Tuesday, July 26, 2005

Sukiga Attara Dokkarademo Kakatte Konkai!!

通信教育で空手やってた「奥目の八ちゃん」死去。「こう見えても」ピンポンもやってたはず。

Terrible Grammar

台湾プロ野球で八百長疑惑(共同)

賭博の八百長にかかわったとして、台湾プロ野球の監督、選手らが警察に拘留されていることが26日、明らかにした。

取り調べを受けているのは6チームある台湾プロ野球のうち、誠泰の監督と、ラニューの捕手。地元夕刊紙によると、選手は30万台湾元(約105万円)を受け取り、自身も賭けていたとされている。

台湾では1996年にも野球で八百長があり、18選手らが有罪になった。

はぁ?誰が何を明らかにしたって??

Monday, July 25, 2005

Full Stomach in Kobe and Its Night View

(夢の続き)Qちゃんと日本食レストランへ行こうとデパートの階段を降りると、まだ準備中なのか踊り場にフェンス。居合わせた子供連れの女性も「時間が早すぎるのかも」と残念そう。確認するため自分が一人で階段をさらに降りると、すでに客が入っていた。3人に降りてくるよう合図して、着席。親子はいつの間にかいない。何を注文したのかよく覚えていないが、どの注文にもセットになっている一品を食べきるのに苦労。何とか食べ終えた。

神戸のビル。「最上階は屋外」になっている。両側に樹木のある階段を昇っていると雨が降ってきた。屋上は360度の景色が楽しめる展望台になっているが、方角によっては通りの反対側のビルの並びが見えるだけ。

"One-million-dollar night view" のはずだが、「今日は週末なので」、それほど明るくないのだとQちゃんに話していた。ビルが見えるだけの方へ行くと、「自殺防止のためにフェンスを設置する予定です」と係員の女性が説明してくれた。雨は止んでいなかった。

どこかの公園で写真を撮りながら、シンガポール中心部の地図を眺める。この地図の左上には、"Jurong Island" とあって、なぜここが"Jurong Island" なのかとちょっと考え込んでいた。(20日にジュロン島まで取材に行ったからだろう。)

書店。Margaret Thatcher の本を買おうとしていた。著作なのかどうかはわからない。レジではクレジットカードを使って支払った。店員にRonald Reagan が表紙の別の本もすすめられたが、"I’ve already read that book" と答えて断った。となりに立っていた白人女性と話して、しばらくいっしょに歩いていたようだ。

たくさんの車が通る道のすぐ横の森。(日本人観光客と思われる)3~4人の女性がテーブルを組んで食事をしていた。「もっと森の奥で食べればいいのに」と不思議に思う。

Sunday, July 24, 2005

Why Do I Have to Hide??

22日。"Gulliver's Travels" を読み始める。

土曜日朝の夢。阪急電車(おそらく神戸線)と駅のそばのショッピングセンター。女性といっしょ。誰かに見つからないように乗る駅と車両をひどく気にする。ショッピングセンター周辺もそう。

Thursday, July 21, 2005

A Man Who Expected So Much of Japan

とぼとぼ読んでいたSitanshu Das の"Subhas: A Political Biography" を昨日の夜終えた。

欧州から喜望峰を回るコースを潜水艦で移動してまでも母国に近づこうとした人。シンガポールでの行動にはほとんどふれられず、大東亜会議のことは書かれていないが、戦中の日本にどれほど期待してくれていたのかを知るには十分だろう。また、外国日本への期待と同時に、その命令下には入らないという決意も固い。

ドイツ政府内に存在した反ヒトラー勢力の大きさにも驚いた。

英BBC が地下鉄での爆破事件について伝えている。7日の再放送かと思った。

Saturday, July 16, 2005

JB Killing Field

昨日、飲みすぎ。最近、酔い方が以前と違ってひどい。普段の飲酒量が少ないから、飲めなくなっているのかも。CC からBまで、どうやって行ったのか覚えていない。B に着いてすぐ、ひどく酔っていることに気づいて帰ることにした。しっかり歩けてなかったので、S がタクシーに乗せてくれた。タクシーの中で嘔吐しそうになったがガマンした。午後3時ごろ起きたが、外が薄暗くなるまでまた眠ってしまった。また、夢を見ながら15時間ほど眠ってしまった。

Causeway をJBに向かって歩いていた。歩道はなく、樹木の茂った山道のようだった。たどり着いた場所は、古いアパートで、敷地の奥には教会があった。アパートの周辺には多くの兵士がいて、華人だけを殺していた。アパートの狭い階段は短いが迷路のようで、兵士に見つからずに安全な場所へ逃げるまで時間がかかり、エレベーターも混雑していた。

Wednesday, July 13, 2005

"Torture" Becomes "Thinking Question"??

