Thursday, January 29, 2004

Ever Keen Hearing in Sleep

仕事、昼から行った。朝、「起きられそう」だった。進歩。でもイヤ。

夢を見てる間、聴覚だけははっきりしているようで、周りの音がすべて聴こえる。覚醒剤で感覚が敏感になると言うけど、似た感じなのかと想像する。きわめて不思議な感覚。

Wednesday, January 28, 2004

Miss Q Comes and Feeds Me Oatmeal

21:58

オバQ 来た。オートミール作ってくれた。でも、あ~しんど。

Weird Dreams and SGR (Again)

今頃の時間(午後2時38分)、家にいるなんて……。雨が降ってきた。

また、ずっと夢をみてた。バス停のような場所。スーツケースとリュックがひとつずつ。一時帰国にしては荷物が多い。スーツケースを自分の前に置いてベンチに座ると、自分のリュックをヒザに乗せて同じベンチに座っている女性を見つける。"Xcuse me, that's mine" と言って返してもらう。もうひとり女性が来て、その人と帰国することについて話す。(英語だったか日本語だったか不明。)

時計を見ると午後3時で、突然、航空券を予約し忘れたことに気づく。もうムリだろうと言いながらも手配してもらおうと、すぐにSGRに電話するが応答なし。左を見ると SGRが座り込んで仕事をしていた。彼が「この時間から取引が多いんだよね」とパソコン画面のグラフを見ながら言う。航空券手配じゃなくて、株の情報でも見ているようだった。

カウンターのある、あんまりきれいじゃない居酒屋風レストラン。背中から見て右から、自分、SGR、もうひとりの男性と並んで座っている。

「ラーメンと『ミソギョーザ』がいい」と言ったのは誰だろう。(叉焼包なんかを売ってそうな)店の入り口で注文できると教えられ(誰が教えてくれたのかわからない)、自分が注文しに行こうとすると「ミソギョーザ」は少し歩いたところにある別の店の方がいいと言われ(誰に?)、席を立つ。

(昨夜、"Body Worlds" の1ドル入場割引券がメールボックスに入っていたせいか、)化石発掘現場のような場所にいて、折れないように人骨を乾いて固まった土の中から取り出す。人の骨だと言っていたが、そんな風にはまったく見えず、割り箸のような細さの骨だった。何本か取り出したあと、さらに見つけるとそれは子供の一体だった。

あんまり明るくない部屋の窓際。男性ひとりと女性ひとりと自分が座って話す。自分が着ている上着の胸に "53"と書かれている。女性が「私も53年生まれだから同じ」と言う。「それは昭和53年のことでしょ。これは"1963" 年のこと」と自分が答える。(どうして"53" なんだろう?)男性は、なぜか「きむたく」似だった。彼が何を言ったのか覚えていない。

本屋かCD屋のフロアのような造りのアパート。ただし本やCDは見当たらない。数人の人とシェアしている様子。同居人の友人(なぜかインド系)が何人か遊びに来ていた。前日買ったばっかりのラップトップPCの電源を入れると、右側から煙が昇る。「えらいことになってしまった」と、かなりショックで、電圧を間違えたことが原因かと考えた。煙の出たスロットから基板を抜き出した。まだ保証期間だから無料で修理してもらえることに安心しながらも、買ってから2日めに壊れたことが恥ずかしい。(何年間か分の日記が読めなくなってしまっていることが気になっているに違いない。)

Tuesday, January 27, 2004

SGR and SM

日曜日(25日)の昼、SGRさんと電話で話す。仕事が順調じゃなく、数カ月して落ち着いたら日本に帰ると言う。なんか、気になったので夜、もう一度電話で話す。本当は、商売の具合ではなくて、もっと個人的な理由だと話す。

月曜日(昨日)。午後、SGRさんからまた電話。数時間後、会社の下の階の喫茶店で会う。本当のことを話してくれた。予想もつかない話でおどろく。彼は自分と同じ昭和38年生まれ。環境は違うけど、それだけでも親しい気持ちをもてた。彼も同様に感じてくれていることを願うし、真実を話してくれたことでそれが証明されているのではないかと思う。経験したことのない状況で、彼と家族が今後どうなるのかまったくわからない。元気でいてほしい。また、必ず会えることを信じる。

今日、夕方。AMから電話があったが答えられず。しばらくしてSMSもらう。J(つまりSMのこと)がCNY休暇中にCCに来て、自分宛にメッセージを残していったという。明日、HK に戻るので電話してほしいと、番号をくれた。電話した。2度と聞くことがないと思っていた声。あとで会う約束をして、彼女からの連絡を待つこととなった。と言っても、明日の朝6時のフライトなので時間はわずかしかない。そのとき、自分はBugis Junction にいたが、数分間どう行動していいのかわからなかった。C'TWN 近くのClub Street にいるときいて、待てずにそこまで行ってしまう。見つけられず。あれから半年になろうとしている。

