Saturday, September 29, 2007

"Shiroi Kyoto'o"

「白い巨塔(第5巻)」から:学術会議会員選挙出馬を巡って、財前五郎と彼の周辺は系列大学や医師会からの票集めを進める。医師派遣と票との交換で、医局員の江川は浪速大学に籍を残したままではあるが、舞鶴総合病院に異動を命じられる。また、対立候補2人のうち、1人の立候補取り下げに医師会が圧力をかけ、一騎打ちとなった選挙で財前は辛勝する。

一方、噴門癌手術の結果亡くなった佐々木庸平の家族が起した裁判の控訴審は、一審を超える医学的な証明の応酬となり、結果は余談を許さない。だが、これまで出廷を拒んでいた亀山君子の証言、そして佐々木の受持医で、財前側が学位と縁談で懐柔してきた柳原が審理傍聴中に、自分への責任転嫁と良心の責めからこれまでの偽証を認め、さらに江川が記していた抄読会の記録により、財前が肺転移に気づいていなかったことが明らかになる。財前が延命措置を怠り、国立大学病院教授という立場からも責任を問われるべきとの控訴審判決が下される。判決直後、財前は上告すると言ったまま、その場に倒れる。

財前の胃を透視した金井助教授は、胃癌であることをすぐに認識するが、本人に悟られぬよう潰瘍だと告げ、病院幹部と治療法を相談する。財前は金井の診断に疑念を持ち、近畿癌センターに勤務し、裁判では原告側証人として証言した里見を訪ねる。胃カメラで検査した里見も事実を確認しながら、潰瘍だと言って即時の手術を勧める。

執刀は、財前の前任教授で、里見の説得に応じた東が引き受け、手術には里見も立ち会う。開腹すると、癌はすでに肝臓に転移しており手術不可能な状態だった。自らの術後の容態に疑いを持つ財前は、切除胃の標本やカルテを見せるよう金井に要求するが、すでに手遅れの癌であることを悟らせないように病院は他人の票本を見せ、また本物のカルテは鵜飼医学部長が保管していた。

黄疸の症状が現れた財前は、胃癌の肝転移を疑う。本人がその効果を認めていなかった制癌剤の静注も行われいったん持ち直したように見えた容態も、一気に悪化していく。

落命した財前の衣服からは、「最高裁上告理由書」と「私屍病理解剖についての愚見」という2通の封書が見つかる。

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大阪が舞台で商人の大阪弁がいいが、「~だす」が多すぎるように感じた。最近は、大阪弁も変わってしまったから、昭和40年前後の商人には当然の言葉だったのかもしれない。

千里に大阪万博会場が建設されようとしている頃で、なつかしい。すでに姿を消した大阪市電も。

財前五郎が人間らしい思いを漏らすのは、国際会議で訪れたドイツの風景、癌学会の帰りに立ち寄った黒部ダムでと、自分の子供に対してだけ。弱みを吐露できるのは愛人のケイ子だけ。「私屍病理解剖についての愚見」を残したのは、今後の医療の発展に少しでも貢献したいという思いからだろう。

当時、化学療法や放射線治療は研究初期の段階で、法廷でも「癌が薬で治せるのか!」という声が聞こえる。

それから、「聖和女学院」は西宮の「聖和女子学院」(現聖和大学)のもじりか?

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