1日のイタリア・レストランでの食事の後、CC まで歩いた。途中、YMCA の横にある「ケンペイタイ本部跡」記念碑を見た。ご親切に日本語の説明文もつけていただいていたが「拷問」が「考問」になっておった。

FZ Documentary Coming Soon. But Not Here

Frank Zappa Documentary が制作されている。しかし、ここで公開されるわけもなし。10月25日には、The Zappa Plays Zappa Tour がバルセロナで始まる。しかし、ここに来るわけもなし。

音響エンジニアのBally ("Shut up, I'm talking")と3日間いっしょに仕事をしたうちの1日、"Information is not knowledge... Music is the best" T-shirt を着ていた。"Nice T-shirt" と言ってくれた。

"He was a nice man."
"I learned English listening to his music."
"Really? Not a very good way."
"But almost banned here."
"Of course."

彼の仕事場は、壁に表彰された記念のレコードが額に入って並んでおり、"Apocalypse Now" の制作スタッフからの感謝状も置かれていた。

Ah... ah... ah... Another Nightmare...

6日(水)。仕事の後、CC に行かずにTB に戻る。E を読むためにCB に寄ったが、そこで眠ってしまった。A とSがCC に行くに違いないと思ったが、平日に2日続けて行くべきではないと思って、失礼した。

8日(金)。翌日の朝、カウンセリングの日だったので、この日もCC に行かずに家に帰った。夜、また長~~い夢をみていたようで、何度も「何か」言っていた。Q ちゃんによると、「ちがう、ちがう」と言っていたそうだが、わからない。いずれにしても、悪夢に近いものだったようだ。

9~10日(土・日)。朝10時のカウンセリングに間に合わなかった。15分前に何とか電話してキャンセルしてもらった。「どうしても」という気が多少薄れているのかもしれない。いいことなのか、悪いことなのか、わからない。

土曜日の夕方5時ごろから日曜日の夕方5時ごろまでThomson Road のYKTN 邸でパーティー。あまり飲まず、たくさん食べて、十分寝た。

Monday, July 11, 2005

Hashimoto Shin'ya Dies

ただのデブだと思っていたが、結構強かったプロレスラー橋本真也が急死。

Friday, July 08, 2005

Tiger Jeet Singh

1日(金)。1日早いがQちゃんの誕生日祝いにイタリア・レストランで夕食。たいへんおいしかった。先月26日(日)にFさんたち合計8人で行ったのと同じ店。気にいったので1日の予約をしておいたのだった。OG Orchard あたりでQちゃんとは別れ、CC に行った。

午前0時ごろ、帰ろうと考えていたときにSが日本から来た友人を連れてやってきた。帰宅は、肉骨茶のあとの朝4時。

また、長~い夢を見た。しっかり覚えていたが、さすがに今はほとんど思い出せない。ただ、LKY が「捨てられて、命を落とした」場面では、あまりに悲痛で声を上げた。その他の登場人物:タイガー・ジェット・シン。なぜだかわからない。リングに上がると「(昔のように)サーベルを投げ上げました」と実況アナが叫んでいた。投げ上げたサーベルはそのまま落ちてきたが、いっしょによく切れそうなナイフも落ちてきて、彼は左耳の4分の1ほどを失ってしまった。(この人、初来日前から結構すごいレスラーだったようだ。http://www.garywill.com/wrestling/canada/singh.htm)その後も長~い話が続いたが忘れた。いつか突然思い出すだろう。

翌日、A がほぼ1年ぶりにインドから帰ってきて、午後連絡をくれていたようだが、夕方まで起きられず。夜、CC で会って、S と彼の友人夫婦と4人で夕食。友人夫婦は一度ホテルに戻ったので、その時間を利用して PL に行く。CC に戻った後、4人で"Bridge"。空港に行く時間が迫っていたので、あまり時間なし。CC にまた戻る。Fさんたちと会って、"Bridge"に逆戻り。Roti Prata 食べて帰る。朝6時。

日曜日。午後、CB で本を読んでから、夜またCC へ行く。F1(フランス)を見る。AとSとは火曜日にまた会うことにして、日付が変わるころ店を出た。

火曜日。仕事を終えて9時半ごろCC に行ったが、AもSもいない。11時前まで待ったが来ないので帰る。