結局、連絡なし。All over again. Me, stupid forever. 先月、New Year Cardをくれたとき(それ自体驚きだった)返信したメールは受け取っていないと言っていた。不思議。YKTNさんの件もあるし、こっちの問題か。でもOさんは問題なく受信できると言っていたが。

今までの日記を記録したディスクがおかしい。今日、会社のPCで試したけど、読めない。壊れたFDDでムリやり読もうとしてたから壊してしまったのかもしれない。だとしたら、悲しい。大変悲しい。HDDに残した日記も取り出せない。ホントに悲しい。

Sunday, January 25, 2004

Days of Unsound Sleep

続けさまにいくつも夢を見て、すっきり眠れない日多し。

Wednesday, January 21, 2004

Lunar (Chinese) New Year Eve

今日の仕事は「半ドン」。明日から旧正月(春節)休み。

昨日の午後、送金する。今日午後、親と兄から別々に電話あり。

1月2日。正月なので(一応)京都に電話する。元気そうで何より。数時間後、CYと夕食の約束があり、席に着いたとき電話がある。いつ結婚するつもりか? 相手は日本人でなくてもよい。母兄とうまくやっていける人ならよい。「キツイ」性格の人はダメ。いずれは日本に帰ってこい。それだけのために電話してきたらしい。そんな都合のいい話、ある訳もない。日本に戻るとなれば、住む場所も仕事も見つけなければならない。まったく何もない状態からのやり直し。あんまり勝手なことを言うもんじゃない。

Tuesday, January 20, 2004

Collecting Memories

ここ数カ月間、いろんなことが起こった。

8月5日の夜。初めて会ったSM と翌日の朝まで話し込む。人に対する感情に興奮し、幸福だと感じたのはまったく久しぶりのこと。その後、毎日連絡を取り合う。5日で3度会った後、彼女はPenang に行ってしまった。

この月の終わりに、親が「うつ病で入院した」と連絡を受ける。一時帰国するつもりはなかったが、人に話すと「なぜ帰らないのか」と不思議がられたこともあって、9月中旬に急遽帰国の手配をした。自分が帰ったことで興奮したのか、本人は元気そうで「早く退院したい」と言っていた。

Penang からHK、そしてまたPenang へと移動したSM の再来星は延期、また延期となり、10月始め、自分の方が耐えられなくなってしまった。2度と彼女に会うことはなかった。

10月の中頃、親の同症状での入院やSMとの悲しい結末もあって、うつ症状の治療を受けることを決心してクリニックに行く。抗うつ剤 (Zoloft) と睡眠薬 (Zopiclone) を処方される。しばらく禁酒して薬に託す。とりわけ、Zopiclone の効果はすぐに現れ、最初の数日はすっきりした日だった。特に11月からは、状況を改善できるような環境になりつつあるというのに、しかし気分は一向によくならない。まず、偶然引っ越しの話が訪れ、決断。Tomlinson のアパートを引き払う。「家」で生活しているという感覚を得る。11月の2週目から5週間、UbiでGMSとNTTの仕事。いつものようにいい時間を過ごした。食事や酒を共にする機会があって、薬を飲めない日があったにもかかわらず、この期間は毎日気分よく過ごせた。引っ越し中の荷物の移動は、GMSの仕事を終えて、Tomlinson に戻り、タクシーで運ぶという繰り返し。

10月の終わりか11月の初め、YKTNさんから個人的に仕事をもらうも、PCが故障していたこと、引っ越しを始めたこと、GMSの仕事に集中していたことでさっぱり開始できず。今年になって、このPCを買ってからとりかかった。やっと先々週にメールで送ったと思って安心していたら、「届いてない」とメールをもらってビックリする。先週の土曜日にCDで手渡す。「メール届かず」の問題は、今もYKTNさん側が原因だと思う。このPCからだけでなく会社のPCから送ったファイルも届いてないのだから。

この仕事が終わってから、気分は降下する一方。12月23日、買い物帰りのタクシーの中で財布を紛失し、近くの警察署に届ける。このあたりから急に症状が悪くなったように思う。唯一、10~12日にC'Wealthのスタジオでの吹き替えに立ち会ったのが楽しめた仕事の時間。薬を飲み始めてから、気分の波が以前よりよくわかるようになったよう。

“Shut up! I'm talking!” (Barry)

1週間通して、まともに出勤できない有様。

南海ホークス最後の胴上げ投手、 江本が大阪府知事選に立候補 30年前には想像できず。「大阪球場跡からスタート!」はムリやったらしいけど、それやったら着てるジャンパーの色がちゃうんちゃうの?