Love him or hate him, he symbolized Japan when he was prime minister. One of my Singaporean friends, a Japanophile (where is she now?), was so excited when he visited here in 2002. I saw a motorcade with the Japanese flag sped away Bras Basah Rd to the direction of the airport.
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「サイゴンから来た妻と娘」から:とにかくベトナムの家庭のしつけは日本よりもはるかに厳しいようだった。
子供にたいしては、徹底した性悪説でのぞむ。大多数の親は、子供は動物と同じ、と割り切っている。「子供には自分で物事の善し悪しを判断する能力などない。だから外側からそれをたたき込んでいくのが親の仕事」というのが、この国の子育てのひとつの基本らしかった。
……しつけの悪さはなによりも親の恥なのだ。親はメンツを失いたくないから、子供が泣き出しそうな気配を見てとると先手を打って張り飛ばす。びっくりして泣きだしたら、また二、三発張り飛ばす。何回かこの調子でくり返せば、しまいには子供の方があきれ、次からは泣きべそをかきたくても我慢するようになる。
日本に来た頃、妻は、街路や乗り物の中で泣く子のごきげんを取っている母親の姿を見るたびに、ショックを受けた。「親の恥も知らない」と、彼女は憤慨した。
長い間、彼女は、自分が小娘だと思っていた。サイゴンで日本語の単語を習いはじめた頃、私が「コン・ガイ(女の子)は日本語ではコムスメというんだよ」と教え込んでおいたからだ。
日本に来てからも、人に紹介されると、
「わたしは、コンドウのコムスメです」と名乗っていた。
ときどき、「そう、君、小娘なの?」とおかしそうに聞き返す相手もいたが、それでも大真面目に、
「はい、コムスメです」と答えた。……
ある日、リセから戻ると、
「パパ、ひどいよ。コムスメっていうのは悪い言い方じゃないか」
と抗議した。……
「お前、パパの日本語、信用しないのか。パパは新聞記者なんだよ」
ユンは困った顔をした。しばらく疑わしそうに私を見たあとで、
「やっぱり、コムスメって呼ばないでください」
ちょっとあらたまって念を押した。
そこへいくと、妻は他愛がない。彼女は、ユンにくらべ日本語と接触する機会がずっと少ない。だから、最初に教えられた知識を律義に守り続けている。
日本に来た頃、私は、夫は「旦那さま」、妻は「奥さん」というのだ、と教えておいた。だから、いまでも、
「わたし、コンドウのオクサンです。わたしのダンナサマ、いますか」
などと、社に電話をかけてくる。
日本の食べ物の中で、どうしても妻の手に負えないものも幾つかある。
根がカラリとした南国気質のせいか、執念深い相手は苦手らしい。モチと納豆はいずれも一回試しただけで、以後「こわい」といって手を出さない。
……テレビに電気モチつき器のコマーシャルが登場すると、軽蔑しきった顔で見ている。
生卵にも手を出そうとしない。……私は……夜中に腹が減ると納豆と生卵で一杯かき込むことがよくある。妻は身震いしながら見ている。そして、
「ああ、とんでもない野蛮人と結婚してしまった」と、嘆く。
そのくせ、彼女自身は、「ビトロン」と称する、途方もない食べ物が大好物なのだ。孵化一週間ぐらい前のアヒルの卵を殻ごとセイロで蒸したものである。はじめてサイゴンですすめられたとき、半熟卵ぐらいかと思って何気なくサジで割った固形化し、なかばドロドロのヒナがニュット顔を出したので、椅子から転げ落ちんばかりに驚いた。