Friday, November 14, 2014

Immigrants for Japan?

「ベトナム難民に対する日本政府の冷たさはすでに国際的に定評がある。
米国はすでに十数万人を受け入れ、仏、オーストラリア、カナダなどもそれぞれ数千人から一万数千人を引き取っている。タイをはじめとする東南アジアの国々も、計十万人以上をかかえ込んでいる。
これに対して、日本の門戸は極度に固い。政府は移住どころか、難民そのものの存在も認めていない。外国船や日本船に拾われて港に持ち込まれた分については、国連難民高等弁務官事務所が滞在費などを保証したもに限り水難救助者扱いで一時的に上陸許可を出す。というその場しのぎのに終始している。そして外務省は、米大使館などに足を運んで、ひたすら国内仮滞在中の難民の引き取りを頼み込んでいる。
定住や公式滞在を認めない理由はいろいろあげられている。
公式筋が口にするのは、①日本には従来、難民や亡命者の取り扱いを規定した法律がない。②かりにベトナム難民の滞在を認めれば、他の東アジアや東南アジアの強権国家からもドッと人々がつめかけ、ただでさえ人口の多い日本が大変な問題をかかえこむことになるかもしれない。③日本は古来、単一文化の特殊な国なので、たとえ難民を受け入れても彼らは社会に融け込めず、かえって不幸になるかもしれない―などだ。
いずれも愚にもつかぬ詭弁だが、とりわけ単一民族云々ほど、子供っぽい、自分勝手な言い分はあるまいと思う。現在私たちが享受している輸入文化の多くは、多民族社会の種々異る文化や価値観の血みどろの戦いの中から生まれ、培われた。自由にしろ、民主主義にしろ、そうだ。命をかけた切磋琢磨の中で多くの血が流れ、多くの生活が失われ、これらを養分にして自由や民主主義の概念も育った。そして私たちはこの上ずみだけを輸入し、近代国家(あるいは先進国)を名乗っている。他国の動乱や後進性に乗じて経済を富ませた。そして必要とあれば子供たちに「国際人になれ」と教え、その一方で単一民族、単一文化の特殊性を口にするのは、「私たちはこの世界からおいしいところはいただきますが、苦しいこと、辛いことは分担いたしません」と公言するに等しい。あるいは「私たちは特殊学級の児童ですので、この世に自分のと異った価値観や発想や風俗習慣があるということを理解いたしません。理解しようとも思いません」と、自らの未熟を宣伝するに等しい。」「ベトナム難民の涙」(近藤紘一「サイゴンから来た妻と娘」)
今日、人口減に歯止めをかけるため、移民を受け入れるべきとの考え方がある。人口の自然増が望めない状況では、積極的に移民を受け入れよういうことだ。どういうわけか、声高に賛成を主張する意見はまったく静かで、目にするのは反対意見ばかりだ。そして、反対する理由はサイゴン陥落当時と変わらず、「日本は、古来、単一文化の特殊な国」というものだ。
移民が増えることによって発生する既存社会との摩擦や衝突などという話は、アジア、中東、アフリカからの移民を受け入れてきたヨーロッパ諸国や、移民で成立しているような米国にもある。また、日本と同様に少子高齢化による人口減を危惧して移民の受け入れを進めようとしているシンガポールにおいてさえ、外国人に対する風当たりがいつも温かいとは言えない。人口の8割以上を華人が占めるこの地でも、同胞と呼んでもおかしくなさそうな中華人民共和国出身者を公共マナーの悪さから批判する声を聞くことはまれではない。すでに外国人が多すぎだという批判もある。一般的に、移民一世は新たな地に馴染めない、あるいは馴染もうとしない。三世、四世の時代になって、ようやく同化していくものだろう。
この数世代にわたる過程は、移民の存在が奇異ではない国や社会が、程度の差はあれ、経験するもので、それを大きな心としっかりした法制度で進める覚悟が日本にあるのかということだろう。日本語能力を受け入れ基準にするのかどうかは、大きな問題のように思えるが、日本語を解さない人を社会が歓迎しないのも現実だ。インドネシアとフィリピンから受け入れている看護師と介護士の例が参考になるかもしれない。
「人口が減少していくと国力も衰退する」のなら、移民を受け入れるか、はたまた「現日本人」の出生率増加に効果のある施策を講じるしかない。その場合も、出産はあくまでも各個人や各家庭が決めるべきことで、特に政治に関わる皆さんには、おせっかいな言動を慎んでもらいたい。そもそも、日本に移民したいと純粋に思う人が世界にどれだけいるのだろう?
日本の特殊性とやらを、さらに特殊にしているのは、「特別永住者」という制度だろう。その立場を強く主張したり、擁護したりする人たちもいる。自分に言わせれば、日本であれ、他国であれ、「祖国を持つことを拒否している人たち」であって、悲しいくさびしい存在として映る。
「私の目から見ると、ミーユンの両親に対する思慕は非常に強く、それは何よりも、彼女を包む通常の人間世界がないからではないか、と思える。失礼な言い方かもしれないが、そうした彼女をあなたたちは今、さらに深い孤独と緊張の境遇に投げ込んでいる。私としては、本人の明るく素直な一面に期待を託しているが、半面、彼女の脆弱なまでの感受性の鋭さが、こんごの性格形成にどう作用していくか、少なからぬ不安感も抱かずにいられない。」「娘ユンの転向」(近藤紘一「バンコクの妻と娘」)
まったく事情も環境も異なるが、自分はいつも両親を理由とする「深い孤独と緊張」を感じていた。おかげさまで、とんでもない性格が形成されてしまった。近藤家の場合は、具体的な選択がときにつらい結果をもたらしたとしても、ミーユンちゃんに対する大きな愛情がそこにはあった。
「自分の悩みや、腹の底や、あるいは自ら自覚している欠点、醜さ、劣等意識など、総じて心のヒダを、虚心に打ち明けられるような「長年の友人」がいないということが、ある日、どんなにうそ寒く、空ろな孤独の想いとなって、その人間をむしばみはじめるか、たいがいの想像はつく。とくに、彼が何かのはずみで思わむ挫折感に襲われたり、自分一人では手に負えぬ選択、難題などに直面した場合―。」「フレンドシップ・ブック」(近藤紘一「バンコクの妻と娘」)
「どこにいてもキミとは友人でいる」と言ったヤツが2人いる。ひとりは大阪、もうひとりはシンガポール。大阪のN君の場合は、本当に遠く離れてしまったこともあり、また何年も前にのやりとりから、他人が原因の災難に巻き込まれた様子だった。お互いに日々を生きるのに必死な気がする。もうひとりも、仲のいい友達であったが、その粗暴さや下品さ、さらにおカネ持ちそうな人に媚びる態度や、自分と競おうとしたり、自分を貶めようとする態度が見て取れる。彼が「どこにいてもキミとは友人でいる」と言ったのは、シリコンバレーへの出張を終えて戻ってきてから1カ月ほどあと、ある人の結婚パーティーで会ったときだった。シリコンバレー出張が彼にそう言わせる出来事だったようだ。浅薄なヤツだ。


きょう夜、抜糸。くちびるとあごの痺れはまだ残っている。なので、3週間後(抜歯から1カ月後)にまた受診する。

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