Sunday, March 10, 2019

Karayuki-san's Area: Middle Road, North Bridge Road, Malay Street, Hylam Street and Malabar Street

牧久はサイゴン陥落後にシンガポール支局移った。そこでの取材で知り合った「シンガポール越後屋」の総支配人だった福田倉八の回想。「私がシンガポールにやって来た頃、カラユキさんたちのいたカフェ(彼は娼館をカフェと呼んだ)はミドルロードとノースブリッジロードに挟まれた一角にありましてね、その周りには日本料理店が取り巻いていました。もう一か所、中国人街にも五、六軒の店がありました。カラユキさんの総数は四百人を超していたと思います」(「『安南王国』の夢」)


Middle Road」と「North Bridge Road」に挟まれた一角とは、今の「Bugis Junction」や「Intercontinental Hotel」の周辺であり、山崎朋子が「観光案内所の主」の「太田良一」に取材して、「サンダカン八番娼館」で記している「マレー街(Malay Street」「ハイラム街(Hylam Street」「マラバー街(Malabar Street」と符合する。ただ、山崎はこの界隈も「チャイナ・タウン」の一部にしている。 

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