Thursday, March 06, 2008

Remaining Things from HCM and Phnom Penh

ホーチミン・シティーとプノンペンでの滞在中に書き忘れたこと、また書き残したこと。

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先月17日、コソボがセルビアからの独立を宣言した。セルビア人とスラブの血を共有するロシアがこれに同意するわけがない。

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プノンペンとの行き帰り、川をバスごとフェリーで渡った。「Neak Luong」という地だったが、不覚にもこの川が「メコン川」であることに昨日まで気づかなかった。

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プノンペンで宿泊したゲストハウスに飾られていた国王の写真は、今もとっくに退位したシアヌーク殿下のものだった。

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ホーチミン・シティーからバスが午前8時に出発したので、プノンペンも同時刻に発つと勝手に解釈。出発地点に急いで行くと、「あんたの乗るバスは午後1時30分発だけど、変更したいのか?」。チケットをよくながめると、確かに13時30分とあった。すでにチェックアウトしたゲストハウスに戻る気にもならず、変更してもらった。

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外貨を両替する手間が省け、また米ドルが下落しているので、ホーチミン・シティーでATMからの現金引き出しを試した。無事に引き出せることを確認した後は、両替できないベトナム通貨ドンを余分に持ちたくない思いから、必要な時に小額(通常200000ドン=約20シンガポール・ドル)を引き出していた。昨日、うちの近くで通帳記入すると、覚えのない5シンガポール・ドルの引き出しが何度も記録されている。銀行手数料だった。20ドルの引き出しに5ドルの手数料って、ちょっと取りすぎ……。うちに戻ると銀行からの封書が何通も届いていた。どれもホーチミン・シティーでの現金引き出しを記録したもので、この手数料引き落としの通知だった。知っていれば、まとまった金額を1度に引き出していたのに……。ムダなことをしていた。

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シンガポールでテレビを見ることはめったにない。だが、ホーチミン・シティーではNHKの国際放送チャンネルがあったので、部屋にいる時はこれを見ていることが多かった。ベトナムのチャンネルの他、中国CCTV、韓国KBSワールド、HBО、ESPN、ブルームバーグなどが視聴可能だった。また、プノンペンのゲストハウスでは、シンガポールのCNAを見ることができた。

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フライトに乗り遅れた4日の午後。いつも行く喫茶店で、シンガポールと連絡しながら仕事をしていた。年齢不詳の男性が向かい側に座っていた女性にカバンを見ていてほしいと言い残して席を立った。戻ってくると、2人は会話を始めた。すぐ近くに座っていたので、よく聞こえた。女性はオーストラリア人、男性はアメリカ人でカリフォルニア出身。男性が「英語を教えている」と言うと、女性は「エレメンタリー?それともセカンダリー?」などと質問していた。

男性は民間の英語学校で教えている様子だった。「学校を卒業してから、
“real job”に就いたことがない」と言ったのが強く気になった。英語(あるいは外国語全般)を教えることは正業ではないのか?20年ほど前の日本の姿に思いが至った。アメリカ人なら、その資質を全くといっていいほど問わず、「英会話学校」で楽々と職を得られた時代。

当時、日本の英字紙がこんな風潮を懸念する記事を載せていたことを記憶する。ある学校の責任者は「どんな人材を求めているか」との質問に、「native Americans」と答え、記者を唖然とさせていた。ホーチミン・シティーの「英語学習熱」を測ることはできなかったが、会話の内容から判断して英語学校で教えているであろう西洋人を何人かこの喫茶店で見かけた。あんな時代に戻りたくはない。

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日本政府の支援を得て建設されたホーチミン・シティーのタンソンニャット国際空港内で日本食レストランを見つけた。その名は「Kaisha」。もちろん利用しなかった。

いわゆる「フルサービス航空会社」のベトナム航空でシンガポールに戻った。機内でフルサービスを受けるのは、前回日本に一時帰国した時に使った全日空以来だった。アルコール飲料の無料サービスに機内食。なつかしい思いがした。

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