Thursday, January 30, 2014

Irritation Almost Overflowing & Dan Brown's "Lost Symbol"


イライラが危険な状態かもしれない。





きのうの朝、寝言がはっきり聞こえて目が開いた。「なめんなよ、こら!」「こ」は「ご」に近く、「ら」は巻き舌の発音だった。


言った相手は中学校で席が隣りだったこともあるヤマグチくん。こいつは、「君のお母さんから『よろしく頼む』と言われた」とか、英語の授業で理解不足のこの生徒に「この学期(多分、2年生の2学期)は関係代名詞がわからんかったら意味がない」などと言い、きわめてうっとうしい存在だった。


こいつが今だに記憶から消えていないようだ。


イライラの本当の原因はもちろんヤマグチくんではなく、孤独感、疎外感、不安感だと思う。言語を扱う人となってもう何年にもなるが、やればやるほど自分の周囲にある言語環境と、どうしてもそれに関連せざるを得ない在留邦人環境に対する情けない思いが大きくなる。仕事を別にしても言語と無縁の生活を送ることは不可能で、たまたま自分の仕事と深く関係する英語が公用語である当地の、とりわけ華人の、そして多くの在留邦人のいい加減さが情けない。この言語は当地国民の多く、またほぼ全員の在留邦人にとって第2言語だが、それは自分にとっても同じである。


当然、言葉が発せられる場所には人がいる。何とかもっといい文章を作りたいと常に思っているところに、当地国民の「pidginized (dumbed-down, that is...) English」は無用どころか、悪だ。


在留邦人の事情はもちろん異なる。日本人の言語は日本語だし、日本人の他言語についての運用能力欠如は理解できる。ただ、心底から情けないのは、英語を第1言語とする国に何年もいた後、「とりあえず英語国」のこの国でさらに何年も過ごしている人たち。


前回も登場してもらった「彼(Fuck you, man)」が典型だろう。おそらく悔しまぎれに、「(英語はできないけど)ラテン語はわかる」と平気で言う人だ。彼の専門にはラテン語が使われることがある。ただ、それは単語レベルの話であって、文法や構造を持った言語としてではない。また、言語ツリーにおいて英語はラテン語の下部にあって、「ラテン語がわかるのに、何で英語がそんなにヘタなのか」ということになる。さらに、ラテン語の語彙が現代英語でどう使われているのかについてもまったく知識がないのだろう。情けないヤツだ。


結局、孤独感と疎外感は自分で招いているものだろう。だから余計に情けない。そして不安感は、仕事の先行きを心配する気持ちと、母親の状態を見てから感じる自分自身の老い、そして人生最後の数年に現れる記憶と認知の消滅を原因とする不毛感が源なのだろう。


 


I’m finishing “Lost Symbol”
by Dan Brown. This is certainly not the kind of book I usually read. It was a
gift from someone, who is still so nice to me. I had been hesitating to open the
book especially because it was written by a best-selling author. (If it is
still selling ten years from now, I may decide to read it.) I started reading it
because I had no new other book to open. Interesting story. But Dan Brown made
an error, which is almost fatal to Japanese readers. He gave to one of the main
characters, the director of the CIA’s Office of Security, the name “Inoue Sato.”
“Inoue” as a given name. Impossible. Brown may know so much about anything
else, but not Japanese names.

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