Friday, February 14, 2020

Death of Nomura San and Frustrating Work in Senai, Johor

長い間、ここには何も書かなかった。何も書いていなかったいうわけではなくて、別に、生まれてから今までのことを思い出せる限り書こうとしていた。ただ、思い出せても、文章にすることを心が許せないことも、まだある。もう、10万字を超えたが、最後まで書き通せるかどうかは、さっぱりわからない。

おととい(11日)、ノムラさん死去の報あり。嗚呼……。大阪ナンバのノムラ南海に歓喜熱狂した。京都に住む子供であり、大阪球場まで観戦に行けた回数は多くはないが、それでも中学生の頃は南海ホークスに将来就職したいと思って、球団の「スズキ・マネジャー」に手紙を送ったほどだった。ノムラさんはヨメはんのせいで二度も失業している。南海ホークスを消滅させたのはこのヨメはんだと、今も思う。ノムラさんの追悼記事のなかで、南海監督を解任された当時の報道やヨメはんの脱税事件を原因とする阪神監督辞任について触れているものを見つけることができない。南海監督解任以降、この人にはこのどうしようもないヨメはんしか、信用できる人はいなかったのかもしれない。ノムラさんが「再生」させた江夏豊が、偶然に東北新幹線でノムラさんに会った時のことを『左腕の誇り』に……

「野村さんの嫁さんの性格とか、あのときとった行動はマスコミで報道されているとおりです。僕は監督と一緒に南海を辞めたんですが、そのときのことで、古い友だちがみんな野村さんから離れていった。で、僕は新幹線のなかで二時間ぐらい話をして、別れぎわに言ったんです。

『友だちがいないというのは、寂しいですね』

『うーん、そうやな。でも、まあ、金が残ったからなあ』」と記している。

ノムラさんの死去について、いろんな人がコメントしているが、自分が知る限り、江夏が何を言ったかについては報道されていないようだ。南海監督時代の選手たちからのコメントも見当たらない。ノムラとエナツ。自分にとっては、この二人が南海ホークスの象徴のようだったのに。

月曜日から今日(13日)まで、ジョホール州セナイで通訳。仕事をいただくことに感謝しつつ、終日引っ張りまわされること、通訳としての業務依頼なのに翻訳もしないといけなかったこと、そのために昼食の時間もなかったことに、大きな不満あり。同じ客先について。これまでも、文章を訳したことはあるが、それはいずれも1時間を必要としない作業だった。今回は、自分の1日分の翻訳作業に匹敵するかもしれない文章を数時間でやらねばならなかった。ほとんどの場合、通訳は翻訳せず、翻訳者は通訳せず、だろう。翻訳依頼ではないので、翻訳料金が発生しても何の不思議もない。通訳業務と翻訳業務は別のものであることを伝えようと思う。