」といよいよ勇ましい。

万里さんは、「おそらく、古代から中世にかけての中国にせよ、近代における欧米諸国にせよ、より強力な武器、より豊かな文物、要するに先進文明はいずれも北方起源で日本列島に入ってきた。この北方文明に対するコンプレックスが、南方起源のフンドシに対する拘りを生んだのではないだろうか」と分析している。

彼女の関心の広さとそれを追求しようとする深さに、またもや驚かされた1冊だった。

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I’ve attended four “Meetup” meetings in three weeks. A good attendance rate, isn’t it? Completely understanding any “what if” attempt is misguided and futile, I still have to wonder what my life would be now if I had joined the group eight years earlier. Yet this is my wondering, while trying not to package in a group each of the members I’ve met. There is no doubt that I’m getting some different kind of satisfaction by meeting them.

I was a TV and manga kid. I was watching TV for many hours everyday, sometimes only because the TV set was kept turned on, regardless of the program that happened to be on. Having said that, the cartoons I was watching on TV or reading were quite different from the ones they are interested in, it appears. Watching TV cartoons in the 70s, they should be able to learn about the Japanese society at the time. My wish is that all of them maintain their interest in the Japanese language and learn that its culture, like any other, has many faces. And each face has an often entwined history with other faces.

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